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竹島の日式典中止を要求 韓国与党代表 2013.2.20 12:54 [韓国]
韓国与党セヌリ党代表で朴槿恵次期大統領側近の黄祐呂氏は20日、党の会合で、島根県が22日に開催する「竹島の日」式典について、日本政府が「行事自体をできないような措置を取ることを強く求める」と述べた。聯合ニュースが伝えた。
韓国では、25日の朴氏の大統領就任直前に行われる竹島の日式典に日本政府が島尻安伊子内閣府政務官を派遣する方針を決めていることに反発が続いている。黄氏は島尻政務官の派遣もとりやめるべきだと主張した。
黄氏は、日本はアジアでの歴史問題と領土問題の中心にいることを直視し、大局的な見地から行動すべきだと述べた。また、党に外交問題を専門に扱う新組織を設け、外交力強化を図るとした。(共同) 「北緯三十七度九分三十秒東経百三十一度五十五分隠岐島ヲ距ル西北八十五浬」 この問い掛けに、どれだけの日本国民が認識しているでしょうか?。 また、どれだけの国民が、竹島の来歴や知識を持ち合わせているのだろうか。日本海に浮かぶ竹島は、隠岐諸島の北西約157キロ、北緯37度14分、東経131度52分に位置し、現在は島根県隠岐の島町に属しています。 高さ157メートルの西島と、それよりやや低い東島、数十の岩礁からなり、総面積は23万平方メートルで、東京ドームの約5倍の広さがある。韓国では独(トク)島(ト)と呼ばれる。 飲料水の乏しさなど、居住条件は厳しいものの、周辺一帯は南からの対馬暖流と、北からのリマン寒流の接点になっており、魚介藻類の種類、数量ともに豊富。好漁場として知られています。 歴史を振り返れば、日本領であることは疑いなく、根拠の1つは、1世紀前の明治38年(1905)年2月22日、当時の島根県の松永武吉知事名で発せられた「県告示第40号」という、重要な手続きにあります。 「北緯三十七度九分三十秒東経百三十一度五十五分隠岐島ヲ距ル西北八十五浬ニ在ル島嶼ヲ竹島ト称シ自今本県所属隠岐島司ノ所管ト定メラル」 この竹島が島根県所属となったことを示す告示は、その約1カ月前の1月28日の明治政府の閣議決定を踏まえ、行われた。明治政府は古くは「松島」、当時は「リャンコ島」などと呼ばれた島を「竹島」と命名。日本領土に編入し、島根県に組み入れることを決定したのです。 閣議決定前には、他国が占領したと認められる形跡がなく、隠岐島の漁業会社がアシカ漁のために構えた小屋が、占領の事実に当たると確認。手順を踏みながら、竹島が国際法上の「無(む)主(しゅ)先(せん)占(せん)」の地であると判断。 さらに、大東亜戦争の戦後処理として、昭和27(1952)年4月28日に発効したサンフランシスコ講和条約でも、あらためて日本領土と確定したのです。 ところが、同年1月18日、韓国が「李承晩ライン」を一方的に宣言し、日本海などの公海上に線を引き、竹島を自国領に取り込んだのです。 再三にわたる日本政府の抗議にもかかわらず、韓国はその後も実力支配を強化し、竹島は平成11(1999)年1月22日発効の新日韓漁業協定で、両国が共同管理する暫定水域に含まれたが、日本漁船はいまだに近づくことができない状態が続いています。 領土問題は、独立国家としての主権を維持することに関わる大問題です。その本質は、主権・国防・憲法の問題です。主権には、対内的な権利と、対外的な権利との両面があります。対内的な権利とは、国内の統治に関する権利です。これに対し、対外的な権利は、領土や関税や在留外国人に関する権利です。対外的な権利としての重要な要素が、領土に関する権利を言います。
領土なくして国家は存在しません。欧州には「一寸の領土を奪われて黙っている国民は、全部の領土を奪われても黙っている」という言葉があるほどど重要なことなのです。領土問題においては、その国民がどこまでを自国の領土だと意識しているかが重要であり、そして、他国に対して国家主権を明確に主張し、それを維持する努力をすることが最も重要です。国際法上、領土と認められている地域であっても、国民が自国の領土だと積極的に認識していない場合は、他国の侵犯を受けても、鈍感になり、あろうことか、他国が不法占拠し、実効支配しても、それを排除するための行動を起こさなくなってしまいます。戦後のわが国は、まさにそういう状態にあるのです。国防について、憲法で大きく規制しているからです。筆者は領土問題の根本原因は、現行憲法(占領基本法)にあると考えます。
戦後、日本人は諸外国、とりわけ隣国は素晴らしい国だと洗脳されてきました。問題が起きても話せば解ると・・
しかし、世界は日本人が信じているほど平和でもなければ、優しくもないのです。
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2013年02月20日
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うま酒みわの舞 大神神社
祈年祭とは、2月17日におこなわれる神社で最も重要なまつりの一つで「としごいのまつり」ともいわれます。
「とし」は稲の稔りの意味で、春の初めに当たるこの時期、その年の五穀豊穣、産業の発展、国家・国民の繁栄を祈る祭典で、11月の新嘗祭とは対になる形で、古くから重要な祭祀とされてきました。 祈年祭は、改暦以前は毎年2月4日に執り行われていましたが、改暦後は、2月17日に斎行されるようになりました。 しかし、祈年祭をいつ執り行うかは地域や神社によって違いがありますが、宮中や伊勢神宮をはじめ、全国の神社で最も丁重におこなわれてきました。 17日、宮城(皇居)宮中三殿において、畏くも天皇陛下におかせられましては、祈年祭の儀をなさりあそばされた。
画像は奈良県桜井市の大神神社で行われた祈年祭ですが、約200人が参列し、五穀豊穣(ごこくほうじょう)と国家安泰を願いました。 本来は民衆が行う田の神への予祝祭ですたが、大宝律令にも定められた古代の国家祭祀(さいし)が起源とされるます。祈年祭では、稲などの農作物のほか、鯛やキジなどを神前に供え、鈴木寛治宮司が祝詞を奏上。4人の巫女(みこ)が神楽「うま酒みわの舞」を舞い、五穀豊穣と国家安泰を願い奉納いたしました。 『大神神社(おおみわじんじゃ)』。別名を「三輪神社」といいます。
日本神話にも記載され、大和朝廷の設立当初から存在し、「日本最古の神社」と呼ばれる歴史、由緒ある神社です。
神社の中で最も重要な「本殿」を持たず、背後の三輪山そのものを御神体としており、神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とされています。
神奈備とは、神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域をさし、神籬(ひもろぎ)磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)や鎮守の森や山(霊峰富士)をさし、または岩(夫婦岩)や滝(那智の滝)などの特徴的な自然物がある神のいる場所をいいます。 四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
。「予祝」とは、あらかじめ祝うことですが、古代日本では、お祝いはめでたいことが起きたからするものではなく、先にお祝いをして めでたいことが起きるのを 予め祝い、そのの結果として祝事が起きると考えられてきたのです。
農耕民族であるわが国は、五穀豊穣、民族の生命線である多産を祈ってきたのです。「祝福」とは、忌み嫌われる言葉を話すと良くないことが起こり、逆に祝福の言葉で状況が好転するというもので、災厄を避けることにもつながります。
我が国は、「言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国」とも称されるように、言霊に対する信仰が見られます。言葉には霊力が宿り、口に出されて述べることにより、この霊力が発揮されると考えられています。
大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は
この壮大な歌は雄略天皇の巻頭歌とともに、万葉集の冒頭を飾る御製歌です。
大意は、ここ大和には、山がたくさん寄り集まっているが、とりよろふ(語義未詳)天の香具山、その山の頂に登り立って領土を見渡せば、人の住む広々とした平野には、靄が立ちこめている。広々とした海では、あちこちで鴎が飛び立つ。豊かなよい国だよ、蜻蛉島すなわち、日本の国は。
香具山からの風景を見て詠んだ風景歌のようにも取れますが、実はもっと深い意味があるのだといわれています。
つまり、その国を見渡しながら「大和の国はすばらしい国である」と詠うことによって言霊の力で大自然の神々に語り掛け、実際にそのような国になるよう願われた御製歌です。 註 天 あめ の 香具山 かぐやま:大和三山の一つ。古来、聖地とされました。また、「あまの」と読む説もあります。 国見 くにみ:春の野遊びを兼ねて豊穣を祈る、天皇陛下の予祝行事。 蜻蛉島 あきつしま :日本国の美称。「秋の島」、または「飽きの島」の意味で、いずれも豊穣を示す。また、蜻蛉(とんぼ)は、豊作の象徴と考えられた。 |
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