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教育勅語
拙稿、日本の家族の危機では崩壊した家族制度について述べさせていただきました。 日本人はもともとの家族の美点を取り戻すことができるでしょうか?伝統の中にあった良い点を、危機にある今日の日本の家族に活かすことはできるでしょうか?戦前にあって、戦後にないものは多岐に渡りますが、教育においては、最も大切なものが、教育勅語です。教育勅語は、明治大帝が明治23年に賜った勅語です。それは教育の目的、日本人としての在り方を示されたものですが、同時に人としての生き方を説かれているのです。そこに、伝統的な日本人の生き方・価値観が結晶している。教育勅語は、まさに忘れられた心の道標です。
平成24年は明治大帝ご生誕より160年、崩御されて100年という大切な節目の年にあたります。
近代日本の目覚しい発展が、明治大帝の御聖徳によるところに大きいことは、多くの日本人が知るところであります。
とりわけ明治大帝が国民の「徳育」に関する御叡慮を「教育勅語」によって示され、しかも陛下自ら「朕(ちん)爾(なんじ)臣民ト倶(とも)ニ拳々服膺(けんけんふくよう)シテ、咸(みな)其ノ徳ヲ一(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ」と仰せられた意義は極めて大きいのです。
「教育勅語」は、こころない人々が言う、国粋主義でも排他主義でもありません。日本の國體(お国柄)に根ざしながら、尚且つ、世界に通用する価値観が込められています。
「教育勅語」は、
日本の国体と国体精神の明示(欧化主義一辺倒の是正)
教育の大目標の明示(教育大本の確立)
国民の勤勉性と遵法精神の育成(資本主義・自由主義国家の国民精神基盤の育成)
三つの成果をあげました。
日本の近代化は、「教育勅語」と「明治憲法」によって揺るぎない基礎が作られた両輪なのです。
明治大帝が「教育勅語」を渙発あそばされた背景は、教育熱心であられた明治大帝は、明治十九年の東京帝大御視察あそばされ、帝大教育が西洋学術(法学・理学・医学)のみを教え、全ての学問の中心となる国史・国漢学・修身が教えられていないことにひどく失望され、帝大教育の改善を望まれました。渡辺帝大学長は、その非に気づき、明治二一年になり、ようやく国史・地理の講座を設けました。
日本の国史・修身の必要性を認識していなかったのです。
学問とは、学問を発展させた民族の歴史・伝統を背負っています。憲法を例にとっても、英・米・仏・独それぞれの歴史・伝統、お国柄を背負っています。
自国の歴史、お国柄を知らずして外国の学術を取り入れた場合、外国の精神的奴隷となったであろう。明治大帝が帝大教育に失望された理由も、ここにありました。
小学校においても、その間の事情は、帝大と似たり寄ったりの欧化主義に陥っており、さらに、子供が学校で習った知識をひけらかし、親をバカにするといった様相を呈していたのです。
知事会議にて、東京府高崎知事は「政府の文教政策は、幼年者を奨励して虚無党を養成しているようなものだ」と政府の基本の定まらない教育政策を批判。長官会議は、徳育の必要性を表明(「徳育涵養の建議」)し、さらに、熊本県富岡知事の意見(「通常の手段では、混乱した教育の正常化は不可能なので、陛下の直接の御決定を希望する」)に従って、陛下から教育の目的を国民に明示して戴きたい旨、声明を出した。これを受け、山県有朋首相は、明治大帝御臨席の上、「人生の幼少期にこそ急いで教育しなければならぬことがある。人生を戒める言葉を編纂し、子供に与え、日夜繰り返し読んで記憶させる」と閣議決定。
明治大帝も、文相に「徳教に十分意を尽せ」とのお言葉をかけられました。
文相に勅語策定の依頼を受けた井上毅は、明治大帝の御意見を入れて、陛下が国民に明示される著作物であり、法律ではなく、あらゆる宗教色、哲学理論、政治、儒学等の漢学の影響を除去し、過ちや悪を戒めるといった消極的なものでなく、陛下に相応しいをおおらか文章で示すという方針で「教育勅語」を仕上げました。
教育勅語」の優れている点は、
①日本の国体と国体精神を明らかにした。
②教育の最終目的が、学問修得でなく国体精神継承にあることを国民・全教育関係者(政府・学校・教師)に明示した。
③自由主義・資本主義の成立発展に欠かせない「国民規範」となった。
「国民軌範」なしには「契約と私有財産」は成立せず、従って自由主義(法治)国家も存続できない。教育勅語が「国民軌範」を日本国民に明らかにしたことで、明治国家は揺るぎないものとなりました。
ご存知のとおり、幕末までの身分社会では、民百姓は先祖伝来の田畑をまもっていればよく、国家のことには武士まかせでよかったのです。
武士、商人、農民、それぞれに規範の違いがありましたが、近代社会、法治國家は成り立ちません。
国民一人一人が社会的責務と法律遵守のつとめを果たしてはじめて成立し、国民全てがより高い道徳を要求されたのです。
そして、明治23年10月30日明治天皇陛下より「教育ニ関スル勅語」が渙発されました。
明治大帝
朕(ちん)惟(おも)ふに 我が皇祖皇宗(こうそこうそう) 国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 徳を樹(た)つること深厚(しんこう)なり 我が臣民(しんみん) 克(よ)く忠に克く孝に 億兆(おくちょう)心を一(いつ)にして 世々(よよ)厥(そ)の美を濟(な)せるは 此(こ)れ我が国体(こくたい)の精華(せいか)にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)実に此(ここ)に存す 明治四十一年に菊池男爵が英国教育会に招かれて、日本の教育方針は『教育勅語』に基づくことを講演されました。 英国の著名な学者や教育者たちは、菊池男爵の講演に感激して、日本の國體(国柄)の素晴らしさと確固たる教育方針をうらやみ、英国も日本のようにありたいと羨んだのです。 このエピソードからも、明治大帝の下賜された『教育勅語』は、日本の国民の永遠の生命というべきであると考えられます。 明治大帝は、明治三十四年に誕生された皇孫迪宮裕仁親王殿下(先帝陛下)の初等教育を学習院院長 乃木希典(のぎまれすけ)大将に委ねあそばされ、乃木院長の構想を引継ぎ、新皇太子殿下の中等高等教育学校として開設されたのが、東宮御学問所であり、七年間「倫理」の御進講を担当されたのが、『人格高邁の国士』と評された杉浦重剛先生でした。 杉浦重剛先生は、現在の東京大学の前身である開成学校の理学を卒業し、東大で教えたのち、日本中学校という学校を創立して、校長として活躍し、衆議院議員にもなりました。 そして大正三年から同十年まで、東宮御学問所御用掛という、少年時代の先帝陛下を教育する役職につかれたのです。 杉浦御用掛は学問所の初年度(大正三年)後半、満十三歳であられた迪宮裕仁親王殿下に対して、「教育勅語」を十一回にわたり御進講申し上げた時の草案を残しておられます。 原書は、明治大帝が日本人の教育についてのお考えを述べられた『教育勅語』の各節を順序正しく取り上げて、具体的な例をあげながら、その意味を解説しております。 拙稿、「心の道標〜教育勅語」は、『昭和天皇の教科書 教育勅語』杉浦重剛(著)を参考に進めて参りたいと思います。 |
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2012年06月18日
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コメント(20)
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謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては18日午前、日本芸術院会館(東京都台東区)で開かれた「第68回日本芸術院授賞式」に御親覧あそばされた。
芸術の分野で大きな業績を残した人に贈られる、日本芸術院賞の受賞者は8人で、洋画家の池口史子さん(69)、評論・批評家の三浦雅士さん(65)、尺八奏者の山本邦山さん(74)の3人は恩賜賞にも輝いた。
畏くも両陛下におかせられましては、式典に先立ち、受賞者の説明を受けられ、作品をご覧になられた。陛下は池口さんの作品を見て「いつお描きになったのですか」などとご下問あそばされた。午後には受賞者を招いて宮城で茶会が催された。 皇太子殿下、ウィーン少年合唱団の公演をご覧に皇太子殿下におかせられましては17日、東京・初台の東京オペラシティコンサートホールで、ウィーン少年合唱団の公演をご覧になられました。
10歳から14歳の少年で構成される合唱団は「天使の歌声」と称されている。今回は4グループのうちの「シューベルト組」20人余りがモーツァルトの曲や、「ふるさと」「花」などの日本の曲を歌い、皇太子殿下は盛んに賞賛の拍手を送られた。
秋篠宮殿下、妃殿下、ウガンダより御帰還日本との外交関係樹立50周年に当たるウガンダを11日から公式訪問あそばされておられた秋篠宮殿下、同妃殿下におかせられましては17日午後、民間機で成田空港に到着、御帰還あそばされた。宮内庁によると、両殿下はムセベニ大統領を表敬あそばされたほか、首都、カンパラで行われた記念晩餐(ばんさん)会に臨まれた。
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かつて陸軍航空士官学校第五十八期生で昭和二十年七月一日に陸軍少尉に任官した陸軍最後の青年将校であった藤本一孝さんの著書『大東亜戦争と現在の日本』より一部抜粋させて頂きます。
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海軍兵学校のあった江田島の記念館に、昭和58年頃立ち寄った折、館長が、高校生が見学にきて東郷平八郎の書をみて「とうごうひらはちろう」は誰ですかと聞かれ、愕然としたといって嘆いていた。もって教育の現状の一端を垣間見る思いがしたのはひとり私だけではなかった。
言うまでもなく東郷平八郎は、日露戦争の日本海海戦において完勝し、日本に勝利をもたらした世界的英雄である。アジアの曙を告げたのが日露戦争の勝利である。トルコには「トーゴー通り」ができ、フィンランドには「トーゴー」という名のビールすら出来たのである。
日本人には日本人として誇りある教育をして欲しいものである。後に調べて、平成4年まで小学校の教科書から日露戦争の英雄東郷平八郎の名が消えていたことを知った。・・・・・
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学校の教育、特に歴史教科書のひどさはいたるところで指摘されてきましたが、今も間違った歴史で教育がされています。
憲法改正や教育基本法を改正すると「戦争に向けた体制づくり」と言い、「教え子を戦場に送らない」と言っては戦前を「軍国主義」として否定し、子供たちにおかしな思想教育を植え付けています。しかし、英霊たちが戦争して命をかけて戦わなければ、今頃日本は白人国家の奴隷となっていたかもしれません。
自存自衛、そしてアジア諸国の独立のために戦ったと信じたからこそ戦後もインドネシアなどに残ってアジア独立のためにともに戦っていたのであります。まさに日本人としての矜持ではありませんか。
今をのうのうと生きて反日教師をやっていられるのも先人たちのおかげなのです。
藤本さんの著書には藤原正彦著『国家の品格』のこの部分を取上げております。
「日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは一線を画す必要があります。国家の品格をひたすら守ることです。経済的斜陽が1世紀ほど続こうと、孤高を保つべきと思います。たかが経済なのです。大正末期から昭和の初めにかけて駐日フランス大使を務めた詩人のポール・クローデルは大東亜戦争の帰趨のはっきりした昭和18年に、パリでこう言いました。『日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でどうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ』、日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです」
間違った歴史ならば教えない方がましです。
日本ほど正しい歴史を教えれば誇りを持てる国はないのですから。
東郷平八郎(とうごうへいはちろう)
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