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謹んでお伝えいたします。 畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては30日午前、東京都千代田区のJCIIフォトサロンで、写真展「〜150年を遡る幻の古写真〜下岡蓮杖の世界」をご覧あそばされた。
幕末、明治に活躍した写真家、下岡蓮杖の作品など約70点を展示。両陛下は明治初期に撮影された皇居内外の写真などを熱心にご覧あそばされた。
畏くも陛下は、坂下門の近くでしじみを取る人を写した写真を見て「しじみですか」と驚かれていた。
日本写真界の開祖 下岡蓮杖翁と夫人
日本写真界の開祖 下岡蓮杖翁(文政6年2月12日(1823年3月24日) - 大正3年3月3日(1914年3月3日)は桜田與惣右衛門(さくらだよそえもん)の三男として文政6年2月12日、下田中原町で生まれます。幼少は桜田久之助(さくらだひさのすけ)。桜田家は浦賀船改船所の問屋であり、蓮杖翁は6、7歳の頃、岡方村の土屋善助の養子となります。
後の慶応年間、生まれた下田町の「下」と、養子にいった岡方村の「岡」を取り、姓を「下岡」と改め、蓮の根の杖を持つことを常とたので「蓮杖」と号しました。 わが国で最初に写真を始めたのは、オランダ人によりその技術を伝授された長崎の上野俊之丞(うえの としのじょう)でしたが、それよりやや後れて上野氏とはまったく別に、苦心の末に写真技術を習得したのが蓮杖翁でした。
蓮杖翁の開設した写真館が日本最初であるところから、「日本写真師の祖」あるいは「日本商業写真の祖」とも称されています。 蓮杖翁は13歳のとき、画家を志し江戸(東京)を出ますが、思うようにならず、足袋屋の丁稚となって働き、次いで天保14年(下田に帰り、砲台付足軽となます。そこでの伝手で江戸を出て、狩野董川(かのうとうせん)の門に入り、狩野派の絵を学びます。あるとき江戸の薩摩藩下屋敷にて初めて銀板写真を見て、その精巧さに感激し、写真術の習得を志すこととなりました。 嘉永6年30才のときに蓮杖と号し、安政3年ハリスが米国総領事として下田に着任したときに、下田奉行所の足軽となります。御馳走係筆頭として外国人との接触の機会を得ると、写真機を所持していたオランダ人通訳ヒュースケンから写真についての説明を受けたといわれています。 万延元年、新たな開港場となった横浜に行き、米人写真家ウンシンと知り合い、写真機材一式を譲り受けると、その資材や薬剤等を用い実験を重ね、1年半という月日をかけ、辛苦の末にようやく湿板写真術を習得します。蓮杖翁39才のときでした。文久2年の終わり頃、横浜野毛、ついで弁天町に写真館を開業、画家としての心得を生かした人工着色や画像の演出により、蓮杖翁の写真館は繁盛します。 石版画印刷、京浜間乗合馬車事業、牛乳販売事業など新事業にも手を染めたとされており、「幕末明治のマルチ人間」、「ベンチャービジネスの先駆け」と評価する人もいます。 明治7年、アメリカ人宣教師により洗礼を受け、熱心なキリスト教信者となり、明治8年か9年には、浅草に移り住み、写真館の書割を書いたり、わが国最初のコーヒー茶屋(喫茶店)の創始、軍旗の写真額を開発などを行い、晩年は絵画を描いて過ごされ、大正3年3月3日、92歳で亡くなりました。 天皇陛下、皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられることを、臣民の一人として祈念します。
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳 |
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2012年08月30日
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