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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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14日、テレビ朝日で「ザ・スクープSP 玉音放送66年目の真相」をやっていた。
その中で昭和天皇の玉音放送に対しこう語りました。
 
「≪世界の大勢、亦我に利あらず、加之敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。しかも尚、交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延(しい)て人類の文明をも破却すべし≫ 
天皇陛下は反核・平和宣言をしたのである。・・・」
 
何と、先帝陛下は玉音放送で“反核・平和宣言”をしたのだ、と言ったのです。・・・
 
 
 
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一方、同じ日にNHKでは「NHKスペシャル 円の戦争」をやっていました。
過去のNHKのこの手の昭和の歴史に関するスペシャルは、
日本軍の良いところはやらず、軍は悪かったという固定観念のもと先人達を貶めて、
軍の悪辣さを広く国民に宣伝していこうというのがNHKのこの番組制作の目的であるのは明らかだ。
 
今回も番組の中では朝鮮や台湾を“植民地”と強調し、中華民国臨時政府などを“傀儡”と幾度も強調していました。
歴史をよく知らないで番組を見る視聴者にはこの“言葉”だけが印象に残るのではないか。
それ以上にあの暗く、陰湿なムードを演出した番組を見ているのも苦痛になり、
しまいにはチャンネルを変えてしまうのだろう。
その時に、「日本軍は本当にろくでもないなぁ」と思ってチャンネルを変えるのか、
「NHKは本当にろくでもないなぁ」と思ってチャンネルを変えるのか、では大きな違いがあるのです。
 
今回この番組では日本軍は戦費調達の為の資金を“世界で類を見ない特殊なシステムをつくり上げたと断罪した。
しかし、敵である国民党の蒋介石は米・英によって数十億ドルの資金や物資を援助されていたのだ。
敵のこの豊富な資金と物資にNHKはどのように対抗していけというのか。
断罪ばかり大きく取り上げて、日本軍の苦しさは全く考慮しない。
“戦争などしなければよかったのだ”と言いそうなNHK。
しかし、日本と支那は1918年のイルミナティとボリシェビキの日支闘争計画において戦うようになっていたのだ。
 
話はさかのぼります。
日本は日露戦争の激戦地、旅順港攻略戦で勝利しました。
その情報は満州からロスチャイルドに届きます。
日本戦勝の可能性を知ったロスチャイルドはロンドンに来た高橋是清に金を貸す約束をします。
実際にはジェイコブ・シフというユダヤ人のクーン・ローブ商会に戦時国債を売ることができたのです。
その背後で資金を提供したのがユダヤ財閥のロスチャイルドでした。
そして、彼らは日本にバルチック艦隊の大移動の詳細情報までも伝えたのです。
日本に日露戦争で勝利させて儲けて、次に日本を敗北させれば日露戦争で儲けた分の数十倍も金が儲けられる。日露戦争から第二次大戦に至る軍拡国家日本に巨大な投資をして巨大な利益をあげた。今度はそして一気にぶっ壊す。
これが彼らの手口である。
これを見ずしてNHKは日本軍を断罪するために重箱の隅をつつき続けているとしか思えない。
特に番組では横浜正金銀行の場面である写真が写っていたが、
その写真にはモルガンと書いてあり、一緒に写っていた。
これは何を意味するのか。NHKは追求すべきではないか。・・・
 
 
 
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さて、その翌日15日にもNHKスペシャルをやっていました。
「日本はなぜ戦争へと向ったのか 戦中編 果てしなき戦線拡大の悲劇」。
“戦中編”ということで、19422月頃、つまりちょうど日本が連戦連勝から巻き返されていく頃を取上げたのです。
そして“国力数十倍のアメリカになぜ無謀な戦争を仕掛けることになったのか”というお決まりのことだ。
 
これも何も知らなければもっともだと納得してしまうかもしれない。
この“なぜ無謀な戦争を仕掛けることになったのか”というのは多くの国民は今もそう思っているかもしれない。
しかし、最近では真実の歴史が知られるようになって、
日本が仕掛けたのではなく“仕掛けられた”ということも理解されるようになりました。
日本軍を南進に方向転換させ米英戦へと仕向けたのはモスクワの手下であった。
日本を敗戦させ、その後共産主義革命によって日本を共産国家にし、
共産党が勝利した支那とソ連のこの三カ国が中心となって、アジア各国、東亜民族をも共産化して
共産主義の東亜建設を目論んでいたのです。
これはユダヤの世界を一つにするための一環であったのです。
 
番組にある通り、確かに日本軍は手を広げ過ぎてしまったのは明らかです。
当時、特に皇道派の真崎甚三郎や小畑敏四郎などはこれには大反対したが受け入れられなかった。
日米開戦の前に帝国陸軍内部の主戦派の統制派が慎重派である皇道派を追い出し、
特に現場を知らない机上の超エリートであった統制派幹部は戦争が下手であったのだ。
それは統制派主導で第二次上海事変となった時に統制派たちが苦戦に苦戦を重ねる中、
その後、皇道派の柳川平助が派遣され杭州湾から一気に攻め落として、
南京までの活路を見出したことでもわかる。
この功績を統制派は国内では柳川の名を伏せて報道した。皇道派の手柄を嫌ったのだ。
しかし、国難でもある戦争となれば皇道派も統制派もないはずですが、
東條はじめ陸軍を主導したのは最後まで統制派でした。
彼らは自ら戦争を望んで泥沼にはまっていったのだ。
統制派の軍首脳や企画院、マスコミには多くのマルキストがいました。
彼らはモスクワや支那共産党の工作にまんまと引っ掛かったのだ。
戦後、あの戦争で本当に勝利したのはソ連であったといわれています。
しかし、実際はその裏にあるユダヤ国際金融資本の儲けに貢献していったのです。
 
また、海軍の山本五十六が連合艦隊司令長官になった時、ハーバード大学ルートの情報で
「米国の海軍力は山本五十六が司令長官である間ならば日本に打って出ても勝算あり。
悪くても五分五分で決着がつくので早々に戦端を開くべきだ」と海軍側の意向が伝えられていました。
その理由は「山本はフリーメーソンの結社員だから」という。
・・・・・
 
NHKに決定的に欠けているものは何か?
愛国心だ。
国を愛さず、戦前をまるで悪の権化の如く決めつけ、先人たちの苦悩を“無能”と断罪し、
反核、反戦、平和主義路線の左翼丸出しの公共放送。
国を護るために命を捧げて戦った先人たちの無数の尊い命を、
まるで愚かで、無能で、悪者のように描き続けるNHK。
 
しかし、現在、おかしなテレビ局はNHKだけではないのだ。
冒頭のテレビ朝日もそう。
TBS、そしてフジテレビも露骨な韓国びいきだとして多くの国民から反発を買っている。
私の一番の悩みは軍は悪だと断罪しても、テレビ局を悪だと断罪するテレビ局がないということです。
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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全国戦没者追悼式で、お言葉を賜る天皇、皇后両陛下 御尊影=15日午後、東京都千代田区の日本武道館
 
 
 
 
 
君が代
 
 
 
 
 

天皇陛下、皇后陛下 ご動静 15日 (月)

 
(宮内庁発表分)
 
 【午前・午後】
 
 両陛下 全国戦没者追悼式ご臨席(東京都千代田区・日本武道館)
 
 【午後】
 
 天皇陛下 ご執務(宮城・御所)
 
 両陛下 松本光弘・福島県警本部長から説明お受けに《東日本大震災に際しての
 
 県警の活動につき》(御所)
 
 
 

昭 和 天 皇 陛 下 と 国 民

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昭和天皇陛下、香淳皇后陛下 勤労奉仕団ご会釈 
 
 
 
GHQを驚かせた占領下の「皇居勤労奉仕」誕生秘話/高森明勅

皇居勤労奉仕。
読者のみなさんは、この言葉を耳にしたことがおありだろうか。
全国各地から多くの人々がグループを作って上京し、皇居の中で四日間、ボランティアの清掃活動を行っている。その数、平成に入ってからの実績で言えば、一年間を通じておよそ一万人。この活動のことを「皇居勤労奉仕」と呼んでいる。
  *
清掃活動はまったくの無報酬であるのはもちろん、交通費も宿泊費もすべて自己負担だ。それでも約一万人もの人々が毎年、皇居での勤労奉仕を続けている。一般にはほとんど知られていない事実だ。しかし十分、注目に値するだろう。
では、この皇居勤労奉仕はいつ、どのような経緯で始まったのか。
この点については、幸いなことに、いくつか関係者の証言が残っている。まず、昭和天皇の側近に仕えた木下道雄侍従次長(当時)の証言を紹介しよう。

時は昭和20年12月。つまり終戦の年の年末のことだ。当時、日本は言うまでもなく占領下にあった。皇居も各門にはアメリカ兵が見張りに立っているありさまだった。

その皇居自体も、外観こそ戦前と変わらぬ様子であったものの、一歩、中に入ると戦災の跡が歴然として痛々しいまでの変貌ぶりだった。木造の建造物はほとんど焼失していた。明治時代に建てられた端正雄大な宮殿も焼け落ちて礎石や瓦、レンガなどが散乱し、目も当てられない状態だった。手入れが行き届かないため、雑草があちこち伸び放題に生い茂っていた。これは皇居前広場も同様だったから、外からも一目瞭然にわかった。
そんな折、皇居の坂下門の門外に60人ばかりの青年の一団が到着した−−。

皇居の清掃奉仕を申し出た若者たち
 
この若者たちは、門衛の皇官警察官を通して、次のように申し入れたという。
「私たちは、宮城県栗原郡の各村のものでありますが、二重橋の前の広場に雑草が生い茂って、たいへん荒れている、ということを聞きましたので、草刈りやお掃除のお手伝いのため上京してきました。‥どうかお手伝いさせて下さい」と。

このことを筧素彦総務課長(当時)から電話で知らされた木下氏は、ただちに筧氏と一緒に門外で彼らと面会。その熱意に打たれて「一同の厚意に謝するとともに、遠路はるばる上京されたのだから、二重橋前もさることながら、皇居の内は人手不足のため、宮殿の焼跡には、いまだ瓦やコンクリートの破片が到るところに山積している。どうか、皇居の内にきて、それを片付けては下さらぬか、と提案したところ、この予期しない言葉に一同の喜びはたいへんなものであった」−−。
木下氏の証言によれば、皇居勤労奉仕はこのような形で始まったことになっている(同氏『皇室と国民』。)

当時の交通事情を考えると、宮城県栗原郡の地元から上京してくるだけで、大変な苦労があったはずだ。しかも終戦直後だから経済情勢は極めて悪く、食糧の入手さえ困難な状況下でのことだ。その上、皇室そのものの行く末もなお不透明だった頃である。
出獄した日本共産党の面々は虚脱した国民の前で「天皇制の打倒」を叫び、GHQは昭和天皇側近だった内大臣の木戸幸一を戦犯容疑者として捕らえ、皇族の長老、梨本宮守正王まで拘引される始末だった。

そうした中で、60人もの若者たちが意を決して上京してきたことは、じつに驚くべきことと言ってよい。ただし、木下氏の証言だとも六十人の青年グループが突然、皇居に押しかけて「手伝い」を申し出たように受けとれるが、じつはこれ以前に勤労奉仕の受け入れをめぐるやりとりがあった。
この点については筧氏の証言がある。

宮内省 総務課長の勇断
 
それによれば、ことのいきさつは以下の通りだった。
この年の11月22日、宮城県から上京してきた二人の人物が宮内省(当時)を訪れた。この時、二人に応対したのが筧氏だった。

この二人は、地元で指導的役割を果たしていた。一人は青年団運動のリーダー、鈴木徳一氏、46歳。もう一人は東久邇宮(*ひがしくにのみや)内閣の緒方竹虎国務大臣の秘書官だった長谷川竣氏(のちの衆議院議員)、33歳。彼らは現今の思想悪化を憂いつつ、なお皇室のことを思って荒れた皇居の清掃にあたりたいと願う青年男女がすでに地元に60名にもおよんでいることを告げ、勤労奉仕の許可を求めたのであった。

この熱意ある申し出に対し、筧氏はどう対応したのか。氏の証言を引用しよう。
「当時はすでに占領下にあって、ことごとに占領軍の抑圧を受けている極めて酷い事情の下にあるので、こういう申し出をされる方も命がけなら、それを受け入れる決断をする方もまた異常の覚悟を要する状態でした。(中略)これを組織による意思決定の形をとったら、(中略)万一の場合、上の方にご迷惑が及ぶことがあっては一大事であると考え(中略)一切の責任を負って自分だけの独断でやることを決意しました」(日本教文社編『皇居を愛する人々』)

かくて筧氏は、信頼するただ一人の上司にだけ打ち明け、その内諾を得るや、ただちに二人に勤労奉仕の許可を申し渡したのであった。何とも恐れ入った勇断と言うほかない。

この時、鈴木・長谷川両氏は、何の書類審査もなく即日、許可されてビックリ仰天したという。それも無理はない。ただでさえお役所仕事というのは手続きが煩雑で、時間がかかる。ましてや天皇陛下のお側近くで仕える宮内省に、まったく前例のないことを申請しようというのだから、二人とも相当に手間暇がかかることは覚悟していたはずだ。それなのにただ一回の口頭の申し入れただけで、ただちに願いが聞き届けられたのだから。


拡大する勤労奉仕にGHQが疑念
 
宮城県栗原郡の若者たちは「みくに奉仕団」と名乗った。正確には男性55名、女性7名の計62名で、団長の鈴木氏と副団長の長谷川氏を除き、ほとんどが22、3歳の若さだった。苛酷な占領下のことゆえ、彼らの行動に対しGHQがどのような対応をとるか予測がつかず、「娘っ子のうちには、両親兄弟と永い別れの水盃をかわしてきたものもいる」という(木下氏証言)。

むろん、占領当局によって拘束されるようなことはなかった。ばかりか、奉仕の初日に一同にとって思いもよらぬ感激的な場面が待っていた。みなの前に昭和天皇が姿を現されたのだ。
鈴木氏の証言を紹介する。

「奉仕はだんだん進んで正午近くになった頃です。静かだった奥御殿の石垣の上に、かすかに人の群の気配がするので、ひょっと見上げると、陛下がお立ちになって、こちらをご覧になっていられます。(中略)お付きの方が見えて、陛下がお呼びだという。私は作業衣のまま石段を上って御前にまいりますと、木下次長さんがお取次ぎで、いろいろ御下問を賜りました。(中略)やがてご政務所へお帰りになりましたが、その御後姿を拝し一同期せずして君が代を合唱しました。誰の眼にも涙がいっぱい光っていました」(前掲書)

その後、女官を伴って香淳皇后もお出ましになった。両陛下のお出ましに一同がどれほど感激したか、察するに余りあるだろう。
「みくに奉仕団」のことが各地に伝わると、我も我もと次々と奉仕団が結成され、勤労奉仕の申し出が宮内省に殺到した。何しろ翌21年には早くも188の奉仕団が名乗りをあげ、一万人余の人々が勤労奉仕に参加しているのだ。ピークは昭和26年で、何と4万人近くの国民が参加した(奉仕団は831団体)。

こうした動きに対し、GHQもさすがに疑念を抱き、背後に強力な組織があって、巨額の資金を投じ、彼らにとって良からぬ策謀をめぐらしているのではないかと、独自の調査を行ったらしい。その情報をキャッチした海外のメディアが奉仕団に取材をかけるようなこともあった。総力戦に敗れた国の君主制は第一次大戦時のドイツや第二次大戦時のイタリアのように滅びるのが通例だ。なのに日本の皇室の場合、滅びるどころか多くの国民がボランティアで皇居の清掃活動を行っている。彼らが不審に思うのも当然だ。だがもちろん、そこには何の背後関係もなかった。人々のひたむきな皇室への思いだけがあったのだ。

これまで累計 約120万人が奉仕
 
占領下から独立回復後、昭和から平成へと時代は推移しても、皇居勤労奉仕は一年の中断もなく続けられている。これまでの参加者は、昭和20年から平成19年までの累計で約120万人にも達している。

この勤労奉仕は、15名以上60名までの奉仕団を結成し、奉仕日(4日間)の半年ないし1ヶ月前までに名簿を提出して申し込めば、原則として誰でも参加することができる(詳しくは宮内庁のHP参照)。だから高校生や大学生などの奉仕団もある。

奉仕期間中の1日、やむを得ない事情がないかぎり、今も天皇・皇后両陛下から直接、お言葉をいただく機会がある。それは天皇と普通の国民が最も近づく貴重なチャンスと言ってよいだろう。


−戦にやぶれしあとのいまもなほ民のよりきてここに草とる(昭和天皇の御製)−


「SAPIO」、昭和天皇と私たち日本人の幸福な日々より
 
 
 
 

 
 
 
 
常に国民とともに、国民は皇室とともに・・これが日本のお国柄です。

皇尊 彌榮 彌榮 彌榮


天皇、皇后両陛下 萬歳  萬歳 萬歳


日本国民は(やまと民族)は皇室と共に
 
 
 
 
 

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