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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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日本人とは・・・

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國生み神話




筆者が尊敬してやまない、さくらの花びら大兄の秀逸記事日本人として本当に必要な教育とは何かには昨今忘れ去った日本人としての忘れものを考えさせることが記述されています。

日本人でありながら、邪悪な隣国に加担するかのような政治家、マスコミ、一年、また一年と病んでいく日本精神。 お国柄でもあった「道義」が忘れ去られ、残念でなりません。

本稿は拙ブログの記事として、過去に幾度となく投稿させていただいたものです。
御国を護った先人、先達を敬わず、今生きている現世の日本人はさもわが国の歴史の主人公のように振る舞い、伝統、文化までも破壊している餓鬼のように筆者の目には映ります。
日本国民とは肇国以来、連綿と伝統、文化を紡いできたすべての日本人を指すものです。
我国には「先祖返り」という言葉があります。
今の日本には「先祖返り」が必要なのではないでしょうか?
その願いを込めて加筆再投稿しました。

古来、日本人は、森羅万象すべてに神々が宿ると信じ、崇敬してきました。また他者に対しても、同じ運命を背負う人間仲間として捉え、深く共感できたのです。そこから、「思いやり」「いたわり」という優れた感性が芽生え育んできたのです。
無常とは、元来仏教用語ですが、他の仏教国では捉え方が異なります。
いかに権勢を振るって栄耀栄華を極めようとも、多くの権勢なき人々と同じように、やがて死を迎えます。
未来永劫、盛者であり続けることなどできず、無常を知ればこそ、敗者や弱者の姿に、明日のわが身を見る思いがして、敗者への思いやりとか弱者へのいたわりといった感情が湧き上がるが、日本人だけが持ち得る感性なのです。
武士は侍とも書きます。もののふともいいます。
またその語源は天孫降臨された皇祖ニニギノミコトより前に天孫降臨されたとされるニギハヤヒミコトを祖とし、大和朝廷では国の軍事氏族として活躍した、物部氏(もののべうじ)とされてます。
侍=その文字が示すとおり、もともと高貴な人に侍り、その身辺警護が仕事でした。役目柄、要人より華美な振る舞いは許されず、常に死を覚悟していなければなりませんでした。このことが質実剛健な精神構造を生み出し、支配階級となったあとも、「武士道」として武家社会の規範になっていきます。明治維新で武士階級はなくなりましたが、代わって徴兵制が採用されたため、武家だけの「武士道」からむしろ国民全体にも拡がり、大東亜戦争終戦まで、日本人の精神的支柱であり続けました。


武士道における価値観は、西洋とでは対極をなします。

    

・新しいものよりも古いもの
・華美よりも質素
・物質的な豊かさよりも精神的な豊かさ
・私よりも公( 滅私奉公)
・動よりも静
・剛よりも柔



自分の命より名誉のほうを重んじ、それに増してすばらしいのは、「惻隠の情」(そくいんのじょう)(かわいそうに思うこと。あわれみ)に高い価値を見出していたことです。弱い者いじめや敗者に鞭打つなどの卑怯を最大の恥とし、弱者敗者をいたわり、護ってやるのが武士の情でした。
「私」よりも「公」を優先し、道義を大切にしてきました。

戦後、アメリカ的価値観を妄信する人が増え、武士道精神は急速に忘れ去られようとしています。軍国主義と結びつけて、頭ごなしに非難する人たちもいますが、しかし、卑怯者がはびこる現代社会にあって、かつての凛とした日本を取り戻すためには、「武士道」を蘇らせるしかないとおもうのです。
人間は、神代の昔から変わることなく、自然の恵みを受けて生活しています。森羅万象、見えないものまで、自然は子々孫々に受け継がなければならない人類共有の財産です。太陽・空気・水、どれが欠けても人間は生きていけません。これらすべてのものを、当然あるものと考えていないでしょうか。自然は人間が創り出したものではなく、一度無くしてしまったら取り返しがつきません。古代の日本人は、自然を崇敬し護るべきものと知っていました。失ってしまったらら元に戻せないと知っていたからです。古代人に習い、自然への感謝と畏怖の気持ちを忘れてはなりません。これらが、 『斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)の神勅』と繋がっているのです。
一人の人間は、小さな能力しかなく弱い存在なのに、なぜこの地球上に人類が君臨しているのでしょうか。太古の昔から、助け合うことが力になる、という知恵をもっていたからです。原始時代の人々は、火を熾せるようになり、道具を使うことも覚えました。皇室のご祭祀は、火を熾すことから始まります。古代さながらの鑽火(きりび)(堅い板に棒を揉み込み自然に起す清浄な忌火)で行われます。
そして神聖なものと崇められています。また、全国各地の神社の新嘗祭でも、新穀を得たことを神様に感謝し、境内で火を焚き上げ、火の災いを鎮める祭りが行われています。
人には必ず両親がいます。父母各一人の合計二人です。その両親にも両親がいます。自分からみれば、祖父母にあたる人です。父方と母方の祖父母各一組合計四人です。祖父母、つまり三世代前程度でしたら多くがご存命でしょうからすぐ思い浮かびますが、何世代前になるともうわかりません。
では、20世代前に遡ると何人になるでしょうか?
52万4288人、さらに30世代前になると5億3687万0912人、40世代前では2748億7790万6944人になるのです。
世代間年数を二十年とすると、20世代前で400年、30世代前で600年、40世代前では、800年前になります。
800年前は、源頼朝が鎌倉に幕府を開いて19年後にあたります。人一人のご先祖様が800年前まで遡ると2748億7790万6944人もいるのです。
勿論、我国の人口が鎌倉時代初期に2748億も存在するわけがありませんから、同一人を重複して数えることになります。
同じ父母から生まれた兄弟姉妹。または、同じ国土に生まれた人々、同じ国民、また、同じ民族のことを同胞(どうほう)といいます。
上記の数字からも、日本人が殆ど、血の繋がりのあることの証左でもあります。
系図のなかった庶民では辿りようもありませんが、間違いなく同じ父母から生まれているのです。数多くのご先祖様のうちたった一人でも欠けていたら、今の自分は生まれてこれなかったはずです。これは生命の奇跡としか言いようがありません。一人一人の生命はやがてつきます。しかし、生命そのものは親の代から受け継ぎ、子の代へと引き渡されていきます。
筆者が子供の頃には、どこの家庭にも神棚と仏壇があり、日常の明け暮れに神仏に祈り朝日に手を合わせ、夕日に感謝する親や祖父母の後ろ姿がありました。
勿論、お正月、国の慶事には、国旗がどこの家にも掲げられていました。

そして、食べ物を大切にしていました。
一粒でもご飯を食べ残したり、好き嫌いを言うと「もったいないと、親は子供を叱りました。食べ物や、ものに対して「いただきもの」「さずかりもの」と天地自然への感謝の気持ちをいつも忘れませんでした。みんな昔話になってしまったのでしょうか。ほんの40年前のことです。

 「ご先祖さまに顔向けできないようなことを、してはいけないよ」親の言葉が頭のどこかにあるから、自制心がはたらき、悪いことをしょうと思ってもできません。「おてんとさま(お天道さま)が見ているよ」おじいさん、おばあさんの口癖が、いつも心の片隅にあり、心に残っています。

親や祖父母の教えが、「生き方の規範」になって、より良き行いをしようと心掛けます。かって人々は「人の道」という、歩むべき方向を持ちあわせていました。
人は食物を食して命を保ちます。
わが国の食文化は紛れもなく稲作です。
筆者が子供の頃の稲作は、家族総出で行い、五穀豊穣を祈り、収穫が終わると神に感謝したものでした。今日機械化が進み、家族の「和」「絆」を培ったあの農繁期の微笑ましい光景も見受けられなくなりました。
 しかも、ご飯を食べ残したり好き嫌いを言っても、最近の親達は「もったいない」と叱らなくなりました。子供は食べ物があふれているのに、自分好みの品を求めてコンビニに走ります。 


精神の不安定な時期にある青少年の自暴自棄の行動、大人達の自分勝手な独りよがりの行い、失望と絶望、人々はさまざまな心の不安を抱きながら、日々明け暮れしています。 

現代人は老いも若きも「生き方の規範・人の道」という、心のよりどころを持たないから、ストレスで心身を病み、自信を喪失し、ささいなことにつまずいてしまいます。

 「もったいない」という言葉をつぶやきながら、天地自然に手を合わせても、いいのではないでしょうか。
「ご先祖さまに顔向けできないようなことを、してはいけないよ」 「おてんとさまが見ているよ」「神さま、仏さま、ご先祖さま、おてんとさま」と拝む、日常行動があっても、いいのではないでしょうか。

経済や政治・社会情勢に押し流されるようでは、潤いのある生活はできません。昨今のように混迷する社会情勢のもとでは、人々は目先のことばかりに心うばわれます。そんなご時世であればこそ、なにか大きな恐れるもの、畏敬の念を抱くものがあれば、かえって安心します。

神仏や、天地自然に手を合わせる、積極的な行動によって、子供達は健やかに成長し、大人達は希望と自信をとりもどし、安らぎを得ることができるでしょう。
かっての日本人とは、そのような民族だったのです。
そして、その時代のほうが、皆幸せであったように筆者は思います。
今一度、大らかで、高貴な、こころ優しい日本人の戻ってみませんか・・・
肇国以来、2700年の歴史、伝統を紡ぎ、「やまとごころ」を取戻してみませんか?
天壌無窮の御国の為、子孫の為にも・・

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素朴な大学生の質問として、名越二荒之助さんの著書にこのようなことが書かれてありました。
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先日、私の大学の野球部の三年生が一人でひょっこり研究室を訪ねてきました。
「先生、教えて頂きたいことがあるんですが」
彼の表情に真剣身を感じました。何だか切迫した内容のようです。椅子を勧めると、
「ちょっと恥ずかしいんですけれども」、と前置きして質問に入りました。
「日の丸の旗の真ん中の丸は何ですか。後輩から聞かれても答えられなかったので。先生なら教えてもらえると思いました。」
ともじもじしています。私は、
「何も恥ずかしがることはないよ。教科書で教えなかったしそれは大人に責任がある」
私はそう前置きして、
「我々の祖先は自分の国を『日出づる国』『日の本の国』と呼んでいた。日本という国の名前もそこから起こったものです。日の丸の中央にある赤い丸は太陽をあらわしています。すべての物を平等に育むあの太陽は、また私たち祖先が信仰の対象にもしてきました。白地は純潔とか潔白を意味し、昔から清潔を尊ぶ日本人の性質にぴったりしているとも言われてきました。日の丸は世界各国の国旗の中で最も単純な美しさを持っています。私たちの祖先が国旗を大切にしたように私たちも大切にしましょう」
 
日の丸や君が代がなぜ国旗となり国歌となったのか。教科書のどこにも書かれていません。戦後教育を受けた人々は何も教えられないまま卒業しているわけです。
意味を教えずに、掲げることや歌うことを通達するのは形式主義ではないのか。
意味を知り、誇りをもって掲揚し、斉唱するのが教育ではないのか。
このことを文部省の初中局長に聞くと、
「日の丸については音楽の教科書で“白地に赤く、日の丸染めて、ああ美しい、日本の旗は”と教えている」と答えた。
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戦前は小学校から国旗を教えており、中学でも教えていました(上画像)。
今は大学生もその意味することを知らずに社会人になっているのです。
今やグローバルという名のもとに英語教育を強化するそうでありますが、英語がペラペラになって外国に行って、自分の国の国旗・日の丸のことを外国人から聞かれて答えられないということでよいのか・・・。
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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