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天皇弥栄(すめらぎいやさか)
皇室の存続について否定的な考えの人たちがごく一部の方々ですが存在することを筆者はとても残念に思います。
なぜでしょう?筆者には理解できません。畏くも天皇陛下は日本国民統合の象徴であり、わが国の存在そのものです。
万世一系の皇統の維持と陛下の存在は国民が誇れるものなのです。 冒頭の映像は足掛け8年半で3万3000キロ、2万人の臣民に玉音を賜った先帝陛下全国巡幸の様子、しかも昭和22年12月7日の広島御巡幸の様子で締め括られています。
先帝陛下の全国御巡幸の記録を見た、ドイツのオットーカロン博士(ボン大学教授 )は次のように述べています。
ローマ大帝国も、ナポレオンの国でさえも、一度戦いに負ければ亡びている。私の国のカイゼル陛下にしても、また生前中は神の如く慕われていたヒットラーも、イタリアのムッソリーニも、戦いに負けたらすべてそのまま残ることはできない。殺されるか、外国に逃げて淋しく死んでいる。だから日本の天皇も外国に亡命すると思っていた。しかし、そんなことは聞かない。だからすでにこの世におられないと思っていた。
ところが最近、日本から来た記録映画を見て驚いた。天皇が敗戦で大混乱の焼け跡を巡っておいでになる姿である。しかも、二年もの長い間、北の端から、南の端まで、焼き払われた廃墟を巡って、国民を慰めておられる。陸軍も海軍もすでに解体されているのに、一兵の守りもないのに、無防備のままで巡っておられる。 平穏無事なときでも、一国の主権者が、自分の国を廻られるその時には、厳重な守りがなされている。それでも暗殺される王様や大統領がある。それなのに一切の守りもなく、権力、兵力の守りもない天皇が日本の北から南まで、焼き払われた廃墟を巡る。国民を慰める。何という命知らずの大胆なやり方であろうか。いつどこで殺されるか。こう思って映画を見ていた。 しかし驚いたことに、国民は日の丸の小旗を打ち振って天皇を慰めている。こんなに美しい国の元首と国民の心からの親しみ、心と心の結び、これはどこにも見られないことである。われわれは改めて、日本を見直し、日本人を尊敬しなければならないと思っている。 世界史における、君と民の関係は、常に対立関係でした。
しかし、わが国の君である天皇陛下と国民は肇国以来、君民一体の歴史を紡いできた。
これこそが、世界に比肩、比類なき日本の最も尊い、”お国柄”です。
皇室記者の松崎敏弥氏は自身の戦後体験を次のように記しています。
当時の天皇と国民との関係については、私にも印象的な思い出がある。小学生のとき、学校の夏期合宿からの帰り、軽井沢の手前の横川駅で昭和天皇のお召列車とすれ違ったときのことだ。引率していた女性教師が、汽車の窓を開けてはいけないと注意した後に、「私は天皇陛下万歳とはいいません。そういう人間ではありません」といった。ところが、いざお召列車が目の前を通り、天皇陛下がこちらに手を振っておられた時、その女性教師は他の乗客たちと一緒になって「天皇陛下万歳」と叫びながら、号泣していたのである。
後に、先生が婚約者を戦争で亡くしていたと聞いた。複雑な感情を持ちながら、それでも目の前を通るお召列車に向かって泣きながら「天皇陛下万歳」といわずにはいられなかった姿を、皇室記者になってからも、たびたび思い出した。 と・・・
恵まれた日本があるのは、万世一系の天皇陛下のおかげである。
天皇陛下なくして日本は日本に非ず。
万世一系の天皇陛下が、日本と日本国民を護り共に紡いできました。
臣民(国民)は天皇の赤子である。
先帝陛下は国際的にも日本の國體(象徴)として敬われ、米国・英国など多くの国を歴訪され、歓迎を受けました。昭和64年1月7日、先帝陛下が崩御すると、ご大葬には、世界約160国の代表が参列し、哀悼と敬意を捧げました。
先帝陛下は、日本の心を伝える存在として、内外の多くの人々の敬愛を集めたのです。そして、それは、陛下の心底に、「民の父母」たらんとする意志があればこそのことだったでしょう。
そして先帝陛下の大御心は今上陛下へと継承され、今上陛下の大きなご慈愛の傘の下で我々は生きています。
わたしたち日本人は、日本に生まれたからには、”日本”を守らなければならない責任と責務があります。
それが、現代日本に生を受けた、筆者の天命であると信じています。
題名の、天皇は「すめらぎ」とも読みます。
これは我が国の悠久の歴史の中、脈々と受け継がれてきた万世一系の天皇陛下のことを意味します。
そんな「天皇(すめらぎ)」の彌榮(いやさか)を、未来永劫続くよう、筆者は臣民として姓ある限り祈り続けます。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
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2013年10月25日
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「熱心な歓迎に嬉しく思う、広島市民の復興の努力のあとを見て満足に思う。
皆の受けた災禍は同情にたえないが、この犠牲を無駄にすることなく、
世界の平和に貢献しなければならない」(昭和天皇のお言葉)
大東亜戦争後間もなく、先帝陛下(昭和天皇)は約8年間、日本国中を巡幸されました。これは今でもよく知られていることであります。
しかし、他国ではこれは考えられないことであり、世界中が驚きました。
世界の常識では敗戦国の君主というのは国外逃亡するのが当然だと考えていました。なぜなら、敗戦国となれば治安が悪く、君主に対しての警備もなく、国民が暴動を起こして君主が殺害されるのが常であったからです。
君主というものは常に国民の犠牲を顧みずに自分のことを中心に豪華な生活をするものであったからであります。ですから同じように天皇陛下も、銃で撃たれて殺害されるものだと確信していました。しかし、日本は世界の常識では通じなかったのです。
巡幸はどこに行っても天皇陛下は大群衆に囲まれて大歓迎され、時に国民は涙を流して「天皇陛下万歳、万歳、万歳」とやるのです。天皇陛下は日本国民を愛しみ、日本国民は心から天皇陛下を尊崇してしたのです。日本国民と天皇陛下との結びつきは神話の時代から続く我が国柄であり、他国には信じることが出来ない君民の強い心の結びつきであるのです。
巡幸は特に広島の人々の大きな支えとなりました。原爆が落とされた広島には誰も寄りつきませんでした。なぜなら、広島は「70年間は放射能で草木も生えない」と言われ、「放射能汚染された広島人と結婚したら子供が出来ない」とも言われていたからです。
昭和22年12月7日、そういう風評の中にもかかわらず先帝陛下(昭和天皇)は広島に巡幸されました。広島県民は涙を流して陛下をお迎えしました。
「陛下が来てくれた。広島は大丈夫だ。放射能も大丈夫だ。結婚も出来る。」
広島県民は力いっぱい手を振り、そして、「天皇陛下万歳」をやったのです。
広島が苦しんでいるときには広島に、そして、福島が放射能に苦しんでいるときには福島へ。常に国民とともにある天皇陛下と日本国民。これこそ日本が世界に誇る国柄なのです。世界の君主とはまったく違う天皇陛下の存在を正しく知って、自分の国に誇りを持ちましょう。
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