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反日日本人(一)では、GHQの占領協力者について述べましたが、今回は共産主義者について述べたいとおもいます。
反日日本人は、戦後より増え続け今日では溢れかえるほど存在します。
日本共産党員、40万人、「しんぶん赤旗」の発行部数は約164万部(党第25回大会、2010年1月)、職場・地域・学園に約2万4000(2005年現在)の支部を置くなど、発達した資本主義国の共産主義政党としては、最大の規模。
民主党員・サポーター、 約34万人 社民党員 約4万人
驚くほどの数字になっています。
明治43.44年の明治天皇陛下暗殺を企てた幸徳事件、大正12年皇太子裕仁親王殿下(昭和天皇陛下)を難波大助が虎ノ門で狙撃した虎ノ門事件、皇太子裕仁親王殿下の御成婚の儀の際に、大正天皇陛下と皇太子裕仁親王殿下を襲撃を企てた朴烈事件、昭和7年大韓民国臨時政府が組織した抗日武装組織韓人愛国団によって派遣された刺客・李奉昌昭和天皇陛下が乗車した馬車が桜田門外を進行中に、沿道から手榴弾が投げつけた桜田門事件などのテロ行為がありました。
戦前では、ソ連が作った国際共産党(コミンテルン)の指導下にあった日本共産党員が暗躍しました。日本共産党はコミンテルンの日本支部として作られたもので、日本の政党ではありません。彼らは、スターリンの指令に従って、「天皇制の打倒」による共産主義暴力革命を目指していました。
リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして、昭和16年9月から昭和17年4月にかけて、その構成員が逮捕されたゾルゲ事件などで暗躍しました、。この組織の中には、近衛内閣のブレーンとして支那事変を推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実もいました。
彼らが信奉した国際共産主義とは、実はソ連本位の社会帝国主義・赤色ファシズムと呼ぶべきものです。戦前の日共の活動は、日本をソ連の従属国・衛星国におとしめる道でしかなかったことは、東欧諸国の戦後の運命を見れば明らかです。
終戦間際にソ連は突如不可侵条約を破って、背後から袈裟懸けに、満州・樺太・千島を侵略しました。こういう国の手先となって国内で転覆を起こそうと活動していたのですから、当時の日共がいかに反日的であったかがわかります。
戦前の日本は、世界で最も強い団結力を持った国でした。同一民族、同一言語の国としての愛国心をもって、国民がまとまっていました。
勿論、共産主義に毒された政治犯を取締まっていました。
戦後の日本に反日共産主義者が激増したのは、GHQが共産主義者の政治犯を解放し、共産主義活動を公認したことによります。解放された日本共産党員は、GHQの前で「解放軍万歳!!」と唱えたそうです。
GHQには、ニューディーラーと呼ばれる共産主義に毒された人間が多くいました。
GHQは日本を弱体化させるため、反日的な共産主義者を使って、日本人の団結心を打ち砕き、国内を分裂させようとしたのです。但し、共産主義革命をさせない程度に利用するのが目的でした。日本弱体化政策には、ニューディーラーを通じて共産主義者の意図が入り込んでいたのです。
戦後、心ならずもソ連や中国に抑留された日本人は、そこで共産主義教育を施されました。また、国外の日本共産党員が工作活動をしていました。それらによって洗脳された一部の人々は、反日的で、共産的あるいは容共的となり、ソ連や中国のエージェントや同調者となりました。日本軍の「非道悪虐」を証言している人には、こういう人たちが多いのです。
占領政策は、日本に共産主義革命を策す者たちにとって絶好の機会でしたが、昭和22年の2・1ゼネストにおいては、徳田球一、野坂参三らの日共指導層は、占領軍を「解放軍」と位置づけて、権力の奪取をめざしましたが、脅威を感じたマッカーサー元帥によって、中止を命じられました。
昭和24年の総選挙で日本共産党が大量当選すると、GHQは反共政策を取りました。25年6月、北朝鮮軍の侵攻で始まった朝鮮戦争においては、日本共産党は北鮮・ソ連・中共軍と呼応して、武装闘争による共産革命を策しました。これに対し、GHQは米軍の朝鮮出動によって生じた治安の空白をうめるため、8月に警察予備隊(自衛隊)を設置、9月に日本共産党幹部の追放を指令しました。
占領下のGHQによって破壊された、日本の治安と防衛の体制は、GHQによって回復されました。こうして、日本共産党による暴力革命は鎮圧されましたが、日本共産党は、GHQの日本弱体化政策による民主主義体制の継続が、革命に有利と考え、東京裁判史観とGHQ製憲法の護憲を国民に吹き込んできました。彼らが護憲を唱えるのは、この当時からで、これらは今日も続いています。
日本共産党は、戦前のスターリン=コミンテルンによる1932年テーゼに基づき、日本は半封建的前近代的な資本主義であると認識し、それゆえ日本における共産主義革命は、第1段階として民主主義革命となる、という段階論を唱えていました。つまり、共産主義革命のための民主化です。彼らは戦前の日本の歴史をおとしめ、日本文化を破壊することを、共産革命への前進としてとらえました。そして、米国の民主化政策に便乗し、日本の民主化を革命の手段として、推し進めたのです。
日本共産党は、愛国革新と自主独立を唱えてきましたが、愛国といっても共産革命のための手段にすぎず、本当に日本の伝統を守り、日本の精神文化を育てようというものではありません。「愛国の美名の下の反日」というのが、実態です。その一つの証拠として、彼らは東京裁判による日本断罪の自虐史観を、宣伝・教育しています。
国を混乱させた、安保をめぐって、日本の共産主義運動は、反日共の諸党派を生み出し、分裂と対立の道を歩んできました。その潮流には反スターリニズム、トロツキズム、毛沢東主義、反日爆弾闘争主義などがあります。また、マルクスの文献研究によって、非ロシア的なマルクス主義もあらわれました。そして、革共同、共産同などが、革命の正統争いを続けながら四分五裂してきたのですが、そこに通底するのは、日本的情念と反日感情との相矛盾した力です。
我国以外の国では、多くの共産主義者は愛国者であり、愛国者だから共産主義者になった人々も多いようですが、しかし、日本においては、共産主義者は本質的に反日的であるという特異な現象を現しています。その淵源は、スターリン=コミンテルンによる1932年テーゼにあるのであり、スターリンによるマインドコントロールに呪縛され続けているのです。
投稿文字数に制限がありますので、次回は今現在、病める日本を巣食っている民主党に多くいる社会主義者について述べたいと思います。
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天皇陛下、皇后陛下 御尊影
君が代
天皇陛下、皇后陛下 動静 7日(水)(宮内庁発表分)
【午前】
皇后陛下 皇室会議議員および予備議員の互選(宮城・宮内庁庁舎)
【午後】
天皇陛下 離任する駐日コートジボワール大使(単身)をご引見(宮城・御所)
天皇陛下、皇后陛下 離任する駐日フランス大使夫妻をご引見(御所)
天皇陛下 モザンビーク、モンゴル、ナイジェリア、ジンバブエに赴任する大使が拝
謁(宮城・御所)
天皇陛下、皇后陛下 各大使夫妻をご接見(御所)
皇后陛下、北海道行幸啓おとりやめに・・・・・再び左肩に強い痛み皇后陛下 御尊影
宮内庁によると、皇后陛下におかせられましては8日、左肩から左腕に、強い痛みの症状があり、同日夕の美術展鑑賞や、9〜12日にかけて予定していた北海道行幸啓をおとりやめあそばされた。
皇后陛下におかせられましては7月初旬、同じ部位に強い痛みを訴えあそばされ、頸椎(けいつい)症性神経根症と確認あそばされた。宮内庁によると、痛みはその後和らぎ、左指先のしびれが残る程度になっておられましたが、ここ数日、強い痛みが再発しているという。皇后陛下におかせられましては御所で静養あそばされ、専門医による診察を受けあそばされる予定。
北海道は、畏くも天皇陛下がお一人で行幸あそばされます。
畏くも天皇陛下、皇后陛下におかせられましては、ご高齢であられるのに、激務の公務をなさりあそばされ、東日本大震災、台風12号の災害と御心を痛めあそばされる事が続き、ご心中いかばかりか・・・
臣民の一人として、皇后陛下のご病気平癒を、心より祈念いたします。
日本国民は(やまと民族)は皇室と共に
台風12号の惨事に対し、お亡くなりになられた方々には、慎んでお悔やみもうしあげます。
尚、安否の確認がとれない同胞の方々の無事を心よりお祈りします。
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