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江戸時代に流行したおかげ参りを描いた「伊勢参宮略図」(安藤広重/大阪・玉造稲荷神社所蔵)
「伊勢に行きたい伊勢路が見たい
せめて一生に一度でも わしが国さはお伊勢に遠い お伊勢恋しや参りたや」 と伊勢音頭で唄われたように、 昔から神宮参宮は日本人の憧れでした。 江戸時代、国民の6人に1人が神宮に参宮したと言われています。
日本人は元来伊勢神宮に対する崇拝心が強く、神宮参宮は、特別にご利益があるとされていました。
江戸からは片道15日間、大阪からでも5日間、名古屋からでも3日間、東北からも、九州からも参宮者は歩いて参拝した。岩手の釜石からは100日掛かったと言われています。
お蔭参りの最大の特徴として、奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣したことにある。これがお蔭参りが抜け参りとも呼ばれるゆえんである。大金を持たなくても信心の旅ということで沿道の施しをうけることができた時期もあったのです。
江戸時代、庶民の移動、特に農民の移動には厳しい制限があったのですが、神宮参宮に関してはほとんどが許される風潮でした。特に商家の間では、子供や奉公人が伊勢神宮参詣の旅をしたいと言い出した場合には、親や主人はこれを止めてはならないとされていたのです。また、たとえ親や主人に無断でこっそり旅に出ても、神宮参宮をしてきた証拠の品物(お守りやお札など)を持ち帰れば、おとがめは受けないことになっていました。
また、庶民の移動には厳しい制限があったといっても、神宮参宮の名目で通行手形さえ発行してもらえば、実質的にはどの道を通ってどこへ旅をしてもあまり問題はなく、参宮をすませた後には京や大坂などの見物を楽しむ者も多かったのです。
明和8年の群参のときから、広く「おかげまいり」と言われるようになり、それ以前の群参については「おかげまいり」と呼ばずに、前述していますが、「ぬけまいり」と呼んでいました。皇太神宮のお札が降ったとか、多くの人たちの伊勢まいりが始まったとかの噂が立つと、子は親に断りなく、妻も夫の許可なく、奉公人も主人に無断で伊勢参宮に出掛けました。その旅姿は、白衣に菅笠で一本の杓を持ったりもしました。また、彼らは多く集団を作って旅し、のぼりや万灯を押し立て、「おかげでさ、するりとな、ぬけたとさ」と歌い踊り歩きました。日頃の生活を離れて自由に旅ができ、十分な旅行費用を用意しなくても、道筋の家々が食べ物や宿泊の場所を与えてくれました。それを神のおかげとし、妨げると天罰が下るとされました。
山田三方会合所の記録や本居宣長の『玉勝間』によれば、宝永2年の群参は50日間で362万人に達し、京都から起こった群参の波は、東は江戸、西は現在の広島県や徳島県にまで及ぶほどでした。次の明和8年の「おかげまいり」の総人数は、不明確ですが、宮川の渡し人数から見ても200万人以上に達し、東北地方を除く全国に及んだと言われています。さらに、文政13年の場合は、約500万人が伊勢へ伊勢へと押し寄せています。 当時の庶民にとって、伊勢までの旅費は相当な負担でした。日常生活ではそれだけの大金を用意するのは困難です。そこで生み出されたのが「お伊勢講」という仕組みである。「講」の所属者は定期的に集まってお金を出し合い、それらを合計して代表者の旅費とする。誰が代表者になるかは「くじ引き」で決められる仕組みだが、当たった者は次回からくじを引く権利を失うため、「講」の所属者全員がいつかは当たるように配慮されていたのです。くじ引きの結果、選ばれた者は「講」の代表者として伊勢へ旅立ちました。旅の時期は、農閑期が利用されました。
伊勢では代参者として皆の事を祈り、土産として御祓いや新品種の農作物の種、松阪や京の織物などの伊勢近隣や道中の名産品や最新の物産を購入したのです。無事に帰ると、帰還の祝いが行われ、江戸時代の人々が貧しくとも一生に一度は旅行できたのは、この「講」の仕組み、相互扶助の精神が役立っています。 筆者の生まれ故郷では、つい近年まで伊勢講が存在していました。
お蔭参りに行く者はその者が属する集落の代表として集落から集められたお金で伊勢に赴いたため、手ぶらで帰ってくる事が憚るられ、当時の、最新情報の発信地であったお伊勢で知識や技術、流行などを知り見聞を広げるための旅でもあったのです。お蔭参りから帰ってきた者によって、最新の装束(織物の柄)や農具(新しい品種の農作物)がもたらされ、箕に代わって、手動式風車でおこした風で籾を選別する唐箕が広まったのです。
また迎える伊勢近辺ではどうだったでしょうか?
参宮人の宿泊を認めたお触書きが残存しています。
参宮人の宿泊を認めた触書き(駒田家文書「御用状写帳 二」)
伊勢別街道に近い久居藩領多門村(現芸濃町)の「御用留」閏3月14日付けの大庄屋から村への触れには、「参宮人が多く、旅籠屋での宿泊に差し支える場合は、宿続きの村方に宿泊させるようにし、難渋している者がいたならば、志のある者が宿泊させてもよい」とあり、同時に「火の用心」「農業の手抜きがないように」との記述が見られる。
また、藩から村への触れでは、「参宮人が多く、旅人や難渋者への施行は、奇特なことである。中には施行を進められ、やむを得ず行っている者もあるが、それは心得違いである。施行駕籠も異様な客には出してはならない。ただし、病人や足が痛く歩行困難な旅人に施行することはよい。もちろん、農業に差し支えないように心得るように」とある。多少、藩と大庄屋との間で村への触れの内容が違うが、いずれも困っている旅人への施行を認め、農業に差し障りがないように心がけることとしている。 また、伊勢国紀州藩田丸領でも、「銘々門に立つ者へ合力等を致すように」「宿に困る者については、明家を用意し無賃にて泊まらすように」「施行は心次第、多少によらず施すように」などの通達が見られる(『玉城町史』下巻)。一方で、田丸代官からの各村落への触れには、「参宮人が多く、往還筋の飯米が差し支えるため、領内での米の売買は認めるが、他領への米の移動は禁止」とある。ただ、同じ紀州藩尾鷲組大庄屋記録には、「お蔭参り」に関する記述は見られない。 これらのことから、同じ藩であっても、地域差によって参宮客への対応が異なったことがわかる。 これらを迎え入れる神宮領の資料を見てみると、閏3月ごろの記事に「参宮人で病気になり難渋している者は介抱すること」「宿がない難渋者に対する宿施行を行うこと」「旅籠屋の宿泊料を安くすること」「商人が諸色値段を高くしないように」などの触れが、宇治会合から各村に対して出されている。神宮のお膝元では、こうした参宮人を迎え入れるための準備を行っていたのである。 また大坂の豪商鴻池家は一人50文ずつ、計700万両を施し、空き家はすべて宿泊施設とし、伊勢路では各所で粥を炊いてお蔭参りの人々に奉仕したと言われています。
ござを丸めて、その先にひしゃくを背負う姿は
お伊勢参りの定番のスタイルでした。 その姿をみた主要街道、伊勢路の人々は施行(おもてなし)を行い、無銭でお伊勢参りが可能にしました。 しかし、病気やその他様々な都合により、伊勢参宮に行きたくてもどうしても行けないという人もおり、そういった人達は、自分の代理として他の人に伊勢にお参り行って来て貰う事で、神宮に代参をしたのです。
そして、そのうちに、人間ではなく自分の犬に代参を託す人も出てくるようになり、近所でおかげ参りに行くという人に自分の犬を預けて連れて行って貰ったり、もしくは、道中の人々がその犬を伊勢へと案内してくれる事を期待して、犬一匹だけで送り出される事もあったようです。こういった犬のおかげ参りは江戸時代後期に流行り、おかげ参りをしている犬である事がすぐ判別できるよう、上記画像にあるように、犬には御幣や注連縄が付けられ、また、犬の首には道中のお金などがくくりつけられて送り出されました。
伊勢へと通じる道々では、そうした犬が来ると皆で餌をあげたり泊めるなどして、その分のお金を少し貰ったりもするのですが、逆に「これはとても立派な犬だ」と言ってお金を足してあげる人も多く、犬の首に掛けられている袋のお金が増えてくると、袋が重くて犬が可愛そうだと一枚の銀貨に両替してくれる人までいたそうです。当時の人々はとても信心深かったので、おかげ参りをしている犬からお金を盗むような人はなく、こうして犬は人々の善意に支えられながら伊勢へと送り届けられていったのです。
神宮の「おかげ参り」「参宮」に思いを馳せる時、いかにかっての日本人が大らかで、崇敬心が篤く、同じ日本人を労わるこころがあったかお解りいただけるでしょう。
神宮が「日本人」の「こころのふるさと」と言われている由縁です。
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シナ海軍の海自護衛艦へのレーダー照射の件で、毎日新聞は安倍総理が原因であると書いています。下の(元記事)はまるでシナ共産党の機関紙の手先のような内容です。しかも、その記事は「まずい」ということだったのか、すぐに書き替えてしまいました。あまりにもひどいので記事を全文掲載して残しておきます。
(元記事)
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中国海軍:レーダー照射 関係改善進まずいら立ちか
毎日新聞 2013年02月05日 21時02分(最終更新 02月05日 22時40分)
【北京・工藤哲】中国海軍のフリゲート艦が東シナ海で海上自衛隊の護衛艦にレーダー照射した背景には、日本の安倍晋三政権に対する中国側の強いいらだちがある可能性が高い。日中間では首相経験者らが活発に往来し、中国側が友好ムードを演出しているにもかかわらず、対中強硬姿勢を取り続ける安倍首相に態度軟化への変化が感じられないためだ。
尖閣諸島の国有化をめぐって行き詰まる日中関係の打開のため、日本から公明党の山口那津男代表が1月下旬に訪中。中国側も関係改善への突破口とするため、習近平共産党総書記があえて会談し、安倍首相からの親書を受け取った。だが、その後も日本側は、中国側が期待するような行動を見せず、中国側は不信感を募らせていたようだ。
習総書記は先月28日、党政治局の学習会の席で「我々の正当な権益を放棄することはできない」と語り、尖閣諸島問題で日本に譲歩しない姿勢を改めて強調した。
先月14日付の中国人民解放軍機関紙「解放軍報」は1面トップで、軍総参謀部が2013年の軍事訓練に関して「戦争に備えよ」と全軍に対して指示を出していたことを報道した。この時期から中国メディアによる日本批判の報道が増えた。
安倍首相は先月16日から、南シナ海で中国と領有権を争うベトナムなど東南アジア諸国連合(ASEAN)3カ国を歴訪した。一連の日本側の動きに対し、中国側は「自国をけん制している」と受け止め、米国や日本が南シナ海の領有権問題に介入することに不快感を示していた。
日中間では最近、鳩山由紀夫、村山富市の両元首相らが相次いで訪中し、その都度、中国側は党や政府の高官が会見するなど丁寧な応対を続けてきた。その一方で、安倍首相本人は引き続き中国をけん制する発言を繰り返しているため、中国側には不信感が募っていたようだ。
当面、中国は日本の出方を見極める立場とみられる。ただ、日本側に変化が見られない限り、さらなる強硬的な措置を取るとみられ、日中関係はさらに厳しい局面を迎える。
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(差し替え記事) ----------------------
中国海軍:レーダー照射 安倍政権へのいら立ちが背景か
毎日新聞 2013年02月05日 21時02分(最終更新 02月06日 01時53分)
【北京・工藤哲】中国海軍のフリゲート艦が海上自衛隊の護衛艦にレーダー照射した意図は不明だが、対中強硬姿勢を崩さない安倍政権に対する中国側のいら立ちが背景にある可能性が高い。
中国共産党の習近平総書記は公明党の山口代表との会談に応じた際、日中首脳会談に前向きな意向を表明したが、「環境を整えることが重要だ」として日本側にくぎを刺した。また、習氏は1月28日に開かれた党政治局の学習会で「我々の正当な権益を放棄することはできない」と強調し、尖閣問題で中国が一方的に譲歩することはあり得ない考えを改めて示した。
海上自衛隊の護衛艦に対するレーダー照射があった同30日は日本政府が尖閣周辺を警備する海上保安庁の組織強化を盛り込んだ新年度予算案を決定した翌日だった。安倍首相が習氏への親書で日中関係の重要性を強調しながら、関係改善に向けた具体的な対応がないことに中国側は不信感を募らせている。
中国の海洋監視船が4日に日本の領海に侵入したことに関連し、中国外務省の華春瑩(かしゅんえい)副報道局長が5日の定例記者会見で「誠意と実際の行動で問題を適切に解決する方法を見いだすべきだ」と日本側に歩み寄りを促したのもそのためだ。
一方、北京の外交関係者は「中国の関係部門の対応は一枚岩ではない」と指摘。レーダー照射が軍独自の判断だった可能性もある。護衛艦の搭載ヘリがレーダー照射を受けた疑いがある1月19日は、中国メディアで盛んに日本との軍事衝突の可能性が報じられていた時期と重なる。直前には軍総参謀部が今年の軍事訓練に関して「戦争に備えよ」と全軍に指示しており、こうした状況が挑発行為につながったことも否定できない。
中国側は1月に鳩山由紀夫、村山富市の両元首相の訪中を受け入れる一方、海洋監視船による領海侵入を繰り返すなど硬軟両面の対応で日本側の出方を見極める構えだ。だが、日本から発せられるシグナルも硬軟両様のために解決の糸口が見えず、挑発行為がさらにエスカレートする危うさをはらんでいる。
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毎日は安倍総理が中国様を刺激したからこうなったのだ、と書いています。
さすがにそれは露骨であるのでまずいということで記事を差し替えて、安倍総理の名前は極力出さないように間接的な批判に書き替えています。
毎日新聞がいくら”安倍憎し”であっても、ここまでシナの立場に立った報道はあり得ないでしょう。これではシナ共産党の手先であり、日本を属国視した売国新聞であります。その一方で産経新聞は民主党政権の弱腰が今日の事態を招いたと書いています。
2012.11.3産経新聞:
「日米両政府は5日から日米共同統合演習を行い、沖縄県の周辺海域を島に見立てて離島奪還の模擬訓練を実施する。当初は無人島を使った奪還訓練が予定されていたが、岡田克也副総理がこの方針を撤回させていた。岡田氏が重視したのは「中国への刺激を避けることだった」という」
2013.2.4産経新聞:
「沖縄県・尖閣諸島周辺での中国機による領空侵犯を受けた航空自衛隊の緊急発進時の手続きに関する議論で、野田内閣が、当時副総理の岡田克也氏の主導により曳光弾による警告を意図的に封印していたことが明らかになった。日本側の慎重姿勢を見透かした中国側はその後、海洋監視船搭載のヘリコプターを飛び立たせる動きを見せるなど、挑発のエスカレートを招いた。
岡田氏が「防衛省がそんなことをするから日中関係がますます悪くなる」と反対。森本敏前防衛相は「これは国権の発動で、当然の行為だ」と主張したが、野田佳彦前首相は岡田氏の意見を採用するよう指示したという」
2013.2.6産経新聞:
「民主党政権時代、海自艦艇は尖閣から130キロ以内の海域には入らないようにしていた。中国を刺激することを嫌った首相官邸の指示だったとされる。そうした「弱腰」に乗じるかのように中国艦艇は海自艦艇に近づくような挑発にも出てきたことがある」
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