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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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伝統とは


女系天皇反対−藤原正彦



本ブログの拙稿、武士道とは(下) 國家の品格でご紹介させていただいた、『国家の品格』の著者、藤原正彦氏が伝統について述べられています。
筆者は、畏くも今上陛下の一臣民として、皇統について述べる立場にありませんが、昨今、民主党政権において不敬な議論がされているようなので記事にさせていただいた次第です。


以下に動画の文字起しを記載しますので併せてご覧いただければ、幸甚に存じます。
文字起しはブログ友の「うまやど」様からお借りしました。


男アナ: 藤原さんは女系天皇には反対なんですね。どうしてですか?

藤原:


どうしてって、あまりにも明らか過ぎてですね。

1+1がどうして2かと言われるようなもんで、答えようがないですね。

たとえば男、女、男、女と2000年間続いてきたら今後、

永遠に男、女、男、女ともう決まってるわけで、
男、男、女、男、男、女と桂馬のように飛んできたら、
これからも永遠に桂馬のようにするということです。
あるいは、天皇家で毎朝、一時間いわしの頭にお祈りしてきたと、
そしたら、今後永遠にイワシのあたまにですね
1時間お祈りしないといけないと。

伝統というのはそのようなものですね。ただただ、ひざまずくものですね。

論理も意義も何も考える必要がない。

その伝統を守ること自身が最も素晴らしい、価値のある事だと、

それをみんな国民が忘れてますね。

たとえば私が十数年前にケンブリッジ大学で教えていた事があるんですけど、

向こうではディナーなんか出るとね、
あの、ある公式ディナーで白鳥が出たんですね。
学生はチキンでしたけどね・・・。
向こうは階級社会ですから。
ただ前に座ってるノーベル賞かなんか取った男がですね、

「この白鳥はですね、誰のものか知っているか」


と言うんです。

何の質問かと思ったら、
そしたら、

「これは女王陛下のものだ」


と言うんです。


「イギリスの野山にいる白鳥は全部女王陛下のものだ、

だからケンブリッジ大学で食べるときは、
宮内庁みたいなとこの許可を取らないと食べれない」 と言うのね。

そんなあほらしいことを、「いつ決まったんだ」 と言ったら、


いきなり胸張ってね、「12世紀からだ」 と言うんだね。

要するにね900年間ただただそれにひざまずいてきたと、
これが成熟した国家の人々の考え方なんですね。


男アナ: 今回議論が出てるのはですね、このままだと天皇家が絶えてしまうかも知れない、続ける為に変えなきゃいけないなかで女系天皇論が出て来とる、と思うんです。


藤原:


もちろんですね。

皇室典範を変えなきゃいけないということは当たり前ですね。
これは戦後変えられたもの、今のものはですね。
あのままでは皇室が危ないと、従って変えなけらばいけない。

しかしですね。この皇室典範について討議すべきは

女系か男系かという問題、
それは討議することすら許さないそのような問題
ですね。
いかにして男系をつなぐか、その方法についてですね知恵を集めると、
これは至急しなけりゃいけない事ですね。

男系かどうかと、これはですね2000年続いたものをですね、

捨てるなんて、
国柄中の国柄、万世一系というのはですね。
中核中の中核ですね。
これを捨てるとかそんなの議論すること自身が頭がくらくらとしますね。


女アナ: 女系天皇を容認する根拠として有識者会議は憲法と国民の声を最も重視したというふうにコメントをだしているんですけれど、これについてはどうでしょうか。


藤原:


これもほとんど言語に絶する意見ですね。

憲法というのは時の、流行の主張に過ぎないということですね。

明治時代に明治のですね欽定憲法があり、戦後、GHQ憲法がある。

それだけの事でそのときの流行りです。

もしも憲法を基準に皇室を考えるんだったらですね、

憲法改正のたびに皇室を変えなきゃいけない事になります。
これじゃーですね、伝統もなにもあったもんじゃないわけですね。

あるいはですね、世論をうかがうこんなのはあまりにもあほくさくてですね、

世論なんてなんも関係ない話ですね。
国民の声なんて聞いてたら国は潰れますからね。


女アナ: 国民の象徴ですけどね。


藤原:


それはですね、そのようにしたGHQが悪かっただけですね。

憲法の下に置いたという事が皇室典範をね、
それ自身が誤ってるわけで

たとえばですね世論なんて一日にして変わるもんですね。

憲法は数十年かもしれませんけど、
一日にして変わるそのような意見に基準を置いたらですね
伝統は全く保てないですね。

そもそもですね現代人、平成の民が

何故に、そのような2000年の伝統を変える、
この力があるか?権利があるかという事ですね。

要するに飛鳥の時代からですね、

奈良、平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和ときて
その人たちがみんなですね必死の思いで、
万世一系をつないできたわけですね。

これをですね、なぜ平成の民がですね自分たちの世論でですね

一気に変えることができるかと、

これは私はですね、

内閣は、それを有識者会議すらとんでもない事で、
内閣が変えることすら、
国会が変えることすら許されない事、
天皇陛下ご自身が変える事すらですね、
125代の天皇陛下が変えることでさえ許されないと。





何も申しあげることはありません。
ご来訪の皆様、ご考慮いただければ幸いです。










捏造された歴史

 
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歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
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「敗戦国体制」護持という迷夢 占領統治のためにねつ造された歴史
 
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   高知大学名誉教授 福地惇
 
言うまでもなく、現代日本の国家基本法は日本国憲法と教育基本法である。
この基本法の出自には重大な疑惑が塗り込められており、これを護持する政治姿勢に大問題が存在している。
結論を先に述べれば、現行の国家基本法は今次大戦の勝利者である米国軍人の最高司令官が本国政府の意向さえ軽視して、ポツダム宣言という国際的協約を踏み躙り、奸策を弄して被占領国日本に理不尽に下賜したものである。
これは敗戦国日本を半永久的に「属国的な半国家」に抑え込む施策であり、日本の国家・国民のためのものではない。それ故に私は、現在の国家体制を「敗戦国体制」と呼び、この体制を善美で正しいとする観念を「敗北主義イデオロギー」と称する。
「敗戦国体制」の特徴は、第一に歴史の正当性を担う「国体」を最低限容認したかの如く装いながら、実際はそれを形骸化して、我が国の歴史の中心に連綿として存在する国家統合の基軸である天皇を、あたかも“選挙王”のごとくに貶めた点である(憲法第一章第一、四条)。
第二に、主権国家の国防権を実質的に剥奪され、国の安全保障を独自に担保できない奇形な状態に固定した点である(憲法第九条)。
講和条約締結後の我が国の政治は、不覚にも「敗戦国体制」の根幹=「日本国憲法・教育基本法」を自ら不磨の大典として押し戴き、護持してきた。
・・・・・
小泉純一郎首相は20039月の自民党総裁選挙で「小泉構造改革で日本を蘇らせる」と熱心に主張した。「蘇らせる」とは仮死状態に陥った者を蘇生させることである。
では一体我が国はいつ、何を原因として、いかなる「仮死状態」に陥ったのか。
小泉首相はそれについては何も説明しない。対立候補の亀井静香氏は、「小泉首相が訪米してブッシュ大統領と会談した際に、米国の日本占領統治に触れて、日本を解放してくれて有難うと感謝したと伝えられるが、それは間違った歴史認識であり国政の最高責任者としての見識を疑う」と批判した。
亀井氏の小泉批判は正しい。しかるにその正しい批判は、世間からはさほど注目も評価もされなかった。なぜか。
ポレミック(挑発的)な表現を用いれば、我々日本人の多くが意識の奥底で自らを“負け犬”だと納得しているのではないか。侵略戦争を行った軍国主義の時代に比べれば、平和と民主主義の戦後が正常なのだと思い込んでいるのではないか。だが私に言わせれば、先の大戦を侵略戦争と決めつける“戦後の常識”の方が異常なのである。
 
日露戦争以降の我が国は、シナ大陸に条約や協定に基づく多くの権益・利権を有し、貿易も活発で大陸各地に活動する在留邦人も多かった。日支関係は密接だったが、第一次大戦後になって、シナ大陸において急速に頭角を現してきた蒋介石政権との複雑な利害と感情の対立が絶えなくなった。
ここで私は、当時の日支関係の背後の存在した事態悪化要因を指摘しておきたい。
第一は、蒋介石の背後にシナ共産党が、さらにその背後にコミンテルンが潜伏してアジア共産化の野望をたくましくしていたことである。彼らは“漁夫の利”を狙ってシナ全土撹乱戦略=抗日救国運動を煽りに煽り、抜き差しならぬ困難な情勢へ日支両国を追い込んだ。
第二は、米国の支那政策と我が国の大陸権益との摩擦・衝突である。1899(明治32)年、米国はフィリピンを獲得して東アジアへの関心を高め、出遅れたシナ大陸分割競争に参入しようと「門戸開放・機会均等」(国務長官ジョン・ヘイの声明)なるシナ政策の推進を開始した。それ以降、日本やロシアの既得権益との摩擦が始まる。次いで大統領ウィルソンの「自由主義」による世界新秩序が以降から、第一次大戦後のワシントン会議におけるシナに関する九カ国条約に至り、「門戸開放主義」は列強の承認事項となって我が国の大陸政策を強く制約するに至った。同時に米国の圧力で日英同盟は日英米仏の四カ国条約にすり替えられ、解消させられた。第一次大戦を契機に国力・勢威の順位は英米から米英に転じた。米国は大戦で甚だしく疲弊した英国を自陣営に引きずり込んだのである。米国の世界新秩序外交がシナの「門戸開放・機会均等」の原則を以って、我が国のシナ外交を撹乱・制約し、ついには松岡洋右外相の勢力均衡論による米国の行動掣肘(せいちゅう)という読み違いの日独伊三国同盟へと走らせた。これが米国の日本完全敵視への直接的な契機となったことは言うまでもない。こうした事態の推移は、国際情勢の趨勢の読み違えによる近衛文麿=松岡外交の重大な失敗であり、大きな国際政治の流れから言えば米国の独善的理想主義外交の勝利だったといえる。
第三は、第二の延長線上の事態だが、混迷するシナ大陸情勢に苦闘する日本の弱点に乗じた米国が、英国を引きこんで蒋介石政権を軍事的・外交的に支援、軍需物資を大量援助して日支事変正常化を妨害したことである(この間の経緯に関しては中村粲氏の『大東亜戦争への道』に詳しい)。
 
ともあれ、当時の我が国にシナ大陸全土制圧の野望はなく、日露戦争の勝利や第一次大戦で獲得した権益保全に精一杯で、したがって必死に蒋介石政権や米国政府との和解工作に腐心していたにもかかわらず、一方で日独伊三国同盟の締結という米国の日本敵視を決定づける最悪の外交カードを選択したことで、さらなる苦境に追い込まれた。こちらの苦境を見透かしたルーズベルトは米国の東アジア政策への我が国の屈従を求め、最後には経済封鎖を断行した。
このように多くの要素が重なり合ったことで、日本は最終的に国家としての自衛・独立のため、南方に石油資源を求めて進出し、対米英への宣戦布告に踏み切ったのである。見落とせないのは昭和41929)年9月に始まった世界大恐慌の後、欧米列強がブロック経済圏の強化に邁進したことである。国土狭小で資源小国の我が国にとっては、こうした世界情勢に対応する“やむを得ない運動”だったのである。
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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平成17年11月に発刊された国際的数学者、藤原正彦氏の『国家の品格』(新潮新書)は発行部数265万部を超えるベストセラーとなりました。
アメリカの「論理万能主義」を批判し「だめなものはだめ」と主張。グローバリズムなどを真っ向から否定し、自国の伝統や美意識などを重んじることを説いた著書でした。
国際的数学者として知られる藤原氏は、これらの本で、いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことだと説いています。
藤原氏が武士道に関して述べた意見に焦点を合わせて、21世紀に求められる武士道精神について括りとします。


「広辞苑」では品格とは、、「品位、気品」をいう。「品位」とは、「人に自然にそなわっている人格的価値」、「気品」とは「どことなく感じられる上品さ。けだかい品位」をいいます。
人物を対象にした言葉であり、国家に対しては普通用いません。
しかし、国民一人一人に品格があってこそ、国民全体に品格が備わり、それがその国家に品格をもたらし、国家とは、日本人のことであり、その一員としての一人一人の品格が問われているのです。
藤原氏の父は、小説家、気象学者として名高い新田次郎氏です。
藤原正彦氏が武士道精神を持つようになったのは、氏の受けた家庭教育による。
「私にとって幸運だったのは、ことあるごとにこの「武士道精神」をたたき込んでくれた父がいたことでした」と氏は『国家の品格』に書いています。
「父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、『弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ』『暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ』と繰り返し言った。問答無用に私に押し付けた。義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう」
氏は、特に卑怯を憎むことを、心に深く刻み、
「父は『弱い者がいじめられているのを見てみぬふりをするのは卑怯だ』と言うのです。私にとって『卑怯だ』と言われることは『お前は生きている価値がない』というのと同じです。だから、弱い者いじめを見たら、当然身を躍らせて助けに行きました」と書いている。
家庭において父親から武士道の精神を植え付けられた藤原氏は、その後、今日にいたるまで、武士道精神を自分の心の背骨とし、武士道に対する理解は、拙稿「武士道とは(中)」でも記述していますが、その多くを新渡戸稲造の名著『武士道』に依っています。
「武士道には、慈愛、誠実、正義や勇気、名誉や卑怯を憎む心などが盛り込まれているが、中核をなすのは『惻隠の情』だ。つまり、弱者、敗者、虐げられた者への思いやりであり、共感と涙である」と・・・

氏は論理だけでは世の中はうまくいかない、論理よりもむしろ「情緒」を育むことが必要だと述べ、また、それとともに、人間には、一定の「精神の形」が必要だと説いています。
氏は、次のように書いています、「論理というのは、数学でいうと大きさと方向だけ決まるベクトルのようなものですから、座標軸がないと、どこにいるのか分からなくなります。人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳です。私は、こうした情緒を含む精神の形として『武士道精神』を復活すべき、と20年以上前から考えています」と。
国際的な数学者であり、歴史家や思想家でもない藤原氏が、このように言うところに、驚きと同時に強い説得力があります。

明治維新によって、身分としての武士は消滅しました。その後の武士道精神の変遷を、武士道精神の中核を「惻隠の情」と理解する視点から、藤原氏は次のように述べています。
「かつて我が国は惻隠の国であった。武士道精神の衰退とともにこれは低下していったが、日露戦争のころまではそのまま残っていた」
日露戦争での水師営での会見で、乃木将軍が敗将ステッセルに帯剣を許したこと、日本軍は各地にロシア将校の慰霊碑や墓を立てたこと、松山収容所では、ロシア人捕虜を暖かく厚遇したことなどを列挙しています。
「日本人の惻隠は大正末期にはまだ残っていたようである」
その実例として、氏は、第1次大戦後、ポーランド人の援助要請に応え、日本人が極東に残されたポーランド人孤児765名を救済したことを挙げています。

先祖であり先輩である明治・大正の日本人は、異国の人々の身の上を、わがことのように思いやり、親切このうえなく心を尽くした。まだほとんど外国人と接する機会のなかった時代であるのに、国際親善・国際交流の鑑のような行動を、人情の自然な発露として行っています。
こうした日本人の精神を、藤原氏は、武士道に重点を置いて、武士道精神と呼んでいます。

氏は、武士道は「昭和のはじめごろから少しづつ衰退し始め」、大東亜戦争の戦後は「さらに衰退が加速された」と述べています。我国の大陸進出については、氏と筆者では大きく見解の相違があり、歴史認識の誤りもみられますが、ここでは触れないでおきます。
アメリカは占領期間、日本弱体化のためにさまざまな政策を行なった。「たった数年間の洗脳期間だったが、秘匿でなされたこともあり、有能で適応力の高い日本人には有効だった。歴史を否定され愛国心を否定された日本人は魂を失い、現在に至るも祖国への誇りや自信をもてないでいる」
「戦後は崖から転げ落ちるように、武士道精神はなくなってしまいました。しかし、まだ多少は息づいています。いまのうちに武士道精神を、日本人の形として取り戻さなければなりません」

皆さんご存じのように、GHQから押し付けられた占領憲法により、主権独立国家として不可欠な国防を大きく制限されています。
憲法上、国民には、国防の義務がなく、「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ」という文言のある教育勅語は、教科書から取り除かれ、国家が物理的に武装解除されただけでなく、日本人は精神的にも武装解除されました。結果、日本人は自ら国を守るという国防の意識さえ失ないました。
武士道とは、本来、武士の生き方や道徳・美意識をいうものです。武士とは、武を担う人間である。武を抜きにして、武士道は存立しえません。
自衛のための武さえ制限され、自己の存立を他国に依存する状態を続けている日本人が、急速に武士道精神を失ってきたのは当然の帰結です。
根本的な原因は、占領憲法にあります。占領憲法が、日本人から武士道精神を奪っているのです。この問題を抜きにして、武士道精神の衰退は論じられません。

氏は、武士道精神の中核は「惻隠の情」だとし、「弱い者いじめ」に見て見ぬふりをせず、卑怯を憎む心を強調し、氏のいうような武士道精神に照らすなら、例えば北朝鮮による同胞の拉致に対し、日本人及び日本国は、どのように行動すべきか、中国のチベット侵攻や台湾への強圧に対し、どのように考えるべきでしょうか。

これらの問題は、単なる道徳論では論じられず、日本という国の現状、自分たち日本人のあり様を、国際社会の現実を踏まえて論じる必要があるだろう。やはり、「この国の形」を決める憲法に帰結する事柄なのです。

市場原理主義について、次のように藤原氏は述べています。
「市場原理に発生する『勝ち馬に乗れ』や金銭至上主義は、信念を貫くことの尊さを粉砕し卑怯を憎む精神や惻隠の情などを吹き飛ばしつつある。人間の価値基準や行動基準までも変えつつある。人類の築いてきた、文化、伝統、道徳、倫理なども毀損しつつある。人々が穏やかな気持ちで生活することを困難にしている。市場原理主義は経済的誤りというのをはるかに越え、人類を不幸にするという点で歴史的誤りでもある。苦難の歴史を経て曲がりなりにも成長してきた人類への挑戦でもある。これに制動をかけることは焦眉の急である」と・・・

本ブログでも再三再四述べてきましたが、我国は誇り高い「道義国家」でした。
氏のいう「品格ある国家」とは、従来、道義国家といわれてきたものに近い。道義国家とは、人類普遍的な道徳を理念とする国家を指します。
力や富の追求ではなく、精神的な価値の実現を目標とする国家です。
氏は、この道義にあたるものとして、武士道精神を提示しています。
かつて武士道精神は、日本人に品格を与えていました。日本人が精神的に向上することは、わが国に「国家の品格」を生み出し、「品格ある国家」は、周囲に道徳的な感化を与える。こうした発想は、武士道に融合した儒教が理想とした王道や徳治に通じるものです。
氏の主張を掘り下げるならば、東洋の政治思想や、それを最もよく体現したわが国の皇室の伝統に思いをいたすことになるだろう。武士道は、発生期から尊皇を本質的要素とし、またわが国の国柄は、皇室の存在を抜きにとらえることが出来ないことを指摘しておきたい。

「政治や経済をどう改革しようと、そしてそれが改善につながったとしてもたかだか生活が豊かになるくらいで、魂を失った日本の再生は不可能である。いまできることは、時間はかかるが立派な教育を子供たちにほどこし、立派な日本人をつくり、彼らに再生を託すことだけである。
教育とは、政治や経済の諸事情から超越すべきものである。人々がボロをまとい、ひもじい思いをしようと、子供たちだけには素晴らしい教育を与える、というのが誇り高い国家の覚悟と思う」と氏は述べています。

「武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない」とも、氏は書いています。氏自身が、父親から武士道精神を教え込まれたものでした。家庭における父から子へ、親から子へという武士道精神の継承があってこそ、学校教育、社会教育はその効果を発揮すると願ってやまないのです。









日本が輝いていた訳

 
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                  日露戦争直前の『戯画 公園の各国児童』
(解説文)
朝日太郎(日本のこと) 「おい露助、清吉の油断に付込んで饅頭(満州のこと)を盗もうとは何事だ、さあ早く返してしまえ!」
露助 「つべこべ言うな、生意気な野郎だ。俺の身体の大きいのが見えんか」
仏次 「露助君、そっと僕にも分けてくれたまへ」
独一 「仏次君、君が貰ったら僕にも分けるんだよ」
米蔵 「これは面白い。露助のやつ強そうなことを言っているが、朝日にヤラレルんじゃないかな」
英子 「露助の顔の憎らしいこと、有夫サン、その艦を太郎さんに上げなさいよ」
有夫 「そうだ、早くやろう」(アルゼンチンより巡洋艦日進、春日を購入)
韓坊 「太郎兄ちゃん恐いよ」
清吉 「グウ・・」
・・・・・・・・・  
  
日本人がいちばん輝いていたのはいつごろであっただろうか。
高度成長期か、否。 それとも大東亜戦争を戦った時か、否。
それは日露戦争がはじまる前から終わる頃までだと思うのです。
日露戦争後は日本人にゆるみが感じられますが、その前までは全く違いました。
 
この日露戦争はロシアはもちろんチャイナも学校で教えない、というよりも歴史に“ない”のです。
そして肝心の日本でも大事な部分をほとんど教えていません。
先達が祖国の危機に瀕して勝つ望みの薄い戦にひとつになり勝ち抜いた栄光に満ちた時代を知ることなしに、どうして日本人として生きてゆく喜びを味わえるのだろうか。・・
 
東ヨーロッパのことわざにこういう言葉があります。
「ロシアの隣国になるほど不運なことはない」。
現在の日本に当てはめればロシアの他にチャイナ、韓国、北朝鮮というところでありましょう。
日本はいい国だが近隣国に恵まれない、まこと不運であります。・・
 
明治33年、ロシアの大軍が満州支配を目指して黒竜江を超えて南下します。
その時、ロシアは黒竜江の東岸であるブラゴウェシチェンスクにおいて、三千人の支那人を一人残らず駆り立てて、全員を黒竜江に突き落とすという大虐殺を行ったのです。
この時、ブラゴウェシチェンスクにいた帝国陸軍の石光真清の日記にはその状況がよく書かれています。
これを知った日本人は怒り、同じ東洋の民族がこんなにむごたらしく扱われている、それを黙って見ていられようかと国民感情は沸騰し、我が国危うしとして正義の戦としてロシアとの戦いを決意していくのです。
同じように現在までに、チャイナが内モンゴル、チベット、ウィグルにおいて大虐殺しておりますが、これを知った日本人は所詮他国の事よと国民感情は冷めており、それがやがて我が国に対して降りかかってくる危機感だとは全く感じていないのです。
 
当時、明治大帝ご自身による陸軍大演習の御統監、昭憲皇太后までもが軍艦に乗り込まれて海軍将兵の士気を鼓舞されたことをみても、日本の軍隊の強さが皇室のお心遣いの賜物であるといえます。
現在の日本では天皇陛下が自衛隊を直接鼓舞することは一切ありませんが、一旦緩急あれば命を惜しむことない自衛官にとってこのことがどれほど励みになるか、目に浮かぶほどであります。
 
明治天皇は戦争だけはお避けになりたかったのですが、
あえて決断を下さねばならなかった明治大帝の御気持ちが偲ばれるお言葉があります。
 
事乃一蹉跌を生ぜば 朕何を以てか祖宗に謝し、臣民に対するを得んと、すなわち涙さんさんとして下る
失敗することがあれば、我が高祖皇宗(御始祖と歴代天皇)の神霊に何とお詫びを申し上げ、我が子のごとく慈しむ国民に対してどうして顔向けが出来ようかと苦しみ、涙が流れるばかりである。
 
この戦より御食事がおすすみにならず、八年後に明治大帝は御隠れなるのですが、
明治大帝の御心労のほどが如何ばかりだったかが偲ばれます。
 
・・・・・・ 
 
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