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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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ロンドン五輪もたけなわ、メダルの数よりも奮闘する日本選手に賞賛の声が高まっています。
代表選手のすべて胸に、「日の丸」があり、「君が代」を世界に知らしめる為に、持てるすべての力を出し切り、戦います。
その姿に最高の賛辞を送りたいと思います。
しかし、五輪が終わると同時に多くの国民は、「祖国、日本」への愛着は急速に萎えて行くのが実情です。
 
 

「日本の常識は、世界の非常識」という言葉があります。この言葉は、国旗・国歌について見事に当てはまります。

 世界各国の人々は、自国の国旗・国歌を尊重し、学校教育においても、国旗・国歌についての教育を行っています。そこには、わが国との大きな違いがあります。

「日の丸」「君が代」に反対する人々は、反対の第一の理由として、「軍国主義、侵略戦争」のシンボルとして使われたから、といいます。確かに昭和戦前期には、「日の丸」が戦争遂行に使用された時期がありました。「日の丸」反対の人々は、「日の丸」はアジアの人々に過去の戦争を思い出させる、だから反対だというわけです。

歴史を振り返って見ますと、日本が関わった大東亜戦争の前、アジア各地には、数百年にわたって、欧米諸国の国旗が掲げられていました。それらの国々は、アジア各地を植民地として支配していました。有色人種にとっては、欧米宗主国の旗こそ、数世起もの間、圧政のシンボルだったのです。

 しかし、今日ではどうでしょうか。それら欧米諸国の国旗は、世界平和を守る象徴であるかのごとく、国連本部にひるがえっています。五輪開催国である大英帝国のユニオンジャック、アメリカの星条旗、フランスの三色旗など、旧植民地の人々は、これらの旗を「侵略・搾取のシンボルだ」などと、批判してはいません。それらの国々の旗に、敬意を表しています。それが、国際社会の常識、ルールだからです。欧米諸国の人々もまた、自国の国旗に対して誇りを持っています。そして、共に世界平和に努力しています。

では、赤旗はどうでしょうか?
「赤旗」ほど、20世紀の世界平和を乱し、破壊と混乱に陥れた旗はないことは、世界中の人々が知っています。しかし、今なお「赤旗」こそ自由・民主・平和の旗だと期待し続けている人がいます。「日の丸」「君が代」を最も激しく否定しているのは、そういう人たちではないでしょうか。
 
 
わが国は大東亜戦争後、6年8ヶ月にも及ぶ間、占領下にありました。この間、わが国には主権がなく、公に国旗を揚げることができませんでした。

 当時、進学校で名高い、鹿児島の名門ラ・サール高校には、次のようなエピソードがあります。産経新聞社の皿木喜久氏が、書いています。

この学校が開校されたのは昭和25年4月10日。カトリックの修道士会「ラ・サール会」のカナダ人修道士らによって開校されました。その時の模様が、開校10周年記念誌に書かれていますのでご紹介します。

 「開校式、入学式は海岸のベランダで行われ…、日の丸の国旗を揚げ、国歌君が代を唱す。父兄の中には日の丸の国旗をみて泣いた人もあった」

 
皿木氏は、続いて次のように述べています。「何しろサンフランシスコ講和条約が結ばれる1年以上前、極東軍事裁判で日本人全体が骨抜きの状態にされて間もないころである。日の丸、君が代がいかに新鮮に映ったか。開校時の教員のひとりは記念誌の中でこう回想している。『正面に掲げられた大きな国旗と、国歌の斉唱はそれが敗戦以来始めての経験であっただけに今日に至る迄深く印象づけられている出来事です』と・・

 ラ・サール高校の初代校長は、マルセル・プティというカナダ人でした。プティ校長は、全く当たり前のこととして国旗を掲げて、生徒に国歌を歌わせたのでした。

 

皿木氏は、さらに書続けています。「実を言うと、ラ・サール会は戦前、日本の軍関係者から迫害めいたことを受けるという辛酸もなめている。しかし彼らは、日本が戦争をしたことは悪いことだったとしても、「日の丸」や「君が代」に何の罪もない、という、極めて当たり前のことを理解する賢明さを持っていた。そして、もっと大切なことは、当時の日本の青少年にとって最も必要なのは、自らの国とその文化に誇りを持つことだということを看破していたことだろう。マルセル校長の開校に当たっての訓示は『諸君、よき日本人たれ』だったという」

 
 昭和27年4月28日、日本はサンフランシスコ講和条約の発効とともに、悲願の主権を回復しました。この日から、日本人は、堂々と国旗「日の丸」を掲げ「君が代」を唱えられるようになりました。4月28日は、日本の主権回復の日また「日の丸」復活の日です。この日の意義を記念するため、国の祝日とし、肇国以来、初めて日本が占領下にあった時代があったという事実を国民の心に刻むべきです。

 
実は、昭和27年4月28日を迎えてもなお、日本の主権が回復されない場所がありました。その一つが鹿児島県南西部にある奄美大島でした。

 
奄美大島は大東亜戦争後、アメリカの信託統治下に入れられました。奄美大島の人々は、それに抗議したのです。

 
「われわれは日本人なのだ。にもかかわらずアメリカの支配を受けて、日本から切り離されたことは、われわれにとり耐えることができない」と。

 
そして必死の思いで、祖国への復帰運動を展開したのです。


  祖国なき人となるより むしろ死を

われら選ばん 奄美島人


 これは当時18歳の一少年が詠んだ歌です。

 
日本が主権を回復した翌年の昭和28年12月25日、ようやく奄美の人々の努力が実り、日本への復帰が実現しました。当時、現地の新聞は、次のように書き記しています。

 
「ああ、われらは帰った。日本に帰った。昭和28年12月25日午前零時。この瞬間われわれ奄美24万の人民は日本となった。日本人でありながら、日本人でなかった民族の流転史に終止符を打った。まさに歴史的瞬間であった。苦しかった8年、つらかった8年、血を吐いて独立を叫んだ幾多の犠牲者を出したこの8年、だがわれわれは、この瞬間から、歴史を取り戻したのだ」と・・・

 
この日の朝、実に8年ぶりに、奄美大島に「日の丸」の旗が掲げられました。当時の新聞記事は、伝えています。「朝靄の軒並に日の丸の旗がはためき、町から村へ旗風は喜びを呼び、また喜びを呼んで、島の新しい第一日は明け放たれた」と・・・。

 
ラ・サール高校と奄美大島――上記の二つのお話は、私たちに、祖国というものの存在と、自国の国旗を掲げられることの意義を、再認識させてくれる話だと思います。
日本人は、日本の旗、国旗「日の丸」を掲げ、「君が代」を唱えましょう。
 
祖国あっての日本人です。
日本人の忘れたもの・・・「祖国日本」を・・・

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