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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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台湾人医師の直言  林 建良 著



日本よ、こんな中国とつきあえるか?(十ノ二)孫文と辛亥革命に対する日本人の大いなる誤解
より続きます。


第2章 台湾から見た日本および日本人

争いを避けたがる日本人に平和は守れない



4.木を植える日本人と木を伐る中国人


●阿里山鉄道は掠奪資源の運搬用だったと教える国民党教育

台湾の中央に、二〇〇〇メートルを超える山々からなる中央山脈と呼ばれる山岳地帯がある。そのなかに阿里山という山があり、この阿里山には、台湾人が「神木」と呼ぶ樹齢何千年という檜や杉の巨木がたくさんそびえていて、日本でもよく知られている。


この阿里山でもう一つ有名なのは、台湾で唯一の高山鉄道「阿里山森林鉄道」である。阿里山森林鉄道は日本時代の一九一二(明治四五)年に敷設された鉄道で、当時、日本初の山岳鉄道だった。


われわれ戦後世代の台湾人はこの阿里山森林鉄道について、学校では「日本が台湾の貴重な檜や杉を伐採するために敷いた鉄道だ」と教えられた。国民党教育では、日本は台湾の資源を掠奪するために作った鉄道だと教えていた。当時の私はこの教えを信じて疑わなかった。日本が台湾を領土としたのは、台湾の資源を持ち出すためだったと思っていた。


しかし、日本に来て、日本人の自然に対する対応を見ていて、日本人は植物を大切にする民族であることを強く感じた。日本人は猫の額ほどの小さな庭でも、木や草花を植えている。土地さえあれば植えているという印象だった。しかも、無造作に植えているのではなく計画的であり、また非常にていねいに手入れをする。あたかも家族に接するように大切にしているのである。


このような日本人を見ていて、果たして私が受けた教育は本当だったのだろうかと疑いはじめた。われわれ戦後世代の台湾人は、恥ずかしいことだが、台湾の歴史についてはほとんど無知に近いといってよい。私は日本に来てはじめて台湾に関する歴史資料などを読み漁った。そこでわかったことは、清朝が台湾を統治していた約二〇〇年間、木を伐採することはあっても、植林はいっさいやらなかったという事実だ。入りにくい高山は除いて、平野の森林をことごとく伐採してしまったのである。


逆に、清朝のあと一八九五(明治二八)年に台湾を統治した日本は、日露戦争に勝った一九〇六(明治三九)年から造林事業を奨励していたのだ。台湾総督府では毎年、一〇〇万本余の苗木を無償で配布し、補償金まで交付して造林事業に力を入れていたのである。


このように、日本が統治する以前の台湾では樹木がほとんど伐採されてしまったため、山の保水力が極端に落ち、ちょっとした雨でも大水が出たり山崩れが起こったりしていた。「イラ・フォルモサ」(麗しの島)と呼ばれた台湾の面影は消えてしまっていた。ところが、日本はどんどん造林し、たとえば一九四三(昭和一八)年には五〇七カ所で植林していて、阿里山鉄道にしても、伐採した檜を運搬する役目も果たしたが、それは決して掠奪するためではなかった。また植林・造林事業に果たした役割も大きかったのである。


今の日本でも自然を維持しながら伐採し植林しているが、当時もほぼ同じ姿勢で臨んでいたのである。


●美しい並木を伐ってしまった蒋介石軍


歴史から見ても、たとえば鎮守の森に見られるように、日本人は木を植え、木を育てることを大切にしてきた民族である。


台湾に関して言えば、台湾総督府の都市計画に基づいて作られた台湾の都会の道路という道路は美しい並木道だったという。ところが、一九五〇年代、私が小さいころにはそのような並木道はほとんどなくなっていた。戦後、中国から蒋介石の軍隊が台湾に入ってきたとき、この並木を伐ってしまったのである。


蒋介石軍がまず最初に取りかかったのが並木の伐採だった。木の陰に誰が隠れているかわからないから危険だ、という訳だ。伐った並木は薪にもできるから一石二鳥、という理由だった。これが中国人の考え方なのである。こうやって中国人は資源を破壊してきたのである。


中国には人を励ますときによく使う「人定勝天」(ズンディンスンテン)ということわざがある。人間は天に勝つように定まっている、すなわち「難題は必ず克服できるから頑張れ」と言って励ますのである。だが、この言葉の原義は、人間は「天」すなわち自然を征服できるという意味であり、中国人は、自然は人間に利用されるためにある、征服されるためにあると考えるのである。


先にも触れたように、生き物はすべて食べ物とするのが中国人である。植物にしても、いかに利用するか、それ以外なにも考えていない。自然を尊重し、自然と共生するなどという概念はなく、そういう発想もしないのが中国人なのである。


●まったく正反対の日本人と中国人の生命観


今は便利なことに、インターネットで衛星写真を自由に見ることができる時代になった。これで、中国と日本を比較してみれば一目瞭然だ。日本はきれいな緑色に映し出され、中国はほぼ全土が茶色っぽく映し出される。中国から緑、すなわち森林や植物が消失していることを如実に示している。


中国人は自分さえよければいいと考える民族だ。自分の短い人生のなかですべての自然を使い尽くしてしまったとして、なんの痛痒も感じないはずだ。自分の目を楽しませる樹木や草花なら植える。それも、食糧や薪にしてしまうことを考えながら植える。後世に豊かな自然を残すなどということはほとんど考えていない。また仮にあったとしても、自然と共生するなどという考えは皆無といってよい。


私が台湾で教えられた日本人像をひと言で言えば、「残虐かつ残忍な日本人」であり、逆に「平和を愛し、寛容な中国人」という比較だった。日本に来て初めて、それがまったく逆だったことを知った次第だ。


日本人は、たとえば国の特別史跡・特別天然記念物となっている日光の杉並木や、世界遺産に登録された屋久島の縄文杉などへの接し方にもよく現れているが、木の一本一本に対して慈愛の念をもって接し、畏敬の念を示している。


これは、日本人に生命に対する畏敬の念があるからにほかならない。虫の音を楽しみ、樹木や草花にも命を感ずる、日本人ならではの生命観であるといえよう。


その点で、中国人は日本人とまったく正反対の生命観を持っていることは第1章でも縷々述べたところである。親族以外の人間はすべて利用の対象であり、自然も例外ではない。中国人の目には、虫や草花は食べ物や薬材としか映らない。まさに日本人の生命観とは対極にあるといってよい。


樹木の生命は人間より長い。植林したところで、自分が生きている間に利用できるとは限らない。それでも日本人は百年後、千年後のために黙々と木を植える。ところが、中国人は樹齢何千年の巨木であろうと、美しい並木であろうと、自分が薪として使いたいとなれば平気で伐ってしまうのである。


われわれ台湾人は、そのような日本人と運良く五〇年間暮らし、そのような中国人と不幸にして六〇年間付き合わされ、併呑の危機にもさらされているのである。







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衛星から捉えた中国の姿に市民から驚きの声が上がっている。 写真に映し出された中国は緑の部分が少なく、大半が土に覆われている。 当局の資料によると、国土面積の18.2%に当たる174万平方キロメートルは すでに砂漠化し、毎年3436平方キロメートルの国土が砂漠になっている。







本当に日本の素晴らしさを理解していないのは、そこに住む日本人ではないでしょうか。

先人の知恵、文化、伝統までも破壊しつづける現世の日本人。

国土を持たない民族、言語さえも奪われてからでは遅いのです。

目を見開き、現在起こっている、国際、国内問題に注意喚起するべきです。




続く・・・・

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台湾人医師の直言  林 建良 著



日本よ、こんな中国とつきあえるか?(十ノ一)孫文と辛亥革命に対する日本人の大いなる誤解より続きます。



●辛亥革命を成功させたのは日本および日本人だった

ところで、台湾の教科書のみならず、日本でも中国でも、孫文はマカオで興中会という革命団体を創設したといわれている。しかし、実際の興中会とは一つの幇であり、幇とはヤクザのような組織をいう。あえて意味づけすれば、同業者・同郷者などの相互扶助を目的とした団結力の強い組織ということになる。孫文はこの興中会の創設者ではなく、もともとあった興中会という幇に加盟したことが明らかになっている。


実際、彼が創設したのは東京でつくった中国同盟会だけで、それも留学生や日本人を取り込んでいて、このなかには宮崎滔天も入っていた。当時の東京には中国人留学生の団体が二〇も三〇もあり、国を思うという大義名分はあっても、実際はお互いに足を引っ張ったり誹謗したり対立をくり返していた。とくに、立憲君主制を主張する梁啓超の団体と共和制を主張する孫文を中心とする団体は絶えず対立していた。その点では、孫文は有力なリーダーの一人であり、革命派のシンボルとしてもてはやされていたことは事実である。


しかし、孫文はほとんど革命に参加したことはなく、実際は日本人が計画して自ら参加し、資金まで調達していたのである。つまり、孫文は資金もなく、行動力もさほどではなく、日本からの物資や人的な支援なくして孫文の革命運動は成り立たなかったのである。この日本人のサムライ精神があったからこそ清朝を倒すことができたのである。孫文が果たした役割は、せいぜい宣伝に携わった程度というのが公平な見方であろう。


事実、一九一一年一〇月一〇日に一一回目の革命である武昌蜂起による辛亥革命が成功したとき、孫文は参加していなかった。アメリカにいて革命の成功を知らなかったのである。そこで、日本人同志が彼に早く帰れと連絡したにもかかわらず、孫文はそれから一カ月も腰を上げず、一二月の末になってようやく上海に到着するという体たらくだった。このような孫文の当事者意識に欠けた責任感のない行動については、台湾でも中国でもまったく触れられていない。


また、孫文自ら述べているように「中国人は砂のような民族」である。つまり、団結力、結束力がない民族なのである。とすれば、この「砂のような民族」だけで果たして革命は成功していただろうか? 私から見れば、この「砂のような民族」のなかに、日本人という道義心に厚く国家観のしっかりした支援者がいたから、成功したのではないかと思われるのである。日本人の存在はまさにセメントのような役割を果たしたと言ってよい。中国の砂と日本のセメントをかきまぜてはじめて建国できたのではないか、と私には思われるのである。中国革命は決して中国人だけでできたのではない。


もちろん、中国人になりきって革命に挺身した日本人も少なくなかったが、日本は自国の国益のために中国革命を支援したという面も見逃すべきではない。当時、日本には「北の脅威」があった。日本はロシアの南下をいかに食い止めるかについて腐心していた。そこで、ロシアの防波堤とならない清朝を倒し、共和制国家を造ってロシアの南下を食い止めるという防衛構想があったのである。しかし、だからと言って日本人志士たちが存在していた意義は決してなくなるものでも、薄まるものでもないのである。


しかし残念なのは、先述したように、このように日本人の力なくして成功しなかった中国革命を、孫文が成功させた革命だと思い込み、日本人が大きく関与していたことを大方の日本人が忘れてしまっていることである。


日本人は、外国の革命に参加して政府を倒し、命を懸けて新しい国造りに貢献したという晴れやかな歴史を持っている。誇るべき歴史といってもよい。


実は、日本の生命線である現在の台湾の独立建国運動にも日本人が参加している。時代背景は異なるものの、道義心に厚く国家観のしっかりした日本人はやはりセメントの役割を果たし、台湾人を束ねて団結させている。


日本人参加者のほとんどは中国革命の歴史を知っている。しかし、だから台湾の独立建国運動に参画しているわけではない。大方の日本人が孫文も辛亥革命も知らなくなっているにもかかわらず、彼らが日本の歴史と日本の道義を忘れていないということを伝えたいのである。


また、台湾の独立建国運動に参加している日本人有志は、中国(中華人民共和国)が台湾を併呑しようとしていることをよく知っており、台湾が併呑されたら日本の安全が脅かされることもよくよく理解している。当時のロシアと現在の中国は、日本にとってはまさに同じ脅威なのである。しかし、この脅威を脅威として感じているのはまだ台湾独立を支援する日本人有志くらいで、悲しいかな、日本政府も大方の日本人も気づいていないのが現状なのである。


中国革命に寄与した日本人を忘れる日本人であれば、これも致し方ないのかもしれないが、台湾人にとっては命に代えても守らなければならない祖国台湾なのである。

いまだ目覚めぬ日本人には、誇るべき歴史を思い出して欲しいと願うのみである。



>中国革命に寄与した日本人を忘れる日本人であれば、これも致し方ないのかもしれないが、台湾人にとっては命に代えても守らなければならない祖国台湾なのである。
いまだ目覚めぬ日本人には、誇るべき歴史を思い出して欲しいと願うのみである。


ヤクザ国家、シナ中共と常に対峙している祖国台湾を思う著者の切実たる思いが込められています。
日本人も友好などと言う文字に惑わされず、邪悪な国家が隣国に存在するということを認識し、国防という国家にとって、一番大事なことに、目覚めて欲しいと願うばかりです。

続く・・・・
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台湾人医師の直言  林 建良 著



日本よ、こんな中国とつきあえるか?(九)台湾で教 えられた正反対の日本像
より続きます。



第2章 台湾から見た日本および日本人

    争いを避けたがる日本人に平和は守れない


3.孫文と辛亥革命に対する日本人の大いなる誤解

●台湾と中国がともに評価する孫文

中国の歴史教科書には一つの大きな特色がある。学生に中国史を教える側面はあるものの、必ず時の政権の宣伝媒体として使われ、時の権力者にとって都合の悪い歴史はすべて排除され、政治的理念に違いがある人物は徹底的に悪者にされる。


日本の教科書でも、残念なことにマルクス主義に基づく歴史観による記述は少なくないが、中国の教科書は日本の比ではない。中国の教科書に歴史の真実を見出すことはほとんど不可能と言ってよく、時の権力者が自国民を洗脳するためのツールと成り果てている。それは歴史に限らず、国語や算数などの教科書にも及んでいる。


その点で、台湾の歴史教科書のあり方も中国とよく似ている。戦後、蒋介石が台湾を占領して以来、教科書は中華民国政府による政治宣伝のツールとして使われてきた。面白いのはとくに近代史において、台湾と中国の歴史教科書はまるで正反対のことを教えていることだ。そのいい例が蒋介石についてである。台湾では蒋介石は「民族救星」すなわち中華民族の救世主と謳われ、毛沢東、周恩来、朱徳といった中国の指導者は悪魔のように描写されている。人物評価はまったく一八〇度違うのである。


ところが、台湾と中国でたった一人、評価がほぼ一致している人物がいる。それが孫文である。台湾において孫文は「国父」として崇められている。中国もまた孫文を高く評価しているのである。そのせいだけでもないようだが、日本でも孫文は、清朝を倒した革命家で、「大アジア主義」を唱えた人物とされ、その評価は決して低くないようだ。

孫文は、台湾では中華民国のシンボルとして神話的人物となっている。その誕生日である一一月一二日は「国父誕辰記念日」として、また、亡くなった三月一二日は「植樹節」と命名され、孫文の遺志を継ぐという意味で記念の植樹をする日となっていて、それぞれ祝日とされている。

実は、蒋介石が孫文をこのような地位に置いたのには理由があった。それは、蒋介石政権にとって、孫文の正統な後継者は袁世凱でも毛沢東でもなく、蒋介石であるという主張を貫く必要があったからである。革命であれ世襲であれ、どのような政権であっても大義名分、すなわち正統性の根拠を必要とし、それがなければ民衆の支持は得られないのである。


しかし、このような事象に目を奪われていては歴史の真実は見えてこない。日本はまだ客観性を保っているところもあるが、先にも述べたように台湾や中国における歴史とは時の権力者が自国民を洗脳するために作る歴史なのである。


たとえば、孔子の評価である。毛沢東は一九七〇年の文化大革命で「批林批孔」を打ち出し、林彪と並んで孔子批判を大々的に展開した。ところが、それからまだ五〇年も経っていない一九九〇年代後半には恐竜と鳥をつなぐとされる化石を「孔子鳥」と名づけたり、二〇〇四年には政府主催で孔子生誕二五五五年をお祝いしているのである。それゆえ、孫文や辛亥革命にしても、時の権力者による恣意的評価は免れず、そのまま歴史事実として信じることはできないのである。


●日本に来て初めて知った孫文の実像


では、まず台湾ではどのように孫文を描写してきたかというと、小学校の教科書に登場する孫文の物語は一つの神話から始まる。


一八八六(明治一九)年、広東省の農家に生まれた孫文は小さいころ、村の廟に祀ってある仏像の腕を折って、村人に「このように、この仏像は自分の身さえ守れないのに、どうして村人を守れるのか。迷信を打破しよう」と呼びかけたというのである。


その後、香港で医師の資格を取った孫文は、マカオで開業する一方、興中会という清朝打倒をめざす革命団体を設立し、この興中会メンバーを中心として一八九五年に広州で蜂起した。この日は三月二九日だったので、現在の台湾の「青年節」はこの広州蜂起を記念して制定された国家の祝日とされている。


この広州蜂起に失敗した孫文は、革命分子として海外に逃亡する。ロンドンで清朝政府に誘拐されて公使館に拘留されるが、香港時代の恩師であったイギリス人に助けられる。彼がこの体験を『倫敦被難記』として発表するや一躍有名になる。孫文はこの後、一九〇五年に東京で中国同盟会を設立、最終的には一九一一年一〇月一〇日の辛亥革命によって清朝政府を倒して革命が成功し、新中国・中華民国の設立にいたった。そこで台湾の教科書は、孫文は中華民国という国を造った父「国父」であると書いているのである。


もちろん、このなかには歴史的事実もあればウソも含まれている。日本との関わりは東京で中国同盟会を設立した程度に抑えられ、中国でも似たような記述となっている。


ところが、孫文に対する日本の関与は政府筋や頭山満などの民間人を含め、大きな比重を占めていた。しかし、台湾では孫文と日本との関わりは完全に伏せられていて、私も日本に来て初めて知った次第である。その幅広い交友関係や、中国同盟会そのものが日本人の全面的な支援の下に設立し、宮崎滔天など日本人もメンバーだったことなど、あるいは神戸における「大アジア主義」と題した講演のことなど、みな初めて知ることばかりだった。


台湾で「国父」と崇められている孫文は、今でもすべての学校の教室にその肖像画が掲げられていて、学生は授業が始まる前に必ずこの肖像画に一礼しなければならない。また、政府関係の建物にも必ずその肖像画が掲げられている。陳水扁氏が二度目の総統に就任したその式典では、会場正面に掲げられた中華民国旗(青天白日満地紅旗)の上にも大きな孫文の肖像画が貼り付けて掲げられていた。


ところが、実は台湾と孫文との接点はない。厳密に言えば、孫文は一九〇〇年と一九一三年の二度、台湾に立ち寄って宿泊したことがある。しかし、それ以上の関係はない。なぜ孫文が台湾で崇められているのかといえば、それはまさに国民党がその支配を徹底するため、国民党の創始者、中華民国の創始者として、ありとあらゆるところに孫文の肖像画を掲示して権威づけを謀り、神様のように扱ったからにほかならない。中国において毛沢東の肖像画がありとあらゆるところに掲示されたことと同じである。


●日本人が応援した孫文と中国革命


日本には孫文に関する文献がたくさんある。刊行されている文献の内容をすべて信じるわけにはいかないが、関係文献を読んでいくうちに、孫文の実像や辛亥革命の真実が浮かび上がってきた。


一方、日本人の孫文像は、その資料や文献の多さに関係なく「辛亥革命を起こした中国の革命家」として位置づけられている。もちろん、孫文は一外国人でしかなく、日本人がその人物像や辛亥革命に詳しくなくても驚くことではない。しかし、孫文という一外国人に、外国の革命である辛亥革命に、日本人が命を懸けて参加してきたという歴史事実に関して、日本人がまったくといっていいほど無関心だったことには驚かされた。


日本で孫文に関する文献を読めば読むほど、日本人は自らの命を惜しまず、名声も富もなげうって、厚い道義心と日本の国家戦略に立って中国の革命に参加し、孫文を応援してきたという事実が鮮明に見えてくる。しかし、日本にはこの事実を記したたくさんの資料や文献があるにもかかわらず、ほとんどの人は無視するか、無関心なのである。あるいは、参加した日本人に対する評価は低いのである。


孫文は日本に住み、それなりに有名だったようだ。孫文は広州蜂起に失敗し、清国が下関条約で台湾を日本に割譲した一八九五(明治二八)年に初めて日本へ立ち寄る。その後、亡命生活を含めて十数回も来日しており、その滞在は十数年にも及び、生涯のほぼ三分の一を日本で過ごしたことになる。


この孫文に資金を援助し、いろいろ影響力のある人物を紹介し、辛亥革命を支援した宮崎滔天、あるいは、孫文とともに恵州蜂起に身を投じるも捕まって処刑された山田良政、その弟の純三郎。それ以外にも、玄洋社の頭山満、黒龍会の内田良平、それに連なる萱野長知、のちに首相となる犬養毅、大隈重信、そして最初から最後まで資金援助を惜しまなかった映画草創期に活躍した実業家の梅屋庄吉など、孫文と交友した日本人は少なくない。一説には三〇〇人ともいわれている。






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続く・・・・


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強制送還ありき 濃厚
政府が沖縄県・尖閣諸島に不法上陸した香港の活動家らを強制送還するのは、日中間の摩擦拡大を抑えたい思惑からだ。身柄を地検に送検する必要がある公務執行妨害容疑の適用を意図的に回避した疑いも浮上し、政府が「強制送還ありき」のシナリオを描いていた疑いが濃厚だ。外務省幹部も事前に中国側と事態収拾策を綿密に協議。日本の主権そのものが侵された事態にも、政府は「予定調和」的な対応に終始した。

「巡視船にレンガを投げたのになぜ公務執行妨害容疑で逮捕しなかったのか」
16日に開かれた自民党の外交部会・領土に関する特命委員会の合同会議では、海上保安庁の対応を疑問視する声が相次いだ。活動家らの逮捕容疑が入管難民法違反(不法上陸・入国)だけだったためだ。活動家らは尖閣諸島の魚釣島に上陸する直前、第11管区海上保安本部の巡視船にレンガのようなものを投げつけていた。海保の秋本茂雄・警備救難部管理課長も同会議で「何らかのものを投げつけられたのは事実だ」と認めた。公務執行妨害容疑を適用することも可能だったとみられるが、この容疑が加われば身柄の扱いは大きく異なる。
 
入管法65条は不法入国した容疑者に他の犯罪の容疑がない場合に限り、ただちに入国管理当局に身柄を引き渡して強制送還に向けた手続きに入ることができると規定している。逆に言えば、公務執行妨害という別の容疑があればこの例外規定は当てはまらない。
つまり、沖縄県警と海保が公務執行妨害容疑を適用しなかったのは、迅速な強制送還を前提に対処した疑いがある。警察庁幹部は「『手心を加える』とはこういうことだ」と断じる。中国人船長を公務執行妨害容疑で逮捕しながら、外交的配慮を理由に処分保留で釈放した一昨年の漁船衝突事件をめぐる対応と同じような不可解さが拭えない。

自民党の会議では、海保側が「なにがなんでも上陸を阻止せよということではなかった」とも証言した。海保巡視船との衝突で器物損壊容疑を適用せざるを得ない事態を、あえて避けようとした疑いすらある。こうした対応は警察や海保の独断なのか。政府高官によると、抗議船が香港を出港した12日以降、関係省庁間で協議し、「けが人が出るような強硬手段を用いない」との対処方針を固めていたという。14日には、政府全体の対処を統括する米村敏朗内閣危機管理監が野田佳彦首相にこの方針を伝え、了承を得た。

政府内の意思統一と並行し、外務省の杉山晋輔アジア大洋州局長らは在日中国大使館側と接触を重ねた。ある政府高官は「中国政府も活動家を制止したかったようだ。2年前とは違う」と話し、中国側の姿勢も抑制的と踏む。だが別の高官は、来月下旬にも開かれる共産党大会が終われば中国側は一気に高圧姿勢を強めると分析した上でこう批判する。「事なかれ主義の対応は禍根を残しかねない」
2012.8.17 産経新聞)
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民主党政権は尖閣に上陸した香港の活動家たちを強制送還しました。
上の記事では民主党政権ははじめから強制送還するつもりで支那側と綿密に協議していたというのが濃厚と書いています。
逮捕翌日の強制送還に多くの日本人は釈然としない気持ちと怒りとともに呆れていることでしょう。
同じ日に、韓国大統領の竹島上陸と天皇陛下への不敬な侮辱発言に対して民主党政権は国際司法裁判所への提訴や日韓通貨スワップの更新をしないよう検討すると言い出しました。
防衛や外交音痴の民主党政権が「今度は何をしでかすのか」とハラハラしている国民も多いと思いますが、民主党政権の鳩山、菅、野田の歴代外交音痴を見越して起きたことは間違いないでしょう。
 
さて、尖閣の強制送還ですが、他国(支那)の者が日本の領土に不法に入り込んでも他に容疑がなければそのまま強制送還させるということでありますが、支那人が尖閣に上陸したということは普通の場合とは違うはずです。
支那は1971年から尖閣の領土を主張しはじめ、1992年には「領海法」を制定して尖閣は我が領土であると明記しました。さらに20103月には「海島保護法」を制定し尖閣を管理し監視を強化すると決めました。その間、何度も漁船などがやって来て領海侵犯も平気でやっています。
このように支那が侵略の意図を明確にしている尖閣への支那人の上陸を、満足な取り調べもせずに上陸翌日に日本のお金で送還するのは、他国から見ても余程のお人好しか支那の属国のようにしか見えないはずです。上陸した支那人が英雄気取りで本国に帰ることを見た支那人は「日本は本当にバカだ」と蔑んでいることでしょう。そしてそのうちシナ共産党に奪われて、日本はなすすべもなく、ただ指をくわえて悔しがる姿が浮かぶようであります。本来はそうならないために対策を講じなければならないのですが、日本にはそうさせない勢力がいて阻止するのです。
 
では、上陸した支那人と同じことを日本人がやったらどうなるでしょう?
尖閣諸島は日本の領土であるにもかかわらず日本人は上陸できません。
政府が上陸の許可を出さないからです。
田母神閣下は<2012.8.17>のツイッターでこう書いています。
「(尖閣)上陸を政府に申請しましたが却下されました。中国人は上陸しても日本の税金で帰国させてもらえますが、日本国民は上陸したら罰金だそうです。」
 
日本人の場合は罰し、支那人がやったら無罰で送還してくれるのです。しかも支那人は海保の船を壊しても無視すれば弁償をしなくて済むのです。これは日本政府が支那政府に強く賠償を求めないからです。しかし同じことを日本人がやったら逮捕され、取り調べは厳しくなされ、マスコミは叩き、その上で賠償請求され、払えなければ強制執行されるのでしょう。
日本人には厳しく支那人には甘い日本。日本人が釈然とせず怒りがこみ上げる理由はそういうところにもあるのです。
 
民主党政権はここにきて韓国と支那との間に問題が起きていますが、出来る限り支那には刺激せずにそのままやり過ごしたい気持ちがあるのでしょうが、こういう事態を引き起こしたのは尖閣追突の対応を見た上で起こされていると考えれば、民主党政権自体の対応のまずさ、弱腰・柳腰がもたらしたものであると受け止めなければならないのですが、同じことを繰り返すことしかできないのです。
こういう対応を繰り返している限り領土の解決どころか、ますます紛争が絶えることがないのは誰が見ても明らかであります。
相互主義と考えるならば日本人が支那の領土に不法に上陸したらその日本人はどう扱われるかをよく考えるべきであります。
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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