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7月30日は明治天皇崩御より百年にあたる式年祭が、宮城(皇居)、明治神宮でも行われました。同時に大正元年より百年にもあたるのです。
明治天皇が崩御して、皇太子嘉仁親王殿下(のちの大正天皇)が践祚あそばされ、改元の詔書を公布、即日施行して、同日は大正元年7月30日となった。
「大正」の由来は『易経』彖伝・臨卦の「大亨以正、天之道也」(大いに亨(とほ)りて以て正しきは、天の道なり)からで、大正天皇実録によれば元号案として「大正」「天興」「興化」「永安」「乾徳」「昭徳」の案がありましたが、最終案で「大正」「天興」「興化」に絞られ、枢密顧問の審議により「大正」に決定しました。
大正時代は、明治維新に関わり、明治日本を作り上げた、江戸時代生まれの人々が引退・他界していった時代で、試験選抜され高等教育機関で養成された世代の人々が社会の中枢を担う時代でもあったのです。
筆者は一昨日、「大正」生まれの世代の方と接する機会を与えていただきました。
大東亜戦争にも出征された方でしたが、今日のわが国の惨状を心より、憂いておられました。
「五箇条の御誓文」「教育勅語」をご高齢になっても暗誦され、現世の日本に足らないものを指摘されました。
それは、「五箇条の御誓文」「教育勅語」の精神、すなわち日本の魂を忘れたことだと・・・
以前にも本ブログでも述べさせていただきましたが、筆者は若い頃より、明治、大正を生きた方々との交流を進んで行なっています。
戦後世代から見て、「大正日本人」は「頑固一徹」にしか映らないでしょうが、最後の「武士道」精神の表れでもあるのです。
大東亜戦争の主力となった大正生まれの若者たちは、国を護り、家族を守るため、同胞を守るため、凄(すさ)まじい闘志で自分の命を投げ出していった世代でした。
その闘志が支えた日本軍の強さは世界各国の知るところです。彼らは戦後も黙々と働き続け、焦土と化したわが国の復興と経済成長の原動力にもなったという事実です。
GHQや心無い反日左翼が宣伝した日本・日本軍悪玉論に染まった戦後社会は、「他人のために生きる」という「大正日本人」生き様をも貶(おとし)めてきたのです。その結果、安易に《権利》《癒やし》を求める人間があふれ、大正世代が現役を退くと同時に「失われた20年」が始まったのです。大正世代の方々は激動の時代を生き抜き、今辞世の時を迎え、去ろうとしています。
「大正日本人」の方々はほとんど、同じことを言われます。
「現状では亡国、でなければ戦争は必ず起きる、日本が戦争を捨てても、戦争は日本を捨てない」と・・・・
そして、わが国は「未だ占領下」だと・・・
わが国を護り、支えてきた、先人、先祖、護国の神々に感謝の誠さえ捧げられない国民に未来はあるのか?と筆者に問われ、「後は頼んだぞ」と仰せになりました。
一人、また一人と去っていく「大正日本人」・・・尊敬、敬意、感謝をもって見送りたい。
そして、「後に続く」の決意を新たにした次第です。
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2012年08月01日
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