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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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篠島から神宮に奉納する御弊鯛(おんべだい)を積んで、船団が伊勢市・神社(かみやしろ)港に向かう(三重県伊勢市沖で)



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篠島



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太一御用船

神宮と篠島(しのじま)は古来より深く関わってきました。
「日本書紀」によると倭姫命(やまとひめのみこと)一行が船で伊勢湾を御巡幸の途中篠島に立ち寄りになって、ここを御神領に定め荒御魂(あらみたま)をお祀りしました。
そして篠島周辺の豊かな鯛の漁どりを御覧になり御贄所と定められました。
それ以来、島で採れた鯛を塩づけに調製し、奉納月日や尾数は各時代に変遷があったものの、神宮への奉納は今日まで固く守られてきました。
現在は508尾が毎年伊勢神宮に奉納されています。

篠島の中手島は神宮の御料地で、島で水揚げされた鯛を調製する干鯛調製所、乾燥場、貯蔵庫の施設が置かれています。
この鯛は御弊鯛(おんべだい)と言われ神の食事、御神饌として捧げられます。
神宮より下賜された太一御用の旗を掲げ、篠島から伊勢の国、神社港(かみやしろこう)まで海を渡る奉納船を他の船は航路を譲り、海賊もこれを避け、陸路では大名行列も下馬しおんべ鯛奉納の行列を妨げなかったと伝えられています。
太一御用の「たいち」は天照大御神(あまてらすおおみかみ) の意です。

「太一御用」の幟を掲げ、天壌無窮に続く伝統行事は奉納を終えたのちは、神社港へ戻って出港式。盛大な餅まきなどが行われ、船団は篠島へと帰ります。
江戸時代には、尾張徳川藩、徳川幕府に「御用鯛」を納めてきた伝統もあります。


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篠島(しのじま)



愛知県 知多半島の先端、南知多町の周囲6.9キロ、人口1800人の小さな島に荘厳な神殿が静かにたたずんでいます。
神明神社と八王子社です。
神明神社は、邪悪をはらい災厄をのぞく福寿の神として島民はもちろんのこと島外からも多くの参拝者が訪れます。
八王子社は、造船、海上守護の神として祀られています。
また、正月の(おわたりさま)の神事により神明神社が女宮、八王子社が男宮とされ、縁結びの神として信仰をあつめています。
神宮より土之宮三座を勧請(771年)して以来、ご遷宮の折りには篠島の土之宮も神宮の一社として20年ごとに造営されてきました。
やがて内宮の東宝殿、西宝殿が下賜されるようになり神明神社の氏子等によって御造営と御遷宮が行われ今日に引き継がれています。
伊勢御遷宮の翌々年が神明神社の御遷宮となります。
昭和49年には伊勢内宮の東宝殿が、平成7年には西宝殿が下賜されました。
解体された宝殿は再び仕上げられ桧の香ただよう篠島の神明神社の社殿となります。
そして、それまでの神明神社の社殿は八王子社に移されます。
伊勢神宮の東宝殿、西宝殿の時代には四重の御垣内(みかきうち)にあって見る事が出来なかった姿が篠島の地で新たな神殿としてよみがえります。
伊勢神宮第62回式年遷宮は平成25年。神明神社と八王子社の御遷宮は平成27年。





初めて訪れる人は、小さな離島に似合わぬ立派な社殿に驚きます。
前述していますが、元は伊勢内宮の東宝殿と西宝殿なのです。
伊勢神宮の式年遷宮ごとに篠島に下賜されてきました。
島の両社も歴史は古く、神宮と同じく、20年ごとに御遷宮を繰り返しながら神明神社が1200年、八王子社が800年の歳月を数え、現在に引き継がれてきました。
神々への島民の厚い信仰のあかしと言えます。

動画にもありますが、新年の三日、八王子社の神が神明神社にお渡りになります。この神事は決して見てはならないものとされ、島の人々は家にこもり、雨戸を閉め、すべての灯りを消し、声をひそめてお渡りさまの終了を待ちます。神のお姿を見た者には必ずバチ(不幸)があたるという言い伝えを守り続けているのです。無事八王子社の神が神明神社にお渡りを終えると全島に太鼓が響き、灯りがともった家から人々が続々と両神が鎮座まします神明神社への初詣に出かけます。古来より正月三日が島の初詣となります。明けて四日、大名行列と呼ばれる華やかなお祭りの中、八王子社の神はお帰りになります。



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神明神社


御神殿は神明造で女宮です。
御祭神は、大土御祖神(おおつちみやのかみ)大地の守護神、大年神(おおとしかみ)穀物神
宇迎之御魂神(うがのみたまのかみ)食物神が鎮まります。
神明神社の建つこの地は、斎王倭姫命が尾張中島宮から海路渥美宮にお渡りの途中、篠島にお立ち寄りになり、この地を御神界と定められ荒御魂をお祀りしました。
宝亀二年には、伊勢神宮より土之宮三座を勧請し伊勢土之宮と称されました。
伊勢神宮に参拝する者は必ず篠島に渡り伊勢土之宮に参拝して「宮巡り」の成就とするならわしとなりました。
悪天候などの事情により篠島に渡れない場合は伊勢市の二見浦に設けられている遥拝所より篠島に向かい土之宮を拝したと伝えられています。



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八王子社



御神殿は神明造で男宮です。
御祭神は、天之忍穂耳命(あめのおしほみみみこと)、天之苦卑能命(はめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)、活日子根命(いくつひこねのみこと)
熊野久須毘命(くまのくすびのみこと)、多紀理毘売命(たぎりびめのみこと)
市寸嶋比売命(いちきしまひめのみこと)、多岐都比売命(たきつひめのみこと)正応元年(12伊勢国度会郡(いせのくに わたらいぐん)の箕輪神社より勧請された神社です。
古来より造船、海上守護の神として祀られています。
20年ごとの伊勢神宮、御遷宮のおりに神明神社の御古材で社殿が造営されてきました。

我々日本人は、悠久の昔より、物も心も有限であるという考え方を基底にもっており、有限であるがゆえに、たえず新しいものに更新し続け、確実に後世に伝えていくという努力と作業を繰り返してきました。つまり、命の継承といえます。結果として、物が常に瑞々しい形を保ち続けるとともに、技術も継承され、物も心も永く久しく伝えてきたのです。常に瑞々(みずみず)しく、尊厳を保つことによって、神さまの御神徳(ごしんとく)も昂(たかま)ります。その御神威(ごしんい)をいただいてこそ、私たちの生命力が強められるという、日本民族の信仰心の表れなのです。
繰り返し再生することで、いつも変わらない姿で、みずみずしいままに「永遠」をめざすーそんな神宮の「常若」(とこわか)の思い、祈りは先人の英知を象徴しています。


四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族、海洋民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。


自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
人間は、神代の昔から変わることなく、自然の恵みを受けて生活しています。森羅万象、見えないものまで、自然は子々孫々に受け継がなければならない人類共有の財産です。太陽・空気・水、どれが欠けても人間は生きていけません。これらすべてのものを、当然あるものと考えていないでしょうか。自然は人間が創り出したものではなく、一度無くしてしまったら取り返しがつきません。古代の日本人は、自然を崇敬し護るべきものと知っていました。失ってしまったらら元に戻せないと知っていたからです。古代人に習い、自然への感謝と畏怖の気持ちを忘れてはならないでしょう。



参考文献
 篠島 神明神社 

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