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全国連合小学校長会理事会に出席する小学校長らから拝謁をうけあそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=16日午後、宮城・宮殿「春秋の間」
全国連合小学校長会理事会に出席する小学校長らから拝謁をうけあそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=16日午後、宮城・宮殿「春秋の間」
全国連合小学校長会理事会に出席する小学校長らから拝謁をうけあそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=16日午後、宮城・宮殿「春秋の間」
君が代
全国連合小学校長会理事会に出席する小学校長らから拝謁をうけあそばされ、叡慮を賜る。天皇陛下、皇后陛下 御尊影=16日午後、宮城・宮殿「春秋の間」
全国連合小学校長会理事会に出席する小学校長らから拝謁をうけあそばされ、叡慮を賜る。天皇陛下、皇后陛下 御尊影=16日午後、宮城・宮殿「春秋の間」
謹んでお伝え致します。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましてはは16日、宮城・宮殿におかれまして、全国連合小学校長会理事会に出席する小学校長ら107人から拝謁をうけあそばされました。
畏くも天皇陛下におかせられましては、玉音で東日本大震災について触れあそばされ「児童を育てる人々がこの災害を忘れることなく、防災の教育に力を尽くされるよう期待しています」と叡慮を賜わりました。
教育は国家の根幹を為す大事なものです。
拝謁賜った107人の校長先生に、畏くも天皇陛下の叡慮は伝わったでしょうか?
次代を担う子供たちに日本人としての誇りと矜持の教育をと願ってやみません。
明日は畏くも天皇陛下がご不例により入院あそばされます。
手術の成功と、畏くも天皇陛下のご平癒をこころより願うものであります。
畏くも天皇陛下、ご不例のご平癒の記帳は宮城(皇居)坂下門前の特設記帳所で、陛下が入院される17日から退院当日まで受け付けます。
時間は午前10時〜午後4時まで。
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
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2012年02月16日
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(マッカーサーと吉田茂)
歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
マッカーサーと吉田茂の回想記
高知大学名誉教授 福地惇
読み進むにつれて腹立たしいが、それでも読破せざるを得ぬ不愉快な本がこの世にある。
『マッカーサー回想記』は横綱格、ワンマン宰相吉田茂の著書『大礒随想』、『世界と日本』、『日本を決定した百年』、『回想十年』等々は大関格である。
マッカーサー回想記は、欺瞞に満ちたものだが、貴重な資料でもある。
吉田茂の書著書も大事な証言録であるが、新憲法制定の助言者、戦後日本復興の大恩人と褒め称えてマッカーサーへの感謝、称賛に溢れ、それゆえに歴史の事実を隠そうとする詭弁に事欠かない。それは吉田が敬愛してやまない元帥の文章とそっくりで、とりもなおさず元帥への阿諛追従であり、戦後政治指導の無責任を韜晦する自己弁護論である。
余談ながら、自民党の麻生太郎は『祖父・吉田茂の流儀』(PHP研究所平成12年6月)を刊行して偉大な祖父の多数の言行を紹介し、「マッカーサーを≪日本の恩人≫と呼んではばからず」と誇らしげに一章を設けて力説している。
だがマッカーサーは国際法蹂躙疑惑の人であるばかりか、日本民族侮蔑の人であることを知っても「恩人」と思えるか。
「太平洋は今や新しい解放された世界になった。今日、・・・・抑圧から解放された人々が自由の喜びと恐怖から解放感を心ゆくまで味わっている」
「米国はフィリピンに、この新しい自由なアジアの判例を築き上げた。フィリピンにおいて米国は、東洋の民族と西洋の民族が共に尊敬と利益を分かち合いながら肩を並べて進んで行ける実例を示した。フィリピンでアメリカの主権が辿った道は、今東洋の完全な信頼を受けている」
明治維新以降、我が国は欧米列強の東亜進出に対峙すべく果敢に国家社会の自主近代化を推進して、欧米の国家学・憲法学の賢者からも高く評価された立憲君主議会制を実現した。さらに産業化を推進し、清国の朝鮮半島支配を排撃(日清戦争)に成功して国威を高め、二十世紀初頭には世界の五大強国の一角に列し国際社会から信頼されるにいたった。先達は立派な近代国民国家を形成し経済基盤を築いたのである。
1930年代以降は政戦両略に混迷・失態は多発したが、国際政治・軍事・経済情勢の極度の緊迫昂進の中で大東亜戦争であった。大敗北は喫したが、米英を相手に壮烈・激烈な現代戦争を戦い抜いたことは世界史に特筆されるべき事績であろう。我が国とフィリピンとを同列視するマッカーサーの国際政治感覚は異常だと苦言を呈したくなるのである。
付言すれば、マッカーサーの日本国民へのキリスト教伝道熱は並大抵ではない。回想記の或る章は「精神革命」と銘打っているほどで重要な占領政治の一環だったことは分明だ。
「私は・・・宣教師を次々日本へ招いた」、「ポケット版聖書連盟は私の要請で一千万冊の日本語の聖書を配布した。私はその後ブルックリン・タブレット紙に次のような手紙を送った。『米国の家庭に発する高遠な影響が、こうして日本人の心の中に染み込んで行っている。この影響は急速に実を結んでおり、多くの人々がキリスト教に帰依しているほか、国民の大きい部分がキリスト教に根底をなす原則と理想を理解し実践し敬愛しようとしている』と」。
やはりマッカーサーは、フィリピンに独立を与えた最後の植民地総督であるかの感覚で、日本の社会習慣の基盤から家族の在り方に至るまでの文化大改造を策動していたのだ。これも明らかに国際法やポツダム宣言違反である。
米国政府は日本を非軍事化した軽率さを悔やんだ。日本国憲法に「戦争放棄」条項を導入したマッカーサーも、さすがに東アジア情勢に軽率だったと反省したようだ。憲法下賜や東京裁判など数多の日本劣化政策で散々「野蛮な侵略国家」と烙印を押した「詭道の達人」は、トルーマン大統領と朝鮮戦争の軍略で意見が対立、1951年4月に国連軍最高司令官を解任されて本国に召還されるや、素早く合衆国政府の対日政策の実現路線に軸足を移し、上院の軍事外交合同委員会での公聴会(同年5月)で、大東亜戦争は日本にとって「安全保障の必要に迫られてのこと」だったと証言して、日本が東アジアにおける反共の防波堤になるべきだと実に都合のよい見解の大転換を図った。日本人はこの事実をきちんと記憶しておかねばならない。
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