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君が代
謹んでお伝えいたします。
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては9日、新装開場した歌舞伎座でこけら落とし公演の第一部をご覧あそばされ、人間国宝の四代目 坂田 藤十郎さんらによる祝祭の舞踊「鶴寿千歳」などを楽しまれた。
宮内庁によると、今上陛下が即位後に歌舞伎座で歌舞伎をご覧あそばされたのは、「歌舞伎400年」の公演が行われた平成15年5月以来2回目。
平成25年 歌舞伎座 天皇皇后両陛下 天皇陛下、播種あそばされる天皇陛下御尊影、 播種あそばされる=9日午後3時、宮城(皇居)生物学研究所脇の苗代
畏くも天皇陛下におかせられましては9日、宮城(皇居)生物学研究所脇の苗代に、稲の種もみ約4千粒をまきあそばされた。 春の恒例行事で、秋に収穫される米は、11月の新嘗祭など皇室の宮中祭祀にも使われる。 畏くも天皇陛下、皇后陛下はじめ、皇族方がいつまでもお健やかであられることを、臣民の一人として祈念します。 皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・ 天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
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2013年04月09日
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民主党政権は、我が国を、
甘言によって「社会主義の失敗」そのものへ突き落とし、
あらゆる美風を消滅させようとしている。
我々がこれを止めうるかどうかは解らないが、
すくなくとも、同じような状況を止めえた、
同時代の人物の存在くらいは、
知っておいてもよいものと思う。
イギリスの鉄の女、マーガレット・サッチャーである。
サッチャーの改革は、我が国では、
レーガン・中曽根とならんで、
民営化路線という程度に矮小化されて、
理解されている。
しかしその背景には、戦後のイギリスを汚染し、
「ゆりかごから墓場まで」などと美化された
社会主義イデオロギーに食い荒らされた
「英国病」があった。
サッチャーは、それを根治すべく、
エドマンド・バーク、ハイエクを手に、
敢然と立ち向かった、偉人である。
なお、最近、社会主義勢力による、
サッチャーこきおろしが激しい。
芽はつんでおけ、ということだ。
惑わされないように。
基本文献は
の2つだけだ。あとは、すべて2次情報である。
木庵先生のひとりごとより、転載
民主党大不況【サッチャーの労働組合潰し、「家族の重視」、ヴェルヘルム・レプケの福祉国家批判】#12
マーガレット・サッチャーの政治、労働組合潰し1980年代、英国が「英国病」を脱するのは、マーガレット・サッチャーの手腕とその哲学によってである。サッチャー保守主義の原点はエドマンド・バークにある。その基底に”ヴィクトリア女王時代の栄光の大英帝国“が崇敬すべき時代として捉えられている。一般に、偉大なる政治家は必ず歴史と祖先に範を求め、それをモデルに理念を構築する。日本の場合、1889年2月の明治憲法、皇室典範の発布から、日清戦争の勝利を経て、1905年の日露戦争の勝利にいたる、明治天皇治下の”輝ける16年間こそが、「これからの日本」の理念的な範とすべきと中川は力説する。ヴィクトリア時代の英国を理想とするサッチャーにとって、社会主義は存在してはならない“悪のドグマ”でしかない。なぜなら、ヴィクトリア女王時代(1837~1901年)に、社会主義はまだ、イギリスの国政には思想侵入してはいなかった。サッチャーの激しい社会主義に対する攻撃は、“19世紀の大英帝国人”だったからだと考えると、理に適う。 また、極左イデオロギー丸出しでソ連共産党と通牒した関係をもつ20世紀後半の英国労働組合は、ヴィクトリア王朝時代の感覚からすれば“企業の財産権その他を侵害し破壊する暴力団”としか言いようがない代物であった。つまり、サッチャーの労組潰しは、様々な経済学その他の説で学術的にも説明できるが、その信念は学問からではなく、”古き良き時代の常識”を基底に形成されたものだろう。 英国労働運動は、連続する過激なストライクが特徴であった。この労働運動がサッチャーによって叩き潰された。その方法は二つあった。一つは法律による規制。二つ目が、労組のストライキに対する非妥協主義の貫徹と警察官の大規模投入により排除であった。 日本の現行の民主党国会議員のかなりのポストが、職業政治家ではなく、労組の天下りポストとなっている。なかには閣僚にすらなっている。「官僚の天下り」は定年後の若干の給料の額の問題だけで、日本の政治を害しないが、「労組幹部の国会への天下り」は極左革命分子の“立法簒奪の行為”となる、と中川は厳しい。 ハイエクは『自由の条件』で、労働組合はどうあるべきかについて、次のように論じている。
サッチャーの「福祉国家」批判サッチャーの、荒療法の一つは、「福祉国家」を断罪して社会保障制度を根本から見直し削減するというものであった。彼女の『回想録』の序には、彼女の基本精神を述べている。
またサッチャーは、社会保障予算が“福祉依存=自立喪失”、その他の反社会的行動を促していると警告する。現実にも貧困対策の社会福祉が貧困の増大を招いている。この現実をありのままにしっかりとサッチャーは直視している。
サッチャーの「家族の重視」と、「自助の精神」サッチャーの「家族の重視」と、その「自助の精神」は、彼女の「脱・福祉国家」路線の前提であった。なぜなら、「脱・福祉国家」は、「国家から個人へ」「国家から家族へ」「国家への依存から、自らへ依存」なしではできないからである。人間の質的向上を決定づける「自助の精神」や、自由と道徳を育むかけがえのない温室と基盤は「家族」である。「福祉国家」こそは、“自助=人間の人格的向上”や、自由と道徳を破壊し消滅させるから、「人間の敵」「自由の敵」「道徳の敵」なのである。サッチャーの「家族の重視」は、シングル・マザー批判にも及んでいる。
「家族の重視」「父性の重視」の根底にあるサッチャーの思想は、金銭が貧困を救済するのではない、との人間の本性を正しく洞察しているからである。金銭がいかに国が与えても、貧困からの脱出に必要な自助の精神や自己責任感は育たない。また、人生の価値観を身につけることはできない。それらは、家族の生き方、父親の生き方を学ばせ、家族の中に伝わる慣習や習慣に浸らせるほかに、他の方法は何もないのである。
社会保障制度とは、政府が、個人や家族の“私人の生活という聖域”に対して侵害をすること、なのに、「福祉国家」になれば貧困をこの世から失くすなどとのバラ色のユートピアを嘘宣伝して正当化してきた。しかし、「福祉国家」は、“欺瞞のデパート”として、いまやその破綻は明確である。現在の日本が証明するように、「福祉国家」こそが貧困を増やす最大の原因である。 ヴェルヘルム・レプケの福祉国家批判「福祉国家」の限りない弊害を世界でいち早く指摘したのは、ケインズ批判者として名高い“ドイツのハイエク”と称された、またバーク主義者でもあるヴェルヘルム・レプケであろうか。その著『福祉の代償(自由の喪失とインフレ)』(1957年)および『需要と供給の彼方』(1958年)は、未邦訳だが、要約すれば、こう述べている。
転載ここまで
語録
「私たちが生きてきた時代には、あまりに多くの子供や人々が、こう理解するように言われてきました。
『私には困難がある、だから、それに対処するために政府が仕事を与えてくれる』、 あるいは、 『私には困難がある、だから助成金を得られるだろう』、 『私はホームレスです、だから政府は私に住居を与えなくてはならない』。 このように、彼らは社会に問題を投げかけていますけど、社会とは誰ですか? 社会などというものはないのです。 個人の男性と女性がいて、家族があるだけです。政府は人々を通じて以外は、何もできません。人々は、最初に自分自身の面倒をみなくてはなりません。私たちの義務です。そして、次に、私たちの隣人の面倒を見ることが義務となります。生活は、相互的なビジネスです。人々は、義務なしにあまりにも多くの権利を持っていると思い込んでいます。誰かが最初に義務を負わない限り、権利のようなものはありません。(雑誌『ウーマンズ・オウン』のインタビュー、1987年)
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