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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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かつて日本には「陸軍記念日」と「海軍記念日」がありました。
日露戦争の奉天大会戦の勝利の310日を陸軍記念日とし、
日本海海戦の大勝利の527日を海軍記念日と制定したのです。
乃木も東郷も大山ありしも、明治の日本人の高貴なる精神は明治大帝あってのものでありましょう。
 
白人たちはアジアに植民地を求めて進出してきた時、日本も欧米列強に征服支配される恐れがありました。260年に渡る徳川幕藩体制は対外的な対応力を失い、国中が開国か鎖国か、朝廷か幕府かで激動していました。こうした中で尊皇攘夷の中心となっていた父・孝明天皇が崩御し、慶応3年1月、明治天皇は16歳で皇位をお継ぎになられました。
 
慶応3年10月、徳川慶喜は大政奉還を行い政権が700年ぶりに朝廷に返されました。これを受けて明治天皇は同年12月に王政復古の大号令を発します。翌年の明治元年3月、明治天皇は「五箇条の御誓文」をもって施政の大方針を示しました。東京遷都、版籍奉還、廃藩置県、5年学制頒布、鉄道の開通、太陽暦の採用など行いました。
明治22年、明治天皇は大日本帝国憲法を発布、翌23年には帝国議会を開設し、また教育勅語を下賜されました。
 
こうしてわが国は明治天皇の下、わずか半世紀の間にアジアで初めての近代化に成功し、文明開化、富国強兵、殖産興業、教育の普及、文化の向上など欧米に並ぶ近代国家として躍進していきました。
 
明治天皇は6度に渡って地方御巡幸をします。まだ交通手段が発達していない時代ですから馬車や船による旅行は身体的に大きなご負担だったことでしょう。しかし明治天皇は自分の目で国内各地の様子を見、また国民に接し、直接世情を知りたいという強い希望を持っておられたのです。御巡幸は2ヶ月の長期に及ぶこともありました。今日も各地に明治天皇が御巡幸された記念碑が建てられています。
 
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明治時代の最大の危機は日清・日露戦争でした。これらは日本の国運を賭けた戦いです。
明治天皇はその間、常に国民の先頭に立ち国利民福のためひたすらご尽力されました。
そして出征兵士と苦労を共にするというお考えから、炎暑の最中でも冬の軍服を着用されておりました。
 
とりわけ日露戦争の際は天皇は非常な心労を続け、それがもとで健康を害し、明治45年7月30日、多くの国民の号泣の中、61歳で崩御されました。
大正元年9月13日東京青山において御大葬が行われ、翌14日京都南郊の伏見桃山陵にお鎮まりになりました。
 
明治天皇の日常生活は質素を旨とし、自己を律すること厳しく、その御代はひたすらに公のために尽くし、私を省みないご生涯でありました。国民の安寧と国民との結びつきの御心は皇室の伝統として代々伝えられてきた不変のものです。幕末から明治の時代は欧米列強から日本を守るため、急速に変革を成し遂げなければならなかった時代の変革に成功したのは明治天皇を中心に国民が君民一体となって懸命の努力をした結果でありました。
 
明治大帝が生涯に詠んだ御製の数は9万3千余首といわれています。
ここにそのひとつを記して、その伝統が今も受け継がれていることに我が国の素晴らしさ、ありがたさを感じいるものであります。
 
照につけ くもるにつけて おもふかな わが民草の うえはいかにと
(照れにつけ、曇るにつけて思うのは、わが国民の暮らしはどうであろうかということである)
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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『ルーズベルトニ与フル書』
 
 
 
 
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市丸 利之助海軍少将
 
 
 
市丸 利之助(いちまる りのすけ)帝国海軍少将。
多くの文献、ブログ等で紹介されていますので、経歴、軍歴はここでは割愛させていただきます。
硫黄島の戦いは、大東亜戦争後期の上陸戦でのアメリカ軍攻略部隊の損害(戦死・戦傷者数等の合計)実数が日本軍を上回った稀有な戦いであり、また、硫黄島上陸後わずか3日間にて対ドイツ戦(西部戦線)における史上最大の上陸作戦・ノルマンディー上陸作戦における戦死傷者数を上回るなど、沖縄戦とともに大東亜戦争屈指の最激戦地でした。
栗林中将以下、市丸利之助海軍少将含め残存した数百名の兵士が、最後に、米軍に突撃して玉砕されました。そのときに市丸少将は、以下の内容の文章を英訳させたものを懐中に入れて突撃し、アメリカ軍が将校の遺体を検査することを見越して戦死されたのです。
『ルーズベルトニ与フル書』は目論見どおりアメリカ軍の手に渡り、7月11日、アメリカで新聞に掲載されました。それは日米戦争の責任の一端をアメリカにあるとし、ファシズムの打倒を掲げる連合国の大義名分の矛盾を突くものでした。
 
投稿文字数の関係から現代語訳を記載します。
 
 
『ルーズベルトに与ふる書』

日本海軍市丸海軍少将がフランクリン・ルーズベルト殿に、この手紙を送ります。
この戦いが終わるに当たって、私はあなたに一言を告げることがあります。
ペリー提督の下田入港を機として、日本が世界と国交を結ぶようになって百余年が間、日本の歩みというものは至極難儀を極め、自らが望んでいるわけでもなく日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、支那事変と経験し、不幸なことに貴国と交戦するにまで至りました。
これについてあなたがたは日本の戦争に対し、或いは好戦的で残虐な国民であると、或いは黄色人種の跋扈だとか、或いは軍閥の専断によると言われますが、これはとんでもなく的外れであります。
あなたがたは真珠湾の不意打ちを唯一つの対日戦争に対する宣伝資料としているようですが、日本が自滅から逃れるため、このような戦争を始めるところまで追い詰めらた事情は、あなたがたが最もよく存じているところではないでしょうか。
畏れ多くも日本天皇は、皇祖皇宗建国の大みことのりに明らかであるように、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国家統治計画に基づいて、地球上のあらゆる人々はその自らの分に従って『その生まれた土地においてその生を享受する』このような恒久的世界平和の確立を唯一の念願とされているに他なりません。
このことはかつて、
「四方の海 皆はらからと 思ふ世に など波風の 立ちさわぐらむ」
という明治天皇の御製に言われていることと同じであります。
これを聞き、あなたの叔父であるセオドア・ルーズベルト閣下が感嘆したことをあななたも良く知っていることでしょう。
我々日本人にはいろいろな階級の人がおりますが、つまるところ彼らは色々な職業につきながら、この天業を助けるために生きているのです。
我々軍人もまた、戦争という生業でこの天業を広く推し進める助けをさせて頂いております。
今の我々は、あなた方の物量を誇る航空戦力や艦砲射撃に対して圧されている状況にありますが、 精神的には充実しており、士気はますます高揚し、歓喜に溢れているのです。これが天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理でありますが、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。
あなた方の精神的な弱さを悲しく思い、一言書かせていただきます。
あなた方の立ち振る舞いをみると、白人とくにアングロサクソンによって世界の利益を独り占めにしようとし、その野望の為に有色人種を奴隷としてきたではありませんか。
好計を弄して有色人種を騙すといういわゆる悪意のもとの「善政」によって彼らから考える力を奪い、無力にしてきたのです。
近世になって日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種とくに東洋民族としてあなた方の束縛から解放を試みましたが、 あなた方は日本の真意を少しも理解しようとはせず、ひたすら有害な存在であるとして、かつては友邦であったはずの日本人を野蛮人として、公然と日本人種の絶滅を口々にするようになったのです。
どうして神意に背くのでしょうか。
大東亜戦争により、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれ各地の民族が善政を行い、 そしてあなた方がこれを破壊しなければ、全世界が恒久的平和を実現するのも決して遠くはないのです。
あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているのにも満足せず、数百年来あなた方の搾取から逃れようとする哀れな人類の希望の芽を、どうして若葉のときに摘み取ってしまうのですか。
ただ単純に東洋のものを東洋に返すということに過ぎないのです。 あなた方白人はどうしてそうも貪欲で狭量なのでしょうか。
大東亜共栄圏はあなた方の存在を少しも否定しません。
むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するということに日本天皇の神意があるということを理解できる雅量をあなた方に望んでいるのです。
ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解が原因で人々が闘争することがいかに悲惨であるか、痛嘆せざるを得ません。
今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、彼が第二次世界大戦を引き起こした原因は、一次大戦終結のとき、その開戦の責任一切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後処置に対する反動であることを看過できません。
あなた方がいかに善戦してヒトラー総統を倒したとしても、どうやってスターリンを首領とするソビエトと協調するつもりでしょうか。
おおよそ世界が強者の独占するものであるならば、永久に闘争を繰り返し、遂に世界人類に安寧幸福の日は来ることはないでしょう。
あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしております。あなた方も得意になっているのでしょう。
しかしながら、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に失脚したのです。
願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないように。
 
 
市丸海軍少将
 
栗林中将の最後の電文、太田実中将の沖縄戦最後の電文に続き、この市丸少将の手紙・・・
何と立派な先人でありましょうか・・・
硫黄島の戦いの時点で後の東西冷戦までも予見されている・・。
大日本帝国軍人の一人一人が国家を背負い、しっかりとした考えの下に、世界平和に向けた理想を持って戦い、立派に役目を果たそうとされていたことがこの手紙からも窺われます。多くの日本の軍人たちがそうであったことを、後世の我々はもっと知り、その叡智と誇りを受け継ぎ、世界平和に貢献する使命も真剣に受け継ぐべきと、つくづく思います。
 
我々日本人は靖国神社に祀られる護国の神々の犠牲の上に、今の繁栄があることを忘れてはならない。
多くの英霊の遺書には「後を頼む」と綴られています。
果たして後世の我々は後事を託された「護国の神々」に応えているでしょうか?
 
 
大日本帝国陸軍航空特別攻撃隊要員教官であり、日本文化チャンネル桜の相談役であられた故・田形竹尾氏は著書『日本への遺書』のなかで、陸海軍航空特攻四六一五名の「特攻隊員」が、「後を頼む」と言って、自分大切な生命にかえて日本人と人類に訴えたものとは、次ものであると言われています。

祖国日本が美しい国であって欲しい

世界から尊敬される立派な国であってもらいたい

日本が戦争を放棄しても自衛心がなければ戦争は日本を放棄しない。

人類が戦争を滅ぼさねば戦争が人類を滅ぼすであろう・・・
 
 
平和ボケした、現世の日本人には英霊の崇高な精神は理解できません。
ある講演会で「なぜ、特攻隊員たちは出撃したのか?」との質疑があったそうです。
 
この問いに、故・田形竹尾氏は、即座に強い口調で断言されたそうです。
 
「皆さんを信じていたからです。後に続く皆さんを信じていたからです」と・・・・・
 
日清・日露戦争で英霊となられた先人に大東亜戦争の英霊は続かれた。
 
先人は仰せでありましょう・・「国を護れ」と・・・
 
 
 
 
 
 
 
市丸中将の故郷である唐津。市丸中将に関する記事のリンクです。
http://www.yoyokaku.com/sub7-17.htm
ここのHPに、この市丸少将の刀にまつわる奇跡の話が紹介されています。
http://www.yoyokaku.com/sub7e-17j.htm
この記事を書かれた後、4つ目の奇跡が起きたそうです。
http://www.yoyokaku.com/sub7-18.htm

皇室の一週間

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ベルギーのフィリップ皇太子殿下、妃殿下を出迎えあそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=12日、宮城・御所で
 
 
 
 
 
 
 
 
 
謹んでお伝えいたします。
 
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては11日午前東京都港区芝浦にある幼稚園と保育園の両機能を持ち福祉会館を併設する施設「区立芝浦アイランドこども園・児童高齢者交流プラザ」をご視察あそばされました。

 
畏くも両陛下は2歳児のクラスで、絵を描いたり、ままごとをする子供たちに「何を作っているの?」などとお言葉を賜わり、ご叡慮を賜わりました。
その後、両陛下におかせられましては、3階の交流プラザで利用者の子供と高齢者の合同誕生会に立ち会われました。
 
 
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芝浦アイランドこども園におでましになられ、併設の児童高齢者交流プラザで園児らと交流あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=11日午前、東京都港区
 
 
午後には、離任する駐日ポーランド大使、夫をご引見、その後、放射線の健康への影響、除染、リスク管理について米倉義晴・放射線医学総合研究所理事長、田中俊一・原子力委員会前委員長代理、唐木英明・倉敷芸術科学大学長から説明お受けあそばされました。
 
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては12日午前宮城・御所におかれまして、海岸防災林の津波に対する効果、被害状況および今後の再生の方向について、太田猛彦東京大名誉教授、坂本知己・森林総合研究所気象環境研究領域気象害・防災林研究室長から説明お受けにあそばされた。
その後、国際科学技術財団会長・理事長とご昼餐。
午後には、蓮池参集所におかれまして、勤労奉仕団にご会釈を賜わりました。
その後、皇太子殿下のタイ、カンボジア、ラオスご訪問首席随員が拝謁、ご執務、東京都港区・寛仁親王邸におかれまして、薨去あそばされた寛仁親王殿下の正寝移柩の儀後のご拝礼、夜には、御所におかれまして、ベルギーのフィリップ皇太子殿下、妃殿下とご夕餐されました。
 
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては13日午前、宮城・御所におかれまして、離任する駐日インド大使夫妻をご引見、その後陛下におかせられましては、陛下のご不例により延期になっていた最高裁長官はじめ最高裁判事、高裁長官らとの午餐をなされました。
午後には前日に続き、蓮池参集所におかれまして、勤労奉仕団にご会釈を賜わりました。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、東京都港区・寛仁親王邸におかれまして、薨去あそばされた寛仁親王殿下の霊代安置の儀に先立ちご拝礼をなされました。
 
 
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弔問に訪れあそばされた赤坂御用地内にある寛仁親王邸を出発される天皇、皇后両陛下 御尊影 =13日午後
 
 
御所へお戻りあそばされた両陛下におかせられましては、国際協力機構(JICA)の新旧理事長とお茶をなされました。
 
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては14日午前、企業訪問およびご養蚕(御給桑行事)のご予定を延期あそばされ、寛仁親王殿下のご霊車が豊島岡墓地に向かわれる間および斂葬の儀の間、お慎みあそばされました。
宮内庁職員に対しても、都合がつく職員は霊車を見送るよう意向を示され、宮城・大手門付近では、職員やOBら500人以上が集まり、寛仁親王殿下を見送りました。
勅使などを務めた侍従長らが戻ると、両陛下はまっておられた様子で、勅使・皇后宮使からの復命報告を受けられました。
午後には御所におかれまして、宮内庁の退職部課長とご昼餐、その後陛下におかせられましては、宮城・宮殿におかれまして、「高等裁判所長官、地方裁判所長および家庭裁判所長会同」に出席する地裁所長、家裁所長が拝謁を賜わりました。
 
 
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国際幹細胞学会10周年記念セレモニー後のレセプションで乾杯あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=15日午後、横浜市西区のパシフィコ横浜
 
 
皇后陛下におかせられましては15日午前、宮城・紅葉山御養蚕所におかれまして、ご養蚕、給桑行事1回目をなさりあそばされた。
午後、畏くも天皇陛下におかせられましては、宮城・御所におかれまして、ご執務、その後、両陛下におかせられましては、横浜市・パシフィコ横浜におかれまして、国際幹細胞学会10周年記念セレモニーおよびレセプションにご親覧あそばされた。
iPS細胞を開発した京都大学の山中伸弥教授の案内を受けられ、ES細胞の研究者ら各国の学会関係者と和やかに過ごしあそばされた。
 
 
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三笠宮家(昭和41年当時)
 
 
 
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寛仁親王殿下 御真影
 
 
 
 
 
 
 
6日に66歳で薨去あそばされた寛仁(ともひと)親王殿下の本葬に当たる「斂葬(れんそう)の儀」が14日、東京都文京区の豊島岡(としまがおか)墓地でしめやかに営まれた。斂葬の儀は「葬場の儀」と、火葬後のご遺骨を埋葬する「墓所の儀」で構成されます。
寛仁親王殿下の墓所は、弟の故高円宮殿下の斜め前の敷地に設けられた。午後4時過ぎには、黒白の幕で囲われた寛仁さまの墓所で、「墓所の儀」が執り行われた。盛り土と「大勲位寛仁親王墓」と記された墓標の前に立った彬子女王殿下が玉ぐしをささげた後、葬送の言葉を述べられた。三笠宮殿下、同妃殿下をはじめとする皇族方が拝礼され、宮内庁幹部らも順次、拝礼した。墓所の儀は午後5時半ごろに終了しました。
今週は斂葬の儀以外にも、12日の「正寝移柩の儀」、13日の「墓所祓所の儀」などが行われた。斂葬の儀翌日の15日にも「斂葬後一日墓所祭・墓所十日祭の儀」が豊島岡墓地で営まれ、皇族方が参列された。これらの儀式は、皇室の長い伝統を踏まえて行われているものです。
 
 
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喪主で長女の彬子女王殿下(左)と次女の瑶子女王殿下 御尊影=14日午前、東京都文京区の豊島岡墓地
 
 
 
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寛仁親王殿下の本葬「斂葬の儀」で、拝礼に向かう麻生元首相夫妻=14日午前10時39分、東京都文京区の豊島岡墓地
 
 
 
各宮家は寛仁親王殿下の薨去にともなう各儀式に出席するため、寛仁親王邸や豊島岡墓地に赴かれたほか、さまざまな活動をなされた。
 
 
寛仁親王殿下が薨去された6日から5日間、服喪期間となっていた秋篠宮殿下、同妃殿下は、9、10日に予定していた京都府での「第60回全国ろうあ者大会」への出席を取りやめられた。
 秋篠宮殿下、同妃殿下は11日、日本と外交関係を樹立して50周年となるアフリカ東部ウガンダを訪問するため、成田空港から出発あそばされた。皇族のウガンダ訪問は初めてです。
 共同通信によると、秋篠宮殿下、同妃殿下におかせられましては13日、エイズで親を亡くした遺児たちを支援する日本の非政府組織(NGO)「あしながウガンダ」の首都カンパラの施設をご視察。同日夜には大統領官邸でムセベニ大統領を表敬し、晩さん会で秋篠宮殿下は「50周年を機に、両国の相互理解と友好関係がいっそう深まることを希望します」とお言葉を英語で賜わりました。両殿下は晩餐会に先立ち、大統領夫妻と会談し、プレゼントを交換あそばされた。
 
 
 
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NGO「あしながウガンダ」の施設を視察あそばされ、子供たちの伝統舞踊を楽しまれる秋篠宮殿下、同妃殿下 御尊影=13日、ウガンダ・カンパラ
 
 
 
 
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NGO「あしながウガンダ」を訪れ、子供たちに話し掛けられる秋篠宮両殿下 御尊影=13日、ウガンダ・カンパラ
 
 
 
 
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NGO「あしながウガンダ」を訪れあそばされ、授業を見学される秋篠宮両殿下 御尊影=13日、ウガンダ・カンパラ
 
 
 
常陸宮両殿下と高円宮妃殿下は11日、秋篠宮邸で、ウガンダに出発される秋篠宮両殿下の見送りをされた。
 常陸宮両殿下におかせられましては12日、ベルギー大使館の大使夫妻が主催するレセプションにおでましあそばされた。
 常陸宮殿下は13日、両陛下と最高裁判所長官、最高裁判所判事、高等裁判所長官らとの午餐に陪席あそばされた。
 
 
 
 
寛仁親王殿下薨去の哀しみも癒えぬ間もなく、ご公務なさりあそばされる皇室・・
天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかであられるよう祈念いたします。

君が代が千代に八千代に続くことを願ってやみません。


尊 彌榮 彌榮 彌榮

日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・


天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
 

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