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2011年08月28日
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今上天皇陛下、皇后陛下 御尊影(ご成婚時)
天皇陛下、皇后陛下 御尊影
本ブログでも紹介させていただいた記事に、各宮家のご動静などをお知らせします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、23日午前、長野・群馬両県で静養あそばされるため、車で宮城を出発あそばされた。長野県軽井沢町などに滞在あそばされ、29日に還幸啓あそばされます。
富岡製糸場の繰糸場を視察あそばされる天皇陛下、皇后陛下 御尊影=23日午後、群馬県富岡市
富岡製糸場の繰糸場を視察あそばされる天皇陛下、皇后陛下 御尊影=23日午後、群馬県富岡市
畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては23日午前、群馬県富岡市・富岡市役所におかせられまして、群馬県知事、県議会議長、県警本部長からごあいさつ、少時ご歓談、群馬県知事、県議会議長、富岡市長、市議会議長を交えてご会食あそばされました。
畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては23日午後、軽井沢に向かわれる途中に、明治5年に明治政府が設置した官営工場・富岡製糸場(群馬県富岡市)にお立寄りあそばされました。
富岡製糸場は昭和62年に操業を停止。陛下の訪問は昭和44年以来42年ぶりでしたが、操業していた当時を覚えている様子で、「この前来たときはこの器械でしたね」と、展示されている器械を見てお言葉を賜りました。東日本大震災の影響を心配あそばされ、質問されあそばされた。
ご視察後、群馬県富岡市から車で長野県軽井沢町へご移動あそばされ、長野県軽井沢町・軽井沢町研修所におかせられまして、長野県知事、県議会議長、県警本部長からごあいさつ、少時ご歓談。
その後、畏くも天皇陛下におかせられましては、ご執務をなされあそばされた。
ブドウ畑を見て回られる天皇、皇后両陛下 御尊影=24日午前、長野県東御市 ブドウ畑で説明を受けられる天皇、皇后両陛下 御尊影=24日午前、長野県東御市
畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては24日午前、63戸の農家が同じ地域で巨峰などのブドウ栽培を行っている東御市の「中屋敷ぶどう団地」にお成りあそばされました。
畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては、農場で収穫前のブドウをご覧になられた。皇太子であられた昭和38年にこの団地にお成りあそばされて以来48年ぶりのご訪問となった。
畏くも天皇陛下におかせられましては、「大分昔より(規模が)大きくなっているんでしょうね」とお言葉を賜りました。
宮内庁によると、平成21年に軽井沢の大日向地区にお成りあそばされた際、両陛下は偶然出会った男性から現在も地域でブドウの栽培が続けられていることを聞かれ、陛下が今回の再訪を決められたという。
その男性はブドウ農家の若林邦宏さん(66)。21年当時、若林さんは絵画教室の講師として、8人と一緒に大日向にある昭和天皇陛下の巡幸記念碑の近くで浅間山の絵を描いていたという。
昭和天皇陛下 大日向御巡幸記念碑
すると両陛下が現れ、どこから来ているのかを尋ねられたため、若林さんが東御市が合併して誕生する前の旧東部町の町名を出すと、陛下は「皇太子のとき、昭和38年に行っていますね。当時の方はどうしていますかね」と関心を示されたという。
若林さんは24日、21年当時の絵画教室のメンバーと、ぶどう団地で両陛下を迎えた。
畏くも天皇陛下から「もう一度来られてうれしいです」と声をかけられた若林さんは、「本当に、まさかいらっしゃるとは思わなかった。大感激です」と話していた。
畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては25日夜、東日本大震災支援のピアノ・リサイタルを軽井沢大賀ホールにお成りあそばされ、ご覧あそばされた。
昭和天皇陛下 大日向御巡幸記念碑について余談ですが、記念碑には昭和天皇陛下が詠まれた御製が刻まれています。
浅間おろしつよき麓にかへりきていそしむ田人とふとくもあるか
終戦後昭和天皇陛下は、甲信越地方9日間の御巡幸に出られた。最初に浅間山の初雪の中を2キロも歩かれて、山麓の大日向開拓村を巡幸あそばされた。大日向村は満洲への分村移民を全国で最初に実行した村である。しかしソ連の満洲侵略により、移民694名中、ようやく半数の323名が生き残って、村に帰ってきた。そして標高1095mの荒れ地を切り開いて、入植しました。
昭和 天皇陛下をお迎えした開拓団長堀川源雄の奏上は、幾度となく涙でとだえた。昭和天皇のお顔も涙に濡れた。 今上天皇陛下におかせられましても大日向地区は、特別な地でもあらせられます。
両陛下のご動静に戻ります。
畏くも天皇陛下におかせられましては26日午後、長野県軽井沢町・同町研修所におかれまして、ご執務をなされあそばされました。
畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては27日午前、長野県軽井沢町・同町研修所におかれまして、長野県知事、県議会議長、県警本部長からごあいさつ、少時ご歓談あそばされ、長野県軽井沢町から車で群馬県草津町へご移動あそばされました。
草津町では、弓池湿原ご散策なされあそばされました。
コンサートホールに到着あそばされ、聴衆から拍手で迎えられる天皇、皇后両陛下御尊影=草津町
ワークショップで、ピアノのレッスンに参加あそばされ、モーツァルトの曲をご演奏される皇后陛下 御尊影=草津町
コンサート終了後、出演者らと握手を交わしあそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=草津町
畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては27日午後、、「第32回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」のコンサートをご覧あそばされた。
これに先立ち、皇后陛下におかせられましてはワークショップ(体験型講座)でピアノのレッスンに参加あそばされ、クラリネットとビオラの世界的な演奏家とモーツァルトの曲をご演奏。
テンポや強弱について英語で質問し、「ここが難しいところ」と話しながら、繰り返し練習あそばされた。
各宮家は今週もさまざまな公務をなされました。
秋篠宮文仁親王殿下におかせられましては26日、経団連会館(東京都千代田区)で、公益社団法人日本技術士会創立60周年記念・第38回技術士全国大会にお成りあそばされた。
秋篠宮文仁親王妃紀子殿下ににおかせられましては20日、有楽町朝日ホール(東京都千代田区)で、「第28回全国高校生の手話によるスピーチコンテスト」にお成りあそばされた。
高円宮憲仁親王妃久子殿下におかせられましては20、21の両日、福岡県に。「第39回全国アマチュアオーケストラフェスティバル福岡大会」にお成りあそばされた。 22日、東京都庁第1本庁舎(東京都新宿区)で、「2011年スペシャルオリンピックス夏季世界大会・アテネ 写真展」をご覧あそばされた。
23日、カナダ大使公邸(東京都港区)で、「東日本大震災復興支援留学プロジェクト基金設立チャリティーディナー」にお成りあそばされた。
25日には、幕張メッセ国際展示場(千葉市美浜区)で、「JAPAN DIY HOMECENTER SHOW 2011」の開会式にお成りあそばされた。
畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては、ご公務、祭祀と多忙であられ、ご高齢でもあられるので、ごゆっくりご静養あそばされることを願ってやみません。
常に臣民の幸せを願われ、世界平和を願われる畏くも天皇陛下、皇后陛下。
畏くも天皇陛下の臣として生をうけたことを誇りに思い、畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方がいつまでもお健やかであられることを祈念いたします。
常に国民とともに、国民は皇室とともに・・これが日本のお国柄です。
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
天皇、皇后両陛下 萬歳 萬歳 萬歳 日本国民は(やまと民族)は皇室と共に
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学校で教えない歴史(二・ニ六事件 番外編)
「ビルマの悲風」 〜誇り高き男 小川三郎〜
二・ニ六事件で連座した中に小川三郎という熊本男児がいました。
まったく語られることのない日本男児をこのまま消すのは惜しいと思い、ここに記しておきます。
・・・・・
大東亜戦争でシンガポールが陥落する直前、
タイのバンコクに岩畔機関(いわくろきかん)という特務機関ができました。
その機関はインド義勇軍を組織して対インド独立工作を進めるというのが主な任務でした。
その機関員に小川三郎という少佐が配属されてきました。
機関長の岩畔豪雄大佐がその考課表を見ると、
「陸士第三十八期生卒業 序列が尻から二番目 二・二六事件に連座して停職六カ月」
という豪の者で、機関長はどんなポストに使うべきか一寸迷っていました。
ある晩、夕食のとき、機関長は単刀直入に小川少佐に聞いてみた。
「君は陸士の卒業序列が尻から二番だがあまり勉強しなかったんだろう」と言うと、
小川少佐はすかさず「実に残念でたまりません」と答えた。
機関長はてっきり勉強もしてみたが不成績に終わって残念だという風に、ごく普通の解釈をした。
ところがそうではなかった。
「私は陸士卒業の時、ぜひビリで卒業したいと努めたが、惜しくも念願がはずれて、尻から二番に止まり実に残念無念でした。ビリの卒業というのはなかなか難事中の難事ですね」
と笑って答え、さすがに剛腹の機関長も呆気にとられた。
(チャンドラ・ボース)
大東亜戦争が進んでインドの志士チャンドラ・ボースをドイツから迎えてインド義勇軍の首領とし、小川中佐はその連絡に任じていました。
当時、インパール作戦後のビルマの日本軍は戦勢利あらず、後退に後退を重ねていました。
サルウィン河畔に踏みとどまっていたチャンドラ・ボーズに対し小川中佐は言った。
「早く後方の国境山脈まで退られよ」
とすすめたが、何といっても聞き入れぬので、これ以上やせ我慢すべきではないと諌めた。
するとボースは言った。
「約100名の女子義勇軍をラングーンに残していながら男の自分だけがどうしておめおめ後退できるか」
小川中佐はこれに応じて
「わかった。私も日本人だ。日本軍人だ。誓って私が責任を以て女子義勇軍を救出し、貴方の膝下に連れ帰るから安心して後退せられよ」
と言うなり方面軍の後方担当参謀のところにやって来て
「最小限4台のトラックを融通してくれ」と頼んだ。参謀は1台もないという。
何とか工面してくれと迫ったがない袖は振れぬという。
小川中佐は厳然として
「ない袖を振るのが参謀の真の役割だ。ある袖を振るのなら誰でもできる」
続いて言った。
「自分はインドのボース首領に誓ったのだ。ラングーンに残された女子義勇軍は日本人の面目にかけても断じて救出すると。今度の大戦はあるいは敗戦の破局を迎えるかもしれぬが、たとえどんな、どん底に陥っても日本人は嘘をつかなかった。どんな逆境に立っても日本の軍人は最後まで信頼できるとのイメージをインドの人たちに残して死にたい。形の上の戦争ではたとえ敗れても心の上の戦争では敗れておらぬ証拠を世界の人々に示すべき絶好の機会だ。4台のトラックはこのため何とかしてくれ」
と熱情をこめて言い放った。
黙々としてその言葉を聞いていた参謀は何も言わず、
どこからか4台のトラックを工面してきました。
小川中佐は喜んでこれを受け取るとまっしぐらに包囲化の首都に駆けつけて無事、女子義勇軍約80名を救出し、ボース首領の手元に連れてきました。
その後、小川中佐は南ビルマの戦闘で戦死した。
インパール作戦はまれにみる凄惨な戦いでした。
退却の戦闘で最も困難とされるのは「しんがり部隊」の行動です。
その困難である「しんがり」を自ら買って出たのが小川でした。
退却する友軍を安全な地帯まで後退させるため、小川は幾多の困苦欠乏に耐え、
苦心惨憺の結果、その任務を十分に果たし得たのです。
もうこれで大丈夫、と思われる地点までたどり着いた時、小川は突然、踵(きびす)を返して、
今来た方向に逆行して、ついに消息を絶ってしまいました。
・・・・・
私達の同窓にこんな誇り高い男がいたと言うだけでも肩身の広い感じがする。
たとえ日本の陸軍が滅びても、また熊本幼年学校はなくなっても、
こんな物語だけは後の世にぜひ残しておきたいものである。
日本の中にこんな考えの男がいたことを永久に残したいものである。
(大蔵栄一)
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台湾というと何を思い浮かべるでしょうか。
特に我々の祖先である日本人がやってきたことです。
こう言われても簡単に答えられないかもしれません。
・・・・・
台湾で武将を主神と祀る廟に神として祀られている日本人がいます。 森川清治郎。
芝山巌 六士先生のこと、
明石元二郎の遺言やその後のこと、
日本軍とともに戦った本当に強かった高砂義勇軍のこと、
台湾の靖国神社があること、
2・28事件のこと、そして本省人たちが国民党に抗議するとき日本の「軍艦マーチ」や「君が代行進曲」を歌いながら決起したこと、
多くの台湾人の命を救った広枝音右衛門警部のこと、そしてその法要が毎年営まれていること、
飛虎将軍廟に祀られている3神様はすべて日本人だということも、・・・
この答えは下の動画にあります。
日本人は台湾を親日国だということはわかっていても、台湾のことは意外と知らないかもしれません。
いや、知らな過ぎるかもしれません。
そういう私も20年以上前に台湾にステイして、日本語世代の台湾の方々にはじめて教わったことも多いのです。
学校では日本が台湾を植民地とした、という言い方でしか教えないためか、
先人たちの数々の偉業を肝心の日本人が知らないという状況が続いています。
大東亜戦争以後、支那大陸からやって来た外省人(国民党)により
日本の遺産が壊されても台湾の人達はそれを守り抜いてくれています。
なぜ、守り抜いてくれているのでしょうか?
その答えは日本人自ら考えるべきです。
本来、こういう心と心のつながりこそ学校で教え、多くの日本人が知り、
本当の意味での友好を深めていくべきです。
我々の祖先はときには命をかけて守ってきたものは何だったのか。
そして、それを伝承して守ってくれている台湾の人達がいることを知っておくべきではないでしょうか。
それは、日本人として。
上に挙げた台湾と日本のことをわかりやすく説明されている非常によくできた動画があります。
一度ご覧になると日本と台湾の絆がよく理解できると思います。
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両陛下、草津で音楽ご鑑賞 皇后さまはピアノのレッスンをお受けに 静養のため長野県軽井沢町に滞在していた天皇、皇后両陛下は27日、
群馬県草津町へ移動し、
「第32回草津夏期国際音楽アカデミー&フェスティヴァル」
のコンサートを鑑賞された。
これに先立ち、皇后さまはワークショップ(体験型講座)で
ピアノのレッスンに参加し、
クラリネットとビオラの世界的な演奏家とモーツァルトの曲をご演奏。
テンポや強弱について英語で質問し、
「ここが難しいところ」と話しながら、繰り返し練習された。
快いひと時を過ごされたようでとても嬉しく想います。
両陛下にはお心お体を大切にいつまでもお元気でいらして欲しいです。
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