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御所でユウスゲをご覧あそばされる天皇、皇后両陛下 御尊影=7月11日、御所 宮城(皇居)・宮殿の表御座所で執務あそばされる天皇陛下 御尊影=11月8日、宮城(皇居)・宮殿
神宮の式年遷宮に勅使を派遣する儀式「神宮勅使発遣の儀」に臨みあそばされる天皇陛下御尊影=9月30日、宮城
秋季神殿祭の儀で宮城(皇居)内の神殿を玉歩あそばされる天皇陛下 御尊影=9月23日、神殿
神宮・内宮の式年遷宮「遷御の儀」にあたって「遙拝の儀」に臨まれる天皇陛下 御尊影=10月2日、神嘉殿
拝謁した叙勲受章者らに声をかけあそばされる天皇陛下 御尊影=11月7日、宮城(皇居)・宮殿
ダブルスを組まれ、宮内庁職員らとテニスを楽しまれる天皇、皇后両陛下 御尊影 =11月9日。 君が代
謹んでお伝え致します。
天皇陛下の80歳の誕生日を祝う天長節一般参賀が23日、宮城・宮殿で行われた。
畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、同妃雅子殿下、秋篠宮殿下、同妃紀子殿下、眞子内親王殿下におかせられましては、宮殿・長和殿のバルコニー出御あそばされ、奉祝に集まった臣民に手を振って、応えあそばされた。
畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、いつまでもお健やかにと願ってやみません。 皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
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2013年12月23日
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コメント(7)
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皇紀2673年天長節 天皇陛下 御尊影 君が代
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
天長節を臣民の一人として奉祝いたします。
天皇陛下、皇后陛下におかせられましては、いつまでもお健やかであられることを祈念いたします。
謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇陛下におかせられましては12月18日、宮城・宮殿におかれまして、叡慮を賜わりました。
以下全文
天皇陛下
80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。
戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。戦後60年を超す歳月を経,今日,日本には東日本大震災のような大きな災害に対しても,人と人との 絆 きずな を大切にし,冷静に事に対処し,復興に向かって尽力する人々が育っていることを,本当に心強く思っています。
傘寿を迎える私が,これまでに日本を支え,今も各地で様々に我が国の向上,発展に尽くしている人々に日々感謝の気持ちを持って過ごせることを幸せなことと思っています。既に80年の人生を歩み,これからの歩みという問いにやや戸惑っていますが,年齢による制約を受け入れつつ,できる限り役割を果たしていきたいと思っています。
80年にわたる私の人生には,昭和天皇を始めとし,多くの人々とのつながりや出会いがあり,直接間接に,様々な教えを受けました。宮内庁,皇宮警察という組織の世話にもなり,大勢の誠意ある人々がこれまで支えてくれたことに感謝しています。
天皇という立場にあることは,孤独とも思えるものですが,私は結婚により,私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え,これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。
これからも日々国民の幸せを祈りつつ,努めていきたいと思います。 問2 両陛下が長年続けられてきた「こどもの日」と「敬老の日」にちなむ施設訪問について,来年を最後に若い世代に譲られると宮内庁から発表がありました。こうした公務の引き継ぎは,天皇陛下と皇太子さまや秋篠宮さまとの定期的な話し合いも踏まえて検討されていることと思います。現在のご体調と,こうした公務の引き継ぎについてどのようにお考えかお聞かせ下さい。
天皇陛下
「こどもの日」と「敬老の日」にちなんで,平成4年から毎年,子どもや老人の施設を訪問してきましたが,再来年からこの施設訪問を若い世代に譲ることにしました。始めた当時は2人とも50代でしたが,再来年になると,皇后も私も80代になります。子どもとは余りに年齢差ができてしまいましたし,老人とはほぼ同年配になります。再来年になると皇太子は50代半ばになり,私どもがこの施設訪問を始めた年代に近くなります。したがって再来年からは若い世代に譲ることが望ましいと考えたわけです。この引継ぎは体調とは関係ありません。
負担の軽減に関する引継ぎについては,昨年の記者会見でお話ししたように,今のところしばらくはこのままでいきたいと思っています。 問3 今年は五輪招致活動をめぐる動きなど皇室の活動と政治との関わりについての論議が多く見られましたが,陛下は皇室の立場と活動について,どのようにお考えかお聞かせ下さい。
天皇陛下
日本国憲法には「天皇は,この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ,国政に関する権能を有しない。」と規定されています。この条項を遵守することを念頭において,私は天皇としての活動を律しています。
しかし,質問にあった五輪招致活動のように,主旨がはっきりうたってあればともかく,問題によっては,国政に関与するのかどうか,判断の難しい場合もあります。そのような場合はできる限り客観的に,また法律的に,考えられる立場にある宮内庁長官や参与の意見を聴くことにしています。今度の場合,参与も宮内庁長官始め関係者も,この問題が国政に関与するかどうか一生懸命考えてくれました。今後とも憲法を遵守する立場に立って,事に当たっていくつもりです。 問 質問させていただきます。先日,陛下は皇后さまとインドを訪問され,日印の友好親善を更に深められました。53年ぶりとなったインド公式訪問の御感想をお聞かせ願うとともに,国際友好親善に際して陛下が心掛けていらっしゃることについても併せてお聞かせ下さい。
天皇陛下
この度のインドの訪問は,インドとの国交60周年という節目の年に当たっておりましてインドを訪問したわけです。
インドを初めて訪問しましたのは当時のプラサド大統領が日本を国賓として訪問されたことに対する答訪として,昭和天皇の名代として訪問したわけです。当時は,まだ国事行為の臨時代行に関する法律のない時代でしたから,私が天皇の名代として行くことになったわけです。
当時のことを思い起こしますと,まだインドが独立して間もない頃,プラサド大統領は初代の大統領でしたし,これからの国造りに励んでいるところだったと思います。ラダクリシュナン副大統領は後に大統領になられました。それからネルー首相と,世界的に思想家としても知られた人たちでしたし,その時のインドの訪問は振り返っても意義あるものだったと思います。
そして,私にはそれまでヨーロッパと中国の歴史などは割合に本を読んだりしていましたが,その間に横たわる地域の歴史というものは本も少なく,余り知られないことが多かったわけです。この訪問によって両地域の中間に当たる国々の歴史を知る機会に恵まれたと思います。
今度のインドの訪問は,前の訪問の経験がありますので,ある程度,インドに対しては知識を持っていましたが,一方で,日本への関心など非常に関心や交流が深くなっているということを感じました。
ネルー大学での日本語のディスカッションなど日本語だけで非常に立派なディスカッションだったように思います。また,公園で会ったインドの少年が,地域の環境問題を一生懸命に考えている姿も心に残るものでした。
そういう面で,これからインドとの交流,また,インドそのものの発展というものに大きな期待が持たれるのではないかという感じを受けた旅でした。
肇国以来、「常に汝臣民と共にあり」を継承されてこられた畏くも天皇陛下。
筆者は本年も陛下の大御心に幾度か涙しました。 「陛下の臣民として、日本に生まれれてよかった」と・・・・・・・・・ 皇室は神代の昔より、御神勅を伝え、継承・体現あそばされておられる。 変わってしまったのは、戦後の臣民なのだと・・・ 一部の心無い臣民は同胞排斥しあい、時局を乱し、大道を誤り、信義を失い、挙国一家、子孫相伝えず・・・ 先帝陛下が最も戒められたことです。 我々臣民も皇室と共に、でなければなりません。
現世に生きる我々の使命です。 陛下の大御心の下(もと)、祖国日本を「美しい国」に戻して次代へ・・・・ 「大日本帝国は万世一系の天皇之を統治す」「天皇は神聖にして侵すへからす」
天壌無窮の我国の國體であられます。
今日、12月23日は極東軍事裁判で言われなき罪状で執行された、殉難七士の命日でもあります。起訴は先帝陛下の誕生日でありました。
日本人はこの屈辱も忘れてはならない日でもあります。
天皇陛下、皇后陛下、皇族方がいつまでもお健やかであられることを願ってやみません。
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳 皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
天長節です。 国旗を掲げましょう。
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12月23日は奉祝と追悼の日、天長節を日本国民として心より慶祝を申し上げ、天皇陛下の御健康、御長寿、皇室の弥栄を祈念致します。復讐の儀式の東京裁判で不当に処刑された「東條英機大将等七烈士」を追悼しよう
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←「日本は好き!」という方はクリックを<(_ _)> 12月23日は「天皇誕生日」とされていますが、日本の正式呼称では「天長節」です。
天長節を迎え、日本国民として心より慶祝を申し上げ、天皇陛下の御健康、御長寿、皇室の弥栄を祈念いたします。
反日勢力による戦後教育により、天皇陛下に敬意を表さない者もいますが、天皇陛下が日本の国家元首です。
首相の任命権は天皇陛下にあり、国際儀礼上の礼砲も、天皇陛下は21発、首相は19発とされています。
日本は、天皇陛下により幾たびもの国難を乗り越えた、世界に誇る伝統ある国です。
【動画】
世界最強の天皇陛下
【序列 国際儀礼上の地位】
1 皇帝・女帝(Emperor、Empress):日本国天皇陛下のみ 2 ローマ法王(Pope):フランシスコローマ教皇 3 国王・女王(King、Queen) :英エリザベス女王ほか
4 大統領 (President):米オバマ大統領ほか 5 首相 (Premier) :安倍首相ほか ━━━━━越えられない壁━━━━━
天皇陛下は、祭祀を行い、日本国民が幸福であるようにと、日本国が平和であるようにと、日々祈り続けられ、御公務、海外御訪問、国賓・要人の接待等をされておられます。
昭和64年(1998年)1月7日、昭和天皇の崩御に伴い、皇太子明仁親王殿下が皇位を継承されて、1月8日、新元号「平成」が施行されました。
平成2年11月12日、天皇陛下の即位礼正殿の儀(即位の礼)、祝賀御列の儀(オープンカーでの祝賀パレード)が行われました。
平成5年4月23日、歴代天皇として初の沖縄県をご訪問され、天皇陛下、皇后陛下は、ひめゆりの搭に献花をされました。
天皇皇后両陛下のサイパン訪問中の「ちょっといい話」
現地サイパンでは、天皇陛下は「日本人慰霊碑」や民間人がたくさん亡くなった「バンザイクリフ」や「スーサイドクリフ」を慰霊されると発表されていました。
そして、丁度この頃、竹島領有問題や教科書問題等々で韓国国内には強い反日運動が高まっていたのです。
そのような伏線があって、サイパンに住む韓国人たちが韓国人戦没慰霊碑のある場所に陛下を中傷するような横断幕を陛下の御訪問前に掲げたのでした。
ここは陛下が「バンザイクリフ」ご慰霊の時に必ず通るルートになっており、ここに張られた横断幕は嫌がおうにも陛下の目につくことになります。
これには韓国と日本の複雑な歴史問題が絡んでおり、強行に撤廃を要求できず、これには現地の領事や日本人会もお手上げ状態で困惑していました。
その時、この国際的な難問題を一気に解決したのが戦前の日本統治時代に日本式教育を受けた現地チャモロ人の一年配女性でした。 この女性(現地最大のスーパーマーケット「ジューテン」の経営者の母親)が「自分達の島で韓国人たちが勝手な振る舞いをすることは許さない」と怒り出したのです。
「天皇陛下は神様である(戦前、チャモロ人たちは皆そのような教育をされたのである)。その神様が我々の島に来て下さるというのに韓国人たちは何と不届きなことをするのだ」と。
すると、直ぐにこの女性に多くのチャモロ人が同調して、陛下を中傷するような不届きな横断幕を撤収しろと騒ぎ出したのです。
これには現地政府から査証を発給してもらっているという弱みを持つ韓国人たちはなす術なく、天皇・皇后両陛下のご訪問(6月27日)直前に撤収したのでした。
我々日本人としては、何とも複雑な心境ではありましたが、これで一件落着となりました。
この一件は北マリアナ諸島の人たちの親日振りをよく表わしていると云えます。
平成21年1月7日、天皇陛下は御在位20年を迎えられました。
平成23年3月11日、東日本大震災で、天皇陛下、皇后陛下は、福島第一原発事故による東京電力の計画停電に合わせて、皇居・御所で自主停電を続けられました。
平成24年5月18日、天皇陛下、皇后陛下は、エリザベス女王在位60周年式典のため英国をご訪問され、ロンドンのウィンザー城で催された午餐会に御参席されました。
平成25年11月30日、天皇陛下、皇后陛下は53年ぶりにインドをご訪問され、インドのムカジー大統領主催の晩餐会に御参席されました。
天皇陛下、皇后陛下は、これまで被災者が避難生活をしている体育館などで、被災者へのお見舞いをされる時には、いつもスリッパをお履きにならずに床に正座をされています。
平成3年、雲仙・普賢岳噴火で被災者にお見舞いの言葉をかけられる天皇陛下、皇后陛下
平成7年、阪神・淡路大震災で被災者にお見舞いの言葉をかけられる天皇陛下
【動画】
Japan's Emperor Akihito visits tsunami victims - no comment
※東日本大震災被災者のお見舞いをされる天皇皇后両陛下の動画に、海外から寄せられたコメント
タイ
天皇陛下、永遠なれ!
カナダ
とても、お優しい方なんですね・・・。
ルーマニア(クルジュ=ナポカ市)
とても謙虚な方で、感動的です。これは皇族はどうあるべきかを示しています!
我々が日頃、よく目にする、貴族たちの高慢な態度とは全く違っています。
オマーン
何故、伝統的な衣装を身に付けていないのですか?
天皇としては、そうすべきなのでは・・・。
カナダ/上の人
(上記のコメントに対して)
被災地をお見舞いするとき、服装をそれに合わせることは、適切な事ではないですか?君はそう思いませんか?
イタリア
I love the Emperator and the Empress !!!!!!!
ドイツ
Long Live the Tenno and the Empress !!!!
この被災者たちは彼らが最も望んでいる時に、両陛下が訪問されたことを決して忘れないだろうと、私は思います。
スウェーデン
ワオ・・・、これはとても素晴らしく感動的なことです。
一般的には通常、外の世界とは一線を画している日本の天皇と皇后両陛下が、このように避難所を訪れて、被災者と話をするという事は、本当に尊敬に値することであり、また日本の精神を示しているものです。
シンガポール
非常に感動的なことです。天皇、皇后両陛下が膝を付きました。
スウェーデン
Long live japan ! Long live The Emperor !
フィリピン
部外者のフィリピン人ですが、「Emperor」はふさわしい称号です。
Long Live the Emperor.
イギリス
天皇、皇后両陛下は真の元首です。もし、同じような災害がイギリスで起こったとして、我々の女王とフィリップ王子が平服を着て、個々の被災者に膝を付くなどという事は想像すら出来ません。
多分、彼らは最も高価な服を身に付けてやって来て、遠く離れた安全な場所に立ち、まるで動物園にいる動物を見るように、被災者たちを見つめる事でしょう・・・。
アメリカ合衆国
(上記のコメントに対して)
それはちょっと言い過ぎだ。
ノルウェー
(同じく上記のコメントに対して)
彼らも同じ事をする筈です。
イギリス/上の人
(上記のコメントに対して)
お言葉ですが、それには非常に懐疑的です。
もし、イギリスの王族の一員でそれをやるとしたら、唯一、亡くなってしまったダイアナ妃だけであったろうと思います。
イギリス
皇后陛下は非常に美しく見えます!
両陛下とも素晴らしい!
アメリカ合衆国
深く、敬意を表します。
アメリカ合衆国
RESPECT !!!!!!
日本人は理解しているんでしょうね・・・・・・。
我々を振りえると、どこにあるんだ 「respect ??????」
アメリカ合衆国
私はアメリカ人をやめて、日本人として生まれたい。TT_TT
ブラジル
私はブラジル人ですが、このビデオを見て非常に感動しました。
私の尊敬をこめて、両陛下のご長寿を願います。
アメリカ合衆国
非常に感動しました。人々を癒し、慰める天皇陛下というのは素晴らしいものです。
大東亜戦争終結後の「極東国際軍事裁判」(東京裁判)とは、戦勝国が敗戦国を一方的に裁くとの理不尽で、裁判との名を借りただけの、連合国による日本への復讐の儀式でした。
東京裁判で被告人の起訴は1946年4月29日、昭和天皇の御誕生日(天長節)に行われました。
そして、元A級戦犯の絞首刑判決の刑の執行は12月23日、当時、皇太子殿下の御誕生日(現在の天長節)に行われました。
これこそが、連合国による復讐の儀式の証です。
本当の侵略者である連合国は、永遠に日本だけを侵略国家と断罪する目的で、わざと天長節に合わせて東條英機大将等七烈士の死刑を執行したのです。
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12月23日は、天長節奉祝の日で、不法な東京裁判で処刑された方々の追悼の日でもあり、日本国民は正しい歴史認識を子孫へと継承するべきです。
天皇陛下の御健康と御長寿を祈念致します。
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戦前は天皇陛下のお誕生日を「天長節」と呼んでいました。これは明治になって制定されたものです。戦後、紀元節や明治節と同じように言葉自体が消されてしまいました。
12月23日は天長節(天皇陛下のお誕生日)です。しかし、今の日本人は天長節よりもクリスマスの方が関心が高いようです。12月も20日を過ぎると各地のイベントもマスコミも含め日本はまるでクリスチャンのようにクリスマス一色になります。天皇陛下のお誕生日を言い出すことはほぼありません。日本人の頭の中から天皇陛下のお誕生日というのがすっぽり抜けているようです。
それとともにこの日は昭和23年にA級戦犯と言われて7名が処刑された日でもあります。GHQは当時皇太子のお誕生日を知っていてやったのです。この屈辱も国民は胸の奥にしっかりと覚えておかなければいけません。
日本は元々神道ですから仏教もキリスト教もイスラム教も受け入れますが、天長節は国家、国民がお祝いすべき日です。本来、クリスマスより天長節こそ日本人として大切な日なのです。国民の祝日としてマスコミ、特にNHKは長時間の特集を組んで天長節を正しく報じることが公共放送としての務めであります。
日本は身障者が積極的にスポーツをすることはなく、パラリンピックも振るいませんでした。昭和天皇が崩御された諒闇(りょうあん)中、今上陛下は北海道での全国障害者スポーツ大会にお出になられました。全国障害者スポーツ大会は昭和40年から始まり、以来ずっと、天皇陛下と皇后陛下は応援し続け、関係者を東宮御所に招かれては「ぜひ、今後も頑張って欲しい」と励まされていたのです。その結果、パラリンピックにおいて日本の身障者は毎回素晴らしい成績を上げるようになりました。
身体にどんな障害を持っていても、さらに頑張れば世界のひのき舞台に立つこともできるという自信と勇気を多くの人々に与えたのでした。
今上陛下は国民が忘れてはいけない日として「四つの日」、6月23日の「沖縄戦闘終結の日」、8月6日の「広島原爆投下の日」、8月9日の「長崎原爆投下の日」、そして8月15日の「終戦の日」、を特別の日として慰霊を重ねておられます。
毎年4月と10月には靖国神社の例大祭に勅使をご差遣され、平成6年にはマスコミのバッシングで御声を失っておられた皇后陛下を伴って硫黄島へ、平成17年にはサイパンに出向かれ、祖国日本から遠く離れた地でお国のために命を捧げた200万人を超す方々へ慰霊をされました。
小泉首相は戦争で亡くなった方々を「心ならずも戦争に駆り立てられて戦死された人々」と言いました。しかし、陛下は硫黄島で「祖国のために精魂込めて戦った人々」と仰せられ、「いまだに地下に一万の遺体が眠る硫黄島への訪問は心の痛むものでありました」、「今日、硫黄島の厳しい環境の下で勤務している自衛隊員並びに海上保安庁職員の労苦を多とするものです」と述べられ、平成7年の東京国立劇場の『戦後五十年を記念する集い』では「今日の平和と繁栄をもたらす礎となった多くの人々」と仰せられました。小泉首相とは認識が違うのです。
また、国民には公表されていないこのようなこともありました。
平成23年3月11日の東日本大震災の翌12日、天皇陛下は「犠牲者へのお悔やみ、負傷者及び被災者へのお見舞いとともに災害対策に全力を尽くしている関係者一同の努力を深く多とする」という思し召しを羽毛田宮内庁長官から菅直人首相に伝えました。これは陛下が首相を通して国民に伝えてほしいという思召しであられたものです。しかし、菅首相はこのことを国民に伝えることはなかったのです。
東日本大震災で天皇陛下は御所内の計画停電を励行されました。あまりの寒さに側近が両陛下のご体調を心配しても、「苦しんでいる人々と困難を分かち合いたい」、「寒さは厚着をすればしのぐことができる」と仰せられました。
かつて日露戦争の時に明治天皇は真冬の寒さの厳しい中、ストーブを取り外されて手あぶりしかお使いになられませんでした。側近が心配されても「戦地の兵士はもっと寒い中、ストーブもなく戦っている」と言われ、また夏の暑い時には軍服をお脱ぎにならず、団扇も一切お使いにならずに御学問所で休憩もなく政務を執り続けられました。
これが我が國體であり、歴代天皇に受け継がれてきた国民とともに苦楽をともにすることを常に実践されているのであります。こんなに素晴らしい国は世界にありません。
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