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君が代 葉山の御用邸から宮城に還幸あそばされ、車中から手を振りあそばされる天皇陛下 御尊影=9日、宮城・乾門 謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇陛下におかせられましては9日夕、宮城内の宮内庁病院で、胸水の状態などについて診察と検査を受けあそばされました。回復傾向が引き続き確認されたため、10日にも皇太子殿下が務められている国事行為臨時代行が解除され、畏くも天皇陛下が公務に本格復帰される見通しとなりました。
宮城に到着あそばされ、乾門を通過した午後2時ごろには、花見のため周辺にいた臣民、数百人が集まり、両陛下が乗られた車を出迎えました。車はスピードを落とし、両陛下は手をふってお応えあそばされました。 畏くも陛下におかせられましては手術前日の2月17日に、国事行為を皇太子殿下に委任されあそばされた。
畏くも天皇陛下におかせられましては、診察に先立つ9日昼、皇后陛下と静養先の葉山御用邸(神奈川県葉山町)から還幸あそばされた。 畏くも天皇陛下におかせられましては10日、宮城・宮殿「竹の間」におかれまして、キャメロン英首相を引見あそばされました。 天皇、皇后両陛下 ご成婚 皇紀2619年4月10日 御尊影 畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては10日、ご成婚53年を迎えあそばされました。 夜には皇太子殿下、妃殿下と秋篠宮殿下、妃殿下両陛下の長女の黒田清子さん夫妻が宮城・御所を訪問あそばされ、夕食をともにして記念日を祝いあそばされた。 臣民の一人として、謹んでお祝い奉ります。 天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
両陛下がいつまでもお健やかなることを臣民の一人として願ってやみません。。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては11日午後、蓮池参集所におかれまして、勤労奉仕団にご会釈賜わりました。 夜には、小貫芳信最高裁判事ら4人の認証官任命式に臨まれた。 畏くも天皇陛下におかせられましては12日、バーレーンのハマド国王陛下と宮城・宮殿におかれまして、会見、午餐(昼食会)に臨みあそばされました。
午餐には皇太子殿下と秋篠宮殿下が陪席あそばされた。
宮内庁によると、畏くも天皇陛下におかせられましては、東日本大震災や、陛下の心臓手術の際に同国から寄せられたお見舞いに対してお礼を述べあそばされた。国王陛下が、日本への石油の輸出は1934年に始まったとお言葉を述べられると、陛下は「私が生まれた明くる年ですね」とお応えあそばされました。
同日午後、畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては、宮城・御所におかれまして、山口県巡幸啓のため、宮内庁総務課長から説明お受けあそばされた。 畏くも天皇陛下におかせられましては13日、宮城・御所におかれまして、ご執務、皇后陛下におかれましては、ポーランドのコモロフスキ大統領夫人を御所にお茶にお招きあそばされた。 畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては14日午後、冒頭の画像にもありますように、宮城内にある宮内庁楽部で、春季雅楽演奏会をご覧あそばされた。 畏くも天皇陛下におかせられましては16日、宮城内の宮内庁病院で診察を受けられた。陛下は9日の診察・検査で、心臓の冠動脈バイパス手術からの回復傾向が確認されましたが、10日に公務に本格復帰され、約1週間が経過したため、医師が胸水の量などを確認したとみられます。 秋篠宮殿下、同妃殿下、ご長男の悠仁(ひさひと)親王殿下におかせられましては7日、千葉県鴨川市の水族館「鴨川シーワールド」をご覧あそばされた。5歳の悠仁親王殿下におかせられましては、水槽の前でじっくりと魚を見て、「どのくらいの大きさですか」「これもエイ?」などと積極的に質問された。秋篠宮殿下がカメの大きさについて、「ゆうゆう(悠仁親王殿下)より大きいよ」と笑顔で説明される微笑ましい場面もありました。 各宮家は今週もさまざまな公務なさりあそばされた。 秋篠宮殿下におかせられましては9日、進化生物学研究所(東京都世田谷区)で、生き物文化誌学会事務局会議にご台覧あそばされた。11日には山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)で所員会議に臨まれた。
13日には秋篠宮殿下、同妃殿下におかせられましては、、お住まいの宮邸で、フジサンケイグループ会長、産経新聞社社長、フジサンケイビジネスアイ社長から「第21回地球環境大賞」について説明を受けられた。
常陸宮妃殿下におかせられましては10日、駐日コロンビア大使公邸(東京都品川区)で「日本・ラテンアメリカ婦人協会主催ラテンアメリカ料理賞味会」にご台覧あそばされた。
寛仁親王殿下の長女、彬子女王殿下におかせられましては8日、日本職業スキー教師協会の行事「第38回SIAフェスティバル」に出席するために6日から訪問していた北海道から、お住まいの京都に戻られた。
寛仁親王妃殿下におかせられましては9日、57歳の誕生日を迎えられた。
高円宮妃殿下の長女、承子女王殿下におかせられましては8日、アークヒルズのカラヤン広場(東京都港区)で、駐日アラブ大使夫人の会主催「第14回アラブ・チャリティー・バザー」オープニングセレモニーにご台覧あそばされた。
高円宮妃殿下におかせられましては13日、皇居内の楽部庁舎で、春季雅楽演奏会をご覧あそばされた。
畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかにと願ってやみません。
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
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2012年04月16日
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コメント(3)
一国の国民を抹消するための最終段階は歴史の記憶を失わせることである。その歴史を消し去った上で、新しい歴史を工作させることだ。そうすれば間もなくその国民は国の現状についてもその過去についても忘れ始める。
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海上自衛隊に勤務され、『海の武士道』や『昭和天皇の艦長』の著者である恵隆之介さんはこのように講演会でお話されています。
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帝国海軍軍人は今の海上自衛隊よりも旧敵国であった米・英海軍軍人によって尊敬されている事実をご存知でしょうか。
日本海軍の佐久間艇長の遺書は、イギリス海軍とアメリカ海軍で精神教育用に使用されています。人間魚雷回天の考案者である黒木博司海軍大尉の遺書は、イギリス、アメリカ、パキスタン、イタリアで、それぞれ四カ国語に訳され各海軍兵学校で精神教育用に使われています。
一方、日本の海上自衛隊では幹部候補生学校でもこのような先人たちをまったく教えません。
アメリカの練習艦隊が沖縄に入港した時、アメリカの海軍大佐が私にこう言いました。
「自分の父親はペリリュー島で日本軍と戦った。しかし、自分が幼い頃から、父親は旧敵日本軍についていつも敬意をもって語っていた。ところが何だ、今の若い海上自衛隊の士官連中は、佐久間艇長の話を訪ねても黒木大尉の話を訪ねても、全くわからんではないか。一体どういう教育をしているのか」 ・・・。
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田母神閣下が歴史認識で政府見解と異なる論文を発表したということで、「再発防止」と「文民統制の面から適切でない」ということで自衛官の教育内容が適切であるかどうかチェックされるようになりました。
これで一層、若い自衛官は正しい歴史教育から遠ざかってしまいました。
なぜなら、今や良識ある国民はご存知の通り、歴史に関する政府見解こそおかしいのであって、田母神閣下の歴史認識は正しいものであったからです。
歴史を軽視してはいけません。こういう言葉もあります。
「一国の国民を抹消するための最終段階は歴史の記憶を失わせることである。
その歴史を消し去った上で、新しい歴史を工作させることだ。
そうすれば間もなくその国民は、国の現状についても、その過去についても忘れ始めることになる」(ミラン・クンデラ『笑いと忘却の書』)
日清、日露、大東亜戦争と、先人達は国難にあたって我が国を護るために命をかけて戦いました。今日、我が国の繁栄と平和は先人たちの尊い犠牲の上に築かれているものです。
ところが、マスコミや日教組は自虐史観に凝り固まって、英霊の皆様の崇高な自己犠牲の精神に感謝も崇敬の念もなく、日本の残虐な侵略戦争とか帝国主義と言っています。その主張するところは、なぜかシナや韓国が言ってくるものと同じです。
彼らは日本がどうしても悪くなければ都合が悪いのでしょう。日本を二度と立ち上がれないように抑えておきたい。そして、偉人などは日本人の記憶から消し去りたい。だから教えない。
これは日本人に誇りを持たれ、またあの強い日本になっては困るからです。
白人支配に奴隷のように扱われてきたアジアの国々では、同じアジアの小さな国である日本が大国ロシアに堂々と勝ち、さらにアジア人が絶対に敵わないと思われた大国アメリカ、イギリスとも堂々と渡り合って戦っている姿を見て「我々にもできるんだ」という勇気を与えました。・・・
大正10年、スリランカはイギリスの植民地で、人々は牛馬のごとく扱われていました。
ところが昭和天皇が皇太子時代にヨーロッパに御巡遊されるため、お召し艦の「香取」、供奉艦の「鹿島」の二隻で編成された第三艦隊がスリランカ(当時はセイロン)の首都コロンボに入港されました。
この時、ある少年の母親は丘の上に少年を連れて行き、このように言いました。
「見よ、あれがロシアを破った日本海軍の艦隊だ。同じアジア人なのよ。アジア人もやれば出来るのだよ」と諭されたのです。
この時、丘の上には多くのスリランカ人が集まって来て、遠い眼差しで帝国海軍の艦隊を見つめていました。
以来、この少年は猛然と勉強して、スリランカの独立運動に加わり、やがて大統領になるのです。
この少年の名はジャヤワルダナです。
「アジアの諸国民は、なぜ日本が自由になることを切望しているのか。
それはアジア諸国民と日本との長きに渡る結びつきのゆえであり、植民地として従属的地位であったアジア諸国民が日本に対して抱いている深い尊敬ゆえである。
アジア諸国民の中で日本のみが強力かつ自由であって、アジア諸民族は日本を守護者かつ友邦として仰ぎ見た。
ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には祖国が解放されることを願って、日本に協力した者がいたのである。・・・」
この発言に吉田茂全権は感泣しました。
その後、日本はスリランカにとって最大の資金援助国となります。
そのことをスリランカの人たちはよく知っていて、日本人に対してとても感謝しているのはご存知の通りです。
昭和天皇の大喪の礼の時にはジャヤワルダナは強く希望し、時の大統領に代わって参列されました。
きっと、あの時、母から言われたことを思い出していたことでしょう。
ジャヤワルダナは亡くなった時に遺言で「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」として、日本人に角膜を寄贈されたのです。
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