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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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皇室の一週間

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「みどりの式典」のレセプションで乾杯あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=27日午後5時2分、東京都千代田区の憲政記念館






君が代



謹んでお伝えいたします。


畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては23日午前、宮城・御所におかれまして、「みどりの式典」第6回同賞受賞者の業績について、杉浦昌弘・みどりの学術賞選考委員長ほかから説明お受けあそばされました。
午後、畏くも天皇陛下におかせられましては、宮城・宮殿におかれまして、ルーマニア、ペルーの新任駐日大使の信任状捧呈式に臨みあそばされました。


畏くも天皇陛下におかせられましては24日、宮城・宮殿におかれまして、野田首相内奏、その後ご執務をなさりあそばされた。
午後、畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、蓮池参集所におかれまして、勤労奉仕団にご会釈を賜わりました。
その後、再びご執務をなさりあそばされました。
畏くも天皇陛下におかせられましては、宮城・生物学研究所の苗代におかれまして、うるち米「ニホンマサリ」と、もち米「マンゲツモチ」の種もみ3千粒余りをまかれあそばされた。
春の恒例行事で、田植えを経て秋に収穫される米は、11月の新嘗祭など皇室の神事にも使われます。
 ジャンパーとズボン姿の陛下は、しゃがみながら丁寧に種もみをまかれあそばされた。稲作は昭和天皇が始められたもので、今上陛下が引き継がれています。



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うるち米のニホンマサリともち米のマンゲツモチの種もみを宮城内の生物学研究所前にある苗代にまかれあそばされる天皇陛下 御尊影=24日、皇居



畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては25日午前、宮城・御所におかれまして、岩沢康裕・第14回IACIS(国際コロイド・界面科学者連盟)国際会議名誉組織委員長、栗原和枝・同実行委員長から、仙台市で開催の同会議につき説明お受けあそばされた。
その後、
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、宮内庁新規採用職員が拝謁、午後には、前日に続き、畏くも天皇陛下におかせられましては、宮城・生物学研究所の苗代におかれまして、うるち米「ニホンマサリ」と、もち米「マンゲツモチ」の種もみ2回目をまかれあそばされた。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、東京都千代田区・国立劇場におかれまして、第28回日本国際賞授賞式ご親覧、夜には同区・ホテルニューオータニでの同賞祝宴にもおでましあそばされた。
同賞は、大きな成果を上げた世界の科学技術者を対象としており、今回は新しいがん治療薬開発に貢献した米国の3人と、世界最高性能といわれる永久磁石を開発した佐川真人博士が受賞。両陛下におかせられましては壇上で拍手を送りあそばされました。

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日本国際賞授賞式にご親覧あそばされた天皇、皇后両陛下 御尊影=25日午後、東京・国立劇場


畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては26日午前、開業を5月22日に控える東京都墨田区の東京スカイツリー(高さ634メートル)を視察された。あいにくの曇り空でしたが、両陛下は2カ所ある展望台のうち、高い方の第2展望台「天望回廊」までエレベーターで上がられ、地上450メートルからの眺望を楽しまれた。
その後、畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては東京スカイツリー完成に伴う街づくり、物づくりの現状につき、同区役所におかれまして、墨田区長より説明ご聴取なさりあそばされました。

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東京スカイツリーの天望回廊を玉歩あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=26日午前、東京都墨田区






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東京スカイツリーの天望回廊を玉歩あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=26日午前、東京都墨田区


畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては26日午後、宮城・蓮池参集所におかれまして、勤労奉仕団にご会釈を賜わりました。
その後、畏くも天皇陛下におかせられましては、宮城・宮殿におかれまして、ロシア、シンガポールの新任駐日大使の信任状捧呈式に臨みあそばされました。

畏くも天皇陛下におかせられましては27日午後、宮城・御所におかれまして、ご執務、その後、皇后陛下とともに、東京都千代田区・憲政記念館におかれまして、第6回みどりの式典およびレセプションにご親覧あそばされました。



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「みどりの式典」のレセプションにご親覧あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=27日午後5時、東京都千代田区の憲政記念館




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みどりの式典にご親覧あそばされた天皇、皇后両陛下 御尊影=27日午後、東京・永田町の憲政記念館





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みどりの式典にご親覧あそばされ、受賞者に拍手を送りあそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=27日午後、東京・永田町の憲政記念館




奉祝、今上陛下、喜寿のお祝い


畏くも天皇陛下の喜寿(77歳)を祝う昼食会が28日、皇太子殿下がお住まいの東京・元赤坂の東宮御所で約3時間にわたって開かれ、天皇、皇后両陛下のほか、皇族方15人が出席あそばされ、元皇族や親族も集まって50人規模の会になり、食事の前には、陛下がお好きな琉球舞踊をみなさんでご覧あそばされ、今上陛下の喜寿を祝われました。
 喜寿のお祝いの会は皇太子殿下、妃殿下、秋篠宮両殿下が、長女の黒田清子さま夫妻とともに主催あそばされた。当初は昨年5月に開催予定でしたが、、東日本大震災の影響で延期されていました。
臣民の一人として、謹んでお祝い奉ります。君が代が千代に八千代に続くことを願ってやみません。

5月には、即位60年を迎えたエリザベス女王の祝賀行事出席のため、両陛下におかせられましては訪英あそばされ、12、13日には仙台を行幸啓あそばされる予定です。両陛下が毎年ご親覧あそばされる全国植樹祭も山口市で27日に予定されており、ご不例ご平癒ならぬ陛下の玉体が案じられてなりません。



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企画展示「洛中洛外図屏風と風俗画」をご覧あそばされる皇太子殿下 御尊影=23日午前、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館



各宮家は今週もさまざまな公務をなさりあそばされました。

秋篠宮両殿下におかせられましては23日、上野の森美術館(東京都台東区)で第20回「和展」をご覧あそばされた。

 24日には明治記念館(東京都港区)で「第21回地球環境大賞」関係者との懇談、授賞式、レセプションにご台覧あそばされた。
 授賞式で秋篠宮殿下におかせられましては、東日本大震災や豪雨災害、暴風雨など、最近大きな影響を及ぼした自然災害について触れ、「地球環境に関わる問題を考えるとき、保全とともに、自然災害についての意識を一層高めつつ、人類が自然と共存していく必要性を強く感じます」とお言葉を述べられた。


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第21回地球環境大賞 授賞式会場に到着あそばされた秋篠宮両殿下 御尊影=24日午後、東京・元赤坂の明治記念館




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「第21回地球環境大賞」授賞式でお言葉を述べられる秋篠宮殿下 御尊影=24日午後1時28分、東京・元赤坂の明治記念館


以下にお言葉全文

本日、「第21回地球環境大賞」の授賞式にあたり、皆様とお会いできましたことを大変うれしく思います。また、このたび受賞される方々に心からお祝いを申し上げます。

近年、地球温暖化の防止や生物多様性の保全など、環境諸問題に対する人々の意識は非常に高くなってきております。

一方、この一年を振り返りますと、「東日本大震災」をはじめ、台風による豪雨災害、今月に入ってからも全国的な暴風雨など、人々の生活に大きな影響を及ぼす災害も数多くあります。地球環境に関わる問題を考えるとき、保全とともに、自然災害についての意識を一層高めつつ、人類が自然と共存していく必要性を強く感じます。

さて本年は、気候変動枠組み条約などを採択した「地球サミット」から20年の節目の年を迎えます。6月には同じリオデジャネイロで「国連持続可能な開発会議」が開催され、グリーン経済などをテーマに各国首脳が世界の持続可能な開発について議論を深めると聞いており、地球環境の諸問題を考える大切な年といえましょう。

「地球サミット」の開催と同じ1992年に創設された地球環境大賞は、地球環境と共存する産業の発展、そして持続可能な循環型社会の実現を目指し、環境への負荷が少ない製品や、そのための技術を開発し、地球環境に対する社会の意識向上、そして、自然環境保全を通しての社会への貢献を図ることを目的としております。

今年で21回を数えるこの賞は、産業界から始まり、自治体、学校、そして市民グループへと表彰対象を広げながら、環境活動に熱心に取り組む人々の姿勢を広く顕彰し、環境に対する意識を高めることに貢献してきたといえましょう。今後とも日本の優れた技術や知識が地球環境の保全に貢献し、世界の発展に寄与していくことは、誠に大切なことと考えます。

終わりに、受賞者をはじめとする皆様が、今後とも率先して、積極的な取り組みを進めていかれることを期待するとともに、その活動がより一層広がり、地球が緑豊かな水の惑星として、末永く潤っていくことを願い、私のあいさつといたします。



秋篠宮妃殿下におかせられましては26日、ホテルニューオータニ東京(東京都千代田区)で「第24回SIGA(SSEAYPインターナショナル総会)」の歓迎レセプションにご台覧あそばされた。

常陸宮殿下におかせられましては27日、上野の森美術館で「第30回上野の森美術館大賞展」授賞式とレセプションにご台覧あそばされました。


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第30回上野の森美術館大賞展」内覧会で作品をご覧あそばされる常陸宮殿下 御尊影=27日午後、東京・上野公園の上野の森美術館





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「第30回上野の森美術館大賞展」授賞式で、受賞者のあいさつをお聞きになられる常陸宮殿下 御尊影=27日午後、東京・上野公園の上野の森美術館


常陸宮妃殿下におかせられましては「日本いけばな芸術協会創立45周年記念式典」などのため、24、25の両日、大阪府におでましあそばされました。

 高円宮妃殿下におかせられましては22日、高島屋東京店(東京都中央区)で、「大和円照寺 山村御流いけばな展」をご覧あそばされた。

 26日、アイデムフォトギャラリー「シリウス」(東京都新宿区)で、国境なき子どもたち写真展2012「岩手 この空の下、明日への道を探して」オープニングレセプションにおでましあそばされました。


畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかであられるよう祈念いたします。


尊 彌榮 彌榮 彌榮

日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・

天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳








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昭和天皇陛下、香淳皇后陛下 御尊影



今日は昭和の日、先帝陛下の誕生日にあたります。
かって我国は、畏くも天皇陛下の誕生日を「天長節」皇后陛下の誕生日を「地久節」として国家挙げて祝い慶びました。
戦前の祝祭日は、根拠、目的、由緒がはっきりとしたものでしたが、戦後の祝日法によって定められた祝日は、目的、由緒が漠然としており、これでは何の為の祝日かわかりません。
昭和の日を「昭和節」文化の日を「明治節」とし、皇室祭祀にまつわる祭日も本来に戻すことこそ愛国心を涵養し、今の日本にとって大事なことです。
過去にご紹介させていただいた、先帝陛下のエピソードですが、先帝陛下の御遺徳を偲び、「大御心」に常に護られている国民として、感謝の意を捧げ、国旗を掲揚し、声高らかに、聖寿萬歳を唱える
ものです。




公平無私の上御一人は私にとって命がけでお守りする存在でした」/寛仁親王殿下

――昭和天皇とお二人きりでお話になられたことはございましたか?
殿下 二十代の頃でしたが、将来のために陛下とどうしても直接お話をして伺いたいことがあると高松伯父様にお願い申し上げたら、二度実現しました。その時の記憶で特に鮮明なのは、陛下が「自分は半生の中で自らの意見を述べたのは二度ある」と淡々とおっしゃったことでした。一度目が二・二六事件の時、二度目が終戦の時というのです。本来陛下を補弼(ほひつ)する責任を持つ重臣たちが、前者の場合は消息不明であり、後者の場合は意見を伺いたい旨を言上(ごんじょう)したわけで、いずれの場合も陛下ご自身がお動きにならざるを得ない状況におかれたのです。この話は後に陛下が記者会見でも発言されましたが、その時は初めて聞く話でしたから、仰天すると同時に背筋がゾッとしました。
またある時、高松伯父様が「若い者が陛下のところに行ってお話ししろ」とおっしゃるので、私と弟の高円宮の二人で陛下のお側に行きました。私は青少年育成で日本中を回っている時の話を色々申し上げました。自分が直に全国各地の青少年と議論をして聞き出してきた、各地方の特色ある生の声を得意になってご説明したのですが、陛下はみんなお見通しでした。「その地方の若者はこういうことを言わなかったか」と、実に的を射たご下問をなさる。各地の若者たちの悩みや問題点をじつによく把握なさっていました。私は帰りの車の中で高円宮と「これは一体どういうことか、不思議なことがあるものだ」と話し合いました。

――昭和天皇は実に細やかな気配りをなさる方であったと伝え聞いております。

殿下 これはあまり世に出していない話ですが、私が昭和五十五年に結婚(信子妃殿下は麻生太郎元首相の実妹)した時に、両陛下をはじめご親族を招いて晩餐会を開いたのです。
義祖母の夏子おばあちゃん、義母の和子女史や義兄の太郎をはじめ、麻生家の親族に列立してもらって、陛下に拝謁を賜りました。父が一人ずつ紹介しようとしたところ、陛下は皆に向かって突然、
「太賀吉は元気でおるか?」
とおっしゃったのです。
実はその時、岳父の麻生太賀吉氏は食道がんで入院中でした。その情報はもちろん陛下のお耳には届いていたのでしょう。それでも陛下のお心遣いに一同言葉にならず、ただポロポロと涙を流すばかりで、とても紹介どころではありませんでした。このような絶妙なタイミングで、思い遣りのお言葉を自然に出されるのが昭和天皇でした。

――国民に対するお気遣いも有名でした。

殿下 台風の時など、まず「稲穂の状況と被災民の様子」を常に心配されて、侍従を通してご下問がありました。それは見事に自然な形で発せられるので、地元の人々はこのお言葉を翌日の紙面で知ると勇気づけられますし、奮起するのです。どの災害、事件の時も同じでした。あれほど「公平無私」の心をお持ちの方を私は知りません。

――今の日本の繁栄があるのは、昭和天皇が常に国家の平安を祈られ、国民を激励し続けてこられたからではないでしょうか?

殿下 敗戦国の元首が国民の中に分け入って熱狂的な歓迎を受けるという例は、世界史上皆無でしょう。ここに、他国の王室や皇室とはどうしても比較できない、陛下と国民の間の人間的な絆があるのです。
ある時、過激派への対策として、皇居や赤坂御用地に機動隊のバスがずらりと並んでいたことがありました。それをご覧になった高松伯父様は宮内庁の役人に、
「お前たち、皇室は軍人や警察官に守られて二千数百年も続いたんじゃないぞ。国民に守られてきたんだ。あんなものは即刻撤去せよ!」
とおっしゃり、翌日、すべての配備をときました。もちろん、何も起こりません。
また、伯父様はこうもおっしゃっていました。
「京都御所を見てみなさい。わずか三十センチくらいの疏水が流れているだけで、誰でも乗り越えられるし、どこからでも侵入できる。でも、長い年月、何者にも侵されていない。それは歴代の国民が守ってくれたからだ」
まさにおっしゃる通りだと思います。良識ある国民の総意で万世一系の百二十五代は続いてきたのです。


■[激励]足掛け8年半で3万3000キロ 2万人に声をかけられた焼け跡の中の全国巡幸/松崎敏弥

 当時の天皇と国民との関係については、私にも印象的な思い出がある。小学生のとき、学校の夏期合宿からの帰り、軽井沢の手前の横川駅で昭和天皇のお召列車とすれ違ったときのことだ。引率していた女性教師が、汽車の窓を開けてはいけないと注意した後に、「私は天皇陛下万歳とはいいません。そういう人間ではありません」といった。ところが、いざお召列車が目の前を通り、天皇陛下がこちらに手を振っておられた時、その女性教師は他の乗客たちと一緒になって「天皇陛下万歳」と叫びながら、号泣していたのである。
 後に、先生が婚約者を戦争で亡くしていたと聞いた。複雑な感情を持ちながら、それでも目の前を通るお召列車に向かって泣きながら「天皇陛下万歳」といわずにはいられなかった姿を、皇室記者になってからも、たびたび思い出した。



ユーモアと感動に満ちた昭和天皇「五つの佳話」/加瀬英明


※昭和天皇は生涯にわたって、ご自分が行なわれたことを自慢されたことなど、一度もなかった。また、終生にわたって名誉や栄誉を求められたことも、まったくなかった。ご自分についてはじつに無欲な方だった。
天皇は敗戦の年の昭和20年12月に、松村謙三農林大臣を皇居に呼ばれてこういわれた。

「戦争で塗炭(とたん)の苦しみを受けた国民に、このうえ餓死者を出すことは自分には耐え難い。政府が要請をしたのにもかかわらず、アメリカは食糧を与えてくれないという。だが、考えれば、当方に代償として提供すべき何物もないのだから、いたしかたがあるまい。
それで聞けば、皇室の御物(ぎょぶつ。天子の所有物、あるいは皇室の所蔵品)のなかには、国際的に価値のあるものが相当あるとのことだから、これを代償としてアメリカに渡して食糧に代えて、国民が飢餓を一日でもしのぐようにしたい」

そして帝室博物館の館長に命じてつくらせてあった皇室御物の目録を農相に渡された。天皇の意向は幣原喜重郎首相(在任昭和20年10月〜21年5月)を通じてマッカーサーに伝えられた。しかし、マッカーサーは「それは皇室の人気取りだ。そのようなものは必要ない。私が責任を持って、かならず本国から食糧を輸入する方法を講じよう」といって、緊急食糧を日本に放出するようワシントンに求めた。

昭和54年8月、宮内庁記者団とのご会見のときに、記者団から当時のことについて質問が出された。
「そういうことがあったのは事実です。しかし、自分のしたことですから、あまり公にしたくはありません」
これが天皇のご返事であった。


※昭和24年から東宮御教育常時参与となった小泉信三博士は、皇太子(今上天皇)の教育係を引き受けるに当たって、昭和天皇に拝謁した。
そのときに、「陛下の御態度は、侍臣のおすすめ参らせた結果によるものでしょうか、あるいは古の聖人の書や明哲の伝記などをお読みになって、そういう習慣を御身につけられたのでしょうか」とうかがった。
すると、天皇はいとも簡単に「それは人のすすめによったものでもなく、読書の結果でもない。これはわが家の伝統である」とお答えになった。

※天皇は酒を飲まれなかったし、美食を好まれることもなかった。衣類についても飾ろうとされることがなかった。側近にすすめられて、公務の場で着られる洋服を新着されても、新調した服が傷まないように、奥に入られると几帳面にすぐに古い背広に着替えられた。


※皇太子が学習院初等科を卒業された昭和21年3月、天皇はお祝いに写真機を贈ることを思いつかれた。侍従に「市場にあるものは、闇市でたかいことだろう。(宮内省)写真部に中古はないか」と写真部から中古品を一つ取り寄せられた。
「これでよろしい。皇太子にはこれが手ごろだよ。あまり立派なものや、高いものを与えては、将来のためにならない」
といわれた。今上天皇のカメラ好きはこのときに始まる。


※昭和のはじめ、陸軍大演習のため名古屋地方へ行幸された際、演習終了後に名古屋市内にある愛知時計電機の工場を視察されたその夜、30名ばかりの地方の民間功労者を晩餐(ばんさん)に招かれた。
時計が話題となった。すると陪食(ばいしょく)を賜(たまわ)った一人が、チョッキから金鎖を手繰(たぐ)り、金時計を取りだし、得意げに「陛下、これは外国製で御座居ますが、実によく合います。国産のものはどうしても不正確で、まだまだとうてい外国製には及びません」と申し上げた。
天皇はそれを聞かれると、ご自分の右ポケットから懐中時計を取り出された。
「わたしのこの時計は12円50銭の国産品だけどもよく合うよ」
と嬉(うれ)しそうに示された。その時計は侍従が天皇にいわれて東京・銀座のシチズン時計店で買ってきたものだった。高価な外国製時計よりもはるかに安価だったが、天皇はお使いになって外国製に負けないことを心から喜ばれていたのだった。


※昭和天皇の即位式である即位大礼が行なわれたのは、大正天皇の諒闇(りょうあん。天子が父母の喪に服する期間)が明けた昭和3年11月だった。天皇は27歳。
翌月の15日、東京の皇居前広場で、東京、千葉、埼玉、山梨、神奈川の諸団体から、青年男女約8万人が参加する大礼奉祝の式典が行なわれ、天皇が御親閲されることになった。天皇は大会の開催に同意されるとともに、天候を心配された。

「もしも当日、雨が降ることがあったら、青年たちに雨具を着用させるようにしてほしい。また、いかような大雨になっても、わたしが立つ場所に天幕を張ってはならない」
とお命じになった。当日は早朝から大雨であった。そこで、御座所の位置の上に天幕が張られた。宮内大臣をはじめ側近たちは天皇のご健康を思いやってのことだったが、天皇は「天幕を取りに除いてほしい。司令官も時と場合によっては第一線にたつことがある。今日はわたしのいうことに従ってほしい」と要望された。

午後2時、天皇は雨のなかを二重橋正門から自動車で式場に到着された。天皇が下車されると、侍従がすぐにうしろから雨用のマントをおかけした。だが、お立ち台の上でマントをお脱ぎ捨てになった。広場を埋め尽くした青年たちが篠突(しのつ)く雨のなかを雨具もつけずに全身を濡らしているのを、ご覧になったからだった。
やがて、青年たちが御前で分列行進を開始すると、天皇はずぶ濡れになられながらも繰り返し、挙手の礼をもって答礼された。多くの青年たちは感動して、涙が雨にまじって顔を濡らした。

天皇は式典が終わる1時間20分のあいだ、軍帽や軍服から水をしたたらせながらお立ち台に裁ち続けられた。
当時の代表的なジャーナリスト、徳富蘇峰は翌日の「国民新聞」に、式典の天皇の姿に感動して「真に感涙が溢るる」という文章を寄稿した。










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