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スリランカの歴史ほど悲しいものはない。1505年にポルトガル、そしてオランダ、さらにイギリスと、500年にも亘って白人の植民地となって搾取されてきました。
白人支配に奴隷のように扱われてきたアジアの国々では、同じアジアの小さな国である日本が大国ロシアに堂々と勝ち、さらにアジア人が絶対に敵わないと思われた大国アメリカ、イギリスとも堂々と渡り合って戦っている日本の姿を見て「我々にもできるんだ」という勇気を与えました。・・・
大正10年、スリランカはイギリスの植民地下で人々は牛馬のごとく扱われていた頃、昭和天皇(当時皇太子)はヨーロッパに御巡遊されるため、お召し艦「香取」、供奉艦「鹿島」の二隻で編成された第三艦隊がスリランカ(当時はセイロン)の首都コロンボに入港されました。
この時、“ある少年”の母親は丘の上に少年を連れて行き、このように言いました。「見よ、あれがロシアを破った日本海軍の艦隊だ。同じアジア人なのよ。アジア人もやれば出来るのよ」と諭されたのです。
この時、丘の上には多くのスリランカ人が集まって来て、遠い眼差しで帝国海軍の艦隊を見つめていました。
以来、この少年は猛然と勉強して、スリランカの独立運動に加わり、やがて大統領になります。この少年の名はジャヤワルダナです。
サンフランシスコ対日講和会議にスリランカの大蔵大臣として出席したジャヤワルダナは、会議の冒頭で「対日賠償権を放棄する」と宣言し、このように発言しました。
「アジアの諸国民は、なぜ日本が自由になることを切望しているのか。
それはアジア諸国民と日本との長きに渡る結びつきのゆえであり、植民地として従属的地位であったアジア諸国民が日本に対して抱いている深い尊敬ゆえである。アジア諸国民の中で日本が、ただ一人、強く自由であった時、アジア諸民族は日本を守護者かつ友として仰ぎ見た。ビルマ、インド、インドネシアの指導者たちの中には祖国が解放されることを願って、日本に協力した者がいたのである」
白人から植民地支配を受けていたアジアの人々を代弁した発言でした。それはただ一人、白人たちに戦いを挑んだ日本に対する尊敬の念を持つ演説でありました。この発言に吉田茂全権は感泣しました。
その後、日本はスリランカにとって最大の資金援助国となります。そのことをスリランカの人たちはよく知っていて、日本人に対してとても感謝しているのです。一方、日本人はジャヤワルダナの勇気ある発言を知らないのです。これは日本人が無関心であるからではなく、学校教育もマスコミも日本人に教えないからです。
昭和天皇の大喪の礼の時にはジャヤワルダナは強く希望して、時の大統領に代わって参列されました。きっと少年の頃に母から言われたあのことを思い出していたことでしょう。
1996年、ジャヤワルダナが亡くなる時、遺言には「右目はスリランカ人に、左目は日本人に」と、日本人にも角膜を寄贈されました。彼は心の底から日本を愛していたのです。
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