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山鹿燈籠起源の御社 大宮神社鳥居 (昭和16年、皇紀二千六百年を記念して建てられました)
今年7月12日に熊本県・大分県を中心に九州地方を襲った豪雨によって多くの同胞が亡くなり、財産までも失われました。改めて、御冥福・お見舞い申しあげます。
8月15、16日に熊本・山鹿市の大宮神社で行われた例祭・山鹿燈籠祭(やまがとうろうさい)はまた特別なものであったでしょう。
日(ひ)の本(もと)に生(あ)れ出(い)でにし益人(ますひと)は 神より出(い)でて神に入(い)るなり (江戸時代の伊勢神宮の神官 中西直方)
「祖先の神があってこそ生まれ出た自分、その自分もやがては祖先の神のもとへと帰っていくのだ。」というこの歌は、日本人の死についての昔からの考え方を明確に表現しています。筆者の住まいより十分程度の兵庫県神崎郡福崎町出身の民俗学の草分けといわれる柳田国男先生は、著書『先祖の話』のなかで、「日本人の死後の観念(かんねん)、即ち霊(れい)は永久に、この国土のうちに留まって、そう遠方へ行ってしまわないという信仰(しんこう)が、恐らくは、世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられている」と述べられています。
死後、人はやがて祖霊(それい)となり、さらに祖先神(そせんしん)へと昂(たかま)っていき、この世の子孫の生活を見守っていて下さると考えてきました。 「草葉(くさば)の蔭(かげ)から見守る」という言葉がありますが、ご先祖さまの御霊(みたま)は、常に私たちの身近にいらっしゃって、私たちを見守っています。この祖霊(それい)を慰め、霊威(れいい)が昂(たかま)っていただくために行う「祭(まつ)り」を「先祖まつり」といいます。
「まつり」の語源は、動詞の「まつる」からきています。「まつる」とは、①神さまのお出ましを「待つ」②神さまに供物などを「献(たてまつ)る」③神さまに従う「服(まつろ)う」などが考えられます。これを全部合わせると「神さまをお迎えして、神さまに物を捧げて、心から神さまに従う」という意味になります。このように、神さまにお仕えすることがお祭りの本義なのです。 第十二代景行天皇(けいこうてんのう)をおまつりする大宮神社は、熊本県北部の温泉地である山鹿に鎮座し、この町の産土大神(うぶすなおおかみ)として古来より篤い信仰が寄せられてきました。 景行天皇が菊池川を下流よりさかのぼられ、山鹿の火の口(現在の地名は宗方)に着岸されました。その折、一面に濃霧が立ちこめ進路を阻んだので、里人がたいまつをかかげて御一行をお迎えし、杉山(現在の社地)へお導きしました。
天皇はここに行宮(仮の御所)を営ませられ、その時の奉迎のたいまつの火が山鹿燈籠の起源と伝えられています。 その後、行宮跡に天皇を祀り献灯の儀を行っていましたが、鹿郡旧語伝記によれば、約六百年前の室町時代応永年中に「菊池氏は祭礼の式法を改め、いろいろの燈籠を張り民に捧げさする」とあります。 第七十一代後三条天皇の延久4年11月15日、菊池則隆公が阿蘇十二神を勧請し、田地三十六町歩を寄進しました。 上がり燈籠
室町時代応永年中からはじまる六百年の伝統を受け継ぎ、祭りの起源を今に伝える神事です。 燈籠師(燈籠制作者)の卓越した技術と精魂を込めて制作された奉納燈籠は、8月15日奉納団体の奉納台に美しく飾られます。 御神前で献灯の儀を行い、無事奉納された山鹿燈籠は本殿裏手の神苑に並べられます。神社の杜で明かりに灯されて浮かび上がる山鹿燈籠。まさに幽玄の世界です。また奉納団体の人々は同じ神苑で直会(祝宴)を開きます。 午前零時、「下がり燈籠」と称し、奉納燈籠は全て神社境内の燈籠殿に納められ、その年の祭りも終演を迎えます。 燈籠祭というと燈籠踊りをイメージされる方も多いと思いますが、この上がり燈籠を見ずして燈籠祭は語れません。深夜の神事ですが是非ご覧いただきたい。 山鹿燈籠祭
山鹿燈籠祭 菊池川河川敷では祭りの由来である景行天皇奉迎の様子を再現する景行天皇奉迎儀式が行われ、古代衣装に身を包んだたいまつ行列は千人燈籠踊り会場を目指します。
山鹿小学校グランドの千人燈籠踊り会場では、2部制により千人燈籠踊りが開催されます。 日本人は遠い昔から、神さま、皇室を崇め、ご先祖(せんぞ)さまを敬い、感謝をする心を大切にしてきました。平穏な生活に感謝をしたり、日々の出来事を報告するなど、神棚(かみだな)や祖霊舎(みたまや、仏壇)に頭(こうべ)を垂れ、手を合わすことは、ごく自然な感情であり清らかな心のあらわれでもあります。
このような「敬神崇祖(けいしんすうそ)」の心をもって、神社のお祭りを守り伝え、あるいはお墓参りやご先祖の祭りを行ってきましたが、お祭りを行う大きな意義とは「感謝(かんしゃ)と慰霊(いれい)」の誠を捧(ささ)げることで神さまやご先祖さまと、自分との間の命の繋(つな)がりを確認し、家族の絆(きずな)を深めていくことにあります。 親を通じて、遠いご先祖さまからの命を継承している私たちは、また社会的存在として決して一人で生きているのではありません。自分を取り巻く、家族や地域の人々とのいろいろな関係のもとに日々の生活を送っているのです。 古来、日本人は家族や地域の共同体の「和」を大切にし、名誉を重んじてきました。何気無い不用意な自分の行為が、家族や地域の人の和を損(そこ)なわないように、自分を律(りつ)する自制心を高めるために、常に身を修(おさ)め、家を斉(ととの)えてきたのです。 往古の昔より、祭りを大切にしてきた日本人。 物質に恵まれた生活をしていても、心に潤いがなければ決して幸せとはいえません。
先人の文化、伝統を継承してこそ生きる意義があるのではないでしょうか?
2012山鹿灯籠おどり
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"竹島は日本の領土" インターネット親日掲示文削除
「竹島は日本領だ。どこででもこう叫ぶ」。ネットコミュニティでこうした書き込みが急速に広まっている。ほかにも「日本統治は幸せだった」「慰安婦は自発的に志願した」など、日本を賞賛して歴史を歪曲する書き込みが急増している。
放送通信審議委員会によると(31日)、6〜8月の間に1万9000件の親日書き込みが摘発された。「竹島を不法占拠する韓国人は1日も早く謝罪しろ」という歴史歪曲と韓国人卑下の内容だ。
同委員会は削除後も書き込みを繰り返したユーザに、解約などの処分を行っている。 同委員会は「私たちの歴史と正統性を否定して青少年に誤った歴史意識を植え付ける恐れがあるインターネット情報が、その水準を高めつつある。親日書き込みを集中モニタリングをする」と明らかにした。(2012.8.31 MKニュース)
注:本文は竹島を独島と書いてありましたが訂正しておきました。
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韓国には言論の自由はない、とはっきり言うのは日本の統治時代を生きた韓国人である朴贊雄氏です。著書『日本統治時代を肯定的に理解する』にはっきり書かれています。
1926年生まれで当時を生きた者として、日本のおかげで今の韓国があると言います。
まるで台湾の日本語世代と同じようなことを言っています。以下、『日本統治時代を肯定的に理解する』より掲載させて頂きます。
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朝鮮に政争も腐敗も弾圧もない、このような天下泰平の時代が、かつてあっただろうか。・・・
韓国は1945年に日本から解放されて、2003年に至るまで、どういう道程をたどってきたか。
僕はその間、韓国の歴史を顧みながら、ただ羞恥の念あるのみである。
国家は、政治も、行政も、学界も、税制も、法曹も、言論も、教育も、芸術も、演劇も、どこもここもワイロ付き一辺倒であった。政治は右翼独裁と左翼独裁に両分され、民主主義者は腹背の敵からの嘲笑・冷遇・罵倒・投獄の対象でしかなかった。つまり国民全体の基本的素質が低劣であるとしか言いようがない。人々が、何が正しく何が道理であるかを考える前に、いかなる手段を尽くしてでも、相手を罵倒して自分の欲望を果たそうとする動物的本能にだけ駆られている。
国民は常識国家、理性国家、民主国家を創り出す素質がない。だから民主主義の看板を掲げていくら選挙をしてみたところで、国民の意思というのが政治に反映されるのは不可能なのだ。
韓国人には、愛国主義、国粋主義、民族至上主義が深く根を張っていて、韓国を高めようとするあまり、その裏返しで対立する相手を低めようとする心理が無意識に強く働きます。だから「韓国を侵略した日本」と言えば、「それ以上悪いものはない」ということになります。日本人は悪いと口をきわめて中傷しなければならず、日本人を少しでも悪くないように言う韓国人がいれば、即座にその人は「死ね」だの、「親日派」、「売国奴」と言われてしまいます。そして世論の袋叩きにあって生きていけなくなるのです。こんな呆れた話はありません。
今の若い連中は教科書や小説等の影響を受けて「当時の朝鮮人は皆、日本を敵国とみなし、ことあるごとに命を投げ出して独立運動をした。日本の特高が全国的に監視の目を緩めず、多くの愛国者が次々捕えられて処刑された」という自己陶酔的な妄想に耽っているが、これはウソである。
統治時代をうすうすながらも思い浮かべることが出来る年齢層は、終戦当時15歳に達していた。今は73歳以上の老人たちである。それ以下の朝鮮人は他人から聞いて、あるいは学校で教育を受けて反日感情に走っている。
韓国人にとって、反日感情はいかにも勇ましく愛国的でカッコいい。この反日感情が全国で風靡しているので、老人たちが国民的合意に逆らう発言をすれば窮屈な思いをする。今や老いも若きも、日本に対する罵声が高ければ高いほど愛国者と遇されるのである。
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これを読めば韓国が日本の友好国になりえないことが理解できます。まさに偏狂としか言いようのない民族です。日本が施してきたことを全く無視して、常に「反省」と「謝罪」を求め、「補償」しろと言ってくる国が友好国であるのか、このままでは10年しても20年しても同じことを言い続けているのでしょう。
恩をあだで返し、いつまでも嘘を言ってたかってくる。これが友だちであったらぶん殴って二度と相手にしないでしょう。
真実を言論弾圧して、ウソばかりの国に未来はないのです。
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