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明治大帝 御尊影 これは原本の控えです。文頭の「一」が五箇条にもかかわらず6個もあり、6個目は訂正の筆が入っています。 近代日本は、明治維新より始まりました。 明治維新において、政治の御一新に当たって、明治大帝が大方針を打ち出しあそばされたのが、五箇条の御誓文です。御誓文は、その言葉のとおり、天皇が天神地祇(てんしんちぎ)に誓いを立てあそばされ、それを国民に発表されたものです。 一、広く会議を興し、万機公論に決すべし。
一、上下(しょうか)心を一にして、盛んに経綸を行ふべし。
一、官武一途(いっと)庶民に至るまで、各々其の志を遂げ、人心をして倦(う)まざらしめむことを要す。
一、旧来の陋習を破り、天地の公道に基くべし。
一、 智識を世界に求め、大いに皇基を振起すべし」 大意は、次の通りです。
一、広く人材を集めて会議体を設け、重要政務はすべて衆議公論によって決定せよ。
一、身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国策を遂行せよ。
一、朝臣武家の区別なく、さらには庶民のすべてにわたって、各自の志を達成できるようにはからい、人々を失意の状態に追いやらぬことが肝要である。
一、これまでのような、かたくなな習慣を打破して、普遍性のある道理に基いて進め。
一、知識を世界に求めて、天皇の大業を大いに振興せよ
戦前世代の方々は殆ど暗誦(あんしょう)されていました。
日本人として見逃してはならないのは、これに続く明治大帝の叡慮(えいりょ(天皇陛下の思い))です。
「我国未曾有の変革を為(なさ)んとし、朕躬(み)を以て衆に先じ、天地神明に誓ひ、大(おおい)に斯(この)国是を定め、万民保全の道を立(たて)んとす。衆亦此(この)旨趣(ししゅ)に基き協心努力せよ」
すなわち、「わが国に前例のない変革を行おうとするにあたり、私は自ら国民の先頭に立って、天地の神々に誓い、重大な決意をもって国政の基本条項を定め、国民生活を安定させる大道を確立しようと思う。国民もまたこの趣旨に基いて心を合わせて努力せよ」
ここには、明治大帝が自ら先頭に立って国民とともに新しい国づくりをしていこうという決意が、打ち出されています。こうした決意のもとに、明治大帝は神に向かって五つの誓いを立てあそばされ、それを国民に明らかにしたのです。率先垂範、有言実行の精神が、溢れています。
これは単なる官僚による作文ではありません。明治大帝が自らの叡慮を国民に伝えようとしたものでした。そのことを裏付けるものが、五箇条の御誓文が発表された、明治元年(1868)3月14日に出された御宸翰(ごしんかん)です。宸翰とは天皇直筆の文書のことを言います。
明治大帝は直筆で次のような意味のことを記されています。
「今回の御一新にあたり、国民の中で一人でもその所を得ない者がいれば、それはすべて私の責任である。今日からは自らが身を挺し、心志を苦しめ,困難の真っ先に立ち、歴代の天皇の事績を踏まえて治績に勤める。そうしてこそ、はじめて天職を奉じて億兆の君である地位にそむかないものとなる。自分はそのように行う」と記されています。
すべての国民が「所を得る」ような状態をめざし、全責任を担う。明治大帝の決意は、崇高であり、偉大です。
また、御宸翰の文章の先の方には、次のように記されています。
「朕いたづらに九重のうちに安居し…百年の憂ひを忘るるときは、つひに各国の陵侮(あなどり)を受け、上は烈聖を恥しめ奉り、下は億兆を苦しめんことを恐る」と。
すなわち、「天皇である自分が宮殿で安逸に過ごし、…国家百年の憂いを忘れるならば、わが国は外国の侮りを受け、歴代天皇の事績を汚し、国民を困苦に陥らせることになってしまう」。
明治大帝は、こうした事態に至らぬよう、国家の元首として、最高指導者として、自らを律し、国家の独立と発展、国民生活の安寧を実現するために尽力あそばされました。
五箇条の御誓文と、同日に出された御宸翰には、明治大帝の真摯誠実な精神が現れています。ここに、私たちは「公」の体現者としての天皇陛下の姿を見ることができます。
そして、肇國以来、国民を「おおみたから」と呼んで、大切にしてきたわが国の皇室の伝統が、ここに生きています。
明治大帝は、和歌を好まれ、優れた歌を多く残されました。
生涯に詠んだ御製(ぎょせい)の数は9万3千余首。
いくつかをご紹介させていただきます。
あしはらの 国とまさむと 思ふにも 青人草ぞ たからなりける
(大意:日本の国を富ませたいと思うにつけても、第一に貴い宝はわが国民である)
この歌は、臣民を「おおみたから」つまり宝と呼んで、大事に思う皇室の伝統です。
照につけ くもるにつけて おもふかな わが民草の うえはいかにと (大意:照れにつけ、曇るにつけて思うのは、わが国民の生活はどうであろうかということである)
臣民一人ひとりの身の上をわがことのように思う、思いやりと慈しみの心が表されています。それが「仁」であり、仁慈とも仁愛です。
夏の夜も ねざめがちにぞ あかしける世のためおもふ こと多くして
(大意:短い夏の夜も、国のため世のため思ひめぐらすことが多く、
安らかに寝通すことが出来ず、夜を明かしてしまうよ)
明治大帝は常に臣民のことを思い、国家社会のことが頭を離れませんでした。
世の中の 人のつかさと なる人の 身の行ひよ ただしからなむ 大意:世の中の人の上に立つ人は、身の行いが殊に正しく
ありたいものだ)
明治大帝は臣民に期待を寄せあそばされるる一方、指導的立場にある者に対しては、厳しく自覚を求められました。
国のため あだなす仇は くだくとも いつくしむべき 事なわすれそ (大意:我が国のために敵は打ち砕くとも、敵に対しても慈愛をたれる
ことを忘れてはならないぞ)
乃木大将が水師営の会見で敵将に見せた礼節は明治大帝の大御心でもあるのです。
明治大帝の偉業の一つに、「教育勅語」によって、教育の目標と道徳の基本を示したことが挙げられます。明治大帝はまた、和歌の内に人の道を詠み、臣民に人としてのあり方を諭(さと)されました。
荒廃してしまった平成日本、「心の教育」が求められるなか、その御製(ぎょせい)は今日に歌い継がれる価値あるものです。
あさみどり すみわたりたる 大空の ひろきをおのが 心ともがな
(大意:浅緑色に澄みわたった大空のように、広々とした心を自分の心
としたいものだ)
(大意:目に見えぬ神に向って恥じないのは、人の誠の心であるよ)
久かたの 空に晴れたる 富士の根の 高きを人の こころともがな
(大意:晴れた大空にそびえる富士山の高根のように、気高い心を自分の心としたいものだ)
人は親に育てられ、やがて自らの人生を歩みます。
誰にとっても両親は、人生について教えてくれた最高の恩人です。明治大帝は親について次のように詠まれています。
たらちねの みおやのをしへ 新玉の年ふるままに 身にぞしみける
(大意:年々、新しい年を重ねるにしたがって、身に染みわたるのは、
自分を育ててくれた親の有り難い教えである)
そして臣民一人、一人の努力も詠まれています。
つもりては 払ふがかたく なりぬべしちりばかりなる こととおもへど (大意:心の汚れというものは、僅かなる塵ほどのことと思っても、
そのままにしておくと積もり積もって、払うことができなくなって
しまう。だから、自分の心を常に清めなければならない)
思ふこと おもふがままに なれりとも身をつつしまん ことを忘るな (大意:なんでも自分の思うようになるようになったとしても、人はわが身を慎むことを忘れてはならないぞ)
詠まれた御製は、明治大帝自らも実践あそばされました。
明治大帝の御心は、大正天皇陛下、昭和天皇陛下、今上天皇陛下へと継承されています。
その下に、国民が教育に、自己啓発に努めたのが、近代日本の初め、明治という時代でした。その伝統は、昭和・平成と進むにつれ、見失しなわれてきています。「心の教育」が求められる今日、明治天皇の御製に込められた教訓、明治の教えに学び、取戻すべきです。
明治日本が輝いていたのは、英明なる明治大帝の下(もと)神への誓い、民への思いを臣民が明治大帝の大御心の下に結集し、実践したことによります。
これがお国柄なのです。
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2012年01月28日
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