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浦安の舞い
「子の孫の その子の孫よ千代かけて 祖国をまもれ 心つくして」 第23軍司令官として、イギリスの植民地、香港攻略作戦の指揮をとり、二週間で英軍を降伏させた酒井隆陸軍中将の辞世です。 酒井隆陸軍中将は第23軍司令官で昭和18年に一線を退いていましたが、南京軍事法廷で死刑判決を受け、昭和21年9月、南京雨花台で銃殺刑に処されました。 酒井中将は南京軍事法廷で死刑第一号となった人です。 その最期は大変悲惨なものでした。 ……トラックに乗せられ、町を引き回され、数十万の人々の罵声を浴びた後、雨花台で処刑され、口から血を流した中将の写真が翌日の新聞の一面を飾った。死体は放置され、烏の目玉をつつくままにされた。 …… 死者を死後も冒涜する支那人の感性というのは、私たち日本人にはなかなか理解できないものです。 戦後多くの軍人、軍属の方々が、言われなき罪状に問われ、祖国の大地に還ることなく法務死をされました。その汚名は未だに雪がれていません。 酒井中将は妻にあてた手紙や日記に、こう書き残しています。 五月三十一日 ラヂオでおききでせうが、戦犯として今日決定します。 これによつて中日がまことの道を歩くこととなり、 日本を侵略と言はれないですむ道に出れば、私の本願です。 好きな中国で死んで、私はよろこんで逝きます(中略) 子供達の教育の金もないかと案じます。インフレの中に何もかも妻に一任して 私はこんな所で死ぬ、まことに申訳ありません(中略) 遺骨があればその一部を分骨して原村(広島県の郷里)の父母の山林か墓前のところに 土まんじゅうでもこしらへてお埋めください。墓石なんかいらぬ(中略) 八月二十六日 あと二、三日の死を待つのも仕方ない。いやなものだ。 静かに故人の幾人かが遭遇した天命をたどるのだ。所見も感想もなるべく考えない。 書くまい。手近な人々を考へるよりか、本をよみ、歴史をよみ、徐かに人生を去る。 その時まで勉強するのだ。洗濯もし、きものも整理する。 九月十日 (中略)もう二度と行けないと思ふと残りをしいが、死ねば心はすぐに日本にかへる。 いつでも刑に掛けてと祈る。何時迄も牢屋に生きるよりか 放たれた日本の空に、我は祖国の礎となる。 大好きな日本。 私は空とぶ姿でかへる。 酒井隆は、駐中華民国公使館の副武官、参謀本部作戦部中国課課長、天津駐屯軍参謀長、香港軍政庁長官、北京の特務機関長などを歴任し、陸軍きっての中国通として知られ、祖国日本同様、中国を愛しておられました。 亡くなる前まで、日中関係を憂慮されておられたのです。 果たして現在の日中関係が酒井中将が望んだ姿となっているでしょうか? 日中関係云々以前に、今の日本、特に政治家の中で、「祖国を守れ 心つくして」の精神を持っている人がいったい何人いるのでしょうか? 大東亜戦争で、祖国の為に命を賭けて戦ってくださった英霊の遺言は尊いものです。 祖国を守れというのは、戦争を奨励しているのではないのです。 祖国の文化を護り、伝統を守り、風習を守り、先祖の残した土地を護り、愛する人々を護り、 祖国の人々暮らしを守り、祖国の未来を守るという事です。 愛国心とは、その字の如く「国を愛する」事です。付け足す言葉はいりません。 国を愛するという事は、国のために即戦争をしろというのではないのです。 国を愛するという事は、故郷を愛し、父母や家族を愛し、日本の風景を愛し、伝統文化を愛し 未来の子供達に、それを託し、縦糸を紡いでいくことです。 反戦と反日は、全く異なります。 世界中どこの国に祖国を裏切り、祖先を蔑む民族がいるでしょうか? 恥ずかしながら、日本だけです。 祖国日本を、再び不幸な戦いの地にしないために、この日本を愛してください。 私達は、先人・先達が命に代えて護ろうとした祖国日本の未来を、心を尽くして守ってきたでしょうか? 政治家は党利党略に走り、党内の権力闘争に明け暮れ、、愛国心を持つな!という反日教師に洗脳され、メディアは、世界の動向を故意に報道もしないで世論を操作したり・・・ 歴史から何も学ぼうともせず、国内の工作にも周辺国の動きにも鈍感でいては戦争で亡くなった、多くの皆さんに申し訳ない。 隣人・隣国を憎めと言っているのではありません。 ただ、ただ、日本を愛してください。 「子の孫の その子の孫よ千代かけて 祖国をまもれ 心つくして」 |
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2012年02月01日
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歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
米国政府の日本占領目的
高知大学名誉教授 福地惇
曰く、「日本国が再び米国の脅威となり、または世界の平和及び安全の脅威とならざることを確実にすること」。また「他国の権利を尊重し国際連合憲章の理想と原則に示されたる米国の目的を支持すべき平和的且つ責任ある政府を究極において樹立すること、米国は斯(か)かる政府が出来得る限り民主主義的自治の原則に合致することを希望するも、自由に表示せられたる国民の意思に支持せられざる如何なる政治形態をも日本国に強要することは連合国の責任に非ず」(第一部))と言明する。
そして最高司令官の権限は、「日本国における唯一の連合国の為の執行権者」(「極東委員会・対日理事会付託条項」の「乙・連合国対日理事会」五)だと規定している。
さらに、占領目的は次の主要手段により達成せらるべしとして、①日本国領土の制限、②完全武装解除、非軍事化、軍国主義者の一掃、③民主主義的及び代議的組織の形成奨励、④平時需要に限っての自力経済の機会付与、等を列記する。ただし、これら諸条項は、明らかにポツダム宣言に明記してある事項であるから、正当である。
「初期の対日方針」が言明するように、米国政府の日本占領の「究極の目的」は、日本国が再興して米国の脅威にならないように、当面は非武装化して自主的に非軍事的国家へと改造させることであった。そのために日本国を「軍事占領」したのである。
連合国総司令部(GHQ)の占領行動とは、「主要連合国の為の軍事行動」である。占領期間は国際法規上では依然として「戦争状態に在る」のだから、それはその通りなのだが、大日本帝国を降伏させるためにポツダム宣言を受諾させた以上、この国際協約が明記した降伏条件=占領条件は、当然戦勝国の行動をも国際法的に拘束したのである。
翌、昭和21年1月7日には国務・陸軍・海軍の三省調整委員会(SWNCC)が策定した『日本国統治制度の改革』(SWNCC第228文書)が通達された。これは、別名『改憲訓令』と呼ばれる文書で、憲法改正の必要性を強調したものである。そこにはポツダム宣言に掲げられた日本国占領政策に関し、「最高司令官は日本国政府当局に対し指示しなければならない」が、「最高司令官は先に列挙した諸改革の実施を日本国政府に命令するのは最後の手段としての場合に限らなければならない」と権力行使に対する抑制を指示している。
以上の点から、米国政府のマッカーサーへの諸指令・訓令についてはーいくつか見解の乱れがうかがえるもののー、基本的にはポツダム宣言の精神を踏まえて策定されており、我が国の「民族自決権」「國體の良い面の保持」を最低限認めていた事実は確認できる。
しかるに吉田茂内閣以降の歴代内閣と有力政治家、法学界や歴史学界、言論界、知識人層の圧倒的多数は、「終戦の詔書」の決意を放擲(ほうてき)し、ポツダム宣言で日本は「無条件降伏」をしたとの立場を墨守してきた。マッカーサーの詐術と欺瞞に満ちた占領政治、それに阿諛迎合(あゆげいごう)した輩によって終戦の詔書の精神はあっという間に棄損され、「敗北主義者」が我が国の上から下まで覆いつくしてしまったのである。
なぜそうなってしまうのか。
マッカーサーの占領政治の強力に戦後日本の政治は完敗したのである。完敗というよりも戦後日本の政治は、抵抗する意思を自ら投げ捨てたために、マッカーサーを完勝させたのである。
マッカーサーは「日本人は勝者におもねる民族」だと言ったが、まさにその政治的脆弱性に付け込んで日本の歴史を負の評価で真っ黒に塗りつぶし、反対給付として正の評価で占領政治を輝かせたのである。いささか感傷を込めて言えば、マッカーサーは我が国の光輝ある「國體」を破滅し、国民の愛国心を解体して、マッカーサー・ギフトの国家改造を完遂させた。
大東亜戦争の敗北に“戦後の敗北”を重ねられた日本国民の一人として看過できないのは、戦後歴代政府、国会、憲法学界、歴史学界が、<日本無条件降伏論>に何の反駁もしないまま諦念を慫慂(しょうよう)したことである。またマッカーサーの狙い通りに「敗北主義」を国民に植え付け、「國體」の壊滅を合理化し、「敗戦国体制」を護持し続けたことであり、占領政策に屈服したのみかこれを賛美して「完敗の事実」を自ら隠蔽したことである。
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