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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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良識ある日本国民の皆様には、自民党の高市政務調査会長が「太平洋戦争当時、日本が植民地になる道がベストだったのか」と述べたことはご存知だと考えます。
 
日中・日韓関係巡り各党議論

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NHKの日曜討論で、中国や韓国との関係について、自民党の高市政務調査会長は、経済面の関係を強化することで改善を図りたいという考えを示したのに対し、民主党の松本政策調査会長代行は、朝鮮半島の非核化のためにも中韓両国との緊密な連携は欠かせないと強調しました。

この中で、▽自民党の高市政務調査会長は、中国や韓国との関係について、「中国や韓国は、RCEP=東アジア地域包括的経済連携では、交渉をしていくので、経済関係や投資関係でしっかりと関係を強化したい」と述べました。

その一方で、高市氏は、安倍内閣の閣僚による靖国神社参拝や、歴史認識に関する安倍政権の姿勢を中国や韓国が批判していることについて、「閣僚の靖国神社参拝を、ここでやめたら終わりだ。国策に殉じて命をささげた方々をいかにおまつりするかは内政の問題だ。日本の支配を受け、植民地とされた国の方々の民族の誇りを傷つけて大変な苦難を与え、被害を与えたことは確かだが、当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのかどうかだ。安倍総理大臣が、国会で『侵略の定義は学会的にも国際的にも定まっていない』と答弁したことは間違っていない」と述べました。
5月12日NHK抜粋
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130512/k10014515651000.html
 
>中国や韓国との関係について、「中国や韓国は、RCEP=東アジア地域包括的経済連携では、交渉をしていくので、経済関係や投資関係でしっかりと関係を強化したい」
 
中韓とは関わるな!
 
「アベノミクス」効果による円高是正、円安批判をしているのは韓国と中共だけです。
 
 
家電など日本企業との競合国である、中韓との関係強化は日本の国益になりません。
 
>閣僚の靖国神社参拝を、ここでやめたら終わりだ。国策に殉じて命をささげた方々をいかにおまつりするかは内政の問題だ
 
そうだ!
 
世界各国の共通認識とは、「いかなる国家も、その国家のために命を捧げた国民に対して敬意を払う権利と義務がある」ということです。
 
しかし、麻生副総理ら閣僚の靖国神社参拝を非難している、中共・韓国・北朝鮮には、この世界共通認識が欠如しているのです。
 
>日本の支配を受け、植民地とされた国の方々の民族の誇りを傷つけて大変な苦難を与え、被害を与えたことは確かだが
 
植民地支配というのは韓国と北朝鮮だけだ!
 
南洋にあるパラオ共和国は、1919年、第一次世界大戦の戦後処理をする「パリ講和会議」によって日本国の委任統治領になりました。
 
当時の日本統治について、パラオ共和国の大統領が述べていることが真実です。
 
親愛なる日本の皆様に
 
日本は第二次世界大戦終戦から今日に至るまでの年月で敗戦から見事に立ち上がり、それどころか、産業・経済・文化など様々な分野において、世界のリーダーとして活躍されています。
 
そんな日本の皆様たちのバイタリティが、実は私たちの国パラオを造ったという事実をご存じでしょうか。
 
終戦までの日本は、数万人に及ぶ日本人入植者をパラオに送り込み南洋庁を作り、私たちパラオ人のために様々な教育や産業を伝えました。それは後に、パラオ独立のための貴重な原動力となりました。
 
そして現在でもパラオの長老たちは日本のことを「内地」と呼び、世界で最も親日感情が高い国、といっても過言ではないのです。
 
パラオ共和国大統領 トミー・E・レメンゲサウ・ジュニア
 
 
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■動画

大東亜戦争 その歴史的意義 FLASH

大東亜戦争の名言集
 
インドネシア サンバス長官
「日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った村山演説は、植民地主義打倒の悲願を放棄したことになる。村山さんは日本の果たしてきた歴史を踏まえ、A・A(アジア・アフリカ)の悲願を代表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ(アウンサン)、ラウレル、アキノ、汪兆銘、チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れてしまったのは遺憾である」

韓国は日韓併合を植民地支配と捏造していますが、植民地とは統治国が支配地から搾取することで、日本は朝鮮を植民地にした事実はありません。
 
日本は日韓併合前である、1907年の第三次日韓協約締結から韓国の内政も監督しています。
 
当時の日本による朝鮮半島への財政負担をみても、これは朝鮮からの搾取ではなく朝鮮への莫大な支出でした。
 
『第三次日韓協約』が締結された明治40年から日本が韓国を併合した明治43年迄のたった4年間に限ってみても、韓国政府の歳入に充当、計上された金額は約1400万円。
 
仮に当時の1円が現在の2万円に相当するとして計算すると・・・当時の約1400万円は現在の金額にして、凡(およ)そ21千億円!!
『日韓基本条約』に反する対日賠償請求権を日本が認めて困るのは韓国側だ!!〜抜粋
 
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>当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのかどうかだ
 
そうだ!
 
反日勢力は大東亜戦争を日本の侵略戦争だと歴史を捏造していますが、大東亜戦争とは日本が生きるために行なった自存自衛戦争でした。
 
米第32代大統領、フランクリン・ルーズベルトは、対独戦に参戦する口実を欲しがっていたことから日本を戦争に追い込んだのです。
 
ハーバート・フーバー第31代米大統領は、ルーズベルトを、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していました。
 
ルーズベルト大統領は不戦を公約に掲げていたので、日本から攻撃をさせるように工作をしました。
 
日本による戦争回避を潰すために米国は、フライング・タイガースによる日本軍への攻撃計画・ABCD包囲網による日本の資源断ちをしました。
 
 
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日本は、日米交渉で和平努力をしていました。
 
しかし、昭和16年11月26日、米国側当事者、コーデル・ハル国務長官から日本側に提示された交渉文書「ハル・ノート」により和平を断念しました。
 
当時、日本は石油の80%をアメリカから輸入し、残りの20%を英国とオランダから輸入していました。

これら3カ国が日本に石油を売らなければ、日本は滅亡したのであり、日本に石油を売らないということは「日本に死ね」と言うのと同じことでした。

日本がハルノートを受け入れ、日本が支那や満州から撤退していたら、日本では失業者が溢れ、夥しい数の日本人が餓死などで死んでいたでしょう。

そして、亜細亜の大国の地位を失い、小国に転落すれば、米国・ソ連に植民地支配されていたでしょう。
 
英国に植民地にされたアイルランドの人口は、1841年の820万人が1911年には444万人と約半分になりました。
 
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>安倍総理大臣が、国会で『侵略の定義は学会的にも国際的にも定まっていない』と答弁したことは間違っていない
 
そうだ!
 
「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない」というのは事実です。

「侵略の定義」が定まっているのであれば、安倍首相の答弁に対し、韓国や朝日新聞など反日勢力は反論しているはずです。
 
しかし、反日勢力は「侵略の定義は定まっている」という根拠も示していません。
 
そもそも、当時の「侵略」を禁止したパリ不戦条約は、自衛戦争を認めていました。
 
 
同条約に、
「自衛権は、関係国の主権のもとにある領土の防衛だけに限られてはいない。そして本条約のもとにおいては、自衛権がどんな行為を含むかについては、各国みずから判断する特権を有する。」
とする留保があります。

つまり、当時の国際法では、戦争当事国が「この戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争だ」と判断すれば、その戦争は侵略ではないことになっていたのです。
 
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村山談話の「侵略」などの文言の変更を検討すべき
 
反日メディア、特にTBSの「サンデーモーニング」は、韓国の主張を取り上げ安倍政権の歴史認識批判の世論誘導をしました。
 
 
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女性アナ「はい、風をよむです。経済面では効果を見せ始めている安倍政権。しかしアキレス腱と言われる問題があります。」
 
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パク大統領「過去に起きたことを認めなければ明日はありません」 
水曜日アメリカ議会で、"歴史認識の溝が外交などの障害になっている"と指摘した韓国のパク・クネ大統領。
念頭にあったのは日本です。 
 
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パク大統領はこの前日、オバマ大統領との首脳会談でも"日本が正しい歴史認識を持たなければならない"と訴えていました。
そのアメリカでは議会の調査局が提出した日米関係に関する報告書に次のような記述がありました。 
 
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『安倍政権の閣僚らによる歴史問題についての言動が東アジアの国際関係を混乱させ、アメリカの国益を損なう懸念を引き起こしている』 
 
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安倍総理についてもこの報告書は、日本の侵略の歴史を否定する歴史修正主義的なものの見方をしている
こうした指摘の背景には何があるのでしょう。
 
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細川首相(当時)「過去の我が国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とお詫びの気持ちを申し述べるとともに」
 
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村山富市(当時)「植民地支配と侵略によって、多くの国々・とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」
日本の植民地支配と侵略を認め謝罪した細川総理と村山総理。
それに続いて小泉総理も次のような談話を発表しました。
 
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"植民地支配と侵略によって多くの国々とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました"
 
歴代総理が踏襲してきた反省とお詫び、しかし・・・
 
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安倍総理「村山談話をですね、そのまま継承しているというわけではありません。」
 
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安倍総理「侵略という定義についてはこれはまあ、えー学会的にもですね、国際的にもこれ定まっていないと言ってもいいんだろうと思うわけでございますし」
安倍総理のこれらの発言が不信感に繋がったと思われます。
 
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過去にも歴史認識をめぐる波紋が繰り返されてきました。
 
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奥野誠亮氏「侵略という言葉を使うのは嫌だし、あの当時、日本にはそういう意図はなかったと、、」
 
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島村宜伸氏「侵略であったか否かということはいろいろ議論があると、、」
一方の韓国でも、
 
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過酷な植民地時代の歴史を語り継ぐ教育が行われ、日本に対する複雑な感情が事あるごとに噴き上げてきました。
 
(略)
 
韓国や中国など近隣諸国との平和を築くために何が必要なのか。
 
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近づく参院選。憲法問題にも通じる大事な課題の一つです
 
街の声(男性)「難しい問題だから時間も手数もかかると思うんですけど、しっかりお互いに話し合っていくというのが大事かと思いますけども」
街の声(男性)「選挙する人はあまりそういうことを意識してないと思いますよ。そこがまた日本の問題だと思いますけどね 。」
ブログ「テレビにだまされないぞぉ」一部転載
 
高市政務調査会長の「太平洋戦争当時、日本が植民地になる道がベストだったのか」は正論で、マスコミの世論誘導に騙されないようにするべきです。
 
良識ある日本国民の皆様、大東亜戦争についてご考慮下さい。
 
反日マスコミは廃業しろ!
 
と思われた方は、↓クリックをお願いします。↓
 
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転載元転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘

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小野太三郎  翁(おのたさぶろう)
 
 
平成21年度末現在の社会福祉法人数は18,674法人(厚労省)ですが、わが国で社会福祉事業を個人として日本で最初に実践したのが石川県金沢市の小野太三郎翁です。
 太三郎翁は24歳のとき、飢饉によって困窮した人々に自宅に開放するという自費での救護活動を始めました。そして、明治6年には「小野救養所」を開設し、目の不自由な人の受け入れを開始、明治12年にはあらゆる困窮者の救護活動を始めました。明治38年には卯辰山へ移転し、「小野慈善院」として活動を続け、生涯を社会福祉事業にささげました。
 
その志のはじまりは少年時代に遡ります。
小野太三郎翁 (おのたさぶろう ) が、母の使いで 近江町 ( おうみちょう ) 市場へ行った十一歳のときです。人だかりのなかに、大きな海亀がいました。近江町には人がたくさん集まるので、見せ物になっていたのです。
  縁起 ( えんぎ ) のよい亀に自分もあやかりたいと、お金をあげる人、まんじゅうを 供 ( そな ) える人、お酒を飲まそうとする人、亀の周りには、次々と人々が集まってきます。
 息苦しくなった太三郎翁が人だかりを抜け出たそのとき、かたわらに、じっとうずくまって、やせ細った手をさし出している老人に気付きました。
 「あわれな老人に、何か食べる物をめぐんでください」
と、老人はぼそぼそとした声をかけてきました。さっきの亀にはお金がたくさん集まっていたけれど、この老人には声をかける人もなく、汚いからと足で 蹴 ( け ) る者すらいました。
 「亀にお金を与える人がいても、この老人に与える人はいない。こんなおかしなことがあっていいのだろうか」
 子どもの太三郎翁にはどうすることもできなかったのですが、この日太三郎翁は「大きくなったら、このような人たちを助ける仕事をしよう」と、心に固く決めました。
 さて、十三歳で 加賀藩 ( かがはん ) に仕え、仕事を持つようなった太三郎翁ですが、翌年、重い目の病にかかり、一時視力を失います。そのころの太三郎翁は日常生活の不都合や将来への不安に苦しんでいました。その後、幸いにも目はよくなり仕事を続けることができましたが、体の不自由さがどれほどつらいものかを身をもって体験したのです。
  元治 ( げんじ ) 元年(一八六四年)、太三郎翁が二十四歳のころ、加賀藩は来る年も来る年も 凶作 ( きょうさく ) に見まわれ、人々のなかには食べる物もなく、道にさまよう人、道ばたに倒れる人が次々と出てきました。太三郎翁は少年時代の気持ちを忘れず、 中堀川 ( なかほりかわ ) にあった自分の家を 空 ( あ ) けて、貧しい人々を住まわせます。また、明治二年(一八六九年)、今まで加賀藩が面倒を見てきた 卯辰山 ( うたつやま ) の 撫育所 ( ぶいくしょ ) (貧しい人たちの生活する施設)が閉じられて、行くところがなくて困っている人たちを自分の家へ温かく迎えました。
 明治六年(一八七三年)、太三郎翁が三十三歳のころには、 木 ( き ) の 新保 ( しんぼ ) (現在の 金沢市本町 ( かなざわしほんまち ) )に一軒の家を買い、目の不自由な人ばかり二〇人を住まわせて世話をするようなります。このころから、不幸な人々を救おうとする太三郎翁の苦しい闘いが本格的に始まります。
 
まず、この人たちには仕事がない。食べ物など生活費は太三郎翁が稼がなければなりません。自分の家で大切にしていた古道具を次々と売り払い、売る物がなくなると、今度は武士だった人の家から古着や家具、 調度品 ( ちょうどひん ) (日常使う身の回りの道具)を買い集め、農家の人たちに売りました。町や村へ菓子を売って歩くこともしたのですが、その生活費は大変な額になります。
 太三郎翁はただ世話をしていたのではありません。働ける者には仕事を探し、若い人たちにソロバンを教え、字を学ばせました。健康な人には商品を売り歩いたり、人力車を引くなどの仕事を与えました。その利益は、将来その人が自立をするために貯金していたのです。
 
太三郎翁は疲れ果て、夜になるといろいろなことを思います。
 「みんなに人間として生きる希望を持ってもらうことが大切だ。私一人では限度がある。もっとたくさんの人たちの協力が必要なんだ。みんなにお願いしてみよう」
 太三郎翁が、毎日毎日、血のにじむような苦労を続けていることを知っている人たちは、進んで協力を申し出ました。呉服屋、医者、床屋たちが、今でいうボランティアを買って出てくれたのです。そして、明治三十八年(一九〇五年)、卯辰山のふもとに財団法人「 小野慈善院 ( おのじぜんいん ) 」がつくられました。長い一生をこの仕事に注いできた太三郎翁の喜びは、どれほどであったでしょうか。
 

 
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小野慈善院
 
 
 それからも、太三郎翁は院長として、身寄りのない貧しい人たちのためにつくし、明治四十五年(一九一二年)七十二歳で亡くなります。
 
 
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大正二年の東京朝日新聞は小野太三郎翁を上記画像のように伝えています。
 
一部を記載します。
金沢の名物は蓋し兼六園にあらず、御所落雁長生殿にあらず、況や巻鰤、やなぎ団子にあらずして、実に我が小野太三郎翁である、而して翁は一両年前故人となったが、其事業は炳乎して遺っているのである
僕は大聖寺附近の温泉地を辞して、将に東京に帰らんとするの午後、特に汽車を金沢に棄てて、そぼ降る雨の中を小野慈善院を訪うた、幾長橋の虹の如く架してある浅の川の右岸に沿うて溯ること少許、道は卯辰山臥竜山の麓にかかって、□崎□たる坂路を登ること町余、その登り詰めたところにある粗末な木造平屋建の数棟がすなわち小野慈善院である
時や既に午後四時を過ぎていたが、刺を通じて窪事務長に会い苦茗を啜りつつその来歴現況の一斑を聞いた、窪氏の語るところに拠れば、翁の慈善院は遠くその濫觴を今より五十年前即ち元治元年の飢饉に発するのだそうだが、屋舎を此処に新築して現今の形態を備うるに至ったのは明治三十八年県令を以て教育所取締規則を発布してからだという
ソレでそもそも小野翁とは奈何なる人物であったかと言うことになる、翁は天保十一年の生れ、嘉永五年歳十三にして藩公に仕え卒力小者組に入ったが、これより先二年歳十一の時某月某日金沢市安江町に放生亀があった、偶翁は―否十一歳の少年はである―其処を通り蒐ったが見れば衆人相群って放たるる亀を囲み雨の如くに銭を投じている、すると傍に一老翁あり、衣は破れてその体を掩わず、履は磨滅してその踵を露わしている、鬢は霜の如く、腰は弓の如く、大地に額づいて憐みを乞えども、人は亀にのみ厚くして誰一人としてこの窮余の老翁を顧みるものがない、これを見た少年太三郎は●然として人情の薄きに泣いたか泣かなかったかは知らないが、兎も角その天賦の同情素即ち慈善素を刺戟されたことが大だったと見えて、私かに我袂を探って巾着をあらためて見たが、折悪く一文半銭の持合せもない、この義にして勇ある美しい本能の衝動を満足せしむることが出来なかった彼は、撫然として涙を抑えつつ此処を去った―というのである、これが翁の慈善史を飾る第一頁だ、それまでの生立に就ては余り知られていない
軈て安政二年十六歳の彼は会々悪性の眼病に罹って殆どその明を失った、而して医療いたずらに効無きを知った彼は一日潔斎して市内野町明神に詣で其後祈願を続くること正に一百日、不思議や忽然として明を復した、当時明神の境内に坐頭座というものがあって、無慮三百人の瞽者盲者が相集り、鍼を習い破絃を弾いて纔にその日の生を保っていた、祈願の折々に少年太三郎は彼等の間に交ってその語るを聞けば、跛者聾者素より憐憫に値するに相違なけれども、未だ以て瞽者盲者の不幸に及ばざること遠しというにあった、すなわち彼はその得る所を挙げて商人某に託し利銀を以て毎年彼等に恵んだ―これ翁の慈善史を飾る第二頁、ソンナ人もあったかなァぐらいで読んでいては、後生の悪いことは請合である
 
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社会福祉法人「陽風園」
 
 
 
「小野救養所」の経営方針は「飢えと寒さを訴える者には衣食を」「病気の者には医薬と診療を」「老人の庇護を」「幼児の教育を」「職業の斡旋を」などでした。また、授産事業として、陶器製造・機織(はたおり)・肥料造りなどを行っていました。このような経営方針は、現在の社会福祉事業の原形といえます。
 
 
慈善院は、その後、社会福祉法人「 陽風園 ( ) 」として入園者も一〇〇〇人を超え、職員四五〇人となり、わが国で最も古い社会福祉施設として全国的に知られるようになっています。
 生涯をかけて貫き通した、翁の遺志、その仁愛のこころと強い意志は、建物や人が変わっても引き継がれています。
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NHKの日曜討論会をNHKニュースが取り上げました。
このニュースを読む前に、日本の現状を理解してから読むと非常にわかりやすいでしょう。
鳴霞著『中国のスパイ』には「日籍華人」という言葉が出てきます。これは、シナは日本を舞台に情報戦をやり続けているにもかかわらず日本人は相変わらず無警戒で、日本の情報は在日シナ人及び帰化した元シナ人で既に12万人を超えたシナ人が帰化して情報収集の中心にいる、と書いており、彼らは日本には忠誠心がなく、シナに家族が人質のようになっていてシナ共産党に忠誠を尽くすシナ人であると書いてあります。その上で日本の政治家にはこのように書いています。
 
「民主党の参議院議員・福山哲郎は日籍華人である。
昭和50819日に父・陳栄澤、弟・陳俊郎とともに日本に帰化した。帰化前の本名は陳哲郎(昭和50829日の官報第14598号に記載されている)。
福山は従軍慰安婦問題や戦時性的強制被害者問題解決促進法案の提出を推進し、鳩山政権では外務副大臣として東アジア共同体を推進、地球温暖化ガス25%削減を国内議論もなく国際公約し、普天間基地問題はシナ共産党の意向である県外にこだわり、民主党政権当初の外交基本を媚中反米に導き日米関係を悪化させる役割を果たした。
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櫛渕万里・前民主党衆議院議員の夫・李松はシナ人の人権活動家で、櫛渕の当時秘書もシナ人人権活動家の息子で日本に帰化させた。ここに連なる民主活動家関係者は東京都豊島区で『ビザなし就労中国人を保護するNPO法人』を作って、このNPOが保護する人々は「ビザなし就労」しているシナ人や結婚して永住権取得したが夫と住んでいないシナ人女性など、入国管理法違反の人物ばかりである。
この違法入国シナ人を「女性」と「人権」を盾にそのまま日本に住まわせ国籍を取得させる運動をしている。彼らは日本で保護するより家族のいるシナに帰した方がよいが、保護と称して日本に定住させて帰化させる。その上困ったら生活保護を受給させる運動をしている。取り調べや入管法違反の捜査があると「人権」で抵抗し、議員が出てきて政治力を行使するという仕組みである」
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つまり日本の国会議員であるにもかかわらず日本の国益を無視してシナの意向を推進する国賊がいるということです。こういう国賊はその発言に出るものです。
そこでNHKの日曜討論の様子を流したNHKニュースの一部を掲載させて頂きます。
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NHKの日曜討論で、中国や韓国との関係について、自民党の高市政務調査会長は、経済面の関係を強化することで改善を図りたいという考えを示したのに対し、民主党の松本政策調査会長代行は、朝鮮半島の非核化のためにも中韓両国との緊密な連携は欠かせないと強調しました。
この中で高市氏は、安倍内閣の閣僚による靖国神社参拝や、歴史認識に関する安倍政権の姿勢を中国や韓国が批判していることについて、
「閣僚の靖国神社参拝を、ここでやめたら終わりだ。国策に殉じて命をささげた方々をいかにお祀りするかは内政の問題だ。日本の支配を受け、植民地とされた国の方々の民族の誇りを傷つけて大変な苦難を与え、被害を与えたことは確かだが、当時、資源封鎖もされて抵抗せずに日本が植民地になる道がベストだったのかどうかだ」と述べました。
 
民主党の松本政策調査会長代行は
「北朝鮮がみずからを核保有国だと言い出し、大事なポイントにさしかかっているときに、中国と韓国、アメリカ、ロシアとの連携が、対外的に極めて緊密であると見えるかが重要だ。閣僚の靖国神社参拝は、アメリカも不必要と見ているし、われわれもそう見ている。日本にとって一番重要なことから最優先でやってもらいたい」と述べました。以下省略。(2013.5.12 NHKニュース)
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民主党の松本某は「閣僚の靖国参拝は不必要である。そんなことより日本にとって一番重要なことから最優先でやってもらいたい」と言いました。とても日本の国会議員が発言する言葉ではありません。自分が今あるのは誰のお陰であるのかも理解せず、靖国神社をないがしろにしてシナとかの連携を重要視せよというのはどこの国の代弁者であるのか。
そしてNHKの「安倍政権の姿勢を中国や韓国が批判していることについて・・」というのはシナや韓国の立場を代弁しているものであります。
 
何かおかしな発言をする政治家がいます。マスコミがあります。
「人権」や「女性」「貧困」「格差」を盾にするのは疑ってかかるべきです。
日本のことよりも他国のことを優先した発言や行動を気をつけてみるべきです。
 
・・・・・・
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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