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心臓手術のため、東京大学医学部付属病院に入りあそばされる天皇陛下 御尊影=17日午前、東京・文京区
君が代
謹んでお伝え致します。
畏くも天皇陛下におかせられましては、心臓の冠動脈バイパス手術に備えあそばされるため17日午前、東京都文京区の東京大学医学部付属病院に入院あそばされた。18日に、東大と順天堂大の合同チームによる手術を受けあそばされます。
畏くも天皇陛下におかせられましては、午前10時15分ごろ、スーツ姿でお付き添いの皇后陛下と病院に到着あそばされた。出迎えた病院関係者のあいさつを受けあそばされた後、居合わせた患者らに笑顔で手を振りあそばされた。
手術は狭窄(狭くなった部分)が発見された左冠動脈の「回旋枝(かいせんし)」と「前下行枝(ぜんかこうし)」の2カ所について、陛下ご自身の別の部位の血管を使って血流の回り道をつくります。順調に進めば、前後の処置も含めて約5時間で手術は終了する見込みです。
17日から公務に復帰あそばされるまでの当面の間、国事行為は皇太子殿下が代行あそばされる。宮内庁によると、畏くも天皇陛下におかせられましては、3月11日に東京都内で開かれる東日本大震災1年の追悼式へのご親覧に、強い意欲を示されておられますとのことです。
天皇陛下の入院にあわせて設置された記帳所で、お見舞いの記帳をする人たち=17日午前、皇居・坂下門
昨日の本ブログでもご案内いたしましたが、今日10時より宮城・坂下門前で、陛下ご快癒を祈る特設記帳所が設置されました。
特設記帳所のある宮城・坂下門前には、午前6時過ぎから人が集まり始め、受け付け開始の同10時前には約40人が列を作った。受け付け後も次々と人が訪れ、記帳簿に名前や住所を書き込み陛下のご快癒を祈りました。
記帳に訪れた臣民は一様に、「皇室あっての日本、ぜひ長生きしていただきたい」
「激務でいろいろとご心労がおありになったのでしょう。一日も早いご回復をお祈りしています」と心をこめていました。
明日の手術が無事成功し、ご平癒をこころより願ってやみません。
「天神地祇の神々のご加護を・・・」
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
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2012年02月17日
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コメント(5)
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日本の国民は皆、素晴らしいと3.11以降ずっとそう思ってきました。
義援金、支援団体のボランティア、個人のボランティアなどなど・・。 ありがたいと・・。
しかし、時間の経過と共に、極、極少数派なんですが・・。
被災地の復興の妨げになっている「ガレキ問題」受け入れに、反対するしてる人たちがいることです。
受け入れ側の自治体からも、実際に来て放射線量を測っていて納得して輸送しています。 海も三陸沿岸は、親潮潮流(北→南に流れている)がとても強いですから、福島から北上することはないのです・。
実際、「岩手県水産技術センター」のHPを見ても、漁協から広報で報告が来ますが、放射線の値は例年と同じです。 それを、知ってるから買い付け業者も魚に高値をつけてきてるのです。 日本全体で、東北の魚がないため、魚介類が不足していて今の魚市場の相場は、引き合いが強く、これまでの最高価格を更新しています。
これが、実態です。 さて、放射線ですが・・。。 むしろ、強い北北西の風向きから考えると、関東地方の方が岩手、宮城の方面よりも放射性物質の飛散量は多いところも多々あるのが実態です。なぜなら、北北西の季節風が断然強いし、毎日のように吹いていますから・。
被災地の復興の妨げになっている
その「ガレキ」受け入れに、反対するしてる人たちがいることに対して、下のような記事を書いております。
ほとんど、僕としか会話しない、長いお付き合いのブログ友の仙台のブロガーです。 彼も、被災者です。 想いを共感したので、コピペ転載させていただきました。 ガレキ受け入れ拒否 悔しいね・・。
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これに対する僕のコメント・・。
昨日も、テレビで極少数の反対市民が映像に写っていました。 複雑でしたが、頭にきましたねーー。 考えてみると、岩手、宮城のガレキに放射能があるわけがありません。むしろ、首都圏の方がヤバイはずです。 しかも、東北から電気を供給されて、使い放題使って来て・・。 不条理です。 汚いもの扱いされるのは、いやですねーー。 自分たちの心が汚いことに気づいて欲しいです。 また、極少数の反対ですが、それを放送してるバカなマスコミ。 本当に悲しくなります。人の痛みが分からない人たちなのでしょう。 ガレキという呼び方も当初から僕は凄く抵抗がありました。 それは、僕らの生活していた家、仏壇、写真などなど全てが被災地の人々にとっては、思い出やそれぞれの思い入れがあった。大事なモノだったのですからね。 被災者にとっては、心の財産だったのですから・・・。 それを、ガレキで汚い、放射能が・・・。などと言われるととても、悲しいですねーー。 ○○さん。腹の立つことばかりですが・・。共に頑張って行きましょう。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そう、彼は仙台市の被災者です。
放射線は、日本全体の問題です。 しかし、あれは首都圏に向けて、福島に何故か東京電力が政府と共に建設したものです。
たしかに、事故の原因は地震と津波ですが、その後の政府の東電、保安院の対応の不味さのために、ここまで長引いいているのです。 福島の人たちは、いつ自分の故郷に帰れるかさえ、目処がたっていないのです。 このような、動きを見ると、少数であっても、とても悲しくて、悔しくなります。
みなさん。どう感じたでしょうか・・・?
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大日本帝國憲法発布を祝う号外(岐阜日日新聞)
王政復古、文明開化、富国強兵、立憲・教化、日清・日露戦争などの時代を、知ろしめあそばされた明治大帝は、次のような御製を残されています。
まつりごと ただしき国と いはれなむ
もものつかさよ ちから尽して
(*もものつかさ=文武百官)
世の中の 人の司と なる人の
身のおこなひよ ただしからなむ
これらの御製は、「公」に尽くすことをその務めとする、政治家・官僚・指導層に、あるべき姿を諭され、願われ、祈られたものです。
しかし、現実は、この御製の主旨に外れるものとなっていってしまいました。
日露戦争の勝利によって、東アジアが安定し、また殖産興業による経済成長が軌道に乗ると、幕末・明治の「公」の精神は徐々に形骸化してゆきました。明治の元勲が一人二人と減り、世代交代が進むと、明治日本を支えた武士道精神は弱まっていきました。
第1次世界大戦、ロシア革命、世界経済恐慌など、大正・昭和戦前期のわが国は、厳しい国際環境と経済危機に直面し、激動する世界の中で、わが国の指導層は、的確な判断と行動ができなくなり迷走しました。
行き詰まった状況の中から台頭した軍部は、政治に介入したのです。それは、「軍人は政治に関与してはならない」という明治大帝の遺訓に反する行為であり、先帝陛下の御心に背いたものでした。 大東亜戦争後、最大の課題は、先帝陛下と國體を守ることでした。幸いにも、それはかろうじて果たされました。
戦勝国は、日本を弱体化するために、一連の占領政策を強行しました。弱体化の最大のポイントは、天皇陛下と国民の強い紐帯を打ち砕くことです。それは、日本の「公と私」の伝統、文化、慣習を、破壊するものでした。
日本弱体化の目的の下、GHQによる「神道指令」の発布、ありもしないいわゆる先帝陛下の「人間宣言」を誇張し、進められました。天皇陛下の「公」的権威は弱められました。「公」の精神を培ってきた家族的な国民道徳は否定され、「公」の基盤であった家族的共同体にも、解体の手が加えられました。
「教育勅語」は国会で、やむをえず国民の代表自身の手で失効とされました。明治大帝の教訓は教育から除かれました。そして、いつの間にか、我国の「和」の精神を説かれた聖徳太子も紙幣から消えてゆきました。
最も重大なことは、國の魂である帝国憲法に代わって、占領軍の外国人が、わずか1週間で作った粗製英文憲法が押し付けられたことです。
GHQ製の憲法は、日本の「公」の精神を衰弱させるものです。
国家の基本法である憲法が、国家国民の公共性を弱めていると見られるのです。それゆえ、現代日本の「公と私」の問題は、憲法の問題として、論じられなけなりません。
占領基本法(現行憲法)は、主権は、天皇陛下ではなく国民にあるものとしました。いわゆる「主権在民」です。そして、「象徴天皇制」となり、天皇は「象徴」であって、元首とは明記されず、蔑ろにしています。
これらの2点は、占領基本法(現行憲法)の4大特徴のうちに挙げられます。他は、「平和主義」と「基本的人権の尊重」です。
問題は、こうした特徴をもつ占領基本法(現行憲法)によって、「天皇と公民」の関係が大きく変えられ、天皇陛下が統治大権とともに「公」的な権能を多く失い、一方、主権者とされた国民は、「公」の精神を失う結果となっている点が最大のポイントです。
占領基本法(現行憲法)は、「基本的人権の尊重」を特徴の一つとしますが、これは、帝国憲法に規定された、民主的な「臣民の権利」をさらに拡大したものであり、評価すべき点です。しかし、権利と義務のバランスを欠いているために、人権の尊重が、反面では「公」の精神を低下させているのです。
憲法は、基本的人権の保障を詳細に規定している反面、国民の義務は、3つしか定められていません。即ち、納税の義務、教育の義務、勤労の義務です。このうち教育や勤労は義務というより権利という性格が強いですから、義務らしい義務は、税金を納めることだけとなっているのです。
これに対し、日本以外の多くの国では、国法の遵守や国防の義務が定められています。日本にはそのような義務は存在しないのです。そのため、お金さえ出していれば、誰かがやってくれるだろう、という意識が生まれたのです。
このように、占領基本法(現行憲法)は、権利に対して義務が少ないというアンバランスな規定となり、権利を「私」の方向、義務を「公」の方向と考えると、占領基本法(現行憲法)は、国民を「私」の方向へ、誘導するものとなっています。
主権が存するとされる国民が、「公」のことより「私」の方へ向いているのでは、国政がうまくいかないのは、当然の帰結です。
権利を振り翳す「市民団体」が実は「私民」に成り下がっているのが顕著な例です
この最大の問題が、国防にあると筆者は思うのです。
「平和主義」は、現行憲法の大きな特徴です。しかし、それは、単なる「平和主義」ではなく、戦勝国が敗戦国に強制したものであり、わが国の軍事力に大きな制約をかけるものでした。第9条の「戦争放棄」「戦力不保持」「交戦権否認」は、さまざまな解釈を生み、自衛権までを放棄したという解釈も、生まれました。しかし、憲法の内容は、国際社会の現実からかけ離れたものであり、わずか数年後に、この憲法を押し付けた米国自身の手で、警察予備隊(自衛隊)が創設され、また日米安保条約が締結されました。
ここで重要なことは、日本は以後、米国の軍事的な保護を受けることによって、国民が自国の国防を自分の問題として考えなくなったことです。
近代国家においては、国防は、国民の義務とされています。
権利とは「人権」といわれるものの、実際にはそれぞれの国家がその国民に保障している権利をいいます。つまり、国民の権利です。国民の権利を保障しているのは、国家ですから、その国家が保護されなければ、誰も国民の権利を保護してくれないのです。国家を保護するものは、その国の国民以外にはありえないのです。それゆえ、国民は自分の権利を守るためには、国家を自らの手で守らなければならず、そこに、国防の義務が、国民の当然の義務として発生するのは当然のことです。
しかし、戦後の我国では、国民に国防の義務がありません。そして、国家を保護しているのは、国民自身ではなく、外国の軍隊、つまり米軍なのです。
国民に国を守る義務がなければ、自衛意識は失われ、国を愛する心、愛国心を持たなくともよいということになります。事実、わが国の学校教育では、愛国心についての教育がほとんどされていないのが実情です。国家や社会全体のことを考えるのは、全体主義や軍国主義の復活につながるという飛躍した、拙稚な考えが蔓延しているのです。
その結果、国家や社会全体のこと、つまり「公」のことを考えない、「私」的で自己中心的な考えをもつ世代が生み出され、戦後世代が増えるにつれ、社会から公共性が低下してゆくことになります。
私は、国民が国防を自らの問題として考えなくなったこと、この点が、戦後、「公」の精神の衰弱した重大な原因であると考えます。
最近多用される『市民像』は、どうしても『私』の権利や利益から出発しています。『私』の世界が、国家という権力に対比されるからであり、『私』の権利や利益を守りまた主張するのが、市民であり、これを政治の世界に持ち込むのが民主主義ということになる。『市民』ではなく『私民』が民主主義の世界を闊歩(かっぽ)し始めているのです。『私』の権利や利益の食い合いとなっていき、国家や公共への責任を見失った、戦後の『市民』が民主主義を担うとすると、民主主義から腐臭が出てくるのです。
現政権民主党の中核を担う「市民運動出身」の議員が顕著な例です。
占領基本法(現行憲法)の「公」は、個人の集合を指しているものにすぎません。また、その個人は、抽象的で、アトム的な個人のようです。
まるで、家族も先祖も故郷も持っているようには思えません。
占領基本法(現行憲法、「日本国民は…」という主語が、しばしば出てきます。それは "We, the Japanese people"の訳語と解釈します。"We"と書いたのは、「われわれ」ではない。日本を占領していた米国軍人だったのです。
この個人の集合が「われわれ」と呼ばれるとしても、集団を「われわれ」へと統合するものの存在感が希薄です。つまり、「日本国」と「日本国民統合」の象徴とされる天皇陛下の存在感が、弱いのです。同時に、天皇陛下の象徴的な権威によって一つに統合される「われわれ」にも、確かな存在感が、ないのです。
また、この個人の集合としての「公」には、全員で協力して自分たちを守るという義務はありません。その「公」は、教育勅語の「義勇公に奉じ」の「公」のように、自ら守るべき「公」ではないのです。
ここでは、「公の体現者」であられる天皇陛下の存在も、「公」を構成する「公民」も、二つながら弱められているのです。「天皇陛下と公民」の伝統を否定しようという力が働き透けて見えるのです。
戦後の「公」の文字を透かして見れば、見えるのは、ばらばらの個人のみ……。家族も、国家も、天皇も、公民も、歴史も、伝統も見えてこないのです。
こうして占領基本法(現行憲法)は、日本の「公」の精神を衰弱させ、衰弱死させる亡国のものでしかほかならないように思えてなりません。
筆者には日本国民が衰弱死に向けて全速で走っているようにしか映らないのです・・・
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日本では古代から政権を執っていたのは朝廷でした。
しかし朝廷は失政や不徳によって自ら権力を失ったため武家政権が誕生しました。
これに対抗して後醍醐天皇が建武の中興を起こしますが、
所領が欲しい武士たちは論功行賞への不満が募り、
政権は朝廷から幕府にすべきだという主張に変わります。
この時、朝廷にそむく中心が足利尊氏でした。
尊氏は一度挙兵したものの新田義貞らの官軍に敗れ九州に負走します。
そこで尊氏は敗因を反省し「我が国では天皇を担いでいない者は敗れる」と悟りました。
そこで、皇室の権威を利用しようと後伏見上皇に院宣を願い出て、これを受けました。
これが北朝です。
尊氏が「錦の御旗」を立てて攻め上がると諸国の武士は次々と尊氏軍につきました。
朝廷の権威は両軍にあるということになるとあとは実利の問題です。
武士たちは所領を貰えそうな尊氏側に集まりました。
千早城や赤坂城などでは見事な戦いをして幕府軍を苦しめます。
しかし、正成の度重なる建言も聞き入れられず情勢は不利となります。
遂に正成は尊氏の大軍を正面から迎え討たなければならなくなってしまいます。
正成は出陣の時に「今はこれまでなり」と述べました。
どこまでも天皇への忠誠を尽くす正成は自分の意見が通らなくとも潔くあきらめて、湊川の合戦に赴きます。
巨万の大軍に対し正成はわずか700騎。
善戦およばず正成は敗れ自害を決意します。この時、正成は弟の正季に「何か言い残すことはないか」と尋ねました。
正季は「七たび生まれて、朝敵を討ち滅ぼしたいものです」と答えました。正成は「実は私も同じだ」と言い、高らかに笑いながら兄弟刺し違えました。
これがのちの「七生報国」です。
こうした楠木正成の幕府や主君よりも天皇陛下に忠義を尽くすのが真の武士の大義である、という考えが日本中に広まっていきます。幕末の吉田松陰らにとって大楠公は武士の鑑でした。
正成の「七生報国」の思いは尊皇の志士たちの決起となって実現します。
足利尊氏が天皇に反旗を翻すと、朝廷への恩よりも実利を優先させ、道を外した仁義にもとる武将たちがほとんどである状況にあっても、後醍醐天皇のために、そしてよりよい国をつくるために力を尽くされた大楠公。
この忠節に対し、のちに明治天皇は湊川神社を創建されました。
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