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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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靖国神社(七)

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靖国神社 天皇陛下 勅使参向
 
 
「戦犯」とは戦争犯罪人の略称ですが、大東亜戦争後にアジア・太平洋の各地で開かれた軍事裁判は、戦犯をA項・B項・C項のさ3項に分けました。「A級戦犯」とは、ロンドン協定により開設された極東国際軍事裁判所条例の第五条(イ)項の、(イ)平和ニ対スル罪  に定義により決定された戦時の政治・外交・軍事指導者で、「侵略戦争」を計画・実行したとして起訴または有罪とされた者、「B級戦犯」とは、戦争犯罪類型B項(ロ)「通例の戦争犯罪」、非戦闘員や捕虜の虐待など戦時国際法に違反する行為を行ったとして起訴または有罪とされた者をいい、C項は(ハ)「人道に対する罪」とされました。
 
よく中国や韓国の若者たちが声高らかに、A級戦犯を非難しますが、殆どの人たちは、A・B・Cの定義を語れません。オウム返しのようにただ叫んでいるのみです。
しかも、韓国はB・C項については論じることさえしません。
彼らの国の国策を述べているのにすぎません。
B・C項の中には、統治下の朝鮮人148人・台湾人173人も含まれています。
朝鮮人戦犯148人のうち、軍人は3人。1人は洪思翊中将であり、2人は志願兵だった。この他、通訳だった朝鮮人16人が中華民国の国民政府によって裁かれ、うち8人が死刑となった。残る129人全員が、捕虜収容所の監視員として徴用され、タイ・ジャワ・マレーの捕虜収容所に配属された軍属でした。尚敵国の婦女子をはじめとする民間人を抑留したジャワ軍抑留所の監視にも朝鮮人軍属があたったため、オランダ法廷で戦犯となり、朝鮮人については「日本の正規軍より凶暴だった」「体罰では、日本兵よりも彼ら(韓国人)を遥かに恐れた」「日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは日本国籍を持つ韓国人であった」などをはじめ、その凶暴性についての証言が数多く出ている為に B・C項は非難できないのです
 
靖国神社には、A・B・C項を問わず、軍事裁判によって処刑された1,068人の日本人が合祀されています。軍事裁判も裁判である以上、法に基づいて厳密に行われなければならない。法といっても、一国の国内法ではなく、国家間で取り決めた国際法である。ところが、大東亜戦争後に行われた裁判は、日本が主権を喪失していた時期に戦勝国が一方的に裁いたものであり、裁判では、ずさんな起訴・審理によって有罪ありきの決め付けがされ、日本人の生命が奪われた。日本と連合国がまだ講和に至ってない状態で行われたので、国際法的には、まだ戦争状態が継続している最中の出来事である。それは、裁判の形式をとった戦争の延長であり、日本人に対する復讐、敗者の見せしめだった。判事のひとり、パール博士はこの愚かな裁判を公然と非難しています。
「A級戦犯」の容疑者とされた日本人は28名。そのうち有罪判決を受けたのは、14人である。内訳は、軍人が9人、あとの5人は文民でした。14人のうちで処刑されたのは、東条英樹元首相等の7人。
広田元首相は、文民でありながら、処刑されました。、「侵略戦争」を「共同謀議」で計画したどころか、外交官時代から一貫して平和外交をねばり強く進めた人物であることは、誰もが知っていました。
しかし、広田元首相は、終始自己弁護をしませんでした。絞首刑の判決に対し、キーナン主席検事は「何という馬鹿げた判決か」裁いた側に疑念さえ感じていたほどです。処刑された7人以外に、無期あるいは有期の禁固刑になった者が7人いる。その中に、東郷茂徳元外相がいます。東郷元外相は、東条内閣の外相として最後まで開戦を避けようとした。また鈴木貫太郎内閣の外相となって終戦に向けて尽力した。それにもかかわらず禁固20年の刑とされ、獄中で病死されました。
勝者による、敗者への見せしめ以外にほかなりません。
後に1950年10月15日、ウェーキ島でのトルーマン大統領と会見した際、「東京裁判は誤りだった」と述べています。
極東国際軍事裁判ではA級戦犯とされた7人の日本人が心なくも、絞首刑とされたが、これ以外にBC級戦犯とされた人々、1,061名が処刑された。BC級戦犯裁判とは、特定地域で「通例の戦争犯罪」を行った者に対して、連合国各国が行った軍事裁判をいい、連合国は米、英、仏、豪、フィリピン、オランダ、中華民国の7カ国が、49の法廷でこの裁判を実施しました。この他にソ連も裁判を行った。その実態は殆ど知られず、闇の中です。
BC級戦犯裁判のうち、日本国内では、唯一、アメリカが横浜地方裁判所を接収して行いました。これを、BC級横浜裁判といいます。事件総数は327件、起訴人員は合計1,037名で、各地のBC級裁判の中でも最大規模であり、判決では112名ないし123名あるいは124名に絞首刑が言い渡され、うち51名の絞首刑が執行されました。
約千名の人々が、東京・横浜以外の法廷で裁かれ、処刑されたわけです。そのうちの多くは、外国でずさんな形で起訴され、弁護らしい弁護も受けられずに、戦勝国による見せしめ、復讐として処刑されました。
 
昭和60年に突如として始まった中国の批判によって、「A級戦犯」の合祀が問題にされるようになりました。「A級戦犯」を分祀すべきだという意見も出てきた。これはおかしな話であり、理解に苦しみます。「戦犯」とされた人々の合祀は、日本国民の願いの実現だったからです。
前節「靖国神社(六)」でも述べていますが、昭和27年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、戦後6年8ヶ月に及ぶ異常に長い占領期間が終わりました。しかし、「戦犯」とされた日本人1,224名は、講和条約の第11条によって、引き続いて服役しなければならなかったのです。当時の日本国民は極東国際軍事裁判の不公平を見抜いていたのでしょうか、多くの 同情が集まり、同年7月から、その人々の早期釈放を求める一大国民運動が起こり、署名は大多数の国民の及び、最終的には約4千万人もの署名が集まりました。
前節でも述べていますが、国民世論を背景にして、昭和28年8月から国会で、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(遺族援護法)および「恩給法」の改正が重ねられ、この時に中心となった一人が、右派社会党の堤ツルヨ衆議院議員でした。堤氏は、戦犯とされたうち服役中の人々の留守家族は保護されているのに、処刑または獄死した者の遺族は国家の補償を受けられないという矛盾を指摘した。また「その英霊は靖国神社の中にさえも入れてもらえない」という遺族の嘆きを代弁して訴えた。この主張が認められ、遺族援護法の改正が行われました。
当時の国会は、「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者とはみなさないことにし、大東亜戦争後の戦勝国による軍事裁判は、日本が主権を喪失していた時期に一方的に裁いたものだからと捉え、「戦犯」とされた人々の遺族も一般戦没者の遺族と同様に扱うように法規を改正したのです。決定は全会一致でした。国民の要望に応えるものだった。まさに国民の総意による改正だった。その結果、「戦犯」とされた人々の遺族にも遺族年金・弔意金・扶助料などが支給され、受刑者本人に対する恩給も支給されるようになった。そこにはA級とB・C級の区別はなく、刑死者はすべて「法務死」と呼称したのです。戦争犯罪人ではなく、国のために亡くなった殉難者として扱われたのである。これによって、「戦犯」とされた人々も、A・B・C級の区別なく、靖国神社に祀られることになった。
旧社会党及の残党が多く在籍する与党民主党、社民党の支持者は、よく知っておくべきである。貴方がたの尊敬する先輩が決めたことだと・・・
 
昭和34年に最初の合祀が行われ、まずBC級と呼ばれた殉難者の人々から合祀し「A級戦犯」とされた殉難者14人については、昭和53年秋季例大祭前日の霊璽奉安祭で合祀されました。
 
 
だから日本人は、靖国神社の英霊を戦犯などと呼んではならないのです。
 
昭和47年に中国と「日中共同声明」を結び、その第6条に「内政に対する相互不干渉」を謳っています。「日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する」とある。日本の首相が靖国神社に参拝するかどうかは内政問題であり、中国の非難は「日中共同声明」違反に当たります。これもはっきり言っていかなければなりません。
 
 
堂々とするべきです。
 
御国の為に、散華された多くの英霊の名誉の為にも、誇りある日本の精神を後世に伝える為にも・・・
 
 
 
 
 

皇室1週間

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学習院初等科に通う皇太子ご夫妻の長女、
敬宮(としのみや)愛子さまは14日、2泊3日の校外学習に参加するため、
山梨県の山中湖へ向け出発された。
愛子さまは同級生らとともにバスに乗られ、
出発の際には皇太子さまが見送られたという。
 皇太子妃雅子さまも、児童らのバスと別の車で山中湖に向かわれた。
 宮内庁の小町恭士東宮大夫は16日の定例会見で、
校外学習中の愛子さまのご様子について
「大変お元気で行事に参加されていると聞いております」と話すにとどめ、
詳しい内容については「学校行事なので差し控えたい」と言及を避けた。
 雅子さまは児童らと同じホテルに泊まられているが、
小町氏によると、愛子さまはほかの児童と
一緒の部屋に宿泊されているという。
 初等科では3年生で初の宿泊行事が行われるが、愛子さまは昨年、
通学不安のため欠席されている。
今回は雅子さまのお付き添いのもととはいえ、
愛子さまは初めて宿泊行事に参加されたことになり、
小町氏はご通学をめぐる状況は改善しているという認識を示した。
 
各宮家は今週もさまざまな公務を果たされた。
 
 
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秋篠宮さまは12日、進化生物学研究所(東京都世田谷区)で、
生き物文化誌学会事務局会議に出席された。
14日には、山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)で所員会議に出席された。
 秋篠宮ご夫妻は15日、福岡県をご訪問。
「2011年(第22回)福岡アジア文化賞」の授賞式に臨席された。
 
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 秋篠宮妃紀子さまは11日、45歳の誕生日を迎えられた。
 
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寛仁親王殿下の長女、彬子さまは15、16の両日、愛知県を訪問し、
「AJU自立の家ウェルフェア・コンサート」に出席された。
この行事は例年、寛仁さまが出席されてきたが、入院中のため、
彬子さまが出席された。
 
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高円宮妃久子さまは12日、JFAハウス日本サッカーミュージアム
(東京都文京区)で、「第8回日本サッカー殿堂掲額式典」に臨まれた。
同日、ホテルグランドパレス(東京都千代田区)で、
「日本サッカー協会創立90周年記念レセプション」に臨まれた。
 16、17の両日、天皇賜杯第66回全日本軟式野球大会に臨席するため、岩手県を訪問された。16日には、野球大会の開会式に先立ち、
東日本大震災で津波の被害を受けた陸前高田市を訪れ、
仮設住宅を見舞われた。
 高円宮家の三女、絢子さまは13日、
在学する城西国際大学の授業の一環で訪問していたカナダから、
民間機で成田空港に帰国された。
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絢子さまは15日、21歳の誕生日を迎えられた。
 
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皇室の方々にはお忙しい中いつも、
困っている人々や気落ちされている人々の
事を御心にかけて下り、我々では出来ない事をお手にして頂いて
感謝の言葉もございません。
最近はお若い方で女性皇族の方のご公務も増えたことは
文化、芸術、福祉の発展に期待するところでございます。
どうかお体を大切に日々お過ごし下さい。
 
お誕生日を迎えられた秋篠宮紀子妃殿下、高円宮絢子女王殿下には
心より喜ばしい事でございます。おめでとうございます。
 
皇后陛下のお体がとても心配です。一日も早い平癒を祈念します。
 
       
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転載元転載元: 花徒然

両陛下の一週間

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天皇陛下は9日から12日にかけ、北海道を訪問された。
金曜日のご出発の様子は先週の【皇室ウイークリー(196)】でお伝えした。
今週はご滞在中のエピソードを紹介しよう。
 行幸主務官(宮内庁の坂井孝行総務課長)や、
侍従らによる初日・9日夜の記者会見では、
高橋はるみ知事が陛下にあいさつした際、
台風12号の被害について陛下が気にかけておられたことが明らかになった。「これから農業被害が明らかになるが、最大限の対応をしたい」
と知事が言うと、陛下は「しっかりやってください」とおっしゃったという。
 加えて、道勢概要の説明中には、陛下から震災での
養殖業の被害について、詳細な説明を求めるお言葉があり、
「汗をかいて説明した」(知事)そうだ。
 札幌滞在中には、陛下が早朝、
お一人でホテルに近い公園を散策されることもあった。
10日の昼食会では、午前中の森林総合研究所ご視察の流れで、
北海道の木や動物についてさまざまな話があったという。
 陛下は皇太子時代、アカエゾマツなどを北海道から
東宮御用地に移して育てた経緯があり、
「シラカバは早く育つが、赤エゾマツはなかなか育たなかった」
という話をされたそうだ。
 
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震災半年を迎えた11日の午後2時46分には、
陛下は記者たちから見えない場所におられたが、宮内庁によると、
被害が甚大だった東北地方南部の方を向かれて約1分黙祷(もくとう)をした。頸椎(けいつい)症性神経根症の痛みのため、
北海道同行を取りやめた皇后さまも、同じ時間に皇居・御所で黙祷された。
 
 4日間を通じ、沿道には皇后さまのご回復を祈る趣旨の
横断幕がみられたほか、
陛下と会話した人がそのような言葉を伝える場面がたびたびみられた。
知事は「アイヌの文化に皇后さまはご関心が高いため、
陛下は『(北海道に来られないことが)大変残念だ』と、
心配については『ありがとう』とおっしゃっていた」と話していた。
 
 陛下は、11日には白老町でアイヌ民族博物館をご訪問。
北海道などに古くから暮らしてきた先住民族・アイヌの衣食住や生活様式に
関する展示をご覧になった後、茅葺(かやぶ)きの家「チセ」で、
古式舞踊を鑑賞された。
 宮内庁によると、陛下は平成16年の古希のお祝いでさまざまな人たちが
皇居に来たとき、アイヌの古式舞踊をご覧になった。
この日の古式舞踊では、当時のメンバーが5人含まれており、
陛下は喜んでおられたという。
 陛下が、奉迎のため集まっていた一般の人々に声をかける場面もあった。
アイヌの子孫という女性と、長く続いたやり取りはこういうものだった。
 女性「皇后さまのおかげんはいかがですか」
 陛下「ありがとうございます。みなさんはアイヌ協会の?」
 女性「父親がアイヌです」
 陛下「いろいろなアイヌのことを受け継いでいらっしゃるんでしょうね。
文化とか」
 女性「刺繍(ししゅう)とか…(模様がついたバッグを見せる)。
バッグやコースターなどを作って生活に生かしています」
 陛下「それは古い模様ですか」
 女性「それ(古い模様)をアレンジしてやっています」
 陛下「どうぞお元気で」
 女性「きょうは皇后陛下にお会いできなくて残念です」
 陛下「前に来てるんですよ。学生時代に」
 
また、発言問題で鉢呂吉雄経産相が辞任したことに伴い、
この日は白老町で、臨時のご執務を昼食後にされることになった。
大臣が辞めることを認証する国事行為で、陛下は印を押されたという。
 書類は1000キロ近く離れた東京から、
内閣の事務官がはるばる携行してきたそうだ。
陛下の署名や押印が必要であれば、
どこにいようと陛下は執務をされることになるため、
「書類が追いかけてくる」といわれることもある。
首をかしげたくなるような理由での頻繁な大臣の交代も、
結果的に陛下にご負担をかけているといえるだろう。
 
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羽田に帰京し、数時間しか経っていない翌12日夜も、
陛下は鉢呂氏に代わって就任した
枝野幸男経産相の認証官任命式を行われた。
13日には午後から臨時国会開会式に臨まれた。
 今回の開会式では、陛下をお迎えする
議員側の礼儀が問題となった事例が2つあった。
 1つは服装について。
クールビズの流れで、ノーネクタイ姿の議員がみられたことに
自民党議員らが苦言を呈したもので
、陛下がモーニング姿で臨む厳粛な開会式では、
「きちっとした服装」をすることが衆参両院の議院運営委員会で
申し合わされた。それほどあるわけではない、
クールビズ期間中の開会式ならではの問題だ。
 
 もう1つは、開会式に臨席する陛下をお迎えするために議員が整列中、
民主党会派の平山誠参院議員が、
携帯電話のカメラで陛下を撮影したとされる問題。
平山氏が謝罪し、参院の鈴木政二議院運営委員長が
「品格ある行動で陛下をおもてなししていただきたい」と要請、
各党が了解したという。
 
 同日午前には、頸椎症性神経根症の痛みのため、
8日午後から御所で静養していた皇后さまが、
静養以来取材を伴うご公務の場に初めて姿を見せられた。
 陛下と一緒に、御所でコロンビアのサントス大統領夫妻と会見したもので、
両陛下は御所の玄関で大統領夫妻を出迎えられ、
皇后さまも笑顔で握手を交わされた。エスコートする際、
痛みが出た左手をそっと差し出される場面もあった。
 会見では、両国政府で話し合いが進んでいる経済連携協定が話題に。
栽培したヤシからエタノールを作るという大統領の考えを聞いた陛下は
「ヤシを使ったり栽培したりすると、森林資源が枯渇することはないですか」という質問をされたという。
大統領から「使われていなかったサバンナで栽培するので、
環境保護の観点からの問題はありません」と聞くと、
陛下は「今後、経済交流を中心として、両国の関係が深化することは喜ばしいことだと思います」と述べられたという。
 
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よく、両陛下のことを『ヒマ』『座って笑うだけ』なんていう方々が
いる事に嘆きを覚えますが、
今回もお忙しい中粉骨砕身して御心を砕いておられる
両陛下には頭が下がります。
また政権交代の激しいことも天皇陛下にご負担を与えていると言う事を
政治家はもっと自覚すべきです。
 
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転載元転載元: 花徒然

靖国神社(六)

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靖国神社
 
 
 
靖国神社(五)より続きます。
では、戦後日本は「極東軍事裁判」をどのように捉えていたのでしょうか?
 
戦後日本は、極東軍事裁判を戦勝国による日本への復讐と考える知性を持ち合わせていたのです。
国会は、「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」の審議(昭和二七年、第十五回国会・衆議院)を通して、「極東軍事裁判」の違法性を宣言しました。
戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」は、講和発効後も収監されたままの戦争犯罪人を、早期に釈放されることを求めたものでした。この決議は、自由党・改進党・左右両社会党・無所属倶楽部の賛成を得て、圧倒的多数で可決された(昭和二七年十二月)。なお、この決議に反対したのは、労農党・共産党だけだったのです。
 
以下にその決議文を記載します。
 
『戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議』
「独立後、すでに半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数に上り、国民の感情に堪え難いものがあり、国際友好の上より遺憾とするところである。
よって衆議院は、国民の期待に副い家族縁者の悲願を察し、フイリツピンにおいて死刑の宣告を受けた者の助命、同国及びオーストラリア等海外において拘禁中の者の内地送還について関係国の諒解を得るとともに、内地において拘禁中の者の赦免、減刑及び仮出獄の実施を促進するため、まずB級及びC級の戦争犯罪による受刑者に関し政府の適切且つ急速な措置を要望する。右決議する。」
 
この決議が、極東軍事裁判を否認する内容であることは、提案者のひとりである、山下春江代議士の趣旨説明演説から明らかであるので以下にその演説内容を抜粋します。
 
山下春江代議士(改進党)の演説
「・・・(戦犯裁判は)勝った者が負けた者をさばくという一方的な裁判として行われたのであります。戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸外国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして、犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であったといたしましても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならないのであります。」
 
社会党の古屋貞夫議員も、同様に、極東軍事裁判の違法性を強く訴えている。以下にその演説内容を抜粋します。
 
「戦勝国におきましても戦争に対する犯罪責任があるはずであります。しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追求するということは、正義の立場から考えましても、基本的人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できないところであります。・・・世界の残虐な歴史の中に、最も忘れることのできない歴史の一ページを創造いたしましたものは、すなわち広島における、あるいは長崎における、あの残虐な行為であって、われわれはこれを忘れることはできません。この世界人類の中で最も残虐であった広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば問題にならぬような理由をもって戦犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しないところであります。われわれ全国民は、これらの人々の即時釈放を要求してやまないのでございます。」
 
戦後日本は、戦争裁判で処刑された「戦犯」をどう扱ったか。
 日本政府・国会・国民は、処刑された「戦犯」は戦死と同じ公務死であり、国家に殉じたものと考えました。
このことは、「遺族援護法改正」の審議(昭和二八年七月)を見れば明らかである。
この「遺族援護法改正」は、占領中何らの補償も受けられなかった「戦犯」の遺族へ弔慰金などの支給を可能とするものだった。

 山下春江代議士(改進党)は、昭和二八年七月二一日、衆議院厚生委員会次のように述べている。
「戦犯で処刑されました方々を公務死にいたしたいというのは、大体国会における全部の意見のように考えるのでありますが、政府はそれを公務死に扱うことは、いろいろ国際関係その他の情勢を勘案して、ただちに行うことはどうかというような答弁をかつてなさったのでありますが、外務省はどういうお考えをお持ちになりますか。・・・国民としては、当然すでになくなられた方には上も下もなく同一に国家のために公務で死没されたものと扱いたいのでありますが、そういうことに対する政府の見解をただしたいのであります。・・・」
これに対し、広瀬節男外務省参事官の答弁は、
 
「(戦犯の刑死は公務死との考えに基づき)被処刑者の遺族の援護は、社会保障的見地から見ましてももっともなことだと思いますし、国際関係上から見ましても支障ないものと認めまして、外務省としては何らこれに異議はございません。こういうことを省議決定いたしましたことをご報告申し上げます。」
今日の社民党では考えられませんが、堤ツルヨ代議士(社会党)は、遺族援護法改正に賛成して、次のように述べている。
 
「(戦争犯罪者として)早く殺されたために、国家の補償を留守家族が受けられない。しかもその英霊は靖国神社にさえも入れてもらえないというようなことを今日の遺族は非常に嘆いておられます。・・・遺族援護法の改正された中に、当然戦犯処刑、獄死された方々の遺族が扱われるのが当然だと思います。」
 
 
少なくとも、昭和二八年当時の社会党は、「戦犯も一般の戦没者と同じく扱われるべきであるという」国民感情と政治上の理性を持ち合わせていたのである。
 
 平成日本の政治家よ、昭和二八年の常識に戻れ、と言いたい
今の日本は狂っています。
日本人の良識、日本国の政治家としての良心は何処へ行ったのか?
 
 
そして国挙げて、御國の為、命を捧げられた、靖国神社の英霊に誠の感謝を捧げるのです。
 
 

靖国神社(五)

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靖国神社
 
 
靖国神社に合祀されている人々の多くは、黒船来航より、大東亜戦争まで御国に命を捧げた人々であり、国家には戦死者を慰霊する責任と義務があります。国家護持すべきであり、慰霊が国家の行事として行われるものであれば、その行事に国家の代表である内閣総理大臣が、その資格において参拝するのは、当然である。また、閣僚の参拝も公務員としての義務であり、大臣という公的な立場による参拝が行われなければなりません。
戦後、首相による靖国神社参拝は、すべての首相ではありませんが、続けられてきました。終戦まもない昭和20年8月18日に、東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや・なるひこ・おう)首相が参拝したのを初めとして、昭和60年8月15日に中曽根康弘首相が公式参拝するまで、12人の歴代総理大臣が参拝しています。それ以後、首相の参拝が途絶え、平成8年7月29日に橋本龍太郎首相が参拝したのを除き、平成13年8月13日に小泉純一郎首相が参拝するまで、実質16年間参拝がされていませんでした。
 
中曽根総理以前の首相は、何ら問題なく靖国神社参拝を行ってきた。歴代首相の靖国参拝回数は、以下のとおり。
第一期  首相の靖国神社公式参拝が、何ら障害なく行われた
 
 
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東久邇宮稔彦  一回(昭和二十年八月十八日)
 
 
 
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幣原喜重郎   二回(昭和二十年十月二三日、十一月二十日)
 
 
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吉田茂     五回(昭和二六年十月十八日、二七年十月十七日、二八年四月二三日・十月二四日、二九年四月二四日)
※占領下でも吉田首相は堂々と参拝した。
※吉田首相から田中首相にかけては、主として春秋の例祭に参拝した。
 
 
 
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岸信介     二回(昭和三十年四月二五日、三三年十月二一日)
 
 
 
 
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池田勇人    五回(任期四年四か月)
 
 
 
 
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佐藤栄作   十一回(任期七年八か月)
 
 
 
 
 
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田中角栄    五回(任期二年五か月)
 
第二期  首相の靖国神社参拝に障害はないが、私的参拝
 
 
 
 
 
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三木武夫    三回(任期二年)(私的参拝)
※三木首相は、私人としての参拝を表明したため、政治問題化した。
 
 
 
 
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福田赳夫    四回(任期二年)(私的参拝)
 
 
 
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大平正芳    三回(任期一年七か月)(私的参拝)
※いわゆる「A級戦犯」合祀の後も大平首相は参拝を続けた。
 
 
 
 
 
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鈴木善幸 八回(任期二年五か月)(六回は私的参拝、昭和五七年八月十五日・十月十八日の二回の参拝は、公人か私人か明言せず)
 

 第三期 首相の靖国神社参拝が、中韓両国の内政干渉により、中断に至る。
 
 
 
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中曽根康弘 十回 (昭和五七年十二月から昭和六十年八月、昭和六十年八月は公式参拝、一礼方式)

宮沢喜一 一回(平成四年) 但し、まぼろしの参拝。退任後の証言
 
 
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橋本龍太郎   一回(平成八年七月二九日)
※橋本首相は参拝したが、その日は自身の誕生日だった(公私不明)
 
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小泉純一郎   六回(平成十三年八月十三日)
 
 
 
昭和20年の東久邇宮稔彦王から昭和49年の田中角栄首相まではすべて、
首相としての公式参拝でした。
この四半世紀の間は、内外ともに何ら問題はありませんでした。
 
昭和50年 三木武夫首相は私的参拝を表明した。首相としてではなく
私人として参拝し、公用車も使用しなかった。
戦後の「首相の靖国参拝」は、昭和四九年十月十九日の田中角栄首相の参拝までの二九年間、全て公式に行われました。この三木首相の私的参拝は、戦後ずっと行われてきた「首相の靖国公式参拝」という先人の行為を否定し、戦没者を冒瀆するものといえよう。しかも、それまでの「首相の靖国参拝」が、あたかも「私的参拝」であったかのような印象を、国民や反日マスコミに与えてしまった。
いずれにせよ、三木発言以降、福田・大平・鈴木の三総理は、わざわざ私的参拝とことわらなければならない羽目に陥ることとなった。
そのため、首相の参拝が憲法問題となり、公式か私的かの論議が紛糾したのです。以後、福田・大平・鈴木の各首相は、この点をあいまいにして参拝を続けたのです。本件に決着をつけようと考えた中曽根康弘首相は、有識者による「閣僚の靖国神社の参拝問題に関する懇談会」(靖国懇談会)を設けました。靖国懇談会は、首相の参拝は「合憲」との見解を答申した。中曽根首相はこの見解を受けて、昭和60年8月15日、首相としての資格で参拝した。三木首相以来10年間途絶えていた公式参拝でしたが、神道色を排した、祭神に対しては非礼な参拝でした。
同年9月20日、中国外務省が抗議した。靖国神社には「A級戦犯」が合祀されており、首相の参拝は「我が国人民の感情を傷つけた」といいがかりをつけてきました。「A級戦犯」とされた日本人の合祀は昭和53年に済んでおり、以後まったく問題になっていませんでした。突如として中国の批判を受けた中曽根首相は、以後の参拝を取りやめました。取りやめの理由は、中国政府内部の権力闘争に配慮したという。自国の戦没者の慰霊という重要な内政問題を、外国の内部事情に配慮して決めるというのは、愚かであリ、独立国の首相としては失格であり、今日の政治の堕落は中曽根首相によって始まったといっても過言でありません。
中曽根首相以後、竹下・宇野・海部・宮澤・細川・羽田・村山各首相は、中曽根氏にならって参拝せず、中曽根氏は退任後、靖国神社に代わる慰霊施設の必要性を述べたり、「A級戦犯」の分祀を働きかけたりするなどして、政界・世論を誤導しました。この戦後屈指の政治家の大きな汚点であり、国賊に値します。
中曽根氏の意を体していたのが、後藤田正晴元官房長官・金丸信元自民党副総裁らであり、野中広務元官房長官も同様の考えを明らかにしています。
 
昭和六十年十月二八日自民党幹事長金丸信氏は、「中国が問題にしているのは、東条英機らのA級戦犯が祀られているからだ。なぜ、A級戦犯が祀られているのか。」と、中国政府に迎合した発言しています。
 
昭和六十年十月三十日、自民党副総裁二階堂進氏は、駐日中国大使に
「率直に言って私も東條元首相らが合祀されていると知らなかった。中国国民の感情はよくわかる。私も個人的に反省している。」と述べた。
 
昭和六十年十二月四日桜内義男外相は、中国の呉学謙外相に、靖国神社へのA級戦犯合祀は、戦犯を認めたサンフランシスコ平和条約第十一条から見て問題がある。戦犯合祀が当時表立って行われていれば、平和条約第十一条を指摘する政治家がいて、合祀は行われていなかっただろう」と、救いようのない売国的発言を行いました。
 
しかも、中国の内政干渉を呼び込んだのは、いつもながら反日新聞と言われる朝日新聞でした。
朝日は、昭和六十年八月七日、中曽根首相の靖国公式参拝を「中国が厳しい視線で凝視している」と書きたてた。これに呼応して、中国の人民日報は、八月十日、靖国問題に批判的な日本国内の動きを報道したのです。
これに反日野党、社会党が昭和六十年八月二六日、訪中した社会党田辺書記長の発言が、中国の対日非難に火をつけた。田辺書記長は、中曽根内閣が「軍事費の拡大・靖国への公式参拝・スパイ防止法策定の画策」を行い、「軍事大国」を目指していると非難し、中国政府に迎合した発言を繰り返した。この田辺書記長の行動は、まさに外国の干渉を誘致する売国行為と言わざるを得ません。政治家は、例え政敵であっても自国の政治家の悪口を、外国人に向かって言わないものです。田辺書記長も、かつて故松村謙三氏が言ったように、中国の政治家に向かって「わたくしの前で、日本の政治家の悪口を言うことを決して許しません」というべきであった。反日政党の反日政治家の暗躍、ここに極まりまっています。
 
その社会党の残党が多く在籍する、反日与党「民主党」の野田首相が、野党時代に「戦犯は存在しない」と国会で明言したことは、記憶に新しいところです。
 
投稿文字数に制限がありますので、靖国神社(六)に分割します。
コメントは、靖国神社(六)に頂けましたら、幸甚に存じます。
 
 
 
     
 
 
 
 
 
  
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 

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