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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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靖国神社



もうすぐお盆を迎えます。
東京・九段の靖国神社は毎年この日は騒然となります。
粛々と慰霊を行う為に参拝に訪れた遺族の方々の心をよそに、心無い人々によって慰霊の日が穢されています。
これらは、わが国の文化・伝統・習俗をも知らない愚かな人のなせることです。
残念でなりません。

靖国神社に祀られているのは、特定の個人の霊です。その個人の多くには遺族がいます。戦没者の妻や親や子や孫、甥や姪といった人々にとって、靖国神社は自家の墓と同様に重要な場所なのです。
 しかし、靖国神社は、こうした国民の私的な慰霊の対象を集合した場所であることにとどまらず、むしろ、戦没者は国の命令によって、公のために生命を捧げた人達であるので、靖国神社は根本的に国家公共の施設である。公的な慰霊を行う中において、個々の私的な慰霊を同時に行う場所なのである。
 わが国に伝わる子孫が祖霊を祀り、祖霊が子孫を守護するという関係に照らして考えれば、靖国神社に祀る戦没者の霊とは、個々の国民の先祖だけではなく、日本人による共同体全体の祖霊でもある。また、その祖霊が守護するものも、個々の子孫だけではなく、日本という国家共同体の成員の全体でもある。
ですから、靖国神社を護持すべき立場にある者とは、戦没者の遺族だけではなく、国民全体なのです。
ここで重要な問題が一つあります。拙稿、靖国神社 花嫁人形小野田寛郎氏の言葉を引用していますが、それは、遺族をもたない御霊(みたま)の存在です。戦没者の中には、若くして独身のまま、あるいは子孫を持つことなく亡くなった人々がいます。こうした人々は、自分の子孫に慰霊をしてもらうことができません。
筆者が仕事上の拠点としている、兵庫県神崎郡福崎町で生をうけられた民俗学者の柳田国男先生は、『先祖の話』において、日本の祖霊信仰の伝統について研究されました。時は、わが国の敗色が濃くなっていた昭和20年の4〜5月頃の執筆です。柳田先生は、本書でとりわけ子孫を持つことなく亡くなっていく青年達の慰霊について、その必要性を強調されています。国のために死んでいった人を無縁仏にしてはならないと。 柳田先生の訴えはもっともであり、戦争において家族がすべて死に絶えた人々、いわゆる絶家になった人々もいる。これらの人々に対しては、国民が共同体の祖霊として、公的に慰霊をしていく必要があるのです。

国家公共の行為としての慰霊とは、日本という国が、単に独立した個人が集合しただけの社会であるのか、それとも生命・文化・歴史を共有した共同体としての社会であるのか、を明らかにするものです。そして、これは家族愛や友人愛といった私的な愛を超えた、死者への愛、公共社会の一員としての博愛を、日本人個々が持つことができるかどうかという課題でもあるのです。
拙稿靖国神社(一) 靖国神社(完)でも靖国神社の国家護持について述べていますが、全国民が靖国神社を護持すべき理由があるのです。これは、個々人がいかなる宗教・思想をもっていても日本人として為すべき事柄であり、またこのことは信教の自由を侵すものでもない。
補足しますが、個々の家で先祖代々の霊の救済を神に祈願する先祖供養は、私的な営みです。これに対し、国家による慰霊の儀式を行うことは、公的な営みである。前者は霊の真の救済を求める営みであり、後者は儀式による感謝と尊敬の表現である。また、靖国神社に祀られている人霊は、奇蹟救済を祈願する対象ではない。この点は明確に区別する必要があります。


わが国の宗教的伝統に基づく慰霊の在り方と靖国神社の参拝に対し、周辺諸国が口出しをするようになっている。これは明らかに内政干渉ですが、そこには宗教観の違いによる誤解も見られます。
 靖国神社参拝をめぐる対立の本質は、「死ねばみな神となり、敵も味方もなくなる」というわが国の精神文化と、「末代まで憎しみ続ける」というシナ文明の精神文化との摩擦ともいえるのです。
日本人は死者については敵も味方もなく「死後は神になる」として平等に扱うという寛容の精神を持っている。日本人は死者に鞭(むち)打つことをしない。死者に対して悪口を言う人間を軽蔑する。
また、日本人には、古来、敵味方の差別なく死者を祀る習わしがあった。例えば、愛媛県松山市には、日露戦争の捕虜で故国へ帰ることなく異郷で亡くなったロシア兵の墓があり、慰霊祭が毎年行われている。また、昭和20年4月、F・ルーズベルト大統領が逝去した時には、鈴木貫太郎首相が、敵を愛する武士道の精神にのっとり、交戦中のアメリカ国民に向けて弔意を表す談話を発表した。 靖国神社では、境内の鎮霊社において、世界各国の戦死者が祀られている。これらは日本人の博愛の精神の表れなのです。
しかし、わが国と異なり、シナ人と韓国人は、敵に対して絶対不寛容であり、「生きてその肉を喰らい、その皮で寝る」ことを願うほど憎み、死後は「その魂を喰らう」と誓うほどである。敵は死後も永遠に敵であり、どこまでも和解がない。死者の墓をも暴いて死体を破壊する。それが伝統文化でもあるのです。

どこの国でも、祖国を守るために命を捧げた人々に敬意を表する場所があります。シナ・韓国とて同じことです。
戦没者への慰霊は、その国の宗教的伝統に基づいて行われています。
慰霊という重要な問題に関して内政干渉をする現在のシナや韓国の政府は国際社会のマナーを著しく欠きますが、それ以上にわが国の政府の外交姿勢が間違っているのです。
日本には日本の伝統があり、わが国の伝統を堂々と主張し、少々の摩擦をおそれず、日本の立場を主張し、死生観までの容喙は内政干渉だと指摘し、その姿勢を貫徹することです。はっきりものを言ってこそ、相手もわかってくる。しかし、逆の場合は、ますます誤解を深め、相手の言い分に押されてしまう。それは決して自他のためにならない。真の相互理解・共存共栄のためには、誇りをもって毅然とした態度で応対することが必要です。
その点で、最大の問題は、中曽根元首相以降のわが国の指導層の姿勢にある。日本の伝統・文化をよく理解し、日本人としての精神を取り戻し、戦没者の慰霊と靖国神社の問題に対して、正しい対応をすべきです。

靖国神社には鎮霊社という社があります。ここに靖国神社に合祀されていない死者の霊と、国籍を問わず、万国の戦死者あるいは戦禍犠牲者の霊が祀られています。また、毎朝奉仕がされ、毎年祭事も行われているという。鎮霊社は、昭和40年7月の創建であり、後から設けられた施設である。そうであれば、こうした施設をさらに充実させ、祭事を盛大にしていくことは可能です。それが、靖国神社が、真に日本人全体にとっての慰霊の場となり、世界各国の人々ともに世界平和を祈る場所ともなる道ではないだろうか?

日本人よ日本人の魂に帰ることこそ、護国の神々に
感謝の誠を捧げることなのです。



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先帝陛下 御尊影 御寫眞
 
 
 
社頭寒梅(昭和二十年)
 
 
風さむきしもよの月に世を祈るひろまへ清くうめかをるなり
 
 
 
この御製は昭和二十年、すなわち敗戦の年の先帝陛下(昭和天皇陛下)の御製です。この御歌をお詠みあそばされた陛下の御心はどのようなものであったのか。この大御歌を拝する時、この一言一句からおそらくこれ以上はないであろうほどの悲痛な御心であられたと推察します。
 
 
 
爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかにならむとも

 
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて
 
 
 
国がらをただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

 
 
上記の大御歌のように國民をお護り下さるため「身はいかにならむとも」という捨身の御覚悟と「いばら道をすすみゆく」との御決意もなさりあそばされておられます。
昭和二十年一月、米軍ルソン島上陸、三月、東京大空襲、硫黄島全滅、六月沖縄守備軍全滅、八月六日つづいて九日、広島、長崎の原爆投下、ソ連対日参戦と続き、ついにはポツダム宣言を受諾し、陛下は終戦の詔りをなされることになる。明治天皇以来、「君臨すれど統治せず」と、あれほど律儀に立憲君主の政体に影響を及ぼしはしないかと御政務向きに批判をなされたり、意見を表にお表しにならず憲法に忠実であらせられた陛下が万感の極に至る御一念で超非常の御聖断を下されました。
 「本土決戦か、あるいは、ポツダム宣言の受諾による降伏か」という決断の時、昭和二十年八月十日、時刻は正午近く、陛下の御前での最高戦争指導会議で意見がわかれ、ついに鈴木貫太郎内閣総理大臣は「意見の一致をみませぬので、ここで陛下のご聖断を仰ぎます。」と陛下に御伺いした。陛下は静かにお立ちあそばされた。

御  諚
  他に別段意見の発言がなければ私の考えを述べる。反対論の意見はそれぞれよく聞いたが、私の考えはこの前申したことに変わりはない。私は世界の現状と国内の事情とを充分検討した結果、これ以上戦争を続けること無理だと考える。国体問題についていろいろ疑義があるとのことであるが、私はこの回答文の文意を通じて、先方は相当好意を持っているものと解釈する。先方の態度に一抹の不安があるというのは一応もっともだが、私はそう疑いたくない。要は我が国民全体の信念と覚悟の問題であると思うからこの際先方の申し入れを受諾し てよろしいと考える。どうか皆もそう考えて貰いたい。さらに陸海軍の将兵にとって武装の解除なり保障占領というようなことはまことに堪え難いことで、その心持ちは私にはよくわかる。しかし自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい。この上戦争を続けては結局我が邦がまったく焦土となり、万民にこれ以上苦悩をなめさせることは私にとってじつに耐え難い。祖宗の霊にお応えできない。和平の手段によるとしても、素より先方のやり方に全幅の信頼を措き難いのは当然であるが、日本が全く無くなるという結果にくらべて、少しでも種子が残りさえすればさらにまた復興という光明も考えられる。私は明治大帝が涙を のんで思いきられた三国干渉当時の御苦衷の忍び難きを偲び、一致協力将来の回復に立ち直りたいと思う。今日まで戦場に在って陣歿し、あるいは殉職して非命にたおれた者、またその遺族を思うときは悲嘆に堪えぬ次第である。また戦傷を負い戦災をこうむり、家業を失いたる者の生活に至りては私の深く心配する所である。この際私としてなすべきことがあれば何でもいとわない。国民に呼びかけることがよければ私はいつでもマイクの前にも立つ。一般国民には今まで何も知らせずにいたのであるから、突然この決定を聞く場合動揺もはなはだしかろう。
 陸海軍将兵にはさらに動揺も大きいであろう。この気持ちをなだめることは相当困難なことであろうが、どうか私の心持ちをよく理解して陸海軍大臣はともに努力し、よく治まるようにして貰いたい。必要あらば自分が親しく説き諭してもかまわない。この際詔書を出す必要もあろ うから政府はさっそくその起案をしてもらいたい。以上は私の考えである。
御  諚 ここまで


御諚を承っているうちに頭は次第に下がっておもてを上げる者もいない。忍び泣く声がここにかしこに聞こえる。御言葉のふしぶしに胸を打たれる。たとえ我が一身はいかにあろうとも、国は焦土と化し、国民を戦火に失い、何として祖宗の霊にこたえんやという御心を拝して涕泣の声は次第に高まってくる。さらに為すべきことはいとはない。マイクの前に立ってもよいと仰せらるるに至り、忍び声も止めもあえず声を上げた。ここにもそこにもせき上げしゃくり上げる声が次第に高くなる。陛下の白い手袋の指はしばしば眼鏡を拭われ、ほおをなでられたが、私たちはとても正視するに堪えない。涙に眼鏡もくもってしまった。御諚が終りて満室ただすすり泣くばかりである。しゃくり上げる声ばかりである。

この日の御前会議に列席した下村宏国務大臣内閣情報局総裁が、御前会議の様子をその著『終戦秘史』に記しているので引用しました。
下村は日本放送協会会長 をも務め、8月15日正午、昭和天皇による玉音放送に際し、情報局総裁として本放送の前後に言葉を述べたことでも知られています。
 
陛下が民族悲劇の先頭にお立ちになり国民を滅亡の危機から救わんとの御心からでた陛下の御言葉がいかに強く御前会議に列席した人々の心をうったかが引用文からもおわかりいただけるでしょう。
こうして大東亜戦争は終りを告げることとなり、こうして日本は救われたました。このことに陛下もお泣きになった。8月15日の玉音放送にすべての国民が号泣しました。
これが昭和史が涙によって書かれた日なのである。陛下は終戦の詔で戦死した者、またその遺族のことを思う時、「五内為ニ裂ク」と仰せられたがこの一語は、「死よりも遥かにまさる苦しみを意味します。それは、地獄の業火になかに立って、なお死ぬことのできないほどの極限の苦しみ」なのであると葦津珍彦氏は述べています。それほどの苦しみになかで陛下は御聖断を下されたのであった。多くの国民は、強い衝撃を受けたが、この陛下の御気持ちをよく理解し、その意味の深さに慟哭したのであった。それゆえに屈辱的な敗戦にもかかわらず大きな混乱もなく平穏に終戦することができたのである。
昭和五十年十月、陛下は御在位五十年をおむかえになられるにつけて日本記者クラブの合同記者会見をされたがその時
 

 記者 − これまでに三回広島へ行かれ、広島市民にお見舞のことばを述べておられますが、戦争終結にあたり原爆投下されたことをどう受け止められましたか。
 
 

陛下 − この原子爆弾が投下されたことの対して遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから広島市民に対して気の毒であるが、やむをえないことと思います。
 
 
という記者の質問と陛下のお答えがあった。この陛下の御言葉に対して「日本原水協」は「御発言はあれほど悲惨であった原爆被爆者にとっては、大きなショックであり、容認できない。」という談話を発表した。
何と不敬でありましょう。
「広島原水禁」「広島県被団協」も同様の談話を発表したのである。何という軽率な見識であろうか。そもそも戦争とは原爆であろうが、通常爆弾であろうが悲惨であり、むごたらしいものなのだ。今大戦のすべてにおいても「遺憾ではあるが、やむをえなかった。」のであった。
 メディアは「終戦の詔書」を知らないのか。不見識にも程があります。
そうであったから先帝陛下は戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及ヒ其ノ遺族ニ想ヲ致セバ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ
と仰せられたのではなかったか。「五内為ニ裂ク」とは先に述べたように「地獄の業火の中に立ってなお死ぬことのできぬほどの苦しみ」という意味であるが、これほど戦死した者、その遺族のこと、被災者のことに心を痛められたのであった。
陛下は毎年八月十五日に行われる終戦記念日の戦没者追悼式において、御言葉に「今なお胸の痛むのを覚えます。」と仰せられる。これは、単なるお言葉ではない。毎年毎年くり返し「胸が痛む」とおっしゃっておられ、崩御あらせられた前年も病中の御身であらせながら、戦没者追悼式におでましになられたことでもおわかりいただけるでしょう。
 

神州日本が滅びるかもしれない。畏くも先帝陛下は神であらせられた。それは神でなくしては成り得ないであろう御自分の御身と引き替えに国民を救われたのである。平和主義に徹せられた陛下は当然この戦争には反対であらせられた。この陛下の意に反した開戦でしたが、立憲君主として憲法に忠実であらせられ、責任ある機関で決定したことであるから止むを得ず開戦を裁可されたのであった。このことは昭和史の研究の進んだ今日では誰もが知ることです。
それにもかかわらず、陛下は万民の命に代えて御身を捨てる御決意であられました。
さらにはこの敗戦の責任を御一人でうけて立とうとなされたのです。
先帝陛下のご聖断は民族の生命の輝きとして忘れ去ってはならぬことなのです。
畏くも、先帝陛下の「大御心」を
 
 

 
 
 
この記事は昨年一月二十日の拙ブログの記事を再記載いたしました。

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