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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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【東北関東大震災】 沢山の命を救った3人のお話



多くの同胞の生命と財産を奪った東日本大震災の発生から、もうすぐ11ヶ月になろうとしています。
震災発生直後、多くの警官、役場職員、消防署員、消防団員、民間人が一人でも多くの方々に助かっていただきたいと、自らの命も顧みず、避難誘導、救助等に命を賭されました。
多くの尊い犠牲を伴った東日本大震災。
宮城県南三陸町の防災対策庁舎から防災無線で町民に避難を呼び掛け続け、津波の犠牲になった町職員、故遠藤未希(みき)さん=当時(24)もその一人です。
遠藤未希(みき)さんの我身も顧みない必死の呼び掛けで多くの人命が助かりました。
埼玉県の公立学校で遠藤未希さんの尊い行動が、道徳の教材に4月から載ることが1月26日、分かりました。

埼玉県教育局によると、教材は東日本大震災を受けて埼玉県が独自に作成し、公立の小中高約1250校で使われます。
「天使の声」というタイトルで紹介されます。

以下に教材の要旨を引用します。


誰にも気さくに接し、職場の仲間からは「未希さん」と慕われていた遠藤未希さん。その名には、未来に希望をもって生きてほしいと親の願いが込められていた。

未希さんは、地元で就職を望む両親の思いをくみ、4年前に今の職場に就いた。9月には結婚式を挙げる予定であった。


突然、ドドーンという地響きとともに庁舎の天井が右に左に大きく揺れ始め、棚の書類が一斉に落ちた。


「地震だ!」


誰もが飛ばされまいと必死に机にしがみついた。かつて誰も経験したことのない強い揺れであった。未希さんは「すぐ放送を」と思った。


はやる気持ちを抑え、未希さんは2階にある放送室に駆け込んだ。防災対策庁舎の危機管理課で防災無線を担当していた。


「大津波警報が発令されました。町民の皆さんは早く、早く高台に避難してください」。未希さんは、同僚の三浦さんと交代しながら祈る思いで放送をし続けた。


■「早く、早く、早く…」


地震が発生して20分、すでに屋上には30人ほどの職員が上がっていた。すると突然甲高い声がした。


「潮が引き始めたぞぉー」


午後3時15分、屋上から「津波が来たぞぉー」という叫び声が聞こえた。未希さんは両手でマイクを握りしめて立ち上がった。そして、必死の思いで言い続けた。「大きい津波がきています。早く、早く、早く高台に逃げてください。早く高台に逃げてください」。重なり合う2人の声が絶叫の声と変わっていた。


津波はみるみるうちに黒くその姿を変え、グウォーンと不気味な音を立てながら、すさまじい勢いで防潮水門を軽々超えてきた。容赦なく町をのみ込んでいく。信じられない光景であった。


未希さんをはじめ、職員は一斉に席を立ち、屋上に続く外階段を駆け上がった。その時、「きたぞぉー、絶対に手を離すな」という野太い声が聞こえてきた。津波は、庁舎の屋上をも一気に襲いかかってきた。それは一瞬の出来事であった。


「おーい、大丈夫かぁー」「あぁー、あー…」。力のない声が聞こえた。30人ほどいた職員の数は、わずか10人であった。しかし、未希さんの姿は消えていた。


それを伝え知った母親の美恵子さんは、いつ娘が帰ってきてもいいようにと未希さんの部屋を片づけ、待ち続けていた。


■「無我夢中で高台に」


未希さんの遺体が見つかったのは、4月23日のことであった。


町民約1万7700人のうち、半数近くが避難して命拾いをした。


5月4日、しめやかに葬儀が行われた。会場に駆けつけた町民は口々に「あの時の女性の声で無我夢中で高台に逃げた。あの放送がなければ今ごろは自分は生きていなかっただろう」と、涙を流しながら写真に手を合わせた。


変わり果てた娘を前に両親は、無念さを押し殺しながら「生きていてほしかった。本当にご苦労様。ありがとう」とつぶやいた。


出棺の時、雨も降っていないのに、西の空にひとすじの虹が出た。未希さんの声は「天使の声」として町民の心に深く刻まれている。

東日本大震災で殉職された警察官30名、消防団員及び消防職員226名、詳細に把握はしておりませんが、役場の職員、教職員、医療機関や介護施設の職員などを含めると、数百人の尊い犠牲によって助かった命がある。
彼らの獅子奮迅の活躍は、世界からも賞讃されました。
それを支えたのは、「天命」であったとしか言葉が見つかりません。

戦後復興の歩みを半世紀以上にわたって見続けた政治評論家、三宅久之氏は、「日本人はつらい時にこそ耐え抜いて力を発揮する。東北は必ず立ち直る」と述べています、しかしこうも述べられています。
「だからといって政府が怠慢でいい訳がないじゃないか。敗戦から高度成長期、国民は政治を信頼し、政治家も一心不乱に邁進(まいしん)した」と、現在の政治状況に対し深い危惧を感じておられます。

「政治家としての良心に忠実に、大震災がもたらした国難に立ち向かう」
野田佳彦首相は昨秋の臨時国会での所信表明演説の最初にこう述べた。
確かに言葉だけは頼もしい・・
しかし、三宅久之氏は、「今や政治家の言葉は鴻毛(こうもう)より軽い」と揶揄されておられます。
就任まもない閣僚の失言、茶番劇の繰り返しに、国民も被災地も眼中にない政治家。
政治家は自らの発言に責任を持たねばならない。これはいつの時代も変わりません。


肇国(ちょうこく)以来、多くの先人・先達のおかげで今日がある日本人。
おかげ」と言う言葉すら死語となりつつある現在の日本。


『 降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ 』

終戦の翌年詠まれた先帝陛下の御製です。
深い雪に覆われても時が来れば青々と茂る松の木を 雄々しき日本人に例え、今の苦しみを耐えて再び隆盛とならんと鼓舞されたもので、同時に日本人が日本人らしさを失わぬようにと願われたのです。
畏くも今上陛下におかれましても、先帝陛下と大御心は同じであられます。

国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された靖国神社。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
消防殉職者五千六百五十四柱、自衛隊殉職者千七百七十七柱(平成18年現在)殉職警官、千六百八十五柱(平成18年現在)彼らは皆、祖国、国民を信じ、悔いなく亡くなられた。
自己の命を捧げて悔いなきものをもつことこそ、悲しいことですが、生の最高の充実です。
多くの方々は「後は頼む」と残され亡くなられた。
はたして、残った我々は、「後は頼む」との約束を守っているでしょうか?
先帝陛下は決死の覚悟で国民を救われた。

『 降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ 』

祖霊(それい)御霊となられた、多くの先人・先達は望まれているのではないでしょうか・・・
東日本大震災で殉職された方々は言うまでもありませんが・・








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