朕(ちん)惟(おも)ふに 我が皇祖皇宗(こうそこうそう) 国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 徳を樹(た)つ ること深厚(しんこう)なり 我が臣民(しんみん) 克(よ)く忠に克く孝に 億兆(おくちょう)心を一(いつ)にして 世々(よよ)厥(そ)の美を濟 (な)せるは 此(こ)れ我が国体(こくたい)の精華(せいか)にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)実に此(ここ)に存す 拙稿、心の道標〜教育勅語(一)では明治大帝が「教育勅語」を下賜された経緯、海外からも賞賛されたことなどを述べさせていただきました。 今回より、『昭和天皇の教科書 教育勅語』杉浦重剛(著)を参考に進めて参りたいと思います。拙稿は、先帝陛下が少年時代にお受けになった道徳の授業の一部である、杉浦重剛先生の『教育勅語の解説』を、現代語訳したものですが、現代語訳といいましても、直訳しますと読みにくい文章になりますので、筆者なりに意訳しました。 間違い等があればご指摘いただければ幸甚に存じます。 (訳:わたくしは、われわれの祖先が、遠大な理想のもとに、道徳的な国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。) 一・二 「朕」 「朕」とは単数にして、秦の始皇帝始めてこの文字を以て、君主がみずからを呼ぶ語として使用せり。これより後、天皇はみずからを称して朕と宣(のたま)ふ。されば、朕と称し得らるるものは、一国に一人を限りとし、複数う許さざるものとす。 しかるに、その文字の本場たる支那においては、天子は常に替わりて一定せず、臣にして君となりあり、外人の侵入し来りて天子となるあり、一時に数君の対立するあり、君臣の分定まらざれば、朕なる文字の意義成立せず。 真に朕なる意義を以て御自身を称し得させ給ふは、ただ日本国あるのみ。我が邦(くに)は開闢以来、君臣の分定まり、万世一系の天皇、これに君臨し給ふ。 (大意) 『教育勅語』の最初にある「朕」とは単数であり、秦の始皇帝が「天子が自分を呼ぶ語」として初めて使いました。 このあと、天皇が自らを「朕」と言うようになりました。 したがいまして、「朕」と称するこができるのは、一つの国でただ一人だけであり、複数の人が名乗ることは許されません。 ところが、その文字のできたシナにおいては、天子は時代とともに交替して一定しておらず、部下が天子になってしまったり、外国からの侵入者が天子になってしまったり、何人もの天子ができてしまったりしており、「朕」なる語の意味が正しくは成立していないのです。 世界において、正しい意味で「朕」なる言葉が使われているのは、ただ日本のみです。 日本は、遠い昔に建国して以来、天子は定まって不変であり、「万世一系」の天皇が君臨されています。 (筆者補注) 「万世一系」という言葉は、帝国憲法の第一条に記されていますが、江戸後期の学者巌垣東園の『国史略』に、「歴正天皇、正統一系、亘万世而不革」 (歴代の天皇の位は正しく受け継がれており、そのただ一つの皇統は永遠に変わることがない) 「万世一系」という言葉はごく自然に使われたのです。 また、南朝の忠臣・北畠親房公の『神皇正統記』の巻一に、「万世一系の誇り」がつぎのように記されています。 「されど是は天祖より以来、継体違はずして唯一種まします事、天竺にもその類なし。」 「唯我が国のみ、天地開けし始より今の世の今日に至るまで、日嗣を受け給ふ事邪ならず。一種姓の中におきても、おのづから傍より伝へ給ひしすら、猶ほ正に帰る道ありてぞたもちましましける。これしかしながら、神明の御誓あらたにして、余国に異なるべきいはれなり。」 大意は、 (他の国々のように、日本は暴力による王朝交替が無かった世界でも稀な国で、多少の問題があってもまた元の正しい状態に戻り、世界でもっとも長く二千年もの間、継続している) このような誇りが、北畠親房公が述べている「万世一系」の精神なのだろうと思います。 南北朝時代は、皇室の正当性を争った時代ですから、北畠親房公はこの問題をとくに重要視されたのです。 世界の多くの歴史遺産や文化は、観光や研究の対象にすぎませんが、わが国の《伊勢神宮》や《出雲大社》や古代天皇の《御陵》はそうではありません。 古代の日本人が崇めたのと同じ作法で、子孫の日本人が崇め続けております。 世界に類例の無いこの継続性こそが、「万世一系の誇り」です。 一・三 「我ガ」 「我ガ」とは複数にして、天皇御自身儼然(げんぜん)として宣ふ「朕」の単数なるに反して、温情溢ふるる御心より「我等が」と宣ふ。されば、文部省の英訳勅語にもOURと複数に訳す。先の「朕」と今この「我ガ」との二文字によりて、日本国の國體の特色を説き示し給ふと云ふも可なり。 その故は、先の「朕」の一字、よく日本国の君主が万世一系の天皇より他にあらざることを示し、今この「我ガ」は、日本の一大家族制なることを示す。 天照大神は、皇室の御先祖なると同時に、われら日本臣民の祖先なり。先の「朕」にて、皇位の犯すべかざる絶大の威力を示し、今この「我ガ」にて、民を赤子とする温情を示し給ふ。 (大意) つぎにあります「我ガ」は複数であり、単数の「朕」とは違って、国民を思う御心によって「われわれが」と言われる場合に使われます。 天皇と国民は一体であるというお気持ちの表れです。 文部省の『教育勅語』の英訳でも、our と複数で訳されています。 「朕」と「我ガ」の二つの言葉によって、日本の国柄の特色を示しておられるということもできます。 すなわち、「朕」は日本の君主が「万世一系」の天皇より他にはないことを示され、「我ガ」は日本全体が一つの家族のようなものであることを示しているのです。 天照大神は、皇室のご先祖であるとともに、われわれ日本国民のご先祖でもあります。 「朕」によって皇位の神聖さを示し、「我ガ」によって国民を宝と考えるお気持ちを示しているといってもよいでしょう。 (筆者補注) 肇国以来、天皇が国民のことを「大御宝」と呼んで大切にされてこらえました。こんな古代の君主は他国には存在しません。 尋常小学校での勅語奉読
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2012年06月19日
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昭和51年に発行された難波江通泰氏の著書『天皇陛下にお仕へしたい ウエスト博士の思ひ出』
という著書があります。
この中の対談でウエスト博士は「日本の繁栄はすばらしい。無限の可能性を持っている」と言うと難波江氏は「あなたの考えでは、日本の繁栄の根本的な原因は何であるとお思いですか?」
「それは、日本に天皇陛下が居られるからです」
「・・・・・」
ウエスト博士は続けてこう言いました。「私は日本人になりたい」
「どうしてですか?」
「それは天皇陛下が居られるからです。天皇陛下が居られる国だから、私は日本へ来たのです。もし日本に天皇陛下が居られないならば、それはドイツやソ連やイギリスやメキシコやアメリカなど、世界のすべての国と同じであって、そんな国ならどこへ行っても同じことです。イギリスやオランダなどにも国王や女王が居られるけれども、それらは日本の皇室や天皇陛下とは違う。天皇陛下が居られるのは日本だけだ。絶海の孤島の漁師でもいい。山間僻地の貧しい百姓でもいい、私は日本人になって天皇陛下にお仕えしたい」・・・・
ジョージ・ランボーン・ウエスト博士は1929年、米国テキサス州サン・アントニオに生まれ、テキサス大学で法律と歴史を専攻して法学博士の学位を得て、メールランド大学など数校で教授を歴任し、ダラス市で弁護士をしていました。
少年時代にラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の手紙を図書館で見てから日本に憧れており、ウエスト博士の夫人もラフカディオ・ハーンと同じく日本人女性でした。
ウエスト博士は昭和44年から日本マネージメント協会の顧問として来日してから、たびたび日本で講演を行ってきました。
博士の講演は「日本が真珠湾攻撃を行ったのはアメリカが仕掛けた罠にはめられた」と述べ、東京裁判の不当性を衝き、米製占領憲法を強制したことを糾弾しておりました。
この講演内容については昭和55年『憲法改悪の強要』(嵯峨野書院)を出版しました。
ウエスト博士が昭和57年に来日した時、元国会議員の会合で講演しこのようにお話ししました。
「日本に何回来ても憲法改正の声が起こっており、その運動も続けられている。少しは改正されたのかと思って今度の来日でも聞いてみたが、全然改められていない。日本人は基本の魂を取り戻さなければならない」
そして、「私はかねてから一度やりたいと思っていた夢を、ここでかなえさせて貰いたい」
博士はこのように前置きして、自ら音頭をとって、「天皇陛下万歳」を三唱しました。
並みいる日本の元国会議員たちは度肝を抜かれましたが、こぞって呼応したといいます。
平成6年3月、ウエスト博士は千代子夫人と来日しました。東京に着くと明治神宮、昭和天皇武蔵野陵、東郷神社、乃木神社に参拝しました。
同年6月26日には靖国神社に参拝しました。その日、ウエスト博士が靖国神社の遊就館で講演会を行う日でした。講演会の事前の有志との打ち合わせで、博士はこう聞いてきました。
「今上天皇は靖国神社に参拝されたことがあるか?」
これはこの時ちょうど、両陛下は訪米中で、アーリントン墓地とハワイのパンチボール(国立太平洋記念墓地)に参拝しておられました。続けて博士はこのように言いました。
「靖国神社に参拝されずに、アメリカのアーリントン墓地に参られるとは、何事であるか」
この場にいた通訳の足羽雄郎氏は、「日本は天皇の専制国家ではない。君民共治の国だから、首相が参拝して、国民すべてがそれを望むような雰囲気が作られないと参拝はされないのだ」と言おうとしたら、傍にいた名越二荒之助氏がこう言いました。
「アメリカが訳のわからない憲法を押し付けたからだ」
すると博士は、
「あれは憲法の名に値しない。いやしくも日本人が憲法というなら聖徳太子の十七条の憲法と明治天皇の帝国憲法しかないはずだ。現在の日本国憲法はマッカーサーの押し付けたアメリカ製だから日本人は英語でコンスティテューションと呼ぶべきだ」
名越氏は、
「日本では昭和天皇も今上天皇もアーリントン墓地に参拝して花輪を捧げておられる。今度クリントン大統領が来日したら靖国神社に参拝するよう厳しく言いつけてもらいたい」
「それは駄目だ。クリントンはベトナム戦争の時、徴兵を忌避した反戦主義者だ。そんな男が参拝したら英霊の冒瀆になる」
これを聞いた足羽氏は、「日本の政治家の中には靖国神社には気の毒な戦争犠牲者が祀られている。私はその人たちを慰霊するために参拝する、と公言する人がある。こんな心根で参ったのでは英霊の冒瀆になるのではないか」とこう思ったという。
その後、遊就館での博士の講演会の締めくくりはこうでありました。
「アメリカの占領政策でジョン・デューイの教育哲学が日本に持ち込まれたことが教育の荒廃をもたらした。個性尊重と称して子供を甘やかし、学校も親も道徳教育への自信を喪失した。それは日米ともに同じである。教育再建のためにはアメリカは開拓者精神に帰り、日本は教育勅語を復活させねばならない。日本人は喪った魂を取り戻すべきである。そのために陛下の万歳を三唱をしよう」
ウエスト博士は頬を紅潮させながら音頭をとったそうです。
・・・・・・・
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寛仁親王墓を御親拝あそばされる天皇、皇后両陛下、寛仁親王殿下の長女彬子女王殿下と次女瑶子女王殿下 御尊影=19日午前11時、東京都文京区の豊島岡墓地
寛仁親王墓でのご親拝を終えられた天皇陛下 御尊影=19日午前11時4分、東京都文京区の豊島岡墓地
寛仁親王殿下の墓前で神職から玉ぐしを受けとられる天皇陛下 御尊影=19日午前11時3分、東京都文京区の豊島岡墓地
寛仁親王墓での拝礼を終えられた皇后陛下 御尊影=19日午前11時8分、東京都文京区の豊島岡墓地
謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては19日午前、豊島岡墓地(東京都文京区)に設けられた寛仁親王殿下の墓を参られた。
皇室の慣例により、両陛下は14日に行われた本葬「斂葬の儀」にご親拝されなかったため、日を改めて墓所をご親拝あそばされた。
陛下が玉ぐしをささげられ、拝礼された後、皇后陛下が続かれた。
寛仁親王殿下が身を挺して皇室の藩屏とならんとされていた事を最もご理解されておられるでありましょう・・・陛下の御叡慮いかばかりか・・
皇太子殿下、20日にサウジ弔問へご出発16日に薨去されたサウジアラビアのナエフ皇太子殿下弔問のため、皇太子殿下が同国を訪問されることが19日の閣議で了解されました。
宮内庁によると、皇太子殿下は20日午前に政府専用機でご出発。リヤド経由でジッダに入り、同日中に王宮で弔問し、21日夜に帰国される予定。サウジアラビアでの滞在は8時間程度になられる見通しです。
天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかであられるよう祈念いたします。
君が代が千代に八千代に続くことを願ってやみません。 皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
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日露戦争で日本がロシアに勝利するとフィリピンでは日本への羨望が強くなり、独立を求めて反乱や暴動が起きました。
この時、アメリカに対して勇ましく戦ったピオ・デュラン博士がいます。
彼には二人の子供がいて、日露戦争の勇将にあやかって、長男はトーゴー・ヘイハチロー、次男にはクロキタメモト・デュランと命名しました。 フィリピン大学の教授をしていたデュラン博士は、「フィリピンは米国の隷属を脱して同じ東洋の日本と提携すべきだ」という内容の本を書きました。
しかしアメリカ当局によってこの本は発売禁止にされ、教授の職も解任させられました。 しかし、それに屈することなく国会議員の選挙に立候補して「日本と同盟すべきだ」と主張しますが、アメリカ官憲の圧力で落選させられました。 デュラン博士は昭和17年、日本のダイヤモンド社から『フィリピン独立と東亜問題』という本を書いています。これはフィリピンでは発売禁止となりました。この本には日露戦争から満州事変に至る日本の正当性を欧米の侵略ぶりと比較して説いており、フィリピンが350年にもおよぶスペインとアメリカの植民地政策により、フィリピンの伝統文化がいかに破壊されているかを訴え、本来の姿を取り戻すために日本に大いに期待すると書いてありました。
戦後、デュラン博士は対日協力者としてモンテンルパ刑務所に入れられました。
その後、釈放されてから下院議員に当選し、日本の商社との共同事業で何度か来日していました。このデュラン博士と親交のあった金ケ江清太郎氏は著書『フィリピン物語』で、その後のデュラン博士についてこう書いています。 「デュラン氏が、どうして大の日本びいきになり、日比同盟論まで提唱するようになったか、その詳しい動機や経緯は聞き及んでいないが、アメリカ統治下にあった当時のフィリピンで堂々と日比同盟論を主張する氏の勇気と信念には私も感服したものだった。
デュラン氏が学者としての立場から、あらゆる関係の文書を研究していくうちに、日本の歴史と国体を知り、そして日本民族に心を惹かれ、ことに氏の魂を強くうったものが日本古来の武士道の精神であったらしい。しかも主君に仕えた武士たちの、烈々たる自己犠牲の忠誠心と、義を第一とする五常の道は、おそらくデュラン氏には驚異であったに違いない。
終戦後は対日協力者としてモンテンルパ刑務所に監禁されていたが、この人について今も忘れられない、ひとつの思い出がある。それはモンテンルパから釈放された氏が、郷里から出馬して下院議員となり、戦後間もなく二番目の新夫人を同伴して来日したことがある。
その時は、まだフィリピン大使館がなくて、フィリピン代表部の代表だったメレンショ氏の公邸で会ったことがある。デュラン氏は私の顔を見るなり、驚いた声でこう叫んだものだ。 「ミスター金ケ江、武士道の国ニッポンは、一体どこへ消えてしまったのかね」
君主国日本に憧れていたデュラン氏の脳裏にあった、忠君愛国のイメージは、敗戦の虚脱の中で混迷している日本の姿に接して、はかなくも音を立てて崩れ去ったものらしかった。
その驚きと失望のうちに語るデュラン氏の述懐は次のようなものであった。 デュラン氏はかねてから新夫人に向かって「日本ほど素晴らしい国はない」と口をきわめて礼賛し、我がことのように自慢していたという。
「日本の善良な国民は、天皇陛下をうやまうこと神のごとく、例えば乗っている電車が、天皇陛下のおいでになる皇居の前を通る時は、乗客はみんな起立して、皇居に向かって最敬礼するし、また日曜日には、フィリピン人が教会へお詣りするように、国民たちは朝早くから皇居前の二重橋という所へ行き、そこにひざまずいて両陛下を遙拝し、老いも若きも忠誠を誓うのだよ。こんな国民は世界広しといえども、この日本より他にはないんだ。なんと素晴らしい国民じゃないか」 ちょうどその日が日曜日だったので、デュラン氏は夫人を呼んで、「お前は三宅坂の教会に行って、ミサのお詣りをしてくるがいい。私はこれから二重橋へ行って、両陛下を遙拝してくるから」
そう言って一緒に宿舎を出たデュラン氏が二重橋まで来てみると、ひざまずいて遙拝している敬虔な日本人の姿は一人もなく、そのあたりを若い男女が手をつないで楽しそうに散歩している意外な光景が眼に映り、まるでマニラのルネタ公園にでも立っているような思いがしたデュラン氏は、 思わず眉をひそめて、「ここが日本の二重橋か・・・」と、思わず口走ったのである。 日本人である私でさえも、終戦を転機に、百八十度転換した母国の激しい変貌にはすっかり戸惑ってしまったくらいだから、忠君愛国の心酔者だったデュラン氏が、愕きそして失望したのも無理からぬことだったろう。
デュラン氏は、名状しがたい気持ちで宿舎に戻り、このことを夫人に話したくだりを聞きながら 「ミスター金ケ江、妻に対して、こんなに面目を失墜したことはなかったよ。僕の話を聞きながら笑っている妻の顔を、面目ないというのか、気まりが悪いというのか、まともには見られなかったよ」と、こぼしたことがあった。 それでもデュラン氏の日本びいきは変わることなく、その後もたびたび来日して、日本商社となにか共同事業を計画しているようだった。新しい製品の開発に努力していたが、糖尿病が持病だったデュラン氏は事業の成功を見ずに他界したのである。・・・」
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かつての日本人を慕い、日本人の強さを知るアジア諸国の方々をことごとく裏切ってきた戦後の日本人。そして、かつての日本人を知る世代がどんどん亡くなられ、本来の日本がわからなくなって消えていこうとする中でも、日本の伝統文化を大切にし、愛国心を持ち、御皇室を敬い、先人達に感謝を捧げる日本人も徐々に増えてきました。デュランさんには申し訳ないことをしましたが、必ずやつよき日本を取り戻すように我々がやり遂げます。目覚めた皆さんもよろしくお願い致します。
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