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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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反日日本人(四)

 
 
動画は是非、ご覧ください。記事を読む以上にわかり易いです。
※動画は埋め込みコードが無効となっていますので、you tubeで見るでご覧くださいませ。
 
 
 
占領協力者、共産主義者、社会主義者と反日日本人を述べてきましたが、今回は、「進歩的文化人」について述べたいと思います。
「進歩的文化人」とは私から言わせれば、所謂同胞を裏切った卑怯者です。
彼らの誕生は、戦後の公職追放へと遡ります。
反日日本人(一)でも述べましたが、占領協力者がGHQとともに行った
昭和21年1月の「公職追放令」に端を発します。
GHQは、戦後初めての総選挙を前にして、突如、公職追放令を出しました。これによって、各界の指導者21万人が職を追われ、生活権を奪われ、「格子なき牢獄」につながれました。政党の立候補者にも多くの追放該当者が出たので、政党・教職者・愛国者は大打撃を受けました。そして、その後任の公職には、占領政策に協力的であり、また極東軍事裁判に肯定的な考えの者が多く就くことになりました。
言い換えれば国の屋台骨を背負っていた方々は、公職追放され、三番手の人材が公職に就いたのです。
大学教授、文化人、有識者たちは、戦犯の汚名や公職追放を恐れて、一斉に宗旨替えし、日本の歴史を歪曲、アメリカの民主主義を礼賛して、占領政策に協力しました。エリートほど首がかかっているので、占領軍に迎合し、極東軍事裁判やGHQ製憲法を賛美・励賛し、戦前の日本を断罪しました。東大では、横田喜三郎、大塚久雄、丸山真男、大内兵衛、坂本義和などの多くの「進歩的」?な学者たちが、教授の椅子を手に入れました。
宗旨替えこそ、日本人への大きな裏切り行為です。
彼ら進歩的文化人の実態は、実は反日日本人であり、また容共的であるのが特徴です。当時の吉田茂首相は彼らを「曲学阿世の徒」と呼びました。
エリート層であった彼ら進歩的文化人に教育された学生たちが、官界、教育界、マスコミに多く送り出されましたので、今日では、彼らの弟子や門下生の人脈が、日本を支配していると言っても過言ではありません。
谷沢永一氏は著書『悪魔の思想』のなかで、進歩的文化人の代表12人の実像を、彼ら自身の発言を引用して、明らかにしています。その12人とは、先ほどの東大教授5名以外に、鶴見俊輔・同志社大教授、安江良介・元『世界』編集長・現岩波書店社長、久野収・『週刊金曜日』編集長、加藤周一・評論家、竹内好・元都立大教授、向坂逸郎・元九大教授・社会党顧問、大江健三郎・作家などを挙げています。
彼らの学説・理論・主張に共通するのは、米国の占領政策を肯定し、極東軍事裁判の追認の上に成立ち、また、祖国日本と日本人を愚かで、遅れており、罪深いものという見方も共通した認識です。それは、米ソ対立構造が生んだ、時代のイデオロギーと、反日的侮日的な自虐感情が混ざり合ったものです。
エリートとして日本的民衆を見下す冷たい視線・感情さえも感じられます。
  特に歴史と文化に対する見方については、彼らは西洋欧米の価値観によって、日本の歴史・文化を判断する傾向にあります。それは一見、客観的論理的なようでいて、実は欧米の学問の理論や概念を、日本に当てはめたにすぎないものです。歴史の概念装置について言えば、西洋史の概念である封建時代、帝国主義、ファシズムなどの概念が、日本の歴史に機械的に当てはめられます。そして、欧米と日本との偏差を、遅れや特殊性として理解しようとします。そして、日本の固有の特長を否定し、近代化=民主化=欧米化を進めようとします。日本の伝統は半封建的前近代的と一面的にしか評価されません。世界史の中での明治維新や日露戦争の評価は非常に低く、明治以降の歴史は侵略的好戦的と断じています。
まったく、彼らの論理は破綻しています。
我国の歴史、文化は固有のものであり、世界に類をみない、建国以来の民主主義国家です。
進歩的?文化人の彼らの考えの核心には、資本主義の後に歴史法則の必然として社会主義が実現する、という観念があります。言い換えると社会主義の信奉、或いは社会主義への同調です。彼らは、「戦後民主主義者」を自称していましたが、その民主主義とは、反日的で従米か従ソの容共共和主義という国籍不明の観念でしかなく、彼らに薫陶を受けた現在の日本を担っている政治家・経済界・識者・マスコミが国籍不明の輩が多いのはその影響です。
70年安保の時代には、反日左翼の影響で、多数の学生たちが安保廃棄・共産革命の運動に参加しました。その背後には、彼らを扇動する「背後の元凶」がいました。それが進歩的文化人です。大学には、革命教育をする教授連がいました。
しかも、中学・高等学校には、彼らに薫陶を受けた日教組の教師が存在しました。
その教師が民主党幹事長、興石氏であり、70年安保で挫折した反日左翼の学生、菅前総理であり、民主党議員なのです。
進歩的文化人が社会に与えた影響は図り知れません。
赤に染まった政治家を育て、世論を形成し、言論を統制し、保守勢力から政権をも奪取しました。
彼らを背後で操っていたのは、スターリンの亡霊です。正確には、1932年テーゼです。これは、国際共産党=コミンテルンの対日運動指令書です。それは、実は、ソ連の国益のためのものであり、スターリンの日露戦争の敗北に対する復讐心、有色人種への人種差別感情に満ちたものであったのです。
 
進歩的?文化人とこの記事では?を多用しましたが、早い話、1932年テーゼから進歩のない、思考を停止した、愚者にしかすぎません。
ロシア、北朝鮮の共産主義が破綻し、中共をもが、共産党一党独裁でありながら、捻じれた経済政策をとっている今日、彼ら進歩的?文化人の論理は破綻しており、「国を売る」ことを目的と」している以外に何もありません。
彼らは一切、責任をとることなく、母国「日本」を裏切り続けています。
 
「己の我欲だけを護る為に」
 
 
 
投稿文字数に制限がありますので、次回は今現在、病める日本の教育に巣食っている日教組について述べたいと思います
 

皇室一週間

 
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台風12号による甚大な被害に対し、天皇、皇后両陛下は
宮内庁の羽毛田信吾長官を通じて、和歌山、奈良両県知事に、
死者を悼み、被害に遭った人々を見舞う気持ちと、
災害復旧のため努力している関係者をねぎらう気持ちを伝えられた。
両陛下はさらに両県知事に見舞金を送られた。
 
 
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天皇陛下は9日、札幌市で10日に行われる
「国際微生物学連合2011会議」の記念式典出席と地方事情視察のため、
北海道に入られた。
 午後に羽田空港を出発し、新千歳空港(千歳市)にご到着。
千歳市役所で道勢概要を聴取した後、宿泊先のホテルに入られた。
12日まで滞在し、札幌市、白老町、登別市、室蘭市を訪問される。
 
北海道には皇后さまも同行する予定だったが、
取りやめてお住まいの皇居・御所で静養されることが前日の8日、
宮内庁から皇室医務主管名で発表された。
両陛下で予定していた地方訪問が陛下お一人になられるのは、
平成5年の徳島、香川両県ご訪問以来となる。
 千歳市では車での移動の際、
いつも通り沿道の左右に歓迎の人の列ができた。
通常ならば両陛下で手を振る「分業」をされるが、
今回は陛下がお一人で左右に気を配られた。
 
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羽毛田長官の8日の定例会見によると、今回の皇后さまのお取りやめは、
金沢一郎皇室医務主管が判断し、
皇后さまがその意見を聞き届けられたことによるものだという。
 皇室医務主管の発表は、ここ数日、
皇后さまの頸椎(けいつい)症性神経根症のお痛みが「再燃」したという内容。皇后さまは8日夕の「空海と密教美術展」
(東京都台東区の東京国立博物館)の訪問も取りやめられ、
陛下のみがご覧になった。
皇后さまは8日夜に専門医の診察を受けられ、
頸椎症性神経根症であることが確認された。
 頸椎症性神経根症は、頸椎が神経を圧迫する症状で、
宮内庁によると、皇后さまは以前から首の痛みなどに悩まされていた。
今年7月には、左肩から左腕にかけての「やや強い痛み」や、
左手の指のしびれの症状を訴え、
今回と同様に一部の公務をお控えになった。
 発表にある「再燃」というのはものものしい表現だが、
宮内庁幹部は「完全に治ったものが『再発』したのではなく、
症状がくすぶっていたものが顕在化した、
という意味で使っているのではないか」と解説した。
 
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学習院初等科に通う皇太子ご夫妻の長女、
敬宮(としのみや)愛子さまは6日、2学期の始業式を迎えられた。
宮内庁の小町恭士東宮大夫は9日の定例記者会見で、
始業式以降も従来通り、
皇太子妃雅子さまが通学に付き添われていることを明らかにした。
登校時に皇太子さまが付き添われることもあったという。
 小町東宮大夫によると、今月14〜16日にかけて山梨県の山中湖周辺で
2泊3日の校外学習があり、愛子さまが参加する意向を持たれているという。愛子さまが参加される場合には、
皇太子妃雅子さまが付き添われる可能性が高いとし、
雅子さまの宿泊先について質問が出ると
「お付き添いという観点から学校と連絡をとりながら決まると思います
と明言を避けた。
 学習院初等科では3年生で初めて宿泊を伴う校外学習が行われるが、愛子さまは昨年、通学不安のため欠席された。山中湖での校外学習に参加されれば、愛子さまにとって初等科では初の宿泊行事となる。
 
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 秋篠宮ご夫妻の長男、悠仁さまは6日、5歳の誕生日を迎えられた。
同日午後、両陛下にあいさつするため、
秋篠宮妃紀子さまとともに皇居・御所を訪れ、約40分間滞在された。
 誕生日に先立ち、宮内庁は悠仁さまのご近況を文書で発表した。
4月にお茶の水女子大付属幼稚園(東京都文京区)の
年中組に進級した悠仁さまは、園庭で虫取りや砂場遊びをしたり、
「おでかけペンギン」「やまびこ」「ことりのうた」などの歌を覚えたり、
幼稚園での生活を楽しまれているという。
 幼稚園では、保護者と参加する行事もあり、
6月には紀子さまと一緒にじゃがいも掘りをされた。
7月には、幼稚園で「いきものはくぶつかん」が開かれ、
カブトムシやカエルに触れたり、
友達と一緒に珍しい昆虫の標本を見たりして楽しまれた。
 両陛下とのエピソードも紹介された。昆虫がお好きな悠仁さまに、
皇后さまは養蚕で育てられている
野生の蚕「ヤママユ」を贈られたという。
悠仁さまは、そのヤママユを幼虫から成虫になるまで
大切に飼育されたそうだ。
 悠仁さまはまた、毎週のように皇居に通い、
陛下のご説明を聞きながら虫を観察されることもあったという。
 宮邸では、秋篠宮さまと昆虫や魚の図鑑をご覧に。
目次や索引を使って調べることも学ばれている。
 
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8月下旬には、赤坂御用地内の職員宿舎の住人を対象にした震災訓練に、
秋篠宮ご夫妻、眞子さまと“飛び入り”で参加された。
関係者は「訓練の前日に参加されることを聞き驚いた」と話す。
悠仁さまは、消火器や煙体験ハウス、
地震の揺れを体感できる起震車による訓練にご参加。
眞子さまと一緒に、はしご車に乗車されたという。
 
 
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皇室の重要事項を審議する「皇室会議」の皇族議員(2枠)と
予備議員(同)の選挙が7日、皇居内にある宮内庁庁舎で行われた。
一般の選挙権を持たない皇族方が
選挙に臨まれる「唯一の機会」で、皇族方の互選の結果、
得票数1、2位の常陸宮ご夫妻が議員に、3位の秋篠宮さまと
4位の三笠宮妃百合子さまが予備議員にそれぞれ再選された。
任期は4年。
 宮内庁によると、この日は成年皇族18方のうち、
皇后さま、皇太子ご夫妻をはじめとする12方が、
庁舎3階の特別会議室で投票された。
一般職員が働く庁舎に皇族方が集まられるのは極めて珍しく、
当日は投票の秘密の保持のため、庁舎の一部に衝立が置かれ、
トイレの使用が制限されるなどの措置がとられた。
 成年皇族18方のうち、6方は病気療養などのため選挙を欠席された。皇室会議の選挙には、一般の選挙と同様に不在者投票制度もあるが、6方のご行使の有無は明らかにされていない。
 
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 秋篠宮ご夫妻は5日、宮邸で、
日本旅行業協会会長らから「JATA国際観光フォーラム・旅博2011」
について説明を受けられた。
 7日、宮邸で、福岡アジア文化賞学術研究賞選考委員会委員長らから
「第22回福岡アジア文化賞」について説明を受けられた。
 8日、宮邸で、外務省儀典総括官から進講を受けられた。
 
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常陸宮ご夫妻は7日、宮邸で、離任する駐日仏大使夫妻と懇談された。
 
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 高円宮妃久子さまは8日、宮邸で、郵便事業株式会社社長らと懇談された。
 
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皆様日々お忙し中、私たちの事を気にかけて下さるのは本当に
有難い事です。
特に今回は秋篠宮悠仁親王殿下が5歳となり、秋篠宮ご一家も
嬉しい忙しさに包まれ、両陛下にはよくコミニケーションをとられ、
お慶びではないでしょうか。
そんなお忙しさの中でもご公務をなさり、頭が下がります。
そして皇后陛下のお痛みが完治するよう心から祈念致します。
『皇族の選挙』で選出されました常陸宮ご夫妻もこれから何くれと
ご多忙になると思いますが、お体ご自愛下さい。
 
皇族方々のご公務に感謝致します。
 
http://www.269rank.com/ 
 
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転載元転載元: 花徒然

修身(12) 父と子

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                                              (萩城)
 
父と子
 
幕末のこと。 杉百合之助の家では、春秋の二回、日を決めて、
藩公毛利氏の先祖を祀ってあるやしろと、氏神様にお参りする習わしであった。
そうでなくても、百合之助は毎朝、家の誰よりも早く起き、
清水を汲んで祖先の御霊(みたま)に供え、西の方藩公のおられる萩城(はぎじょう)を拝し、
東に向かって、うやうやしく皇室のみさかえを祈ることにしていた。
 
ある年、その日の朝、あたりはまだ暗く静まり返っていた。
「梅太郎も、大次郎も、目が覚めたか」
声をかけると、どちらが先ともなしに、兄弟二人がすぐに答えた。
「はい、とっくに起きております」
「では、庭におりなさい」
春まだ浅く、肌にせまる暁の闇の冷たさ。
足元にくずれる霜柱の色は見えぬが、地は固く凍っている。
百合之助は、二人の男の子を連れて井戸端へ出た。
「いつもいうように、からだを洗い、心を清めるのだ。まず、私が先にやる」
くるくると着物を脱ぐと、つるべを取り、水を汲みあげて、冷たさもいとわず、ざぶりと頭から浴びた。
「すがすがしい気持ちだ。今度は、梅太郎、なさい」
「はい」
まだ明けやらぬ薄明かりの中に、汲みあげられる水は、氷のように白く光る。
しかし、梅太郎は元気よくかぶった。
「さあ、次は大次郎」
「はい」
満々と水を汲みいれたつるべは、幼い大次郎の腕には、かなりに重かったが、
それでも大次郎は、ゆっくりと慌てずに、ざぶりざぶりと上手に浴びた。
家の中では、あかのつかない、さっぱりした着物を取りそろえて、母が静かに待っていた。
「では、出かけるぞ。途中で人におうても、言葉を交わしてはならない」
父百合之助の声は、いつもと違って、厳しさを含んでいた。
この宮まいりの朝だけは、心をけがすことのないよう、家の外へ足を踏み出したら、
決して人と口をきかぬと父と子は、かねてから固く約束してあったのである。
 
この日、無事にお参りを済まして、家に帰ってからのことであった。
「梅太郎は、何を祈った」と、父がたずねた。
「はい、皇室のみさかえを祈り、殿様の御無事を願いました」
「うむ。なるほど。では、大次郎は」
「私も、第一に皇室のみさかえを祈りました。それから、自分が本当の日本国民になることをお誓いいたしました」
「本当の日本国民とは、どういうことか」
「臣民として道を守り、命を捧げて陛下の御ために尽くすのが、本当に日本国民だと、玉木のおじ様が教えてくださいました」
「うむ、それを神様にお誓いしたのか」
百合之助は、我が子ながら大次郎は、あっぱれな魂の持主だと心ひそかに感じ入った。
大次郎とは、だれあろう。のちに寅次郎と名を改め、
おじ吉田大助の家を継いで、吉田松陰先生とあがめられるようになったその人である。
(第五期(昭和十六年)初等科修身四より)
 
 
 
 
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            「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」松陰直筆の書。
             (写真)高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞の像(萩往還公園)
 
 
 
<画像:「吉田松陰.com」より>
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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