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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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「北野をどり」
 
 
 
 
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「北野をどり」
 
 
 
 
 
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「北野をどり」
 
 
 
 
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「北野をどり」
 
 
 
 
京都の春を告げる恒例行事といえば、花街の“春のをどり”です。
京都最古の花街である西陣・上七軒で開催される「北野をどり」を先頭に、4月には祗園の都をどり、宮川町の京おどり、5月には先斗町の鴨川をどり、と約2カ月間、京都の春は、ひときわ賑わいあでやかな花街の舞台に彩られます。
 
京都に春を告げる花街のをどり、上七軒の「北野をどり」。京都最古の花街である上七軒の歴史と伝統のある昭和27年以降、60回目公演です。
上七軒(かみしちけん)は、京都市上京区真盛町から社家長屋町に位置する花街です。地元の住民は「かみひちけん」と言います。
室町時代に北野天満宮の再建の際に残った機材を使って7軒の茶店を建てた。これが「上七軒」の由来で、桃山時代に豊臣秀吉が北野で大茶会を開いた折に茶店側は団子を献上したところ大いに誉められて以来、また西陣の結びつきで花街としての繁栄を極めてきました。
舞踊の流派は明治以前は篠塚流、その後は花柳流。茶道は西方尼寺で習っています。
残念ながら、昨日が千秋楽となりましたが、今日は、今年で60回目となるのを記念し、千秋楽の翌日(4月8日)には、お茶屋や飲食店を営む元芸妓らが出演する「さかさま会」も行われています。
 
 
 
 
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「都をどり」大ざらえ
 
 
 
 
 
 
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「都をどり」大ざらえ
 
 
 
 
 
 
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「都をどり」大ざらえ
 
 
 
第140回 都をどり
4月1日(日)〜30日(月・祝) 祇園甲部歌舞練場(京都・祗園)
開演=12:30、14:00、15:30、16:50
料金=茶券付特等観覧券 4,500円 壱等観覧券4,000円 弐等観覧券2,000円
問い合わせ=075-541-3391(祇園甲部歌舞練場)
 
 
「都をどりはヨーイヤサー」の掛け声を合図に、宝船をあしらった青い着物姿の舞妓たちが、花団扇を手に登場します。画像は総仕上げの大ざらえの画像ですが、3月31日本番さながらの華麗な舞を披露しました。
祇園は、寛永年間に祇園社(八坂神社)の門前で営業された水茶屋がこの花街の始まりで、京都所司代板倉重宗によって茶立ち女を置くことが許可され、門前の茶屋町を「祇園町」と称するようになった。寛文年間になると四条河原町に芝居小屋が建ち、四条通りと大和通りにも茶屋が開かれるようになり、弁財天町・二十一軒町・中之町・山端町・宮川町で、「祇園外六町」と称した。享保17年、正式に茶屋渡世の営業許可が下りると元吉町・橋本町・林下町・末吉町・清本町・富永町の「祇園内六町」が開かれ、さらに繁栄した。この際に、団子をモチーフにした紋章が作られました。この紋章は現在も祇園甲部と祇園東の紋章として使われています。江戸末期にはお茶屋が500軒、芸妓、舞妓、娼妓合わせて1000人以上がいました。
「都をどり」は祇園甲部(ぎおんこうぶ)の行事となっています。
東京奠都によって繁栄に陰りが差した祇園を立て直すために明治5年に一力亭の九代目当主杉浦治郎右衛門は大参事槇村正直や初代京都府知事長谷信篤の協力を得ながら「祇園甲部歌舞会」を設立し、芸による職業女性としての自立と地位向上をめざした。また、京都博覧会の付け博覧会として都をどりを企画し創設しました。第一回の都をどりの振り付けを担当したのが三世井上八千代であり、これ以降の祇園甲部の舞いは井上流に限るとする取り決めがなされ、現在まで祇園の舞は井上流一筋となっています。
 
 
 
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 四世井上八千代(片山愛子) 氏
 
 
氏は、幼少の頃京舞井上流の道に入り、永年にわたり能の振りを取り入れた本行舞を伝承されるとともに、振り付けの面においても才能を発揮され、その手になる曲数は、およそ百曲を数え、井上流独自の風格を高め、京舞の幽艶さを深められた。
また、京舞井上流の四世家元として、後進の指導及び育成にも力を注がれ、多くの名手を養成されるとともに、京舞の重要無形文化財保持者(人間国宝)
として、我が国舞踏界の第一人者としての位置にあり、京舞の普及及び発展を通じて文化の向上に大きく寄与された。(京都市名誉市民)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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「京おどり」 衣装合せ
 
 
 
 
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「京おどり」 衣装合せ
 
 
 
 
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「京おどり」 衣装合せ
 
 
 
 
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「京おどり」 衣装合せ
 
 
 
 
第63回 京おどり
4月7日(土)〜22日(日) 宮川町歌舞練場(京都・宮川町)
開演=12:30、14:30、16:30
料金=入場料(お茶席券付)4,500円 入場料4,000円、お茶券500円、プログラム500円
問い合わせ=075-561-1151(宮川町歌舞練場)
 
 
京都五花街の一つである宮川町は大和大路、五条、川端、四条の通に囲まれた町です。
 
十六世紀後半、豊臣秀吉が方広寺・伏見城を築いた事により、大和大路はにわかに
人の往来が増え、その街道沿いに町並みが出来ました。
現在の宮川町地区は、当時広大な鴨川の河原であったとみられ、町名の由来は「四
条河原祇園杜の前にあるにより宮川という」とも「宮河というには、鴨川四条より
南の別号なり」等と諸説が有る。四条通りの鴨川南は、ここで毎年、祇園杜のミコ
シ洗いが行われているので宮川と呼ばれ、この川筋に出来たのが宮川町である。
今日でも、「宮川筋○丁目」と呼ばれているのは、河原に発展した「筋・通路」で
あったためである。寛文六年に宮川町通り開通し、寛文十年に鴨川護岸の石積みが
完成し急速に宮川町の町並みが整い、当時の歌舞伎の流行とあいまって、茶屋町と
して発展していった。宮川町に水茶屋が建ち、渡世を許されたのは寛延四年の事で
あった。当時、数多く立ち並んでいた芝居小屋が、度重なる火災により焼失したの
が原因であったといわれる。
 
歌舞伎踊りは、天正三年に出雲の阿国が織田信長に許しを受け、北野の杜で演じたのが始まりと云われている。後の慶長八年頃、阿国の娘二代目阿国が宮川河原で、「ややこ踊り」と云われる歌舞伎を興業して人気を呼び、様々な見世物小屋が建ち始め評判を呼び一大歓楽場と成りました。その後、若衆歌舞伎が始まり、それに出演する若衆の宿が宮川町に軒を並べました。男だけの芝居であった為、当然女形を演じる若衆が必要で、当時の美少年が選ばれました。
これらの人々が舞台に精励する事と成り、現在の女形役者へと発展したのです。
今日の歌舞伎役者に、それぞれ屋号が有りますが、それは当時若衆達が出入りをしていた、宮川町の宿の屋号であったと云われています。
船橋聖一 著「聖一風流抄」によれば「宮川町が歌舞伎の名優を数多くうみ育てた
原点である」と記しており、現在の歌舞伎の淵源が宮川町と言っても過言ではないでしょう。現在の舞いは若柳流。
 
 
 
 
 
 
 
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「鴨川をどり」 平成23年
 
 
 
 
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「鴨川をどり」 平成23年
 
 
 
 
第175回 鴨川をどり
5月1日(火)〜24日(木) 先斗町歌舞練場(京都・先斗町)
開演=12:30、14:20、16:10
料金=茶券付特別席 4,500円 特別席4,000円、普通席2,000円、お茶席券600円
問い合わせ=075-221-2025(先斗町歌舞練場)

先斗町(ぽんとちょう)は鴨川の護岸工事が寛文10年に完成し、新堤が出来上がると、急速に新しい町並みが形成されて行きました。眺望絶佳の三条橋畔・四条街路は特に早く開け、憩いの場・交流の地として評判が定着、都人のみならず、諸国の旅人も足を止めるようになりました。これが先斗町の起源といわれています。
三条と四条、鴨川と高瀬川に囲まれたこの狭斜の地が、先斗町と名づけられた由来は、明確にされていませんが、元禄15年(1702)刊『万宝節用集町名鑑』にはぽんと町と記されており、一説によると、織田信長時代ポルトガルの教会が、この辺りにあって、ポルトガル語のポント(先端)・ポントス(橋)によると言う説もあります。
正徳2年(1712年)この地に生洲株が許され、更に、茶屋株・旅籠屋株が許可、茶立女が置かれるようになり幾多の変遷の後、今日に至っています。明治5年創演の鴨川をどりや、水明会等、現在も誇りを持って、伝統を受け継いでおります。
舞踊の流派は明治より以前は篠塚流、その後若柳流を経て現在は尾上流。
 
 
 
 
京のをどりは毎年、京都五花街と呼ばれる「祇園甲部・宮川町・上七軒・先斗町・祇園東」で行われていますが、唯一「祇園東」(藤間流)の「祇園をどり」だけは秋のみの公演となっており、春の開催はありません。
 
 
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筆者は三十数年前、高校卒業と同時に、知人を頼って京都の手描き友禅工房に就職しました。
いわゆる丁稚奉公でした。
工房の主は、昔気質(むかしかたぎ)の大正生まれの気骨な師匠でした。
畏くも今上陛下の妹であられる、清宮貴子内親王殿下(現・島津貴子さま)が臣籍に降嫁された時に、筆者の師匠が呉服を染色・献上されました。
終生そのことを誇りとされておられました。
「伝統工芸に携わる者は、伝統をしるべし」が信条であった師匠に、ご相伴させていただき、「能」「狂言」「歌舞伎」「京舞」にも接する機会を与えていただいたことは、終生の「宝」であります。
明治以降、洋装になり、年々衰退していく「和服」ですが、民族衣装であり、文化です。日本女性の美しさは「きもの」が一番似合います。
「きもの文化」と共にある、京の花街がいつまでも、栄えることを願ってやみません。
 
 
 
 

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