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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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教育勅語



朕(ちん)惟(おも)ふに 我が皇祖皇宗(こうそこうそう) 国を肇(はじ)むること宏遠(こうえん)に 徳を樹(た)つ ること深厚(しんこう)なり 我が臣民(しんみん) 克(よ)く忠に克く孝に 億兆(おくちょう)心を一(いつ)にして 世々(よよ)厥(そ)の美を濟 (な)せるは 此(こ)れ我が国体(こくたい)の精華(せいか)にして 教育の淵源(えんげん)亦(また)実に此(ここ)に存す

爾(なんじ)臣民(しんみん) 父母に孝に 兄弟に友に 夫婦相(あい)和し 朋友(ほうゆう)相信じ 恭儉(きょうけん)己れを持し 博愛衆に及ぼし  學を修め業(ぎょう)を習ひ 以(も)って智能を啓発し 徳器(とくき)を成就(じょうじゅ)し、進んで公益を広(ひろ)め 世務(せいむ)を開き 常に 国憲を重んじ国法に遵(したが)ひ 一旦緩急あれば義勇公に奉じ 以って天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運(こううん)を扶翼(ふよく)すべし 是 (かく)の如(ごと)きは 独(ひと)り朕が忠良の臣民たるのみならず 又以って爾祖先の遺風を顕彰(けんしょう)するに足らん

斯(こ)の道は 実に我が皇祖皇宗の遺訓にして 子孫臣民の倶(とも)に遵守すべき所 之(これ)を古今に通じて謬(あやま)らず 之を中外(ちゅうが い)に施(ほどこ)して悖(もと)らず 朕爾臣民と倶(とも)に挙々服膺(けんけんふくよう)して咸(みな)其(そ)の徳を一(いつ)にせんことを庶 (こ)ひ幾(ねが)う


明治二十三年十月三十日

御 名   御  璽



心の道標〜教育勅語(二)より続きます。

一・四  皇祖皇宗、國を肇ムルコト宏遠ニ

「皇祖皇宗」とは天皇陛下及び日本国民の御先祖を指して申す。われらの先祖がこの日本国を肇め給ふ事は、天壌無窮にして、天地と限りなきものなり。

(大意)
皇祖皇宗とは、天皇陛下や日本国民の遠いご先祖のことです。
われわれの遠いご先祖が建国なさった日本という国は、天地と同じように無限で永遠です。



①(天祖(天皇の祖先)の神勅)
太古、天照大神は高天原に君臨したまひ、さらにこの国土を統治せしめむとの御心より、天孫瓊瓊杵尊(天照大神の孫神)を降し給ふ。天孫高天原より群臣を従へ降臨し給ふ時に当たりて、大神、これに八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)八咫鏡(やたのかがみ)天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、即ち三種の神器を賜ひ、かつ詔して曰く、

(大意)
大昔、天照大神は高天原におられて、御孫の瓊瓊杵尊を、この国土に降ろされました。
これを天孫降臨といいます。
瓊瓊杵尊が多くの部下をしたがえて降臨なさったとき、天照大神は、「八坂瓊曲玉」「八咫鏡」「天叢雲剣」という三種の神器をお預けになり、かつつぎのように仰せになりました。



「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂(みずほ)国は、これ吾が子孫(みこ)の王(きみ)たるべき地なり。よろしく爾皇孫(なんじすめみま)、就(ゆ)いて治むべし。行け。宝祚(ほうそ)の隆(さかん)ならんこと、天壌とともに窮無かるべし。」と。

(大意)
この美しく豊かな国は、私の子孫が治めるべき国である。さあ行きなさい。私の子孫が栄えることは、天地とともに永遠である


かくて天孫、筑紫(つくし)(九州)の日向(ひゅうが)の高千穂の峰に降り給ふ。ここに天壌無窮の皇運(皇室の運命)啓(ひら)け、皇祖天照大神の御子孫は日本国の永久の一君として、臣民を統治し給ふに至れり。
天に二日(にじつ)なきがごとく、我が邦(くに)には二王(におう)(二人の君主)なく、しかも神勅の示し給ふがごとく、天地開闢(かいびゃく)以来、君臣の分定まり、未だ臣にして天位(天皇の地位)を犯せし事なく、君は君として、臣は臣として、いはゆる大義名文定まり、儼然(げんぜん)として一糸乱れず、上下睦々乎(ぼくこ)として、君は民を赤子(せきし)のごとく愛撫し給ひ、臣は身命を捧げて仕へ奉れり。いはんや外人に帝位及び国土を汚されしごとき事は、夢にだも見ず。かくして我が日本帝国の國體の基礎は確立せり。

(大意)
このようにして瓊瓊杵尊は、九州の日向の高千穂の峰に降りられました。
ここにおいて天壌無窮の皇運がひらけ、皇祖・天照大神のご子孫は、日本国の永遠でただ一つの皇統として、国民を統合するようになりました。
天に二つの太陽がないのと同じく、わが日本には二人の君主はなく、しかも神勅に示されているように、国がはじまって以来、天皇と国民の関係は定まっており、臣下が天皇の位を犯したことはありません。
この関係はまったく乱れることがなく、天皇は国民を宝として慈しみ、国民は身命をささげて天皇に尽くしてきました。
まして、外国から天皇の位や国土を侵されたことは、夢にもありません。
このように、われわれの国、日本の国柄の基礎は確立しているのです。




②(神武天皇の鴻業(こうぎょう)(大事業)

(第一代)神武天皇(天照)大神の御心を継承し、皇威(こうい)を発揚し給ふ。まづ群臣率いて日向の高千穂宮うを発し、舟に召されて浪速(なにわ)に上陸せられ、大和・河内の土豪を征し、都を大和の畝傍山(うねびやま)の東南、橿原(かしはら)に定め、辛酉(しんゆう)の年を以て帝位に即き給へり。これをわが国の国の紀元元年とす。今(大正三年)を距(へだ)つる二千五百七十四年、天皇の御代を重ぬいる百二十二代なり。
神武天皇を神代と称し、幾年間なりや漠として知り難し。我が邦の建国の
宏遠なること、知るべきなり。


(大意)
初代の神武天皇は、天照大神の御心を継承して偉大な業績をお上げになりました。
まず九州を出発し、船に乗って大阪湾に上陸され、大和や河内の豪族を部下とし、大和の橿原に都を定めて、干支でいうと辛酉(かのととり)という年に、初代の天皇となられました。
これが日本の紀元元年です。
それはいまからおよそ二千年前で、それから天皇の御代は百二十三代を重ねておられます。この神武天皇のさらに前を神代と言っておりますが、それはいったい何年間なのか、推量することもできません。日本の歴史の古さがわかります。



③(歴代の天皇は皇祖皇宗の御遺業に則らせ給ふ)

歴代の天皇は、位に登り、民に臨ませ給ふにも、深く建国の由来を考へ、
皇祖皇宗の恩沢(おんたく)と遺訓とを継承し給ひ、ますます皇基(皇国の基礎)の隆盛と国運の発展とに留意し給へり。
たとへば、(第十代)崇神天皇が四道将軍を遣わして四方を鎮定し、皇威を拡張し給ひしがごとき、
(第十二代)景行天皇が熊襲(くまそ)を征し蝦夷(えぞ)を伐ちて、皇恩を四方に普及し給ひしがごとき、また神功(じんぐう)皇后が三韓を征して、皇威を海外に振ひ給ひしがごとき、(第十五代)応神天皇の御代には王化(大王の徳化)三韓に及びて、彼の地より来朝したるがごとき、これなり。
歴代の聖帝、相継ぎて皇祖皇宗の御遺訓を守らせ給ひ、皇威の尊厳と、皇国の拡張とを計らせ給へり。特に明治天皇は、知仁勇に秀で給ひしかば、七百年間、萎靡(いび(衰退))振はざりし皇威を恢復(かいふく)し給ひ、内外外交、前後に比なきの隆盛時代を現はし、以て遠く皇祖皇宗、建国の聖意に答え給へり。


(大意)
歴代の天皇は、即位されて国民のためにお役目を果たすにあたっても、深く建国の理念を考え、遠いご先祖のご恩と教えを継承され、皇室と国の発展に力を注がれました。

たとえば――

第十代崇神天皇は四道将軍と呼ばれる四人の将軍を四方に派遣して国々を治められました。
第十二代景行天皇は九州の熊襲や北方の蝦夷を平定して平和をもたらしました。
第十四代仲哀天皇の皇后である神功皇后は、新羅を抑えて日本の力を海外にまで示されました。
第十五代應神天皇は朝鮮半島を安定させたので、半島からの使者が来るようになりました。
・・・などがその例です。

歴代の天皇は、いずれも遠いご先祖のお教えをお守りになり、日本の尊厳と隆盛をはかってこられましたが、とくに第百二十二代の明治天皇は徳に秀でた立派な御方であり、七百年間の皇室の衰退を回復なさり、内政外交両面で、比類のない時代を実現なさり、ご先祖の建国の教えに見事にお応えになられました。














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