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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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天皇陛下、皇后陛下 御尊影







君が代


謹んでお伝え致します。


畏くも天皇陛下におかせられましては、ご入院先の東京大学医学部付属病院(東京都文京区)で受けられていた心臓の冠動脈バイパス手術は18日午後3時ごろ、無事終了しました。
 畏くも天皇陛下におかせられましては、同日午前9時24分に手術室に入られ、東大と順天堂大の合同チームが執刀しました。
 医師団が同日夜に会見し、手術の経過や陛下のご様子について説明する見通し。
宮内庁によると、畏くも天皇陛下におかせられましては、順調なら約2週間で退院される見込みです。





「早い回復を」手術成功祈り皇居前に見舞いの列(12/02/18)





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天皇陛下のご手術成功を祈り、お見舞い記帳する臣民=18日午前、宮城




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天皇陛下のご手術成功を祈り、お見舞い記帳する臣民=18日午前、宮城

畏くも天皇陛下の手術が行われた18日午前、皇居や宮内庁京都事務所などで、お見舞いの記帳が行われた。宮城・坂下門前の特設記帳所では午前10時からの受付を前に91人が列を作ったため、予定より17分早い午前9時43分から受け付けを始めました。
 午前8時50分に来て最初に記帳した東京都新宿区の主婦、角田高子さん(87)は「ご健康をお祈り申し上げようと来た。今回の震災ではご自分で被災地へいらしてお見舞いされ、日本人として本当にありがたいと思う。天皇陛下がお生まれになったときは9歳で、提灯(ちょうちん)行列でお祝いした。早くお元気になっていただきたい」と述べました。
 横浜市南区の元郵便局勤務、武井靖司さん(75)は「手術の大成功と、陛下が一日も早くご健康を回復してくださることをわが家の仏壇に願ってきた」と話し、黒い細字用フェルトペンで名前を記入した。

角田高子さん、武井靖司さんの言葉にあるように、我国は祈りと感謝の國です。
東日本大震災にも現れた一旦緩急あれば、義勇公に奉ずる國であり、君臣一体のお国柄です。


一日も早いご平癒を心より願ってやみません。




尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳


 
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                                                         (吉田茂)
 
歴史学者であり、高知大学名誉教授、新しい歴史教科書をつくる会副会長であります福地惇先生の貴重な小論文を掲載いたします。
 
自己欺瞞者が戦後政治を始動した負の遺産
 
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高知大学名誉教授 福地惇
 
 
敗戦後の政治史を回顧すると、昭和2698日の日米講和条約締結以降の半世紀にわたって、官民挙げて後生大事に、「日本国憲法」を世界に誇れる憲法だと錯覚して(させられて)護持し、「敗北主義イデオロギー」を戴いてきた事実に突当らざるを得ない。
敗戦直後の幣原内閣は、「國體護持」を果たせず、「敗戦国体制」を押し付けられた。これは、降伏=占領支配の強烈な流れからいって万止むをえぬところもあったと言ってよい。
問題は憲法公布から講和条約まで、そして独立主権を回復した後も「敗戦国体制」を護持し「敗北主義」を骨肉化することに営々と謹んだ吉田茂内閣以降である。
 
ワンマン宰相吉田茂とその一派は、「象徴天皇制」は日本の歴史の本流であるなどと言って自己正当化を図った。新憲法は「日米合作」のよい憲法で、非軍事体制が平和を維持し、経済発展を促進したと言い続けた。吉田茂は、「臣茂」などと署名したり、和服を愛用するなどいかにも國體護持の国士風を装う演技に力を入れたが、講和条約締結後、憲法改正論議が沸騰した時、「この憲法を改正しようと考える政治家は馬鹿野郎だ」と常に嘯いていたと、宮沢喜一氏が証言している(『東京―ワシントンの密談』中公文庫)。
 
また旧ソビエトが健在で共産中国の台頭が目覚ましかった頃、保守陣営と革新陣営との政争の過程で、保守派は祖国の伝統尊重勢力であるかのように振舞った。確かに保守陣営は自由・民主主義を価値の基軸に据え、親米・反共・反社会主義だったが、日本国家の歴史と未来を真摯に思い、「敗戦国体制」「敗北主義」の信奉者である革新陣営と思想的・政治的に真剣に抵抗したことがあっただろうか。
国家権力の責務である国民教育権を彼らに預けていた実態を見れば、真剣な対抗策はなかった。馴れ合い的な既成事実を容認しながら反対勢力に押され続けたのが現実である。その出発点は、明らかに吉田政権にある。「敗戦国体制」を護持した「敗北主義者」を、戦後復興の功労者とか大政治家だなどと評価すべきではない。
 
吉田茂は職業外交官だったからさすがに「我が国は無条件降伏した」とは著作のどこにも断言していない。『世界と日本』(昭和38年)では、「敗戦日本における皇室の在り方については、カイロ宣言においても、日本国民の選ぶ所に任されることになっていたし、ポツダム宣言受諾に当たっても、同様趣旨の条件が示されている。占領管理が皇室の地位について特別な強制をする道理は本来ならば考えられない」と正しい見解を示している。
にもかかわらず吉田は仰々しく講和条約締結後も、「占領の恩人マッカーサー元帥」と敬愛の意を示し続け、極東委員会におけるソ連の脅威を排撃すべく先手を打った「天皇制擁護のマッカーサー」と一章を構えて激賞した。だが、「國體が護持された」とは言明しない
これこそ吉田が本質的には狡猾な政治家であることの証左であろう。
吉田が応援した憲法学者宮沢俊義は、先述の通り最高司令官の真意をわざわざ深読みし、「八月革命説」を唱えて「国体破壊」の尖兵をつとめた人物だからである。戦後、宮沢が憲法学界をリードし、東大法学部の憲法講座で多くの優秀な国家官僚、学者、法曹人、言論界の卵を「八月革命説」で教育して、国家の各中枢に送りだした。
その結果として内閣憲法調査会の報告書の主旋律は宮沢憲法学である。それを吉田は「正しい」とした。
『世界と日本』に、「世には新憲法制定過程における総司令部の異常な督促ぶりに対する非難を込めて、マッカーサー憲法などと称するものがあるが、もしそこに強制の事実がありとしても、それは総司令部を含めた日本そのものが、四囲の情勢によって強制されたものである。その間におけるマッカーサー元帥の我が皇室に対する敬意と行為とは没却すべからざる事実であり、その意味においては正にマッカーサー憲法といっても差し支えないであろう。この間の事情は憲法調査会の調査結果で明らかになったはずである」と実に天真爛漫にGHQと敗戦国日本は一体であって、現憲法は「マッカーサー憲法」だと強調している。まさに「國體破壊」の上塗りに謹んだことの自己証言ではないか。
吉田が回想録で述べたことが本気だったとすれば、被占領国の宰相としては敵将の真意にも見抜けない愚直ぶりであり、もし国民を誑(たぶら)かそうとの意図による証言であれば、その自己欺瞞性は国事犯的である。
 
講和条約締結までは、日本政府は、GHQと“冷たい戦争”を継続していたのであり、一国の宰相たるものは全知全能を振り絞って「民族自決権」とポツダム宣言の条項を盾にして講和条約以後を想定し、我が国に不利な占領政策には身命を賭して粘り強い対抗策を工夫すべきであった。まさに、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍ぶ」は国民を代表する最小の最大の責務だったのではないか。
 
吉田は、『大礒随想』(朝日新聞社刊、英文年鑑誌「This is Japan」昭和32年版掲載)で昭和30年代初頭の保守政界の右向き傾向の増大を憂慮し、彼の後継首班鳩山一郎に対して、マッカーサーが与えてくれた「デモクラシー」の育成努力が足りないと痛烈に罵倒して、何と「戦後政治の貧困」を外国(主としてアメリカ)人に訴えている。
一読するに正論のようだが、筆者に言わせれば自己弁護に過ぎない。
吉田が、「國體」=「明治憲法体制」に回帰する努力を投げ捨てた結果が、講和成立後たちまちにして政治の混乱(吉田の言う「政治の貧困」)を生み出したのであり、真の「政治の貧困」の淵源は大勲位自身の政治・外交指導にあった。これは天に唾する愚言ではないか。マッカーサーは「日本人は十二歳の少年」だと軽蔑したが、誰を念頭にしての発言かおおよそ推測できるというものではないか。
 
周知のように、朝鮮戦争以降、「日本再軍備」に関する日米の立場はますます捩(ねじ)れたものとなった。米国は東アジアの反共の橋頭保に日本を位置付け、再軍備を熱心に求めたのに対し、吉田政権は、マッカーサー憲法を盾にして「自衛隊」という軍隊ならざる軍隊の編成で応じた。
無論、「非武装平和主義」の「敗戦国体制」護持が吉田の政治方針だったのだから、「戦力無き軍隊」発言は本気であり、「自衛隊」を将来正規の国軍に育成しようとする意志を放棄していた証ではないかと思う。
朝鮮戦争の勃発は、経済復興のみならず国際社会の一員として責任を果たせる独立主権国家に復帰する、つまり「國體」復興への最大の好機到来ではなかったか。
講和特使ダレスと吉田の駆け引きは、吉田の名誉にされているが、評価は逆ではないか。
吉田は、再軍備反対・集団的安全保障義務の行使を否定する左翼主導の「一国平和主義」の国内思潮に迎合していた。
解任されたマッカーサーは本国に帰って変節しているのだから、元帥の日本国代理人としても合否すれすれの低い評点だろう。
講和後の独立主権国家を構想すべき被占領国宰相としては失格であり、戦後保守本流の祖として吉田茂は、被占領国宰相の重大責務を真剣に果たそうとしていなかったと言わざるを得ない。
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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