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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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武士道とは、死ぬことと みつけたり


日本の 武士道を説いた 葉隠れ の一節。

生か死ぬかの二つに一つのときは、死ねばいい。なにも考えることはない。
死ぬかのせっぱつまったとき、覚悟をきめて突き進め。

毎朝、毎晩、心静かに、死を考え死を思い、つねに死に身になっているとき、武士道の覚悟が身につき、
一生、あやまちもなく、武士の務めを果たすものである。


日本には、武士がいなくなったと、そんな揶揄が聞こえていたころ、
日本には 無数の武士が いたことがわかった。

何度でも、振り返ろう。
現代の もののふの存在と、自らが どう生きねばならないかを。

これは昨年 3月にあったことである。






君達は自衛隊在職中、

決して国民から感謝されたり、
歓迎されることなく
自衛隊を終わるかもしれない。


きっと避難とか叱咤ばかりの一生
かもしれない。


御苦労だと思う。


しかし、自衛隊が国民から
歓迎されちやほやされる事態をは、
外国から攻撃されて国家存亡の時とか、
災害派遣の時とは、
国民が困窮し
国家が混乱に
直面している時だけなのだ。


言葉を換えれえば、
君達が日蔭者である時のほうが、
国民や日本は幸せなのだ。


どうか、耐えてもらいたい。


                     吉田  茂





youtube コメントより

連日の遺体捜索等の任務により心身不調に陥り 止む無く退職された方々もいらっしゃると聞きます。
国民の為に尽くされたのに何と申し上げていいか言葉も見つかりま­せんが
人々の命を救い 行方不明者を必死で捜索されたご自身を
どうか誇りに思っていただきたいと思います。
Supernanana3 9 か月前


自衛隊ありがとう。誇りに思います。
この、動画をみて、人を助けるということはすごくすごく大切だと­いうことが、わかりました。
まだ中学生ですが、本当に自衛隊は素­晴らしいと思います!!!!
他の人を救うために亡くなった人達は本当に自分の中でも、英雄で­す。本当に、、、
吉田茂さんが言っていたように、どうか耐えてください。
これからも日本の安全をよろしくおねがいします。


当方の知り合いで、震災直後から志願し陸前高田に入り捜索活動に­従事した警視庁警察官から話しを伺ったのですが、それは目を覆い­たくなる様な凄惨極まりない現状だったそうです。ガレキに埋もれ­ているご遺体からの異臭が日々強くなり、ハエが大繁殖し衛生状況­もかなり悪化していったそうです。そんな中、自衛隊の捜索隊は、­必死にガレキを掻き分けてご遺体の捜索搬送に奔走していたそうで­す。そして子供のご遺体を発見した際にだけ、冷静だった自衛隊員­は顔を歪め、涙しながら、そのご遺体を自らのタイルとかで優しく­拭いていた様子も方々で見られたと教えてくれました。日頃から遺­体を見慣れている警察官とは異なり、自衛隊員達は、精神的にもか­なり過酷な任務であった事は、容易に想像できます。この震災で多­くの人々が亡くなり、まだ行方不明の方も3000人以上ですが、­しかし、大半の亡骸を遺族の元に帰してあげる事ができたのは、自­衛隊各員のご尽力の賜物です。そして避難所で笑顔を絶やさなかっ­た自衛隊各員の優しさが、被災者の心の支えとなり生きる希望と力­を与えたのです。自衛隊は、わが日本国の誇りです。これからも頑­張ってください。
eizi1218 4 か月前





日本人が、ほかの国の人と ちがっている
ところがあるとしたら・・・
こうした精神が 脈々と DNAに刻みこまれていることだろうか



人間は 模範に向かって生きる
日本には、こんなにたくさんの模範がある

success





転載元転載元: successのブログ

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亡国の憲法



戦後の占領政策は、日本の国家と社会、また日本人の精神に強い歪みをもたらしました。
米国製の占領の為の日本国憲法です。それは、日本が再び米国の脅威とならないようにするために、米国が与えた法的な拘束であって現行憲法は、制定後60年以上にも及ぶ長期間、日本の政治、行政、防衛、教育等の法的枠組みとして存続してきたことによって、多くの歪を露呈しています。
しかし、多くの国民はこれには気づいてはいません。
日本のお国柄を護っていくことこそ、国も根幹を為すものであるのに対し、現在政権を担っている民主党は、亡国憲法が生みだした産物です。
「贖罪と自責」を基にした、「甘えと卑屈」「わがままと無責任」「自立心と団結心の欠如」が顕著の現れている集団です。
東日本大震災後の亡国の危機を生み出しています。
 
現在の憲法は、米国製の翻訳憲法であり、占領基本法 であり、半植民地憲法という性格を持ち合わせています。
同じ敗戦国でも、条件付き降伏の日本と異なり、文字どおり無条件降伏をしたドイツに対してさえ、戦勝国は憲法を押し付けなどしませんでしたし、外国製の憲法草案を翻訳させる発想などないどころか、ドイツの宗教に口を出すことも、ドイツの一般の軍人が戦争責任を問われることもありませんでした。この違いには、白人の有色人種に対する人種差別意識が存在することを見逃してはなりません。
日本国憲法草案は、GHQ内での検討が1週間足らず、しかもここでほとんどが決まり、1ヶ月間強で日本側の翻訳作業が終えられ、3ヶ月半という異例の短期間で審議は打ち切られて、国会決議が行われ、10月7日、可決となりました。
ドイツ国民は自らの意志で基本法を作る「自由意思」を認められました。しかし、マッカーサーは「日本国民の自由意思」を無視して、日本国憲法を押し付けたのです。
しかも、国民は、憲法制定がGHQの手で進められていることさえ全く知らされていませんでした。改定は、徹底した言論統制と検閲体制の下で行われたからです。
占領軍による日本国憲法の制定は、ハーグ陸戦規則に違反します。ハーグ陸戦規則(1907年)では、条約付属書第43条に「国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、占領者は絶対的の支障なき限、占領地の現行法律を遵守して、成るべく公共の秩序及生活を回復確保する為施し得べき一切の手段を尽くすべし」としています。日本を占領した連合軍は、当時の日本の基本法である帝国憲法の改変を強行しました。これは、明確にハーグ陸戦規則に違反します。
また、憲法改定は、日本が受諾したポツダム宣言の、「日本国の統治形態は国民の自由意思により決定される」という条項に違反するものでした。
復讐心と野心に燃える、思い上がった外国人軍人の独断によって、日本という国の運命が変えられたのです。
憲法の前文からして如何わしい文字の羅列です。
また米国の植民地であった、フィリピンの植民地支配の憲法をお手本としました。そこには戦争放棄の条項があり、自衛の戦争さえ禁止しているのです。アメリカはフィリピンで、原住民が力をつけて主人の米国に絶対に刃向かうことのないようにしたのです。
  この植民地憲法をほとんどそのままコピーしたのが日本国憲法草案(マッカーサー草案)です。第1条の天皇の項を除けば、ほとんどそっくりなのです。当初第9条の原案では自衛権も認めず、主人の米国には絶対反旗を翻してはならないという内容で、戦争放棄も戦力不保持も、日本国憲法のオリジナルでもなんでもありません。フィリピン憲法を真似たマッカーサーの押し付けだったのです。お粗末なものです。
今日の日本でも、多くの人たちはこの憲法の成立の問題点を考えず、世界唯一の理想憲法だと、素朴に思っているようです。それは無意識に植え付けられた植民地根性、奴隷意識というものでしょう。また、この憲法を守ることが、平和と人権を守ることだと真剣に、いやむしろ命懸けで考えている人も少なくありません。しかし、その背後には、日本を共産主義化するため、国を売る為にこの憲法を利用してきた勢力がおり、さらにその背後には旧ソ連・中国・北朝鮮の共産主義諸国の対日戦略が存在しているのです。
第9条をもって、「世界に冠たる唯一の平和条項」だという人たちがいます。これは麗しい誤解です、ウソです。
こうした条項は、日本だけではなく、多数の国々の憲法に見られます。イタリアやフランスの憲法も、ドイツも基本法がそうです。
憲法というものは、国民のためのものであって、国民のために不都合な点があれば、改めていくのは当然です。憲法のための国民になってしまっています。連合軍に占領された6年8ヶ月の間、行政、立法、家族制度、報道、教育、学術等、すべての分野で徹底的な弾圧・改変を受けた結果、マッカーサーから押し付けられた憲法を変えようとしません。言論統制と検閲は終わったにもかかわらず・・・・
連合国の極東委員会は、昭和21年11月に憲法が公布された後、2年以内に再検討すべしと決めました。マッカーサーも、日本国憲法の押付けは理不尽であることを十分理解していました。そこで、彼は委員会の決定を受けて、憲法施行後1〜2年の間に改正が必要であるなら、国民の判断に委ねるべきことを、吉田茂首相に伝えましたが、変えようとしませんでした。
昭和26年マッカーサーは、年頭挨拶で、日本国民に対し再軍備と改憲を示唆しました。この年の国会では、保守も革新も連合国の占領政策を批判しました。国会で国民の代表者たちが、堂々と東京裁判の矛盾を追求したのです。そして、超党派的に、当時戦犯として不当に拘留されていた人々の解放を求めました。しかし、国論は主に憲法第9条をめぐって二分しましたが、以降半世紀を超える今日まで、改憲か護憲かという議論が続いています。
現行憲法を肯定・支持する人々の多くは、戦後日本が60年以上、戦争を起こさず、戦争に巻き込まれず、平和と繁栄を享受して来られたのは、「平和憲法」のおかげだ、と考えています。しかし、これは愚かな誤った思い込みにすぎず、憲法に平和を誓う言葉が書かれていれば、平和が実現するというものではありません。
紛争のあった国々に平和憲法があれば、紛争は起きなかったでしょうか?
憲法とは関係なしに、紛争はおこりえます。




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亡国の政党



憲法の中身の問題点は、投稿文字数に制限があるので、またの機会に詳しく述べたいと思いますが、護憲派は、米国製憲法を理想化して固守し、改憲を阻止しようとします。しかしその実態は、ソ連型の社会・共産主義を目指し、ソ連から資金を受けているのですから、これまた矛盾に満ちています。そして、彼らは反米・反安保でありながら、東京裁判史観を国民に浸透させていくという役割を演じ続けました。この東京裁判史観とは、米国の太平洋戦争史観に、ソ連の唯物史観=コミンテルン史観、中国の抗日民族解放史観のアマルガムであり、護憲派の主流は、ソ連・中国・北朝鮮の「革命の利益」「階級の利益」を「自国の国益」に優先し、日本人でありながら反日的な運動を行っています。
その政党こそが、政府民主党なのです。
改憲か、護憲かの60年の歳月は、日本人の資質さえも退化させてしまいました。そこに、日本弱体化政策の結果を見ることができます。
主権を侵害されながら何も反論できない政府、仮免許運転と言った総理、国民が聞く耳を持たなくなったと言った総理、まさに、亡国の政権です。
「贖罪」「自責」「甘え」「卑屈」「わがまま」「無責任」 「自立心と団結心の喪失」が、戦後日本人の性格的特徴であり、それらを生みだした淵源が亡国憲法なのです。





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亡国の内閣


この内閣は、日本国民を置き去りにし、ただ破綻寸前の韓国国民の為に国債を買い、シナにも媚びを売り、日本国民には増税を強いる亡国の内閣です。






 
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                            奉安殿
 
 
前回、ご紹介させて頂きました『祖父母たちの大東亜戦争』(科野文洋著)は祖母について書かせて頂きました。今回でこの著書の紹介は最後として、著者の祖父のことを書いておかなければならないと思ったのです。
なぜか。
ここに日本人の魂があり、戦後教育では学べない尊い精神があるからです。
著者はこの本で自身の祖父母を紹介した後、日本人が必死で生きた日本の歴史を書き始めているのです。・・・
 
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「がんばれ、相手の奴等に負けるな、やっつけろ」
日本の村の男の子は、声を張り上げて跳び回っていた。
昭和の初め、村の男の子供の遊びは棒切れを振り回しての戦争ごっこであり、集団で隣村の子供たちと戦うのであった。
その子供たちの中で、洗濯をほとんどせず、食べかすや鼻水でガスガスした着物を着、一番上の兄の太った赤ん坊を背負って走り回っている子供は私の祖父であった。
 
祖父は大正九年に七番目の男の子として生まれた。八人兄弟全て男である。
私の祖父は非常に頑健である。そういえば私がまだ小学校の頃、妹を背にして馬となり暴れまわった。茶の間のそこら中暴れ回って、疲れたと言って休んだ時、「元気をつける」と言って、いきなり冷蔵庫から生卵を出して小皿に割り、一気に飲み込んで「これで元気になった」と言ってまた馬になり妹を乗せて暴れ回っていた。まるで生卵が栄養ドリンクのようであった。
 
今でも農業を続け、二十代半ばの私もやっとついていけるくらい、よく働く。しかし、医学的には昔マラリアを患ったせいか肺が悪く、生きていることさえ知り合いの医者は不思議に思っているのである。
また、この前心臓の大手術をしたが、退院して一週間後にはもう、三脚という三本足の農業用梯子に乗って働いているのである。当時祖父は八十二歳であった。また手術をした原因は心臓の神経が切れたためであるらしく、手術前は脈拍一分間に三十五で一カ月医者にも行かず、苦しそうに顔をしかめながらも農作業をしているのであった。一カ月経つと、どうにもこうにも苦しく我慢できなくなって自動車を運転して自分で病院に行き、緊急入院となり手術となったのである。実に頑健としか言いようがない。
 
その祖父は、日本の陸軍兵として支那大陸、ベトナム(仏領印度支那)、タイ(シャム)に出兵し、捕虜となった時期を含めて戦地に六年居た経験を持つ。
「戦地に六年」とは、私が物事に挫けそうになった時よく祖父が私を励ますために使う言葉である。
食うや食わず生きるか死ぬかの戦地に居た祖父の苦労に比べれば、平和で豊かな現代に生きる私の苦労などは小さなものなのであった。
 
祖父の子供の時もまた貧しかった。学校へ持っていく弁当は、漬物と御飯で肉や魚は正月か祝日に口に出来る程度であった。ある日、小学校の祖父が弁当を開けると黄色い卵焼きが入っている。「やった」と思って喜んで頬張ると実は奈良漬けであってがっかりしたという話をよく聞いた。
祖父の通う小学校でも同じように祝日には君が代を皆で歌い、校長が教育勅語を読み上げていた。
紀元節(二月二十一日)ともなれば兄のお下がりの袴をはいて式に出席した。
 
私の家の近くの神社に小さな建物がある。その白い建物は常に扉が閉まっている。子供の頃から、私はこの建物が何であるか、不思議に思っていた。神様を祭るならば常に格子から中が見えるはずであるが見えない。しかも神社の境内の不自然な所にある。しかし、厳かに祀られている。
実は、この建物は奉安殿という。戦前の小学校には奉安殿と忠魂碑が置かれていた。奉安殿の中には天皇陛下の御写真が飾られ、教育勅語が大切に収められている。忠魂碑には、その小学校の地区出身の戦死した方の名前が彫られている。戦前の児童はこの二つの前を通る度に、深く頭を下げるのであった。奉安殿に対しては、天皇陛下と、己を正しい道へ導く教育勅語への敬意を込め、忠魂碑に対しては、日本と日本人の為に命を犠牲にした方に敬意を込めて頭を下げるのであった。
 
この奉安殿は戦後、勝った連合軍の罪を全て日本人のせいにして、日本を骨抜きにする政策に出たアメリカの方針により取り壊されることになったのである。祖父の通った小学校もその例外ではなかった。しかし、取り壊すことに忍びない村人たちにより、現在の神社に移されたのである。この奉安殿に対して、どれほどの児童が心を込めて頭を下げただろうか。改めてこの奉安殿を眺めて、壊されなくてよかったと思うのである。
 
さて、祖父は高校を卒業すると、田舎から遠い神奈川県横須賀の海軍軍需工場に事務職として採用されることとなり勤め始めた。勤務して一年ほど経つと急な電報が実家から届いた。「帰宅すべし」と電報にある。何であろうと思い、兎に角、荷造りをして帰ることにした。汽車に乗り帰る途中、もうすぐ目的の駅という所で親戚のおじさんが汽車に乗ってきた。そのおじさんに急に帰れと言われた理由を尋ねたところ、「馬鹿、お前は△△の家にもらわれるんだ」と言われ、初めて自分が養子になることを知ったのであった。
その祖父が二十歳の時養子として入った家が現在の我が家であった。
私の曾祖父母は子供がなく、祖父はこの家に養子として迎えられ、農業を営むこととなったのである。
しかし、養子として迎えられたのも束の間、祖父はその年の暮れ、大日本帝国陸軍兵として戦地へ向かうことになったのであった。
 
祖父が二十歳の五月、村中の二十歳の男子が徴兵検査を受け、みごと甲種合格となった。検査結果は上から甲種、乙種、丙種であり、一番良い甲種は四十人中六人くらいしかいない。甲種合格となった者は直ちに兵隊として戦地に赴くこととなる名誉なことであった。
そしてその年、昭和十五年の十二月、祖父は出兵することとなった。
 
村の神社で祖父及び他の二人の出兵の壮行会が盛大に行われた。村長が励ましに言葉を述べ、祖父が三人を代表して答礼の辞を述べ三人は出発する。神社から一番近くの駅まで約一里(四キロ)ある。それは今でも変わらない。三人はその駅まで徒歩で向かう。そして村の元気な者は皆、この三人を囲んで駅まで共に歩いた。歩きながら、様々なことを話す。父と幼い時の話、母との思い出、友人との思い出、残された家族のことなど話すことは沢山あった。いくら名誉あることといっても戦場へ向かうのである。生きて帰ることが出来る保証はない。
やがて、駅に着き、汽車が来た。汽車に乗ると、他の地方から乗ってきた出兵の若者で車内は込み合っていた。祖父の戦友となる人たちである。
 
やがて、汽車は出発する。祖父たちは窓から乗り出して手を振り、見送りの父母兄弟友人親戚はちぎれんばかりに手を振った。今生の別れかもしれない、そう思う母たちは涙をこらえるのに精一杯であっただろう。そして駅に万歳の声は木霊(こだま)するのである。
 
しかし、戦場へ我が子を送り出す父母の心はいかほどであったであろうか。しかし、その悲しみに堪えなければならない時があるのである。国が危機に直面していた当時、国は若者の力を必要としていたのであった。そして、私の祖父たち、当時の日本の若者の背中には、日本の子供たちの笑顔、平和の内に暮らす日本の老人、そして我等戦後日本人の運命が乗っていたのである。
それを知っていればこそ、若者は勇気を出して命を犠牲にし、守られた日本の児童はその犠牲に感謝し小学校の忠魂碑に深々と頭を下げるのであった。
 
そして私は、ある感動を抑えられないのである。玉子焼きと奈良漬けを間違え、ガスガスのボロ着物を着、一番上の兄の子を背負いながら遊んだ、貧しい祖父たち日本人が国の為に命をかけて、裕福な欧米人と戦い、当時世界中を覆っていた理不尽なる秩序を打ち破ったのである。
実に尊いことではないか。欧米人は恥であるから、その事実から目をそらすが、これは事実であり歴史なのである。
我等日本人はこの事実を正しく理解せねばならない。祖父たちが命をかけて戦った戦争は一体、何であったのか、そして、日本人の精神は正しかったのか。
歴史は厳然と事実を語っているのである。
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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