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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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「戦前回帰」「日本の文化」 遷御の儀に84年ぶり首相
安倍首相が2日夜、伊勢神宮内宮の「遷御(せんぎょ)の儀」に参列した。
国家神道が隆盛だった1929(昭和4)年以来、戦後初の首相参列は何を意味するのか――。

日本キリスト教協議会の靖国神社問題委員長、坂内宗男さん(79)は「憲法に定められた政教分離の原則に反する行為だ。非常に深刻に受け止めている」と強い調子で批判した。安倍首相が靖国神社の秋季例大祭に参拝することも想定し、7日に委員会を開く予定だったが、「この問題も協議し抗議文を出したい」。

首相の正月参拝は定着しているが、戦後3回あった式年遷宮に首相が参列した例はなく、前回は官房長官らの参列にとどまっていた。
坂内さんは「伊勢神宮の公的位置づけを強め、国民にそういう意識を広める狙いがあるのでは」と危機感を募らせる。2013.10.3 朝日新聞)
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歴史認識を対日外交に持ち込んだのはシナ共産党です。
しかし、南京大虐殺が捏造であると日本人に理解され出した頃、今度は靖国神社参拝を持ち出してきました。これを日本国内で支援しているのが朝日新聞です。朝日新聞というのは中国様のためならば嘘でも何でも書き立てます。
 
1985815日、中曽根首相が靖国参拝した時にシナは大騒ぎし出しましたが、この時、朝日新聞はこう書きました。「戦後首相として初めて公式参拝」
 
これは朝日新聞の明らかな嘘です。この前年の15日の朝日新聞には「歴代の首相も通例として春、秋の例大祭と815日の終戦記念日の参拝」と書いており、戦後、靖国神社への公式参拝は幣原首相、吉田首相から行われております。なぜ朝日はこんな嘘を書くのか?
これはシナ共産党の嘘の歴史に合わせるために記事を書いているから辻褄が合わなくなってしまうのです。それ以上に日本人をバカにした舐めた記事であります。
 
靖国参拝はシナの対日外交カードです。伊勢神宮も利用しようというのが朝日新聞です。
戦後、吉田茂と田中角栄、細川護煕は「遷御の儀」には参列していません。
安倍総理の参列は昭和4年の浜口雄幸以来だから「戦前回帰」だと書いています。
 
しかし、安倍総理は「日本を取り戻す」で支持された総理です。この日本を取り戻すとは戦前の日本に戻ることです。
これは誤解なきように書くと、戦前の日本とは、戦後占領政策を解いて、日本のよき伝統・文化、世界に誇る国柄を守り、主権国家・道義国家たる日本に戻るということです。そういう意味でも安倍総理の遷御の儀」への参列は何も問題はないのです。
 
麻生太郎副総理兼財務相、下村博文文部科学相、田村憲久厚生労働相、林 芳正農林水産相、石原伸晃環境相、古屋圭司国家公安委員長、山本一太沖縄・北方相、稲田朋美行革相の8閣僚も参列したのも何も問題ありません。
 
しかし、残念なのは「私的参拝」という発言です。
マスコミがバカの一つ覚えに「参拝は私的ですか、公的ですか」と聞きます。
こう聞かれたらはっきりと「日本人として参拝している」と言ってやればいいのです。
 
また、日本キリスト教協議会が坂内某が「憲法の政教分離に反する」と言っています。憲法の政教分離については1977年の「津市地鎮祭訴訟」の最高裁判決で憲法違反ではないとの判決が出ています。これにより総理の靖国参拝は合憲であるとされたのですから伊勢神宮も問題ありません。
憲法の政教分離と言うならば、公明党にこそ言うべきであります。
 
「伊勢神宮の公的位置づけを強め、国民にそういう意識を広める狙いがあるのではと危機感を募らせる」とあります。
伊勢神宮の9月の参拝数が900万人を超え、1896年に統計を取り始めて過去最高を記録し、今年の参拝客は1300万人だともいいます。
坂内某が「国民に意識を広める狙い」という前に、国民は日本人としてお伊勢さんの大切さをよく理解しているのです。
シナの広告塔である朝日新聞など一蹴してやりましょう。
 
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安倍総理の遷御の儀への参列は何も問題ない、
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」



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 日本傷痍(しょうい)軍人会創立60周年記念式典に行幸啓あそばされ労いの叡慮を賜る、天皇陛下御尊影=3日午前、東京都渋谷区の明治神宮会館



 
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日本傷痍軍人会の創立60周年の記念式典に行幸啓あそばされた天皇、皇后両陛下御尊影=3日午前10時31分、東京都渋谷区、





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日本傷痍(しょうい)軍人会創立60周年記念式典に行幸啓あそばされ労いの叡慮を賜る、天皇陛下御尊影=3日午前、東京都渋谷区の明治神宮会館










謹んでお伝えいたします。


畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては3日、東京都渋谷区の明治神宮会館で開かれた戦傷病者特別援護法制定50周年と日本傷痍(しょうい)軍人会創立60周年の記念式典に行幸啓あそばされた。式典には元軍人やその家族計約1100人のほか、来賓として安倍晋三首相らも出席した。

日本傷痍軍人会は、戦争で負傷した元軍人の生活援護や親睦を目的に1952年に設立され、55年に財団法人になった。会員数は財団移行時に約35万人だったが、現在は約5000人まで減少。平均年齢も約92歳と高齢化が進んでいるため、11月末で解散する方針を決めており、今回が最後の式典となる。


天皇陛下が3日、日本傷痍(しょうい)軍人会の創立60周年を記念した式典で叡慮を賜りました。
全文は以下の通り。
戦傷病者特別援護法制定50周年並びに財団法人日本傷痍軍人会創立60周年の記念式典が行われるに当たり,全国から集まられた皆さんと一堂に会することを誠に感慨深く思います。
昭和20年の終戦以来68年の歳月がたちました。国のために尽くし,戦火に傷つき,あるいは病に冒された戦傷病者の皆さんが歩んできた道のりには,計り知れない苦労があったことと察しています。そのような中,皆さんが互いに,また家族と,手を携えつつ,幾多の困難を乗り越え,今日の我が国の安寧と繁栄を築く上に貢献してこられたことを深くねぎらいたく思います。戦傷病者とその家族が歩んできた歴史が,決して忘れられることなく,皆さんの平和を願う思いと共に,将来に語り継がれていくよう切に希望してやみません。
この機会に戦傷病者と苦楽を共にし,援護のため,たゆみなく努力を続けてきた家族を始めとする関係者に対し,深く感謝の意を表します。
終わりに当たり,高齢の皆さんがくれぐれも体を大切にし,共に励まし助け合って,今後とも元気に過ごされることを願い,式典に寄せる言葉といたします。



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日本傷痍軍人会の解散を宣言する会長の奥野義章さん=3日午前、


日本傷痍軍人会は、11月末までに新公益法人への移行を求められていたが、討議を重ねて解散を決めた。解散式には、元軍人と妻、家族ら計約千人が参加して黙とう。自身も大陸で銃弾を受けて大けがを負ったという奥野義章会長(90)=福島県玉川村=は、式辞で「障害と闘い、家族とともに傷痍の身に耐えながら、不撓不屈の精神と周囲の方々の温かい支えにより幾多の困難を克服し、社会の各分野で活躍してきた」と振り返った。
 両陛下は平成5年以降、日傷が約5年おきに開いた記念式典に毎回行幸啓あそばされ、戦地の苦労と戦後復興への貢献に謝意、叡慮を賜っていました。

平成3年、日本傷痍軍人会代表団がオランダを訪問した時、市長主催の親善パーティでのエドゥアルト・ヴァン・ティン(Eduard van Thijn)アムステルダム市長(後の内務大臣)の歓迎挨拶を、憲兵少尉のシベリア抑留経験者、溝口平二郎(平成9年3月14日逝去)が録画していたのを、後に、(財)日本国防協会理事の浅井啓之氏が文章に起こし、平成6(1994)年3月24日作成したのが、下記のとおり。


「あなた方の日本国は先の大戦で負けて、私共のオランダは勝ったのに大敗をしました。今日の日本国は世界で一、二位を争う経済大国になりました。私達オランダは、その間、屈辱の連続。即ち、勝った筈なのに、貧乏国になってしまいました。
戦前は「アジア」に大きな植民地(オランダ領東インド(蘭印)=ほぼ現在のインドネシア)が有り、石油等の資源・産物で、本国は栄耀栄華を極めておりました。しかし今では、日本の九州と同じ広さの本国だけになってしまいました。
あなた方の日本国は、「アジア各地で侵略戦争を起こして申し訳ない。アジアの諸民族に大変迷惑をかけた」と、自らを蔑み、ぺこぺこと謝罪していますが、これは間違いです。あなた方こそ、自らの血を流して、アジア民族を解放し、救い出すと言う人類最高の良い事をしたのです。
何故ならば、あなた方の国の人々は過去の真実の歴史を目隠しされて、先の大戦の目先の事のみを取り上げ、或いは洗脳されて、悪い事をしたと自分で悪者になっていますが、ここで歴史を振り返って真相を見つめる必要があるでしょう。
本当は、私共白色人種が悪いのです。百年も二百年も前から、競って武力で東亜諸民族を征服し、自分の領土として勢力下に置いたのです。
植民地・属領にされて、永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄権樹立という旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。
本当に悪いのは、侵略して権力を振るっていた西欧人の方です。日本は戦いに敗れましたが、東亜の解放は実現しました。
即ち、日本軍は戦勝国の全てをアジアから追放して終わったのです。その結果、アジア諸民族は各々独立を達成しました。日本の功績は偉大であり、血を流して戦ったあなた方こそ、最高の功労者です。自分を蔑む事を止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきであります。」


陛下の叡慮に代わる言葉などありません。
ただ、傷痍(しょうい)軍人の皆様の戦後のご苦労に思いを馳せる時、只、「あなたがたのおかげで、今日の繁栄を享受しています。ありがとうございました・・・」

この言葉しか見つかりません。




天皇陛下、皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられることを、臣民の一人として祈念します。




皇尊 彌榮 彌榮 彌榮





日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・





天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
「お伊勢さん」 神領民の心意気



内宮の遷御の儀が行われました。
新宮のお社に敷き詰められた白い石。清流・宮川の川原で拾われたものです。 拾うのは、旧神領民と呼ばれる 神宮のおひざ元である神領の人々、伊勢市民です。 数年前から何度も川原へ行っては白石を探し、集めてきた。
 社殿の御用材を運ぶ「御木曳」とともに、御正殿のまわりに敷き詰めるお白石を運ぶのは、神領民の役割とされてきた。 神領民は課役・傭役のかたちでこの仕事に従事していたが、戦国時代になって遷宮すらおぼつかない世情となると、せめて労力奉仕でお伊勢さんのお役に立とう、という敬神の心から、お木曳行事が始まったのです。今では運ぶ「労役」の必要は無く、トラック輸送になってしまった現在では、お木曳で運ぶ用材は、ごく一部になってしまったのですが、この行事の根底には、われらの"お伊勢さん"を誇りに思い、地域の伝統行事として続けている、神領民の心意気が流れているのです。
お木曳には、川曳と陸曳があります。
川曳をするのは、旧内宮領の神領民。内宮の神域から流れ出る五十鈴川を、流れにさからって用材を積んだソリを曳く。
木の台座(ソリ)に御用材の檜一本を載せ、御側橋の付近から宇治橋下まで約1.5キロを曳くが、浅瀬もあれば深みもあり、時には首まで水に浸りながらの奉曳となります。
陸曳の方ですが、これは奉曳車といわれるお木曳車に檜材三本(役木曳は1本)を積み、宮川堤防から外宮の工作所まで約2.1キロをえんえんと時間をかけて奉曳する。 

 式年遷宮にちなむお祭りや行事は遷宮諸祭と呼ばれます。 33を数える諸祭の中で、御木曳、お白石持行事は旧神領民といわれる伊勢市民と全国からの崇敬者、特別神領民が参加できる行事です。 とりわけ、新しい御正殿が建つ敷地に白石を敷き詰めるお白石持行事は、新宮を拝見できる唯一の機会、二十年に一度とあって、人々は楽しみにし、こころ新たに取組ました。 平成25年夏のお白石持行事は、各町77の奉献団が結成された。 

この2大行事に参加できるのは、神領民の特典であり義務でもある、という意識が地元には今もって根強い。五百年の長い歴史をもつこの2つの行事は、先年、文化財保護法が定める無形民俗文化財の指定を受けている。

式年遷宮は伊勢の旧神領民の心意気あってこそのものです。
そして式年遷宮によって世代を超えて伊勢のみならず、日本の国に新しい息吹を吹き込み連綿と繋がっていく日本人の命と魂のリレー。

日本人の「たましいのふるさと」なのです。
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「現金支払機」の増税デフレ 中川元財務相の「遺言」に思う

18日昼、安倍晋三首相が苦悩の末、消費税増税を決断したと聞いたとき、ふと、「9月は日本にとって因縁の月か」と思った。「平成バブル」へと日本を導いたプラザ合意(昭和60年)、米中が裏で示し合わせてアジア通貨危機対策での日本の主導権を葬り去った国際通貨基金(IMF)・世界銀行香港総会(平成9年)、そして日本のデフレ不況を加速させたリーマン・ショック(20年)も9月の出来事である。日本はそのつど、国運を狂わせた。

 リーマン・ショック直後に財務相に就任したのは故中川昭一氏で、20年10月10、11の両日にはワシントンで先進7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議などを精力的にこなした。

 以下は氏から直接聞いた秘話のメモである。

 10日、ポールソン米財務相、バーナンキ米連邦準備制度理事会(FRB)議長らに対して公的資金投入による金融危機対策を厳しく迫った。11日にはブッシュ大統領主催のホワイトハウスでの歓迎パーティーに出席。そこに飛び込んできたのは、北朝鮮に対する米国の「テロ国家指定解除」という重大ニュースだった。中川さんはそれを耳にするや、前日にも会って面識のあるブッシュ大統領に走り寄った。「大統領、どうしてですか。日本人などの拉致問題をどうするのか」と詰め寄る。大統領は「あそこにいるコンディ(コンドリーザ・ライス国務長官)に聞いてくれ」と逃げ出した。

中川さんは帰国後、訪ねてきた米共和党の要人に向かって、口頭でホワイトハウスへの伝言を託した(筆者はこの場に居合わせた)。内容は、「いくら世界のためだ、黙ってカネを出せと言われても、日本はキャッシュ・ディスペンサー(CD、現金自動支払機)になるつもりはない」。遺言だな、と今思う。

 筆者が知る限り、国際金融の舞台での致命的とも言える日本の弱さにいらだちを強く感じ、激しく行動した政治家は、中川さんしかいない。

(中略)

今の日本には中川さんのような「国士」が見当たらない。それどころか、得体のしれない「国際世論」を重視し、国内世論を無視し、増税を「国際公約」同然とうそぶいて恥じない風潮が言論界や政界に蔓延(まんえん)している。中川さんがもし健在なら、首相にどう助言するだろうか。
2013.9.22産経新聞
 
 
私は一民族主義者で、自民党支持者ではありません。
 
しかし、2009年10月3日に亡くなられた中川昭一氏は、数少ない日本を愛する政治家として当ブログで取り上げてきました。
 
マスコミは、イタリアで開かれた主要7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議の終了後の記者会見で、中川氏の「ろれつ」が回らない様子を国辱ものだと批判をしました。
 
マスコミは、中川氏の会見を泥酔会見だと捏造し、中川氏に対する批判を繰り返し報道しました。
 
中川氏が「風邪薬を服用した」と発言をすると、マスコミは「健康管理が出来ていない」という批判までしました。
 
中川氏がG7の会見後に、バチカン美術館で警報機を鳴らしたなどのトラブルについても、日本のマスコミだけが批判をしました。
 
中川氏に同行した神父の和田氏は、日本のマスコミに対して、「中川氏の行動に非常識な点は無かった。あれは間違いであると繰り返し抗議したが徹底的に無視された」と述べました。
 
中川氏はG7会議で、米国製品の調達を義務付ける「バイ・アメリカン条項」について、「日本のみならず世界も懸念している」と米国の保護主義を先導して批判をしました。
 
イタリアのメディアは、「このような中川財務相の活躍・功績を称賛する」という報道をしていました。
 
 
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2009年放送の「たかじんのそこまで言って委員会」で司会の辛坊治郎は、中川昭一について「あんなモンは、自殺すればいい」と暴言を吐きました。
 
 
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追悼 中川昭一と辛坊発言
 
 「たかじんのそこまで言って委員会」司会の辛坊治郎発言
「お父さんも自殺されているし、ああいうこと(酩酊会見)を何回も何回もTVで放送すると、本人は自殺の恐れがあるから、もうこの辺で止めといてやろうやないかという話になるじゃないですか。とんでもない話だと思います。
あんなモンはね●●●『自殺すればいい』と思いますよ。
あんだけ国際社会に恥かいてね、オメオメねぇ。オメオメ有権者の前にもういっぺん出るなと!もう二度と再びたぶん出られないと思う。出てきたら必ずあのVTRを流されますからね」
 
中川昭一氏の突然の訃報は、2009年10月4日の朝でした。
 
中川昭一氏が亡くなられた時間は、3日の夜半から未明にかけてと推定されています。
 
中川昭一氏の御冥福をお祈りいたします。
 
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中川氏は財務相として、世界金融危機の中での金融援助を国際通貨基金(IMF)に一本化して、韓国との2国間融資を断りました。
 
世界金融危機で、世界史上最高額となった1000億ドルの資金拠出により、国際通貨基金が特別に示した日本への謝意を海外メディアは報道をしました。
 
しかし、日本のマスコミはほとんど報道をしませんでした。
 
海外メディアは、日本のマスコミの中川批判について、「日本だけが馬鹿げた騒ぎをしている」という報道をしました。
 
中川氏は、亡国法案である「人権侵害救済機関設置法案(旧人権擁護法案)」には、2002年に国会提出された人権擁護法案から一貫して反対を続けました。
 
日本人拉致問題には早くから取り組み、拉致議連の会長を務めていました。
 
拉致家族会代表の横田滋氏は、中川氏を最も信頼する国会議員の一人として挙げていました。
 
中川氏は、毎年、靖国神社の参拝を続けるなど、反日勢力に強硬な姿勢を示し、正論を述べた政治家でした。
 
中川氏は、温家宝首相来日について、「日本のナンバー1が中国に行ったのに、中国のナンバー3が日本に来るというのはおかしい」と、中共外交の非礼を批判しました。
 
中川氏は、「譲歩すれば物事は丸く収まる、という外交姿勢が復活しつつあるような気がしてならない」「相手が一歩退けば二歩踏み込むというのが国際政治の現実だ」「誇りと自信を持って、かつ傲慢にならず日本の国益を守る。これがあるべき外交の姿だ」と、東シナ海の石油・ガス田開発や、毒ギョーザ事件をめぐる対中外交を批判しました。
 
中川氏は、東アジア包括的経済連携協定(東アジアEPA)構想について、「これは中国の参加を想定しているが、2005年に中国で起きた反日デモにおいて、一般人や民間企業が襲われたことの総括もできていない」「日本は中国と経済連携協定締結の努力をするべきではない。なぜなら中国は日本国民の安全を保証できないからだ」と反対をしました。
 
中川氏は、日本政府が凍結していた中共への円借款再開を決めたことについて、「なぜ中国に対し、また援助するのか。正直言って分からない」と、親中的な政策を批判しました。
 
中川氏は、東シナ海ガス田問題で帝国石油に初めて試掘権を与え、「日中中間線より中国側でも日本の試掘を認めることを前提にするように」と要求しました。
 
中川氏は、「東シナ海の石油ガス田開発問題で、国益のために譲れない部分は譲るべきでない」と、対中融和路線を批判しました。
 
中川氏は、「中国は北京オリンピックを契機に経済・軍事的台頭を終える準備を進めているのではないか。日本はあと20年もすれば中国の省になっているかもしれない」と、中共の軍拡の脅威を警戒しました。
 
中川氏は、1998年にミサイルを発射した北朝鮮について「北朝鮮はまともな国ではない。気違いだと思っている」と批判しました。
 
中川氏は、北朝鮮の核攻撃の可能性について「普通はやらないが、あの国の指導者はごちそうを食べ過ぎて糖尿病ですから考えてしまうかもしれない」と警戒をしました。
 
中川氏は、日本独自で北朝鮮をテロ支援国家に指定する法整備を検討すべきだと主張をしました。
 
中川氏は、ロシア(ソ連)による北方領土侵略について「20世紀最大の国際法違反」と批判しました。
 
中川氏は、「北海道の政治家として、絶対に譲れない一線。領土というのは2島と言ってしまった瞬間に、2島以上のものは返ってこない」と、麻生元首相が外務大臣時代の「北方領土・面積二等分論」を批判しました。
 
中川氏は、「原爆投下は米国が世界ナンバーワンの軍事力を持つための実験だった」「我々は実験台にされた」と、国会で非難決議を行うべきという見解を示しました。
 
中川氏は、「日教組の一部活動家は教育基本法改正反対のデモで騒音をまき散らしている。」「デモという下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、日教組の組合活動を批判しました。
 
中川氏は、「河野洋平氏は自虐的な方」「外国なんか、うそでも誇りを持って話をする。日本政府が真実と思われるものを封じ込めているのは納得できない」と、河野談話の見直しと撤回の考えを示しました。
 
中川氏は、財務省の会見場に「日の丸」を掲揚したことについて、一部の記者が「国民の中には違和感を持つ人もいる」と抗議したことに、「世界に発信する場という認識で、国旗掲揚は当然だ」と反論をしました。
 
中川氏は、「非核三原則は国民との重い約束だ。しかし、最近の北朝鮮の核兵器実験の動向を受けて、この約束を見直すべきかどうか議論を尽くすべきだ」「純軍事的に、核に対抗できるのは核だというのは、世界の常識」と述べました。
 
中川氏は、「非核三原則に、言わせずを加えた非核四原則どころか、考えてもいけないという非核五原則だ」「日本の核武装の是非について繰り返し論議すべし」と、国会で核議論が封殺されている現状を批判しました。
 
選挙が終わって―『十勝・日本が危ない』  平成21年9月14日

(略)

 そう、自民党の原点は「保守」なのだ。そして今こそ原点に戻るべきなのだ。

  「保守」とは守るべきものを守り、保守すべきために改革する。そして国民の活力に期待して成長のための戦略を描く。リベラリズム、ポピュリズム政権とどう区別し、対抗していくか。しかし、前進―地球の中で生き残り、真に国民を守るために何をなすべきか。と言った議論が全く欠けている。

 私を含め、「保守」議員の多くがいなくなったが、まだ残っている。彼らがいかに保守の旗印をもう一度立て直し、日本を守り、真の意味で国民を守るかを真摯に議論してほしい。心ある国民はそれを是非応援してほしい。

 自民党は末期的だが、今こそ日本の保守の軸を改めて確立するために全力を尽くすべきだ。さもなければ、日本は世界の中で埋没しながら自壊してゆく。

P.S. 過日、麻生総理の「就任直後に解散しておけば勝っていたかもしれない。しかし、経済状況を考えると、とてもそれはできなかった。」という主旨の報道があった。それが総理の本音であり、総理という立場の判断の辛さだと思う。私は麻生総理に対し、心から申し訳なく思っている。何故なら、昨年来、経済・生活対策を最優先にすべしと一番強く迫ったのは、財務・金融担当大臣つまり私だからである。何よりも政局より、政策実行の為に。総理の選挙を負けさせ退陣に追い込んでしまった。私も議席を失ったが、あの時の判断は、その後の対策が日本と世界を上向きにしつつある現状を見ても、間違っていなかったと今でも思っている。

中川昭一公式サイト
 
 
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眠ったままの日本人へ〜中川昭一氏が残したもの
 
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中川昭一先生の葬儀にて 弔辞・安倍晋三議員
 
自民党は中川昭一氏の意思を受け継ぎ、真の保守政党として国内外の反日勢力と対決し根絶するべきです。
 
中川昭一氏の御冥福をお祈りいたします。
 
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転載元転載元: 近野滋之Blog『民族主義者の警鐘』

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