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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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イメージ 2皇后陛下 御尊影









『生まれて以来人は自分と周囲との間に一つ一つ橋を架け、
人とも物ともつながりを深め、それを自分の世界として生きています・・・・・
この橋は外に向かうだけでなく、内にも向かい、
自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ、本当の自分を発見し
自己の確立をうながしていくように思います』
皇后陛下におかせられましては、ご成婚50周年を記念して「橋をかける」を出版あそばされた。上記はその一節です。


謹んで御本の一部を抜粋させていただきます。
教科書以外にほとんど読む本がなかった疎開先で、たまに父が東京から持ってきてくれる本は、どんなに嬉しかったか。
冊数が少ないので、惜しみ惜しみ読みました。
そのような中の一冊に、今、題を覚えていないのですが、子供のために書かれた日本の神話伝説の本がありました。
日本の歴史の曙のようなこの時代を物語る神話や伝説は、どちらも八世紀に記された二冊の本、古事記と日本書紀に記されていますから、恐らくはそうした本から、子供向けに再話されたものだったのでしょう。

父がどのような気持ちがその本を選んだのか、寡黙な父から、その時も、その後も聞いたことはありません。
しかしこれは、今考えると、本当によい贈り物であったと思います。
なぜなら、それから間もなく戦争が終わり、米軍の占領下に置かれた日本では、教育の方針が大幅に変わり、その後は歴史教育の中から、神話や伝説は全く削除されてしまったからです。

私は、自分が子供であったためか、民族の子供時代のようなこの太古の物語を、大変面白く読みました。
今思うのですが、一国の神話や伝説は、正確な史実ではないかもしれませんが、不思議とその民族を象徴します。
これに民話の世界を加えると、それぞれの国や地域の人々が、どのような自然観や生死観を持っていたか、何を尊び、何を恐れたか、どのような想像力を持っていたか等が、うっすらとですが感じられます。

父がくれた神話伝説の本は、私に、個々の家族以外にも、民族の共通の祖先があることを教えたという意味で、私に一つの根っこのようなものを与えてくれました。
もっとも、この時の根っこは、かすかに自分の帰属を知ったという程のもので、それ以後、これが自己確立という大きな根に少しずつ育っていく上の、ほんの第一段階に過ぎないものではあったのですが。

また、これはずっと後になって認識したことなのですが、この本は、日本の物語の原型ともいうべきものを私に示してくれました。
やがてはその広大な裾野に、児童文学が生まれる力強い原型です。
そしてこの原型との子供時代の出会いは、その後私が異国を知ろうとする時に、何よりもまず、その国の物語を知りたいと思うきっかけを作ってくれました。



ご来訪いただいている皆様は、皇后陛下の祖父母様が共に熱心なカトリック教徒であられたことはご存知だと思います。
皇后陛下も洗礼は受けておられませんが、ミッション系の聖心女子大学でカトリック信仰について多くを学ばれました。
キリスト教についても多くの知識をもっておられ、そのことが諸外国の多くの方々から敬愛される一因にもなっています。
世界に日本の精神を発信される国際人としてご活躍されてきた皇后陛下の素地は、ご幼少の頃、疎開先で自然界と触れ合い、日本の原型である神話を学ばれたことにあるように思います。
「真の日本人・真の国際人」はまず自国の成り立ちを知り、その上で他国の文化、伝統を知っていることではないでしょうか?
歴史を知らないから祖国への誇りも持たない、愛国心も生まれないのです。政治家においては、正しい史観を持たないから諸外国に媚びばかり売るのです。
戦後、教科書に墨をぬらされたことから分かるように、我国は連合国の占領を受けたことで、教育の内容は大きく変えられてしまいました。建国の歴史を教えなくなったばかりか、日本の素晴らしい精神についても教えることができなくなりました。連合国が日本を占領した目的は一つしかないのです。我国が将来に亘って二度と連合国に刃向うことがないように「我国を骨抜きにすること」であったのです。連合国は、日本人と神道の関係を断ち切り、建国と神話の教育をやめさせ、日本人の心のなかから日本人の精神を抹消しようとした。その結果が荒廃した現在の世相に現れています。
現在の政治・経済のもたつきは、戦後教育を受けた世代の顕著な例です。
歴史学者として知られるアーノルド・トインビー博士は「十二、三歳くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と述べています。
また、一つの民族を滅ぼすには、一定期間「母国語」と「歴史」を奪えばその民族は消えてなくなると言われています。
かっての征服者は、征服した地では、言語と歴史を奪いました。
それだけ、国語と歴史は大事なものなのです。
現世の人々は、「神話」とは古代の人が作った「ただの神ばなし、昔ばなし、一種の小説のようなもの」と考えているようですが、日本の神話が私たちの祖先から連綿と伝えられて来たということには誰も異存はないはずです。
伝承、文化を蔑ろにして葬り去ってしまうことは、祖先をないがしろにすることでもあり、民族意識を失うことであり、自然の摂理に反していることはいうまでもなく、淘汰される運命にあることも自然の摂理のように思います。
皆さんもご存知のとおり、祖国を失ったユダヤ人が二千年以上に亘って民族としての誇りや団結力を維持して来たのは、ユダヤ神話を信じ、精神的国家としてつながっていたからで、民族の神話がいかに大切なものであるかの証左でもあるのです。

『古事記』の神代の段(くだり)は、天地開闢から人間界の成り立ちに至るまで詳細に記されており、歴史的な連続性をもった世界に類を見ない古伝承です。
神話を知ることにより、日本民族としての誇りや団結力を取り戻し、実際面でも真の独立国家になり得るものと信じています。
我国は一国一文明一王朝の世界でも類のない素晴らしい国です。
万世一系の畏くも天皇陛下を戴く民族です。
皇后陛下のお話が民族のありかたを示されているのです。

「神話」を幼い頃から学ぶことこそ日本人としての基礎、根っこができます。その上に真実の歴史を学べば、日本人は祖国日本に誇りを持ち、祖国日本を心から愛する気持ちを抱くと筆者は願ってやまないのです。




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蚕に桑の葉を与えられ、「給桑」の作業をあそばされる皇后陛下 御尊影=26日午前、宮城・紅葉山御養蚕所


謹んでお伝えいたします。

皇后陛下におかせられましては26日、宮城(皇居)内の紅葉山御養蚕所で、蚕に桑の葉を与える「御給桑(ごきゅうそう)」を行いあそばされた。
 
 蚕は6センチほどに育っており、皇后陛下におかせられましては一枚一枚丁寧に桑の葉を与えられた。皇后陛下におかせられましては「食べるのも速いわね。たくさんいただくんでしょうね」などと話され、蚕の成長を喜ばれている様子でした。


現在は歴代の皇后陛下が引き継ぐ形になっていますが、明治4年、昭憲皇太后が宮城・吹上御苑内で復興されたのが最初です。
ちょうど鎖国政策が解かれ、横浜、長崎、函館との貿易が始まった時代です。当時、輸出品の大部分は生糸、茶、蚕種でしたが、なかでも生糸は輸出額が特出していました。蚕糸業は殖産工業と外貨獲得の両面から、国の重要な産業となっていたのです。
皇室のご養蚕は、英照皇太后、昭憲皇太后、貞明皇后、香淳皇后、美智子皇后陛下へと引き継がれています。
宮城内にある紅葉山御養蚕所は、木造二階建ての簡素な造りで、桑園は皇居内に3カ所、赤坂御用地に1カ所あります。
毎年200キログラム以上の繭を生産していますが、この量は大きな養蚕農家に匹敵する収穫量です。皇后陛下は2カ月弱の蚕期中、「養蚕始めの儀」「養蚕納めの儀」「給桑」「上蔟」「初繭掻き」のほか、まぶし編み、桑とりなど、20回以上のお出ましがあります。
明治38年から飼育されている「小石丸」という品種の蚕があります。これは繭形が美しく、飼いやすいけれど収穫量が少ないのが難点です。この品種を維持していくべきか否かを、皇后さまにお伺いしたところ、「残しておきたい」というお言葉があり、現在も飼い継がれています。この小石丸がのちに、正倉院の絹織物を復元するのに役立つことになりました。
皇后陛下がご養蚕に携わっているお写真を見ることがあると思いますが、あのときの服装は、写真撮影用に着替えているのです。作業でお出ましになるときは、ズボンをはいたり作務衣などを着たり、一般の人の服装と変わるところはありません。
養蚕の期間中は毎日、夕方5時に作業予定を当直の女官に報告することになっています。作業での苦労は、皇后陛下がお出ましになる朝10時に、そのときどきの仕事をいかに山場に持っていくことができるかということです。たとえば熟蚕の山を朝10時にすることなどです。また飼育時期が外国訪問と重なることも多く、その日程を考慮して掃立日(養蚕始めの日)を決めなければなりません。 
紅葉山の御養蚕所で収穫された繭は絹織物となり、外国訪問のときの贈答品や宮廷祭事などにも使われます。最近では、敬宮愛子内親王殿下がお生まれになったとき、産着として使われました。
日本書紀では天照大御神が自ら神田を営み、機を織られ、新嘗の祭りを行ったとあります。

神代の時代から連綿と続く天皇陛下のお稲作、とともに皇后陛下のご養蚕は、わが国の農耕文化の象徴として重要な皇室行事となっています。




天皇陛下、皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられることを、臣民の一人として祈念します


尊 彌榮 彌榮 彌榮

日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・



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名越二荒之助編『昭和の戦争記念館』の「台湾に生きる日本精神」から以下を掲載させて頂きます。
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「征露丸」という丸薬は日露戦争の頃から軍人と国民がよく服用し親しんでいた。
ところが戦後日本では「征」をとって「正」に変えた。しかし台湾では相変わらず「征露丸」を服している。
台湾では丸薬を入れたケースの中に解説書を入れている。その中の一節。
「日本語の『征露』とは、ロシアを征するという意味を含んでいる。当時日本国民に戦意が高揚した頃は人気を博していた。ところが戦後は「正露丸」と改称された。台湾では歴史的名称を使っているのに、何も問題は起きていない」
これを日本に紹介した許国雄博士は述べる。
「征露丸という歴史的名称をなぜ抹消するのか。日本は北方領土問題も解決できず、平和条約は締結されていない。それに歴史認識では周辺国にお詫びばかりしている。専守防衛では国を守れないことに気づいて欲しい」
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「征」を「正」に変えた事実は戦後日本を象徴している事実であります。
厚生省がソ連(当時)に配慮し、「国際信義上好ましくない」と言って行政指導して一斉に「正露丸」にさせたといいます。
しかし日本にも「征露丸」という名称を使っている唯一の会社があります。奈良県にある日本医薬品製造株式会社です。そういう意味でも日本はギリギリのところで踏ん張っているというところでしょう。
そして今では「セイロガン」とカタカナで書くものまで出てきて、征露丸の意味する漢字すら消されようとしています。
 
日露戦争は日本が国家として存続できるかどうかの瀬戸際の戦いであり、日本が大国ロシアと戦い、しかも勝利したことで、白人には絶対に敵わないと信じていたアジア諸国の人々にどれほどの自信と勇気を与えたことでありましょう。自分たちもやればできるんだ、と。
 
我が国は日露戦争での陸・海軍の勝利の記念日であった「陸軍記念日」や「海軍記念日」を消し、明治大帝の教育勅語も失ったままで、日本を守った明治の先人達の志も語らず、東郷平八郎元帥や乃木希典大将も語られなくなるなど、日本がダメになった原因はここらにあるのではないか、と感じるところであります。
 
台湾人は言う。
「正露丸ではなく、征露丸だからよく効くのだ」。
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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