ここから本文です
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]

イメージ 1
ジョン・トーランド著、、『大日本帝国の興亡』(毎日新聞社)
 
 
 
イメージ 2
ジョン・トーランド
 
 
昨日12月8日はわが国にとって、未来永劫忘れ得ぬ日です。
今日、大東亜戦争は、日本の侵略戦争だったと考えている人が多くいますが、日本人ならば、日本人の立場での言い分を素直に知り、受け入れるべきだと筆者は思うのです。
 
歴史というものは、戦争に勝った勝者が塗り替えていきます。
肇国以来、他国に侵略・支配されたことがないわが国では、隣国、シナ・韓国のように歴史を捏造する必要がなかったからです。
 
米国の戦史ノンフィクション作家ジョン・トーランド氏は、日米双方の幅広い当事者に多数取材した『大日本帝国の興亡』(毎日新聞社)の中で次のように書いています。同書は、ピューリッツアー賞に輝いた名著でもあります
 
 「日本の満州奪取と北支(中国北部)への侵攻に対して、アメリカがさらに激しい言葉を用いて日本を弾劾するようになると、両国の溝はいっそう深まった。……なぜアメリカはモンロー主義の存在が許されるのに、アジアに対して門戸開放の原則を強制しようとするのか? 日本が匪賊の跋扈(ばっこ)する満州に乗り出すことは、アメリカがカリブ海に武力介入するのと、なんら変わらないではないか。……イギリスやオランダが、インドや香港、シンガポールおよび東インド諸島を領有することは、これを完全に認めることができるが、日本が彼らのまねをしようとすれば、罪悪であると糾弾する根拠はどこにあるのか? なぜインディアンに対して術策を弄し、酒を使い、虐殺をして土地を奪ったアメリカ人が、日本人が中国で同じことをしたからといって、指をさすことができるであろうか」
 トーランド氏はここでアーノルド・トインビーの次の言葉を引用しています。
 「日本の満州に対する経済進出は、日本が国際社会で存立してゆくのに不可欠であったので、けっして貪欲な行為とはいえない。……国民党に率いられる中国と、ソ連と、太平洋にあった人種偏見の強い英語国民(アメリカ)が日本を圧迫すると、日本の国際的地位は再び危ういものとなった」と・・・
 
 
イメージ 3
アメリカの鏡・日本
 
 
 
イメージ 4
ヘレン・ミアーズ氏
 
 
 戦前のアメリカで、日本について最もよく知っていたといわれる人物が、ヘレン・ミアーズ氏です。ミアーズは日本に滞在したことがあり、実際の日本を知っていたのです。
彼女は、戦後間もなく『アメリカの鏡・日本』(メディアファクトリー)という本を書きました。ミアーズは全米の注目の的となりましたが、彼女の主張はアメリカ人にとって不愉快なものであり、アメリカ人は次第に彼女を無視するようになった。それゆえ、この本と共に彼女は世に出ることなくいつしか忘れ去られていったのです。この本は、マッカーサーによって、発禁処分にされました。ミヤーズから原著の寄贈を受けた日本の翻訳家、原百代は、それを日本で翻訳出版すべく連合軍総司令部に許可を求めたが、「占領が終わらなければ、日本人は、この本を読むことはできない」とするマッカーサーの一言で、かなわなかった。わが国の占領期間中は、禁書とされた著書です。
 
 この本でミアーズ氏は、戦前の日本がアジア地域で行ったことを、侵略であるとは決めつけていません。日本よりもむしろ欧米列強の方が、よほど大規模な植民地政策や拡張主義、奴隷搾取主義をとっていたと指摘しています。
「3月の東京爆撃以降後、米軍は日本軍相手ではなく、主に一般市民を相手に戦争をしていた」また、「一般市民に対する焼夷弾爆撃は『動かないアヒル射ち』だった」と書かれている。
先の大戦を振り返ると、「日本はなぜパールハーバーを攻撃したか」
「なぜ無謀な戦争をしなければならなかったか」という疑問があり、
戦後史観をもってすれば、考えは簡単で「日本は侵略者だった」からだと断じていますが、
ミアーズは、「アメリカは日本を裁くほど公正でも潔白でもない」と書いています。そして、「日本の指導部が満州と中国における行動を説明するのに使っている言葉と、今日私たち(アメリカ人)の政策立案者、著名な評論家がアメリカの政策を説明するのに使っている言葉は、まったく同じなのだ」とも。
ミアーズ氏が繰り返しその著書で訴えているのは、
 米国は戦争に勝つために日本を占領したのではない、占領そのものが目的であった。
 米国は日本が脅威だったから日本と戦ったのではない。日本の脅威をことさらに強調し、それを口実に日本国民と 日本文明の破壊のために日本を戦争に追い込んだ。
 という事です。
 
イメージ 5
ジョージ・フロスト・ケナン氏
 
 
 米国は日本を打ち負かしました。しかしその結果、シナは共産化し、ソ連は勢力を拡大してしまいました。戦後、米国はソ連を封じ込めようと強力な反共政策を推進しました。その中心となったジョージ・F・ケナンは、それまでのアメリカの対日政策を批判しました。米国は戦前、日本に対し、シナや満州における権益を放棄させようと、極めて厳しい要求をしました。ケナンはその点について『アメリカ外交50年』という講演録で、次のように述べています。
 「これを字義通りにまた型破りな仕方で適用しようとすれば、それは外人一般が中国における居住および活動を完全に破棄することを、意味するだけだっただろう」「長年にわたって、我々が要求していることが、日本の国内問題の見地からみていかに重要な意義をもっているかについて、我々は考慮を払う事を拒んできた。…我々の要求が特に敏感な部分に触れて、日本人の感情を傷付けたとしても、それは我々にはほとんど影響を持たなかった」「我々は十年一日のごとく、アジア大陸における他の列強なかんずく日本に向かって嫌がらせをした」
 彼はこうした米国外交が、日本を戦争に追いやり、共産主義を増強させるはめになったと、米国の政策を批判したのです。
 
 アメリカ人の知識人のなかにもこういう意見があり、、大東亜戦争が戦後の史観に基づく、単純な日本の侵略戦争ではなく、自存自衛の戦争であったと、複雑な性格をもっていることがお解りいただけるでしょう。
そして誤った戦後史観がわが国に重くのしかかっていることを・・
 
筆者は声高らかに叫びたい、「米国も大東亜戦争を反省せよ」と・・
 

開くトラックバック(1)

人気ブログランキングに参加しています。
         まずはここをポチッとご協力お願い申し上げます。
イメージ 2
 
 
イメージ 1
 
 
15世紀からの大航海時代と教科書では教えますが、事実は白人国家の侵略、植民地時代の始まりというのが本当であって、南米やアジア諸国にとっては虐殺、奴隷、資源略奪という悲劇の幕開けであったのです。
スペインの支配下にあったアルゼンチンは1816年に独立しました。そして、アルゼンチンはアメリカの南米へのヨーロッパ列強の干渉を排したモンロー主義にも、ヨーロッパ諸国に対しても与せずに独自のスタンスを取りました。そのため独立したアルゼンチンには常に緊張する状況でありました。
 
このアルゼンチンが独自のスタンスを取りえたのは日本という独立した強い国を慕い、手本としていたからでした。アルゼンチンの日本の研究はかなり深くなされていました。「日本がなぜ強いのか・・・」
 
そのアルゼンチンが日本への関心が一気に噴き出たのは日露戦争においてでした。日本はなぜ大国ロシアに勝利できたのか。その要因は多分にあったことでしょう。しかしアルゼンチンはその核心をしっかり見抜いていたのです。当時のアルゼンチンの報道にはこういう記事がありました。
 
「日本ではすでに604年に憲法が制定されており、その憲法は『和をもって貴しとせよ。群卿百寮、礼をもって本とせよ。それ民を治める本なり』と定めている。
現在アジアで憲法をもつ唯一の国である日本は、威喝によってではなく、倫理、道徳によって社会を律し、国家への忠、親への孝、夫婦の和、兄弟の愛、が宗教人としてではなく、社会人、家庭人としての義務とされている。
国民は見識をもち、勤勉かつ壮健である。彼ら神道の中には祖国と天皇陛下への崇拝心が混在している。戦争に勝利したのは東郷でも大山でもない。戦争に勝つには優秀な将軍だけでは十分でなく、すぐれた軍隊が必要なのであり、そして優れた軍隊をもつには堅牢に建設された国家の存在が不可欠なのである」(『ラテン・アメリカ編集』より)
 
国民の中に道徳性があるのが日本であり、これが日本を勝たせた要因であると書いているのです。
「国家への忠、親への孝、夫婦の和、兄弟の愛・・」。これはまさに明治23年に発布された教育勅語そのものであります。
乃木希典、大山巌、東郷平八郎はじめ偉大な軍人がいました。しかし、それだけでは勝てないのです。そこには名もなき国民の奮闘と団結、国民の高い道徳性、倫理性、これがあったからこそ日本が強かったのであると、アルゼンチンは日本を見抜いていたのです。
 
昭和9年、帝国陸軍にもいた蒋介石は支那でこういう演説をしました。
「予は日本の陸軍で学び、その学校教育、軍隊教育を受けた。日本人は口に出して言わないが、その日常生活すべて礼儀廉恥にかなっている。
このような教育を数十年続けた結果、今日のように富強な国家を作り上げた。我々中国人は砲煙弾雨の間に日本人と争うまでもなく日常の生活ですでに負けている」
 
歴史に学ぶ、とはよく言われることです。
現代の我々日本人に何が欠けていて、何が必要であるのか、何を失い、何を取り戻さなければならないのか、いま一度考えてみたい・・・
 
・・・・・・ 
人気ブログランキングに参加しています。
  戦後日本人が失ってきたものを取り戻したい、
                    と思った方はここをポチッとお願いします。
イメージ 2

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

イメージ 1
 
イメージ 2
 
 
イメージ 12
忘れずに、最初にクリックをお願いします。
 
 
良識ある日本国民の皆様には、12月8日の大東亜戦争開戦記念日はご存知だと考えます。
 
昭和初期、米国はフィリピンを、英国はインド・ビルマ・マレー半島を、フランスはインドシナを、オランダはインドネシアを植民地支配していました。
 
イメージ 8
 
アジアが白色帝国主義諸国により植民地支配される中、唯一の独立国は「日本」でした。
 
※枢軸国のタイ王国を独立国と考えるかは、二重外交や戦後処理問題など、各々の判断にお任せ致します。
 
※大東亜戦争の期間は、靖国神社では「支那事変」と12月8日よりを「大東亜戦争」と分けて英霊を祀っています。
 
反日勢力は大東亜戦争を日本の侵略戦争だと歴史を捏造していますが、大東亜戦争とは日本が生きるために行なった自存自衛戦争でした。

米第32代大統領、フランクリン・ルーズベルトは、対独戦に参戦する口実を欲しがっていたことから日本を戦争に追い込んだのです。
 
イメージ 14
 
ハーバート・フーバー第31代米大統領は、ルーズベルトを、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していました。
 
真珠湾攻撃70年「ルーズベルトは狂気の男」フーバー元大統領が批判
イメージ 3
日本軍による米ハワイ・真珠湾攻撃で、黒煙を上げる米海軍の戦艦アリゾナ(ロイター)

【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874〜1964年)が、日本軍が1941年12月8日、米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882〜1945年)について、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。

 米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」で明らかにした。

 真珠湾攻撃に関しては、ルーズベルトが対独戦に参戦する口実を作るため、攻撃を事前に察知しながら放置。ドイツと同盟国だった日本を対米戦に引きずり込もうとした−などとする“陰謀説”が日米の研究者の間で浮かんでは消えてきたが、米大統領経験者が“陰謀説”に言及していたことが判明したのは初めて。

 ナッシュ氏の著書によると、フーバーは第33代大統領のトルーマンの指示で戦後の日本などを視察。46年に訪日し、東京で連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と会談した。その際、フーバーはマッカーサーに対し、日本との戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘。在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁は「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語ったという。

 マッカーサーも、「ルーズベルトは41年夏に日本側が模索した近衛文麿首相との日米首脳会談を行い、戦争回避の努力をすべきだった」と批判していた。

 著書ではフーバーが「米国から日本への食糧供給がなければ、ナチスの強制収容所並みかそれ以下になるだろう」とマッカーサーに食糧支援の必要性を説いていたことも詳細につづられており、フーバーの対日関与の功績に光を当てるものにもなっている。

 ナッシュ氏は「この著書が、今でも米国の英雄とされているルーズベルト大統領への歴史評価を見直すきっかけになってほしい」と話している。
産経新聞 2011年12月7日
 
ルーズベルト大統領は不戦を公約に掲げていたので、日本から攻撃をさせるように工作をしました。
 
日本による戦争回避を潰すために、フライング・タイガースによる日本軍への攻撃計画・ABCD包囲網による日本の資源断ちをしました。
 
イメージ 7
 
日本は、日米交渉で和平努力をしていました。
 
しかし、昭和16年11月26日、米国側当事者、コーデル・ハル国務長官から日本側に提示された交渉文書「ハル・ノート」により和平を断念しました。
 
イメージ 4
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ハル・ノート
 
62、激怒、安堵、絶望、喝采のハル・ノート
 
(昭和16年11月)二十七日、ハル・ノートに接した我が国政府軍部首脳は直ちに連絡会議を開いたが、出席者全員がアメリカ政府の強硬な態度に衝撃を受け、落胆し、和平交渉の前途に絶望した。東京裁判において東郷は、
 
「ハル・ノートは日本に、支那・仏印からの撤兵を要求していた。さらに三国同盟を死文化する条項も含んでおり、日本が之を受諾すれば、三国同盟を日本から破棄する事になり、国際信義の問題となる。この問題を除外しても、日本がハル・ノートを受諾して撤兵し、警察官までも即時引揚げる事になれば、中・南支でも日本がそれまでした事はすべて水泡に帰し、日本の企業は全部遂行できない事になる。また、南京政府に対する日本の信義は地に墜ち、地方での排日・侮日感情は強くなり、日本人はこの地方から退去しなければならなくなる。
さらにハル・ノートは満洲方面についても同じ事を要求しており、従って日本は満洲からも引揚げなければならなくなり、その政治的影響は自ずから朝鮮にも及び、日本は朝鮮からも引揚げなくてはならない事になる。換言すれば、日本の対外情勢は満洲事変前の状況よりも悪くなり、ハル・ノートは日本が日露戦争以前の状態になるような要求である。
これがすなわち東亜における大国としての日本の自殺である。ハル・ノートは日本に対し全面的屈服か戦争か、を迫るものと解釈された。
もしハル・ノートを受諾すれば、日本は東亜における大国の地位を保持できなくなるのみならず、三流国以下に転落してしまうのが、ハル・ノートを知る者全員の一致した意見であった。従って、日本は自衛上戦争する外ないとの意見に一致した。
 
と証言し、さらに東條は、キーナン検察官から「証人はハル・ノートを見た事があるか」と質問された際、「これはもう一生涯忘れません」と、ハル・ノートの内容を知った時の驚き、失望、怒りを一言の下に表した。
【国民のための大東亜戦争正統抄史1928-56戦争の天才と謀略の天才の戦い6066東條内閣の和平努力】抜粋
 
 
イメージ 5
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大東亜戦争への道
 
東郷茂徳は東京裁判の口述書でその時の我方の反応を
「ハル・ノートに対する出席者全員の感じは一様だったと思う。米国は従来の交渉経緯と一致点を全て無視し、最後通牒を突きつけてきたのだ。我々は、米側は明らかに平和解決の望みも意思も持っていないと感じた。蓋しハル・ノートは平和の代価として日本が米国の立場に全面降伏することを要求するものであることは我々に明らかであり、米側にも明らかであったに違いないからだ。
日本は今や長年の犠牲の結果を全て放棄するばかりか、極東の大国たる国際的地位を棄てることを求められたのである。これは国家的自殺に等しく、この挑戦に対抗し、自らを護る唯一の残された道は戦争であった」
と述べている。
 
これは軍部の見解ではなく、文官たる外務大臣の意見であることに注意すべきである。無論、東條首相の宣誓供述書も殆どこれと同趣旨である。即ち連絡会議の結論は(1)ハルノートは明らかに最後通牒であり(2)米国は我国が受諾できない事を知りつつ、しかも関係国との緊密な了解の上に通知してきて居り(3)米側はすでに対日戦争を決意しているが如くである。
中村粲「大東亜戦争への道」抜粋
 
当時、日本は石油の80%をアメリカから輸入し、残りの20%を英国とオランダから輸入していました。

これら3カ国が日本に石油を売らなければ、日本は滅亡したのであり、日本に石油を売らないということは、「日本に死ね」と言うのと同じことでした。

日本がハルノートを受け入れ、日本が支那や満州から撤退していたら、日本では失業者が溢れ、夥しい数の日本人が餓死などで死んでいたでしょう。

そして、亜細亜の大国の地位を失い、小国に転落すれば、米国・ソ連に植民地支配されていたでしょう。
 
英国に植民地にされたアイルランドの人口は、1841年の820万人が1911年には444万人と約半分になりました。
 
1939
月、米国が日米通商航海条約を破棄
1940
1月、米国が錫、屑鉄の対日輸出額を前年度の半分にすると通告 
月、米国が工作機械の対日輸出を禁止
月、米国が航空機用ガソリンの東半球への輸出を禁止
月、米国が屑鉄の輸出を全面禁止
●1941年
4月、日米交渉開始
7月、ルーズベルト大統領など米国首脳がフライング・タイガーによる日本本土爆撃計画に署名
7月、米国が在米日本資産を凍結
8月、米国が対日石油輸出を全面禁止
9月、日本は帝国国策遂行要領
10月、東條英機内閣発足、「帝国国策遂行要領」を白紙に和平努力
11月26日、米国がハルノート提示
12月8日、真珠湾攻撃・マレー半島侵攻、日本政府による対米英宣戦布告
   
昭和16年12月8日、日本は独立国としの自存自衛のために開戦をしました。
 
12月8日午前1時30分(日本時間)、日本は英領のマレー半島に侵攻しました。
 
日本による奇襲攻撃とされたハワイ真珠湾攻撃は、12月8日午前3時19分(ハワイ時間7日7時49分)からです。
 
イメージ 9
 
米国は真珠湾攻撃より1時10分前の6時40分、アメリカ領海で日本海軍の潜水艦を米国駆逐艦ウォード(ワード)号が攻撃して撃沈しています。
 
このことは、「米国海軍ヒューウィット調査機関提出書類75」(1945年6月7日)にも記されています。
 
シーボルト米国少将
アメリカの駆逐艦ウォード号は、奇襲以前に日本の特殊潜航艇を撃墜している。根拠はルーズベルト大統領の、「すでに日本との外交交渉は終わった。これからは諸君の手で解決されなければならない」という通告に基づいて。
「真珠湾の審判」より
 
イメージ 10
米国駆逐艦ウォード(ワード)号
 
アメリカ陸軍スチムソン長官の日記
「ハワイで我々を攻撃したことで、今やジャップは問題の全てを解決してくれた。これで全米国民が危機感を覚え、一致団結の機運が生まれた。」
 
英国軍需生産省オリバーリットルトン
「米国が戦争に追い込まれたというのは歴史の改作狂劇である。米国が、日本をして次のごとき限界まで追い込んだからだ。すなわち日本人は真珠湾において、攻撃するのを余儀なくされるまでアメリカに強圧されたのである」
1944年6月20日、ロンドンの米国商業会議より
 
キンメル米国大将
「アメリカ政府が日本の野村大使に手交した対日通告は、以後の日米交渉の可能性に事実上の終止符を打ったものであり、したがって太平洋戦争を避けえられないものにしてしまった」
「真珠湾の審判」より
 
マーシャル米国大将
「アメリカ側からさきに攻撃を開始すれば国論は分裂の恐れがあったから、外交の手続き上で、日本をして先に手出しを出させる必要があった。それではどう云う手を打つべきかについては、ハルが大統領のために準備すべきであると決定された」(ハルノート手交前日の戦争諮問委員会に出席。他のメンバーはルーズベルト、ハル、ノックス、スチムソン、スターク)
1946年4月9日査問委員会より
 
イメージ 6
 
凛として愛(5/7)(動画)
 
 
「大東亜戦争開戦の真実」4−1(H18.12.6)(動画)
 
 
 
イメージ 11
 
大東亜戦争終結後の日本は、本当の侵略者である戦勝国と、反日勢力が捏造した歴史を洗脳されています。
 
当時の日本人が戦った大東亜戦争とは、決して侵略戦争ではなく、日本の自存自衛戦争でした。
 
日本が戦わなければ、アジア諸国の独立は何十年後に実現したかも分からないのであり、アジア解放のための聖戦でもあります。
 
歴史とは勝者が作るものであっても勝者が正義とは限らないのであり、日本の和平努力・戦争回避を潰して日本に自殺を求め、開戦に追い込んだのは米国です。
 
良識ある日本国民の皆様、大東亜戦争についてご考慮下さい。
 
大東亜戦争は侵略ではなく自存自衛戦争だ!
 
と思われた方は、↓クリックをお願いします。↓
 
イメージ 13
 
 
 
 
 
 
 
 

転載元転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘

全1ページ

[1]

アメブロにタイトル同じで移行。
アメブロにタイトル同じで移行。
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14 15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31

Yahoo!からのお知らせ

友だち(51)
  • 筑後川の日本人
  • so-kei♪
  • MUGEN
  • 在日の違法行為を咎める
  • 愛國
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン

みんなの更新記事