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昨今の政治家・国民はよく「国益」を口にします。 国益を考えない国家・国民は、衰退する。戦後日本人は、大東亜戦争後、日本弱体化政策の結果、国家観念を喪失し、国益を考えない人が増えています。国益を考えない国家・国民は、衰退する。
では、国益とは何か。「国家の利益」であり、「国民の利益」である。ここにおける国家及び国民とはいかなるものでしょうか?。 国家と国民について以上のように考えるとき、「国益」とは、共同体としての国家の利益であり、そこに所属する国民の利益であることが明らかになるのです。前述していますが、国民が国益を考えない国家は衰退していくのです。
国家は、一つの共同体として意思決定をしなければなりません。そのために必要なのが政府です。政府は、この共同体が占有する領土や、帰属する国民を統治するための機構を言います。それが、政府としての国家です。 政府は指導者と、その指導者を支え、意思決定したこと(政策)を実行する組織によって構成され、国民には多数の構成員が存在します。理想的には、その構成員の意思が一致していることが望ましいが、現実には、さまざまな意見や利害の相違がある。それゆえ、指導者は、国民の多数にとって利益にかなうように、意思を決定また実行しなければならない。指導者は、国家と国民の利益を常に考えて、政治を行わねばならないのです。
主権という概念は「最高の力」という概念を核とし、自己の意思を自由意志に基づいて決定し、その意思を心理的・物理的に強制することのできる、国内的・対外的に最高の「力」である。このような「力」の裏づけのないものを、主権というのは、概念の自己矛盾になるのです。
また、力の担保なしには、国内的にも対外的にも、国益は追及できず、法という言葉による取り決めは、力の裏づけを要し、外交という言葉のやり取りも、力の裏づけを要します。いざというときには、力で意思を強制できるという担保を持ちつつ、いかに対話によって、相互の意思の合成を行うかが、政治であり外交です。また、その「力」の担い手は、ほかの誰でもなく、国民自身であり、それが近代国民国家の基本原理であるのです。この原理を実現していない国は、主権を持たないか制限されている国家であり、事実上の属国と言うのです。 わが国は、占領憲法に国防の義務、国家忠誠の義務を定めていないことにより、近代国民国家に不可欠の「力」の裏づけに欠陥を持ち、その結果、竹島、北方領土などに見る、対外的な国益(領土・歴史・慰霊等)を守ることができないのです。 互いの利益の折り合うところ、共存共栄を追及することが必要になる。場合によっては、国際社会全体または人類全体の利益を追求する中で、自国の利益を追求する必要が出てくる。その場合も、まず自国が存立することが先決である。そのうえでの国際協調となる。この価値基準が逆になった国家は、衰退していくのです。 国家は、政治的・文化的・歴史的な共同体です。わが国に比べ、世界には多言語、多人種、多文化、多宗教等の国が多く、国家の構成は一様ではない。そうした多様な要素を持つ国民を、一つの国民へと形成するのは、国民の意識である。 その共同体に所属する人々が、「われわれは日本人である、日本国民である」という意識を持つことによって、国家は形成・存続され、国民意識があって、国家という共同体は成り立つのです。国民的なアイデンティティが、国家を成り立たせているのである。 国民意識を生み出す源泉は、一つの集団に帰属し、歴史と文化・運命を共有しているという意識です。その意識の中核を為すのは、歴史の共有です。同じ歴史を生きてきたという記憶と自覚が、国民意識の根幹を為しているのです。すなわち、国の起源、苦難と栄光の歩み、喜びと悲しみの感情。これらをともにしているという意識です。 そして、歴史に基づく国民意識を喚起するものとして、神話または建国の物語、偉人、理想、象徴が必要になる。こういうものをしっかり創造し、国民に共有している国家は強いのです。明治日本がまさに「強い国家」だったのす。 それのできていない国家、それを失った国家は弱い。日韓併合前の大韓帝国がこれにあたるでしょう。また、新たに国民になった者(青少年と移民)に対して、国民的アイデンティティの教育を徹底している国は強く、それの出来ていない国は弱い。前者はまさに米国であり、後者は現代日本と言えましょう。 戦後日本人は、GHQの日本弱体化政策により、国民意識を破壊されました。固有の歴史を否定された。神話(建国の神話・記紀)・英雄(神武天皇)・理想(八紘一宇の精神)・象徴(天皇陛下・日の丸)文化・伝統を奪われ、おとしめられ、教育からも抜き去さられ、神道指令によって君臣の紐帯をも弱めてしまった。代わりに、米国製の歴史観(太平洋戦争史観)が与えられ、アメリカ人の理想(自由・民主・人権)が植え付けられ、その結果、日本人の国民意識は低下させられた。 国民に国民としての意識が低くなると、国益を考える力が低くなる。戦後世代が成長するにしたがって、また特にその世代が組織の意思決定をするようになるに従って、ますます国益を考える力が低下している。 日本人に国益を考える力が低下した要因には、共産主義の影響も大です。マルクス=レーニン主義は、国家(政府)は、階級支配のための暴力装置だとする。近代国家では、政府が国内の武力を独占し、階級支配を行うと考えます。 しかし、文明論的には階級間より民族間の支配のほうが顕著です。征服した民族が支配集団となり、それが支配階級となる事例は、世界の文明史を覆っています。共産主義は、生産力の向上と私有財産制の発達による階級分化という経済的内発的な要因を重視するが、文明論は侵略・政府による軍事的外発的な要因を指摘する。前者を否定するのではなく、単純すぎると言えましょう。 旧ソ連・シナでは革命後、権力を掌中にした共産党が特権をほしいままにし、「新しい貴族階級」となった。また、階級論をもって東欧に勢力を広げ、大国が小国を支配する覇権体制を築いた。 都合の良い下剋上のようなものです。 ソ連・東欧圏の共産党支配体制の崩壊後も、階級論を強調し続けている団体は、共産主義による支配をねらっているのです。階級支配の強調は、国民を思想的に分裂させ、共産主義者が権力を奪取するための手段となっている。国民が思想的に分裂すれば、国民意識は低下する。当然、国益を考える力も低下する。日本国民がそのような状態にあることは、シナや韓国・北朝鮮の反日国家には有利と言えましょう。 国家が確かな意思決定をするためには、国民一人一人が国益を考え、国民全体の幸福を考えて行動しなければならなりません。 日本人がそうなれるかどうかに、皇国の荒廃がかかっているのです。 |
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2012年09月11日
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