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明治天皇陛下、昭憲皇太后陛下 御真影
今日11月3日は、明治天皇陛下の生誕の日、戦前は四大節の一つとして新年と紀元節、天長節とともに盛大に祝われていました。
明治天皇陛下の偉業は、多くの文献、史書にとりあげられています。
では、明治日本では天長節をいかに祝っていたのでしょうか?
田山花袋の『田舎教師』は病死した青年教師の日記などをもとに明治の末、書かれたものですが、その中に11月3日の天長節、つまり明治天皇陛下誕生日のことが記述されています。
先生や生徒、父兄、それに村の有力者らが晴れ着姿で集まり「君が代」などを歌い、子供たちはお菓子をもらって帰る。
先生や村長たちは茶話会に移り、さらに田んぼの中の料理屋での「2次会」に繰り出す。そこで校長と村長は今年の豊作について話しこむ。
地方の隅々に至るまで、天長節が楽しい行事として国民の生活に溶け込んでいたことが偲ばれます。
平成日本が失ってしまった日本人のこころを、明治という時代の日本人の一体感のようなものをも感じさせます。
明治日本を訪れた諸外国の識者、文化人はこの頃の日本を絶賛しています。
家に鍵をしなくとも生活できるくらい安全だ った治安、貴重品を公共の場に忘れても、財布の中身も無事に届けられた節度が この頃の日本にはありました…
台湾の国策顧問を成し、日本人に帰化された金美齢女史は、2010年1月の「正論」で次のように述べられていますので抜粋します。
一国のパスポートは身分証明書であり、外国に出たら「最後の頼みの綱」である。その頼みの綱を失ったとき、私は個人にとっての国家がいかに大切であるか、個人は国に守られて生きているということを肌で感じた。台湾(中華民国)のパスポートではどこへ行くのにもビザ(査証)が必要になるが、パスポートがなければビザの申請自体を受け付けない国がたくさんある。 先人の偉業、戦禍に倒れた英霊に感謝のこころさえ忘れてしまった日本人。 金美齢女史が述べられているように、今の日本の信用は今の日本人が築きあげたものではありません。
建国以来、道義を大切にし、それを行なってきた先人の遺産なのです。
これを、現世の日本人の都合で変えてはならないのです。
明治日本は僅か半世紀足らずで、極東の小国「日本」を世界に知らしめました。
明治節の日にあたり、明治大帝の御遺徳をしのび、明治大帝の下、道義国家日本を世界に知らしめた先人に感謝し、失ってしまった「日本人の誇り」「日本人としての矜持」を取戻して欲しいと願うばかりです。
明治大帝が人の心のあり方について詠まれた大御歌(おおみうた)に、次のようなものがあります。 久かたの 空に晴れたる 富士の根の
高きを人の こころともがな
(大意:晴れた大空にそびえる富士山の高根のように、気高い心を自分の心としたいものだ)
あさみどり すみわたりたる 大空の
ひろきをおのが 心ともがな
(大意:浅緑色に澄みわたった大空のように、広々とした心を自分の心
としたいものだ)
目の見えぬ 神に向ひて 耻(はじ)ざるは
人のこころの まことなりけり
(大意:目に見えぬ神に向って恥じないのは、人の誠の心であるよ)
人は親に育てられ、やがて自らの人生を歩みだします。誰にとっても親は、人生について教えてくれた最高の恩人です。明治大帝は親について次のように詠まれています。
たらちねの みおやのをしへ 新玉の
年ふるままに 身にぞしみける
(大意:年々、新しい年を重ねるにしたがって、身に染みわたるのは、
自分を育ててくれた親の有り難い教えである)
人には誰しも友だちが必要です。真の友情は、人を磨き、人を成長させます。明治大帝は、そのことを次のように詠まれています。
あやまちを 諌(いさ)めかはして 親しむが
まことの友の 心なるらむ
(大意:過ちがあれば互に注意しあって、親しんでゆくが、本当の友だちの心である)
明治大帝は、一人一人の自分の努力の大切さを、わかりやすく歌に詠まれています。
つもりては 払ふがかたく なりぬべし
ちりばかりなる こととおもへど
(大意:心の汚れというものは、僅かなる塵ほどのことと思っても、
そのままにしておくと積もり積もって、払うことができなくなって
しまう。だから、自分の心を常に清めなければならない)
思ふこと おもふがままに なれりとも
身をつつしまん ことを忘るな
(大意:なんでも自分の思うようになるようになったとしても、人は
わが身を慎むことを忘れてはならないぞ)
中村草田男は、昭和初年に「降る雪や明治は遠くなりにけり」と詠みました。しかし、「明治」はわが国、日本人にとって遠くなってはならず、「明治」がありありと近づいてくるのを感じなければならない。11月3日が「明治の日」になり、菊花の香りの中に、日本人が「気宇壮大」な「明治」を振り返る日が実現することを強く望んでやみません。 誇りある「日本人」として、「日本人は日本人らしく」・・・・
今日は、国旗を掲げましょう・・・・・・ |
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2012年11月03日
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ネルー首相と娘さん、そして象のインディラ (上野動物園にて)
戦争中、上野動物園では米軍の爆撃で檻が壊され、猛獣や大型動物が逃げ出して市民に危害を加えないよう薬殺などの処分が行われました。象が殺された悲劇は後に物語にもなりました。
戦後、インドのネルー首相が、上野動物園がある台東区の子供たちの熱望に応え、再び上野動物園に象が飼われるようになりました。
昭和24年、ネルー首相は娘の名前を付けた「インディラ」を贈ってくれました。
インドのネルー首相が少年の頃、インドはイギリスの植民地支配から抜け出そうと独立運動を行っていましたが、とてもイギリスには歯が立ちませんでした。
しかし、その頃、同じアジア人がとてつもないことをしました。
日露戦争で日本が大国ロシアに勝利したのです。
この時のことをネルー首相はのちにこう書いています。
「日本が勝ちました。大国の仲間入りをしました。アジアの国、日本の勝利は、全てのアジア諸国に計り知れない影響を与えたのです。少年の私がこれにいかに興奮したか。この興奮はアジアの老若男女全てが分かち合いました。欧州の大国が負けました。アジアが欧州に勝ったのです」
この時、ネルー少年は日本に勇気と希望を与えてもらい、自分たちもやればできると強く思ったのです。
その後、大東亜戦争で日本がインドをイギリスの植民地から解放するために命をかけて貢献しました。ネルー首相はそれもしっかり見ていました。
しかし、その後の日本を見たネルー首相は、「敗戦で打ちひしがれていた日本を元気づけたい」と思い、象を欲しがっている日本の子供たちに次のような文書を贈りました。
日本の子供たちへおくる言葉
皆さん 私は皆さんのお望みによって、インドの象を一頭皆さんへお贈りすることを大変嬉しく思います。この象は見事な象で、大変にお行儀が良く、そして聞く所によりますと、体に縁起の良いしるしをすっかりそなえているとの事です。
皆さん、この象は、私からのではなく、インドの子供達から日本の子供達への贈物であるとご承知下さい。世界中の子供達は多くの点で似かよっています。
ところが大人になると変わり出して、そして不幸な事には、時々喧嘩をしたりします。
私達はこの様な大人達の喧嘩を止めさせなければなりません。
そして、私の願いはインドの子供達や日本の子供達が成長した時には、おのおの自分達の立派な祖国のためばかりにではなく、アジアと世界全体の平和と協力のためにも尽くして欲しいということです。
ですから、このインディラという名を持った象を、インドの子供達からの愛情と好意の使者として考えて下さい。
インディラは東京でたったひとりぽっちで、あるいは少しさびしがって遊び友達を欲しがるかも知れません。
もし皆さんのお望みならば、インディラがこれから自分の住家としてゆく新しい国で幸福になるように、お友達の象を一頭送るようにすることも出来ます。
象というものは立派な動物で、インドでは大変に可愛がられ、しかもインドの特に代表的なものです。象は賢くて、しんぼう強く、力が強く、しかも優しいものです。
私達も皆、象の持つこれらの良いところを、身につけるようにしてゆきたいものです。
おわりに皆さんに私の愛情と好意とを贈ります
ジャワハルラル ネルー 1949年9月1日 ニューデリー
このインドの好意はその後も続いて、四頭目の象には「スーリア」が贈られました。「スーリア」とはヒンズー語で「昇る太陽」という意味で、これは「日出ずる国」である日本にちなんで命名されたといいます。
インドの独立記念日は8月15日で、イギリスからの独立を記念する日です。
このような国の特別の祝日には、どこの国の在外公館でもお祝いのパーティーを開きますが、在日インド大使館だけは、この日が日本人にとって大東亜戦争の戦没者を追悼する特別の思いがこもった日であることに配慮してパーティーをやりません。
代わりに日本の国花である桜が満開の春の時期を選んでパーティーを開くことにしています。
昭和40年から41年、インドでは大飢饉に襲われ多くの国民が食糧難で困っていました。これを受けて、昭和41年3月に台東区町会連合会定例会において「インド飢餓救援の募金」を決めました。
これは、かつて台東区の子どもたちが中心となって象の招致運動をした際に、ネルー首相から象のインディラが贈られ、その恩をお返ししようと募金を計画したものです。
動物園のある上野地区は4月10日に80万円を集めて台東区へ届けてきました。
集まった救援募金は当時の額で総額343万1403円にもなり、インド大使館アイ・エス・メーター書記官に手渡されました。
当時、昭和41年6月5日の台東区民新聞には、「江戸っ子の人情でかたい友好の絆が結ばれた」と書かれていました。
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