ここから本文です
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]

イメージ 1
「いわばね」が設置されていた日野川



現代社会では、自分が生まれ育ったふるさとを離れて、慌しい日常を送る大人たちも多く、ふるさとへの誇りや愛着といったものが希薄になりつつあるのではないでしょうか。筆者が子供の頃、おじいちゃんやおばあちゃん、あるいは学校の先生から、ふるさとの発展に貢献した偉人伝の類を語り聞かされて育った子供たちも多かったと思いますが、いまはそのような機会も少なくなっているのではないでしょうか?

わが国は農耕民族であり、稲作の稲はいのちの根、水は稲の「生命」でした。
今から、三〇〇年ほど昔の福井のお話です。
そのころの 日野川 ひのがわ の堤防は、土を高く盛り上げてつくったただの土手でした。
日野川は現在の福井県 今庄町 (いまじょうちょう) を源として、 越前市旧武生市 (たけふし) 、 鯖江市 (さばえし) を通って福井市まで流れている川です。何日も雨が降り続くと、土手から土手まで川幅いっぱいに、 濁 (にご) り水がゴウゴウと大きな音を立てて流れ始めます。上流からは、根こそぎ倒れた大木や大きな丸太、また、家が 浸水 したのか、ときにはなべや 桶 、 畳 のようなものまで押し流されてきました。 濁流 の日野川は本当に恐ろしいものでした。
そんな 大水 が出ると、土手の弱い所が水にえぐり取られます。土手が切れて、泥で 濁 った茶色の水が、ドドドドドーウッと、青々している田んぼへ強い勢いで流れ込んできます。みるみるうちに、田んぼは泥水の大きな川になってしまうのです。



イメージ 2

 




イメージ 3



日野川近くの 向新保 (むかいしんぼ) (現在の武生市 向新保町 )の人たちは、 大水 のときは、みんな山へ 避難 して、水が引くのをお祈りしながら待つしかありませんでした。
水が引くと、村人たちは、さっそく河原となってしまった田んぼの石拾いや土運びなどを、 鍬 (くわ) やもっこ(縄でつくった石や土などを運ぶのに使うもの)で、何日も苦労して以前の田んぼにしたのです。水害のたびに田んぼから拾った石を集めた塚が、大きいのや小さいのや、あっちこっちにたくさんできました。
しかし、こうしてつくった田んぼも、大水が出るとまた土手が切れて泥の川となります。村人たちは、「これではいつまでたっても 賽 (さい) の河原じゃ」といって、泣き悲しみました。
向新保は、幕府がじかに治める 天領 (てんりょう) でしたから、代官がときどき村人の暮らしぶりを見に来ていました。ですから、村の水害や復旧作業の様子も目にして村の人々を気の毒に思っていました。
村人たちも、
鯖江陣屋の代官のお出ましのときには、 土下座して、
 「代官さま、どうか水害からお助けくださいませ」
といって、頼みました。
代官の名前は、 古郡文右衛門 (ふるごおりぶんよえもん) といいました。

「そうじゃ。どんな大水が出ても切れない堤防をつくらねばならん。『いわばね』をつくろう」
と文右衛門はいいました。
「いわばね」とは、川の水の一番強くあたるところに、大きな岩をたくさん積み重ねて、水の流れを弱くし、方向を変えさせるものです。
この古郡文右衛門の先祖は伝承によると推古朝の頃、近江の国、和迩庄(わにのしょう)小野に住し、小野姓を賜るとある。また、その子孫は武州府中に任国し、この地で古郡姓を称した。この一族はその後、新田開発や治水に貢献したのです。元禄7年(1694)から正徳2年(1712)に鯖江代官を勤めた。
この古郡文右衛門の祖父も、駿河の国に於いて富士川の洪水を防ぐ堤防を築き農地の開発に尽力した人物でした。古郡氏3代の治水事業は今日も富士川流域の人々に語り継がれています。
農民の支えとなるべき指導者の血は受け継がれたものだったのでしょう。
こうして、工事が始まりました。 松ヶ鼻 (まつがはな) の石山から、一〇〇 貫 かん (約三七五キログラム)、二〇〇貫もある大きな石を、三〇〇メートルほど離れた水の強くあたるところまで、運ばなければなりません。
水害は下流の村々まで広がっていたので、 畑 (はた) 、 小野谷 (おのだに) 、 矢放 (やはなし) 、 矢船 (やふね) 、 帆山 (ほやま) からも、老若男女、赤ん坊をおんぶした母親までが岩引きに来ました。


今日も岩引きヨーイコラサ
よーいと巻けヨーイコラサ
力をあわせてヨーイコラサ
もひとつりきんでヨーイコラサ


全員が、それはそれは一生懸命に働きました。この工事には長い日数がかかりました。ろくろ(綱を巻きとるもの)と太いロープを使って、大きな岩をぎっしり積み上げました。積み上げた岩の堤防の長さは、四三 間 けん (約七八メートル)にもなりました。
その後も大水が何度も出ましたが、この「いわばね」ができてからは堤防は一度も切れませんでした。



イメージ 4

            いわばねの堤防の守護神(いわばねさん)





 「うれしい。ありがたい。もったいないことじゃ」
村人たちは喜んで農作業にいっそう精を出しました。
工事は大変困難な事業でしたから、費用もお役所の予算の倍ほどもかかりました。
古郡文右衛門は、この工事のために公費700両と私費300両を投じたといわれています。
 しかし、公金の使い過ぎの責任を問われ古郡文右衛門は、十月十七日 自害 したと言われています。
向新保では、代官を神様としておまつりして、毎年十月十八日は仕事を休み、おはぎをお 供 そな えして感謝しています。そして代官のお掛けもの(かけじく)を床の間にかけて、お 講 こう (集まってお経を読んだり話を聞くこと)をずっと続けているのです。工事のときに使用されたろくろやロープ、昼食に使用された大きな 椀 わん も、市の文化財として大切に保管されています。
また、この地域の人たちは、古郡文右衛門の功徳を讃え後世に伝えるため、古郡神社を向新保の日野神社境内に建てた。現在は千手観音堂となっている。


イメージ 5
                 日野神社





イメージ 6
                   千手観音堂



「小野谷やきもち、畑いりこ、新保みそ汁舌焼いた……」工事の時、農民たちが歌った歌が今も残されています。苦しい仕事に一息就いて皆で飲むみそ汁。力を合わせて生きた古の人の面影が偲ばれます。

全1ページ

[1]

アメブロにタイトル同じで移行。
アメブロにタイトル同じで移行。
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31

Yahoo!からのお知らせ

友だち(51)
  • MYU
  • マダム桜
  • 散位 アナリスト杢兵衛
  • トイズ・ラッキー
  • にっぽに屋にっぽん
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン

その他のキャンペーン

みんなの更新記事