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天皇陛下、皇后陛下 御尊影 悠仁親王殿下 御尊影
慶 祝
お誕生日おめでとうございます。
秋篠宮悠仁親王殿下のお健やかなご成長と、皇
室の彌榮を臣民のひとりとしてこころより祈念しま
す。
皇尊 彌榮! 彌榮! 彌榮!
天皇陛下、皇后陛下 萬歳! 萬歳! 萬歳!
秋篠宮悠仁親王殿下 萬歳! 萬歳! 萬歳!
秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下の長男、悠仁(ひさひと)親王殿下におかせられましては6日、6歳の誕生日を迎えあそばされました。
4日にはお茶の水女子大付属幼稚園(東京都文京区)年長組の2学期が始まり、元気に通園あそばされておられる。宮内庁によると、最近では昆虫の名前や、旅行で訪問した地名などの漢字に興味を持たれているとのこと。
幼稚園では先生の手伝いをされたり、同じ年長組や年中・年少組の子供たちと遊ばれ、5月の金環日(にっ)蝕(しょく)や、見つけた昆虫などについての記事をみんなで書く新聞作りもされた。
お住まいの宮邸では野菜作りに加え、大きなバケツで稲作も始められている。生き物への関心が強く、今夏も赤坂御用地や宮城(皇居)などで昆虫探しをされた。畏くも天皇陛下がご一緒だったこともあるとのことです。
平成18年9月6日、秋篠宮文仁親王妃紀子殿下が男子をご出産あそばされた。命名の儀にて悠仁(ひさひと)親王殿下と命名あそばされた。秋篠宮文人親王殿下以来、皇室に約41年ぶりの親王殿下の御誕生でした。
あれから6年、お健やかに御成長あそばされ、臣民の一人としてに心からお祝い申し上げます。
誕生時には、インドネシアのユドヨノ大統領など21か国の元首から天皇陛下・皇后陛下へ、31か国の元首から天皇陛下へ、それぞれ皇孫誕生の祝電が寄せられた。 皇室に関することは、皇室典範という法律に定められており、皇室典範は、戦前は憲法と同格の地位にありましたが、戦後は一般の法律と同じ位置づけになっている。国会で制定がされ、改正もされる。 皇室典範は、皇位つまり天皇陛下の御位を継ぐ方について、皇統に属する男系の男子と定めています。 男系とは、家系における男性の系統。皇室においては、父方を通じて天皇陛下とつながっている系統である。また、父親・祖父などが天皇であり、男性をたどっていくと天皇陛下とつながっている方を、男系の方と言う。 悠仁親王殿下は、皇位継承順位において、皇太子徳仁親王殿下、秋篠宮文仁親王殿下に継ぐ第3位となられます。皇太子徳仁親王殿下・秋篠宮文仁親王殿下の下の世代には現在、内親王殿下であられ、今後、もし皇太子徳仁親王殿下に男子がお誕生にならない場合は、悠仁親王殿下が将来皇位を継承されることなるでしょう。悠仁親王殿下のご成長で、ひとまず、皇太子徳仁親王殿下の世代の次の世代に天皇陛下になられる方が得られた。
しかし、悠仁親王殿下御誕生によって、問題がすべて解決したわけではなく、いまのままでは、将来皇室には、悠仁親王殿下お一人しかいらっしゃらなくなるかもしれないのです。
皇室
系図をご覧いただくと、理解し易いのですが、三笠宮崇仁親王殿下に繋がる女王殿下、今上天皇陛下に繋がる内親王殿下は、はご結婚されると皇籍を離れあそばされる。
このままでは、皇室はますます縮小し、先細りになってしまいます。
だから、いま私たち臣民は皇室について真剣に考え、皇室の存続と皇位継承の安定を願っていかねばなりません。 日本文化をよく知る外国人の中には、日本の最大の特徴として、皇室の存在を挙げる人が殆どです。彼らには、これは大きな驚きなのだ。古代から今日まで帝室がずっと続いているということなど、諸外国では考えられないことなのです。しかも、男系男子により『血筋』を『神代』から継承している万世一系の皇室の伝統に日本人でありながら、このことに気づいていない人が多い。
日本の国柄は皇室を中心とした一大家族制度のようになっている。これは、人為的でなく自然につくられてきた実に優れた合理的な組織であると説いている。
こうしたわが国に伝わる伝統は、人と人、人と自然が調和して生きる人間の生き方です。家庭では、親子や夫婦が調和して生きる。また、祖先を敬い、子孫の繁栄を願って生きる。そうした家族が多数集まって、一つの国を形成しています。その国の中心には、皇室があり、国民が皇室を中心とした一大家族のような社会を築いているのです。 大東亜戦争後の昭和天皇陛下巡幸、東日本大震災での天皇陛下、皇后陛下、行幸啓、皇族方の行啓、に見る皇室と国民との紐帯。これが日本の伝統的な国柄です。これは人為的に作ったものとは違い、自然に作られてきたものであり建国以来我々の祖先と、皇室が長い年月をかけて醸成した國體の精華なのです。
このような伝統を持つわが国において、皇室の存在は、極めて重要なものであります。 扇で言えば、要にあたる。美しい扇も、要をはずすとバラバラになってしまいます。
大東亜戦争後、我国は本来のわが国の姿を見失っています。
GHQは、占領政策の目的を、日本が再び米国及び世界の脅威とならないようにおき、日本の弱体化を図りました。弱体化の政策が計画・実行されました。
最大の問題点は、天皇陛下のご存在です。教育勅語・国史・修身の廃止。これはわが国独自の歴史や道徳観を否定するものだが、わが国の歴史・道徳は、天皇陛下と国民の結びつきなくして考えられない。 しかも神道指令は、国家と神道の結びつきを断つものであり、いわゆる人間宣言は、天皇陛下の神聖性を否定するものでした。最大の施策は「日本国憲法」であり、現行憲法は天皇陛下の権限を少なくし、伝統的な役割を損ねるように仕向けました。
一連の政策は、天皇陛下の権威を引き下げ、天皇陛下と国民の紐帯を弱めるものでした。これが、日本弱体化政策の核心となったのです。 GHQは占領統治を円滑に行なうために皇室のご存在は認めたものの、皇室を縮小させました。皇族に経済的な圧力が加えられ、11の宮家が廃絶され、51人の皇族が臣民と同じ立場になりました。残ったのは、直宮(天皇の子や兄弟の宮)のみでした。一気に消滅させようとすると、日本人による抵抗・統治が困難なため、徐々に皇室が衰退していくように仕組んだものなのです。 そのため、戦後の皇室は、苦難の連続でした。皇籍を離れられた宮家の苦労は厳しいものでした。 皇室の運命と国民の運命は切り離せない。教育勅語で教育を受けられた世代の大変な努力によって、戦後の復興がなり、経済成長がされ、今日豊かな社会を私たちは享受しています。しかし、日本弱体化政策の効果は、近年になってじわじわと表われてきています。
国民の大多数は、皇室の伝統を知らず、女性天皇と女系天皇の区別も知らなかった。今もまだその深い意味を知らない人が少なくない。知識不足のまま、世論は女性天皇を支持し、女系継承でもよいという方向に傾いていた。 小泉元首相は通常国会で、有識者会議の答申内容に基づいて、皇室典範を改定するという強硬な姿勢だった。政治家の多くは、有識者会議の答申内容をよく吟味することなく、多数決によって皇室典範の改定を決めようとしていました。 平 成十八年三月七日、東京の日本武道館で「皇室の伝統を守る一万人大会」が開催され、一万三百人が集った。 金美齢氏(当時、台湾、総督府国策顧問)が次のようなことを述べた。
「紀子妃殿下ご懐妊と聞いたとき、一瞬、神風が吹いたと思った。大戦の時、私は台湾にいたが、日本人として生きていた。2600年の歌を歌った。必ず神風が吹くと信じていた。しかし、その時は、神風は吹かなかった。どうして今、その神風が吹いたのか。皇室典範の改定は、大戦よりも日本の骨格を揺るがす国家的危機だからではないかと思った」 神風が吹いたとは、まさにそのとおりです。 しかも、待望の親王殿下御誕生でした。
しかし、今日でも女帝・女系容認論の議論は続いています。
悠仁親王殿下の御誕生によって、日本人は貴重な時間を与えられたのではないか。この間に、日本の国柄、皇室の伝統について、私たちは理解・認識をもっと深めていく必要があるのではないでしょうか?
戦後、臣籍降下した11宮家のうち、現存しているのは6家。うち5家に、皇太子より若い男子が14名おられ、うち8名は独身という。敬宮愛子内親王殿下の年代の男子も3名いらっしゃいます。もとは皇族の方々だが、終戦後、GHQによって半ば強制的に皇籍離脱した家の方々です。こういう方々に、皇族に復帰していただいてはどうかという意見もあります。
旧皇族の復帰には、反対論・慎重論もあり、またそれへの反論もあり、これから本格的な議論が行なわれるでしょう。皇室の伝統を維持するために、慎重な上にも慎重な検討を重ね、国民の叡智を集め、適切なあり方を求めていくべきです。 現在何もしないでいれば、その時、宮家はみな絶家になっており、敬宮愛子内親王殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下の皇族方もご結婚によって皇籍を離れています。悠仁親王殿下が、たったお一人になっているということになりかねません。
一臣民が皇統を論ずるのは不敬ではありますが、無知な為政者、皇室を貶める為政者・学者に委ねるのは危険です。
今上陛下、皇族方の思いが最も尊重されるように・・・・
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