|
参院予算委員会で答弁する安倍晋三首相=24日午後、国会・参院第1委員会室
拙ブログをご覧いただいている良識ある日本国民の皆様は、24日の参院予算委員会で安倍総理が「国のために尊い命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前だ。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない。その自由は確保している。当然だろう」と述べたことはご存知だと思います。 以下に産経ニュースより引用します。 「靖国参拝批判に首相「わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」 どこの国でも、祖国を守るために斃れた戦死者に敬意を表する場所があります。 アメリカのアーリントン国立墓地、イギリスのウェストミンスター寺院、台湾の忠烈祠、韓国の国立墓地、中国の人民英雄記念碑、インドネシアのカリバタ英雄墓地など、形は様々ですが、国民の魂のより所とも言うべき聖地になっています。
いかなる宗教を持とうとも、国のために亡くなった人々の魂を鎮める場所を求めるのは世界共通の心情であり、近代国家の成立とともに世界各国はそれぞれの伝統に基づいて戦歿者追悼の国家施設を生み出してきました。 交通手段の発達とともに外交使節や政治家の往来が活発化し、相手国を訪れた際には戦歿者追悼施設に敬意を表することが外交儀礼のひとつとして重視されるようになりました。
戦没者の慰霊と靖国神社を巡る問題は、日本という国の根幹に関わるる大きな問題なのです。 今現在、日本列島に住む我々日本人は、日本の國がどうあるべきか?独立した國でありたいのか、自分の國を護って行こうとする意志があるのか、建国以来の文化、歴史、伝統を護り、継承していく意思があるのか、単なる個人の寄せ集めの國ではなく、戦前のように纏まった國でありたいのか、何より大事なことは、先祖と現世の我々、未生の子孫との間に、生命と愛情の絆のある國であろうとするのか?ないのか・・深く、大きな問題なのです。
独立自尊の精神を持ち、国家主権を堅持しようとする国民は、自ら国を守ろうという意思を持ち、他国への依存や隷従をよしとしない国民は、そのために努力を惜しまず、母国の文化や伝統を大切にし、それを継承・発展させようと考える国民は、先祖や先人に対し、感謝と尊敬を抱きます。
我らの子供や孫、さらに将来それに続く子供達への責任と愛情を持つ国民は、先祖や先人への愛情を持ち、そういった意思を持つ国民は、過去の歴史において自国を守るために命を捧げた人々に誠の感謝と尊敬を惜しみません。そして、国を挙げて、心から戦没者の慰霊を行うでしょう。
反対に、独立自尊の精神を失い、自ら国を守ろうという意思を持たない国民は、過去の世代の貢献に対して鈍感となり、戦没者の慰霊に無関心となるり、ますます独立心を失い、国家主権を保とうとする意志の弱い国と成り下がります。母国の文化を粗末にし、歴史を忘れ、単に自分達の世代の快楽や我欲、繁栄をのみ追い求める国民は、先祖や先人に恩義を感じることがなくなっていくのです。こういう国は、諸外国の圧力によって、平時からじわじわと溶解していき、一旦緩急あって、戦いとなれば、侵略者に対してあっけなく敗れ、占領・支配され、蹂躙され、滅亡にいたる。それが現在の日本の国の姿ではないでしょうか?
戦後、國を裏切り、同胞を裏切った多くの日本人がいます。人権、平等、の美名の名の下に、國の体制転覆を目指している日本人は、後者に当たります。
建国以来、國を護る為に、我々の先祖や先人が命を捧げたということは、自分の命を犠牲にしてまでも、國を守り、自分の家族やその時代の國民のためだけではなく、これから生まれてくる子孫や、将来の国民のためでもあったということを忘れてはならない。
戦後のわが國では自分を犠牲にして国のために尽くした人々の行為が正当に評価されず、名誉も与えらず、今後、国民が窮地にぶつかった時、評価されることもなく、誇りも名誉もない死とわかっていながら、誰が貴い生命を賭けて國を守ろうとするでしょうか?
現世の若い世代には、大東亜戦争で米国と祖国日本が戦ったことすら知らない人もいます。國を衰退させる為に反日教育をしている、日教組教師から教えられた嘘・捏造の歴史を疑うこともなく信じています。
また、確たる歴史認識もなく、行政の長「内閣総理大臣」が世界に向けて贖罪を繰り返している有様です。
戦没者の慰霊という問題は、過去に亡くなった人たちの慰霊という問題だけではありません。
現在、そして将来に渡って、自国をどのように国を維持し、発展させていくかという問題につながる日本人の根っこの問題なのです。
隣国、支那・韓国などからの靖国に対する恫喝など、さしたる大きな問題ではありません。政治家でありながら、日本のメディアにありながら、支那・韓国に配慮などと、安倍総理を非難する姿勢、媚びる姿勢が日本人として情けなく腹立たしい次第です。
またこれ等に関心をもたない国民、蔑ろにする精神のほうが大きな問題なのです。 慰霊と靖国という問題は、国家、主権、道徳、生命、文化、歴史、伝統等が結集する国家・国民の重要問題です。言い換えると、日本人が互いを結ぶ絆に関わる大きな問題なのです。
昭和28年、当時国会は、「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者とはみなさないことにし、大東亜戦争後の戦勝国による軍事裁判は、日本が主権を喪失していた時期に一方的に裁いたものだからと捉え、「戦犯」とされた人々の遺族も一般戦没者の遺族と同様に扱うように法規を改正したのです。決定は全会一致でした。国民の要望に応えるものだった。まさに国民の総意による改正だった。その結果、「戦犯」とされた人々の遺族にも遺族年金・弔意金・扶助料などが支給され、受刑者本人に対する恩給も支給されるようになった。そこにはA級とB・C級の区別はなく、刑死者はすべて「法務死」と呼称したのです。戦争犯罪人ではなく、国のために亡くなった殉難者として扱われたのである。これによって、「戦犯」とされた人々も、A・B・C級の区別なく、靖国神社に祀られることになった。 ですから、日本人であるのならば、願わくば戦犯と言う言葉も使ってはいけないのです。 拉致家族を冒涜する民主党議員に安倍総理と古谷大臣が激怒!! 平成25年4月24日 靖国参拝に対しての答弁は14:17頃より 【?國神社】勅使参向、国会議員団参拝、中韓の無知と無礼[桜H25/4/23] また自民党の高市早苗政調会長は24日、都内で講演し、閣僚の靖国神社参拝に反発している支那、韓国の両国を批判した。 「外交問題になること自体がおかしい。例えば植民地政策や開戦時の国家意志が良かったのか、悪かったのかとなると、フランス、アメリカ、イギリス、オランダはどうだったのか」と述べた。 高市早苗政調会長はまた、「(米国の)アーリントン墓地に日本の閣僚が行ったら花を捧げる。では、ベトナム戦争が正しかったのか。東京大空襲は明らかな陸戦法規違反だが、あれが良かったのか悪かったのか。そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない」と指摘しました。
正論です。
付け足す言葉も補足も必要ありません。
異常すぎた戦後日本。
国家の為に尊い命を捧げた方々に政府が最高の栄誉をもって敬するのは世界的な常識です。日本人が日本人であるべき姿に戻る・・・ これこそ、護国のご神霊が望まれている国家なのです。 支那・韓国、反日勢力から我々こころある日本人は安倍総理を支援しましょう。 我々の祖国「日本」を取戻すためにも・・・ |
過去の投稿日別表示
-
詳細
2013年04月24日
全1ページ
[1]
コメント(27)
|
坂本龍馬
「日本を今一度せんたくいたし申候」 文久3年6月29日付けで龍馬の姉、乙女さん宛に送らた手紙の一節です。 (前略) 然二誠になげくべき事ハながと(長門)の国に軍初り、 後月より六度の戦に日本甚利すくなく、あきれはてたる事ハ、 その長州でたたかいたる船を江戸でしふく(修復)いたし 又長州でたたかい申候。 是皆姦吏の夷人と内通いたし候もの二て候。 右の姦吏などハよほど勢もこれあり、 大勢にて候へども、龍馬二三家の大名とやくそく(約束)をかたくし、 同志をつのり、朝廷より先ヅ神州をたもつの大本をたて、 夫より江戸の同志と心を合セ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打ち殺、 日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願二て候。 (後略) 日本を「せんたく」するとは洗濯して、もう一度きれいな国に戻したいという龍馬の願いが込められた文言であると筆者は思うのです。 靖国神社春季例大祭に合わせた超党派の国会議員による集団参拝を受け、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は23日、「(戦没者に対して)敬意を表する問題と外交の問題はきちっと分けなければならない」などと述べ、政権与党は靖国参拝について外交上の配慮が必要との認識を示したことは拙稿をご覧いただいている良識ある皆様はご存知だとおもいます。 戦没者の慰霊と靖国神社を巡る問題は、今世間を騒がせている国会の諸問題よりも、日本という国の根幹にかかわる問題です。それほど大事なことなのです。
日本人は自分の国をどういう国でありたいと考えるのか?自主独立の国でありたいと考えるか否か?自ら自分の国を守ろうとする意思を持つか否か?世界最古にして、世界最長の国であり、常に国民と苦楽を共有される万世一系の畏くも天皇陛下を仰ぎ、一国一文明、独自の文化と歴史を持つ国として、その文化と歴史を継承・発展させていこうとするか否か? 単なる個人の寄せ集めではなく、一つの共同体としてまとまった国であろうとするか否か? 先祖と自分たち、そして将来を担う子孫との間に、生命と愛情の「絆」のある国であろうとするか否か? これらの問いに深く関係する問題なのです。
橋下徹大阪市長の靖国発言はこれらを否定するものです。いったい橋下徹大阪市長とは何者なのか?彼らが言う維新とは何であろうか? 彼らの「維新版・船中八策」とは何であるのか? 「船中八策」とは、坂本龍馬が維新の大策を示した文書の名前ですが、橋下氏らが選挙公約の名称に使用したことで、改めて大衆の耳目に入った。しかし、筆者の見るところ、龍馬の「船中八策」と橋下氏らの「維新八策」は、その精神においてかなり大きな開きがありました。筆者は当初、橋下氏の現状打破への情熱は評価していましたが、氏には欠けているものがあります。その第一は基本的な姿勢、そして精神です。
坂本龍馬は、慶応3年6月9日、薩長による討幕を推し進め、天皇陛下を中心とする新国家を創ろうと奔走し、前土佐藩主の山内容堂公に大政奉還を進言するため、藩船で長崎を出航し、容堂公の居る京都へ向かいました。龍馬は洋上で、日本を一新するための大策を練り、後藤象二郎に提示し、これを海援隊の長岡謙吉が書き留め、成文化されたものが、「船中八策」と呼ばれる。
「船中八策」として伝えられるのは、次のとおり。
一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。 要約すると、 第一策は、大政奉還。第二策は、議会の開設。第三策は、官制改革。第四策は、不平等条約の改正。第五策は、憲法の制定。第六策は、海軍の増強。第七策は、首都の防衛。第八策は、金融改革です。
大政奉還がなった後、わが国は、ほぼこの構想に合致する形で、改革と国家建設を進めた。第二策の後半にある「万機宜しく公議に決すべき事」とあるのは、近代日本の国是を示した「五箇条の御誓文」の「万機公論に決すべし」につながっています。
「船中八策」を語る人々があまり触れないが、筆者は八つの大策の下に書かれた一文の重要性を強調したいのです。
龍馬は「苟(いやしく)も此の数策を断行せば、皇運を挽回し、国勢を拡張し、万国と並行するも、亦敢て難しとせず」と書いています。龍馬は「皇運」という言葉を使っています。この言葉は、後に教育勅語に「天壌無窮の皇運を扶翼すべし」と記された語です。天皇陛下を中心とする日本国の運命、国運を意味するものです。龍馬は「皇運を挽回し、国勢を拡張し」と述べています。これは、欧米列強の到来により、民族存亡の危機に直面し、不平等条約の締結を余儀なくされ、外交的にも経済的にも屈辱的な地位にあるところから、国権を回復することを目指すものです。そして、龍馬は「国勢を拡張し、万国に並行する」という。これは、国力を増強して、欧米列強に伍していける国家となることである。龍馬は、「船中八策」を断行すれば、これらは決して難しいことではないと確信をもって記しているのです。
最後に「伏て願くは公明正大の道理に基き、一大英断を以て天下と更始一新せん」と締める。ここで龍馬は「道理」という言葉を使っている。「道理」とは、現在のわが国代表する碩学・小堀桂一郎氏が『日本に於ける理性の傳統』で明らかにしたように、13世紀以来、わが国の思考において、最も重要な概念となっているものである。「道理」は物事の根本理法であり、また社会の根本規範である。「道理」は、江戸時代を通じて様々な人士の思想の核として使われた。幕末の龍馬もまた「道理」という言葉を用い、「道理」をもって「一大英断」をなすべきことを、当時の指導層に請願しています。
「道理」は、わが国の歴史や国柄についても使われる。慈円は『愚管抄』で、一筋の血統で皇位が継承されていることが、わが国における唯一不変の「道理」であることを書き残した。それ以降も、わが国の「道理」の根本は、天皇陛下を中心とする国柄の根本規範であり、その「道理」に則って進むことが「皇運」の隆盛をもたらす道であり続けている。坂本龍馬は、そういう認識を藤田東湖、横井小楠、由利公正、西郷南洲(隆盛)、吉田松陰等と共有していたのです。そして、この「道理」に基づいて立案されたものが、「船中八策」なのです。
現世日本人は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』によって、坂本龍馬を知り、その後、様々な龍馬伝が書かれ、ドラマ化されているが、全体的な傾向として、龍馬における尊皇心、愛国心が薄められた人物像となっているのが残念です。
君が為 捨つる命は 惜しまねど 心にかゝる 国の行末 文久3年4月、坂本龍馬が詠んだと伝えられる歌です。
龍馬は強烈な愛国心、尊皇の志士でした。 しかし、「道理」に基づく尊皇心、愛国心を共有しなければ、坂本龍馬の大志は、よくとらえられず、こういう見方をしている筆者には、橋下氏らの「維新版・船中八策」、現在の日本維新の会の一部の(旧たちあがれ日本)議員を除き、龍馬に通じる精神が伝わって来ません。
有識者のうち最も強く警戒を訴えているのは、京都大学大学院教授の藤井聡氏です。藤井氏の専門は、土木計画学、交通工学、公共政策のための心理学。昨年の日刊建設工業新聞3月29日号に、藤井氏は、「心ある日本国民は“橋下維新”を徹底的に警戒すべし」という題の文章を寄せました。次のようなものです
「もしも維新の会が国家権力を掌握し、彼等が言う『八策』が推進される未来が来たとすれば、日本国民は民主党政権に対して差し向けた後悔の念を遙かに上回る後悔の念を後日抱くこととなろう。なぜ筆者がこれを『断定』できるのかと言えば、それは橋下氏が次のようなセリフを口にしていることを筆者は知っているからである。
『政治家を志すっちゅうのは、権力欲、名誉欲の最高峰だよ。その後に、国民のため、お国のためがついてくる。自分の権力欲、名誉欲を達成する手段として、嫌々国民のため、お国のために奉仕しなければならないわけよ。....別に政治家を志す動機付けが権力欲、名誉欲でもいいじゃないか!....ウソをつけないヤツは政治家と弁護士になれないよ!嘘つきは政治家と弁護士のはじまりなのっ!』
これは(今では絶版となっている)『まっとう勝負』なる彼の書籍の中の言葉である。この言葉からは、彼の政治家としての発言に疑義を抱かざるを得ない。もちろんこれを直接彼に指摘すれば『そんな事はない!』と理路整然と反対するだろうが、一旦上記のような発言をしている以上は、その反論そのものが本当であるのかという疑義を拭うことは原理的に不可能だ。日本国民は、この『真実』を知らねばならない。そして、その上で、橋下氏の発言や行動には最大限の警戒心を抱かねばならぬのである」と。
藤井氏が引用しているのは、橋下氏自身の発言です。橋下氏は弁護士から政治家になった。ウソをつけないヤツは政治家と弁護士になれず、嘘つきは政治家と弁護士のはじまりだとすれば、橋下氏は嘘つきだから弁護士になることができ、さらに政治家になることができた。政治家を志した動機は、自分の権力欲、名誉欲だということになる。藤井氏が強く警戒を訴えるのは、橋下氏が自ら発した言葉によっている。
明治維新の志士は命を賭けて、近代日本の礎(いしずえ)となられた。 その精神の根幹を為したのは、もう一度きれいな国に戻したいという愛国心であったのです。 |
全1ページ
[1]






