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神宮(内宮)
内宮奉幣の儀(修祓)
謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては17日、宮城(皇居)神嘉殿におかれまして、陛下が神嘗祭神宮遙拝の儀、賢所におかれまして、両陛下が神嘗祭賢所の儀の宮中祭祀をなさりあそばされた。
明治6年、大祭日として神嘗祭の行われる日は休日とされましたが、戦後は、国民の祝日に関する法律の施行により、国の祝祭日ではなくなりました。
神宮へは、皇室から幣帛と、勅使が遣わされ、奉幣の儀が奉仕されます。
宮中における神嘗祭は、天皇陛下がまず宮中三殿の神嘉殿南庇に着座され、伊勢の内宮での勅使による奉幣に先立ち(午前10時)、神宮を遥拝される。ついで賢所へ移られ内陣の御座につかれ、御拝の上、みずから御告文(祝詞)を奏される。その際、内々陣に待する内掌典が金の鈴を振る間(約10分)天皇陛下は正座のまま平伏される。
この御鈴を鳴らすのは、天皇陛下のご祈念が天照大神に嘉納されることを示すものと想われ、続く皇后陛下、皇太子殿下・同妃の御拝には行われない。
このような賢所における天皇陛下の祭典がすむと、続いて十二単の皇后陛下が御拝なさり、さらに皇太子殿下と十二単の皇太子妃が次々と拝礼されます。
そのあと、参列される成年皇族(男性はモーニングコート、女性はロングドレス)が一方ずつ、三殿それぞれの正面階段下で拝礼し、続いて宮内庁の職員などが順次拝礼されます。
神嘗祭(かんなめさい)とは、「お伊勢さん」で親しまれている伊勢神宮のお祭りの中でも年中で最大のお祭りです。
神嘗祭(かんなめさい)は毎年10月15日から10月17日までおこなわれ、戦前は国の祝日となっていました。
その年に収穫した新穀を大御神に奉り、皇室のご繁栄と国家の安泰、五穀の豊穣、国民の平安をお祈りします。 お米は私たち日本人にとって命の源であり、そのお米が豊作になる ことを神様にお祈りします。 お祭りでは午後10時に、由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)、 午前2時に、由貴朝大御饌(ゆきのあしたのおおみけ) 正午に奉幣(ほうへい)、午後6時に御神楽(みかぐら)の儀がおこなわれます。 この由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)と由貴朝大御饌(ゆきのあしたのおおみけ)では、海川山野の約30品目とお酒が神様にお供えされます。 由貴(ゆき)というのは「この上なく尊い」という意味です。 奉幣(ほうへい)とは、天皇陛下のお使いである勅使が参向され、五色の絹や数種の織物が奉納されます。 まだ貨幣がなかった大昔では、最も貴重な品として絹の織物をお供えしていたという伝統が今に続いています。 御神楽(みかぐら)とは雅楽と舞を神様に奉納するものです。
稲は「命の根」だからイネといい、「米」には穀物の霊(みたま)が込められているからコメと言います。新米には、「新しい命の根」つまり新鮮な瑞々(みずみず)しい生命力が込められているのです。その新米を神さまが召し上がることにより、生命力つまり御神徳(ごしんとく)が昂(たかま)り、神さまのお力が更新されるのです。私たちのご先祖様はいつもそれらのお恵みをくださる神様に深く感謝し、お祭りをおこなってきました。 感謝と崇敬のこころこそ、日本人のこころです。 伊勢神宮臨時祭主・黒田清子さま、最も重要な祭典「神嘗祭(かんなめさい)」を初奉仕 黒田清子さまにおかせられましては、現在の祭主・池田厚子さまの補佐役として4月26日に臨時祭主に就任あそばされ、今回の奉仕は、5月14日に神様の衣替えともいわれる「神御衣祭(かんみそさい)」を初奉仕して以来です。 祭典はまず内宮にて15日、17時〜無事に祭典が行われるようにと「興玉神祭(おきたましんさい)」、神職が祭典奉仕をしてもいいかどうかを占う「御卜(みうら)」を行う。同日外宮にて、22時〜「由貴夕大御饌(ゆきのゆうべのおおみけ)」、16日2時〜「由貴朝大御饌(ゆきのあしたのおおみけ)」、12時〜「奉幣(ほうへい)」、18時〜「御神楽(みかぐら)」。続いて内宮にて、22時〜「由貴夕大御饌」、17日2時〜「由貴朝大御饌」、12時〜「奉幣」、18時〜「御神楽」と、ほぼ昼夜なしで粛々(しゅくしゅく)と執り行われる。 「由貴」とは、この上なく貴いという意味で、「由貴夕大御饌」「由貴朝大御饌」は、アワビや伊勢エビなど約30品目も並ぶ夕食と朝食の「大ご馳走」のこと。「奉幣」は勅使により天皇陛下からの幣帛(へいはく)を奉納すること。 神宮の森の木々の間から満天の星が輝く16日の夜、黒田さまにおかれましては、白衣・緋袴(ひばかま)・小袿(こうちぎ)といった平安の装束姿で、松明だけの光の中「由貴夕大御饌」を滞りなく奉仕あそばされた。 神道においては人生の目的とはいったい何なのでしょう。神道は昔からの日本人の思想が連綿と引き継がれたものです。 簡素なものですから、次の一言で言い表せます。 「日本を良い国にして次代に引き継ぐこと」 神の国、神の子でありながら、神道の教えを忘れ、道に迷った日本人。 今一度、「日本を良い国にして次代に引き継ぐこと」について考えませんか? 日本人がかっての日本人に帰るのです。戻るだけでよいのです。 |
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2012年10月18日
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日本列島
今日の日本人は、日本の伝統・文化・お国柄に立ち戻り、日本独自の精神に基づいて、祖国日本の再建と世界的な文明の転換を図ることが必要です。
日本人が日本再建のために取り組むべき課題を、筆者が大正、昭和一桁世代との交流に基づいて、提言してみたいと思う次第です。 (一)大東亜戦争の総括 ・占領政策の克服
(二)占領憲法の破棄・自主憲法の制定 (三)皇室の復興
(四)日本国民の復活 (五)自主国防の整備
(六)誇りある歴史の教育 ・日本道徳の回復
(七)家族の復権
(八)自然との調和
(九)精神向上 以上の九項目についてのべさせていただきたいと思う次第です。
(一)大東亜戦争の総括 ・占領政策の克服
大東亜戦争は侵略戦争か、自衛戦争かという論議が繰り返されてきました。では、真実はどうだったか?
大東亜戦争を経験された世代を経験された方々は、言われます。
先帝陛下の開戦詔勅(しょうちょく)がすべてだと・・・・
日本人ならば、日本人の立場での言い分を素直に知り、受け入れ、今後は堂々を言うことです。
私たちの先人は、この詔を胸に刻み大東亜戦争を戦ったのです。
戦後の日本人は、大東亜戦争の総括を行なえていない。そのため、多くの人々は、ますます日本精神を失ってきている。かっての自民党の腐敗・堕落も、民主党の迷妄・混乱も、そこに原因があります。
真の日本精神に基づく歴史観を理解する人が増えること。これなくして、日本の再生はありえません。 (二)占領憲法の破棄・自主憲法の制定
戦後、わが国で行われた占領政策は、今日では日本を民主化したものとして、肯定的に理解されている。しかし、実態は、異例の6年8ヶ月にも及ぶ軍事占領のもとで強行された国際法をも無視した蛮行でした。
目的は日本の弱体化です。わが国が再び米国及び連合国の脅威にならないように痛めつけることが、目的でした。占領憲法の押し付け、天皇陛下の権威の引き下げと権能の限定、国民との紐帯の断絶、神道指令、皇室の人員削減と経済的基盤の縮小、国防の規制、戦争に関する罪悪感のすり込み、民族の誇りの剥奪、勝者の歴史観の植え付け、伝統的道徳の否定、教育勅語の排除・失効の誘導等、列挙すればきりがありません。
こうした日本弱体化政策の本質をとらえ、これを克服することなく、経済政策、社会政策、外交政策等を行なっても、国家としての日本は再建されず、徒労に終わるでしょう。諸政策は、日本再建策の実行あってこそ、成果を生むのです。 現行憲法は、人類の理想を表したものとして護持すべきか、占領者によって押し付けられた憲法として破棄すべきか。この論議も繰り返されてきた。最も重要なポイントは、現行憲法は、日本人が自ら創った憲法ではないということである。
憲法は国の基本法であり、国の魂とも言います。 国の理念・制度・機構を規定している。しかし、その憲法が日本人の作ったものではない。このことが、日本人の自信や誇りを損なっているのです。占領憲法は、終戦後、GHQが約1週間で秘密裏に英語で書いたものが草案となり、その翻訳をもとに、制定された。明治憲法の改正手続きは踏んではいますが、占領下で押し付けられた憲法です。
主権回復後、日本人は即刻自ら改正し、自主憲法を制定すべきでした。それが制定後60年以上、一字一句改正されておらず、同じ敗戦国であるドイツが憲法を改正しているのと比較すればこの差は歴然です。 自ら憲法を破棄・若しくは憲法改正を実行しない限り、日本人は独立主権国家の国民という精神を取り戻すことができない。このまま現行憲法を押し頂いていると、わが国は亡国にいたります。日本の再建は、日本人自ら憲法を改正してこそ、力強く進められるのです。
その意味において、安倍元首相の自民党総裁復帰は大きな意味があります。
(三)皇室の復興
菊栄親睦会 御尊影
占領政策は日本弱体化政策だったことは前項でも述べました。最大のポイントとされたのが、天皇陛下のご存在です。わが国の強い団結力は、天皇陛下を中心に国民が結束するところに発揮されます。これを恐れたGHQは、天皇陛下の権威を引き下げ、天皇陛下の権限を少なくし、天皇陛下と国民の紐帯を弱めることを日本弱体化政策の核心としました。憲法の天皇条項を変え、皇室典範を占領憲法の下位に置き、皇室の経済的基盤を縮小させ、やむなく11宮家51方の皇族が臣籍降下されたのです。
主権回復後、皇室典範を初めとする皇室関係法を整備し、神道指令の解除、元宮家を皇族に復帰すべきだったのです。しかし、憲法破棄・改正がされないままであると同時に、皇室に関する改革もなされず、放置状態が続いている。皇族が減員し、そのうえ男系男子が41年間誕生されなかったことにより、次世代の皇族方が急激に少なくなり、皇室は存続の危機にあるのです。 皇室の維持・繁栄は、わが国の存続・発展の要、國體です。今のままでは、悠仁親王殿下が皇位に就かれるだろう30〜40年後には、皇族は悠仁親王殿下以外ほとんどいらっしゃらなくなっているかもしれない。旧宮家の復帰の方策を実行し、男系男子による皇位の安定的な継承ができるように整備する必要があります。 占領によって失ったものは取戻すしかわが国の再生はないのです。
続く・・・
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