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両陛下 御尊影
謹んでお伝えいたします。
奉祝、両陛下ご成婚55年を言祝ぎ、両陛下がいつまでもお健やかであられることを衷心より祈ります。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)
畏くも天皇、皇后両陛下におかせられましては今日、昭和34年の結婚から55周年を迎えあそばされた。陛下は昨年12月に御年80歳になられ、皇后陛下におかせられましても今年10月に傘寿、80歳を迎えられる。
拙ブログでも幾度となく紹介させていただきましたが、わが国は世界で唯一、神代の時代から連綿と続く皇統を戴いている国家です。他国にも神話から続く王朝を戴く例がいくつかありましたが、今ではすべて途絶えています。わが国の皇統とは、まさに日本民族の「連続性の象徴」であり、日本人は歴史の連続性を基に独特の精神性を有するに至った民族なのです。日本がただ一つの国家だけで固有の文明を形成しているゆえんは、その連続性にこそあるといえるでしょう。
占領軍が日本の国民精神を壊してしまうまでは、祖国のお陰を蒙って生きていることを、皇恩といって感謝し、崇敬しました。
畏くも天皇陛下のお陰で、私たちが毎日生きているのを感謝することを意味していた。
「皇恩」というと、今日の多くの日本人が「民主的ではない」「古い」といって、過去の亡霊のように斥けてしまう風潮があります。東日本大震災後、畏くも天皇皇后両陛下が被災民を真心こめて見舞われた。当時の菅首相が避難所を訪れて、被災者から「もう帰るの?」と詰められたのと、何と大きく違っていたことか。多くの国民が、天皇陛下あっての御国だと心を打たれた。
今日、日本は125代目の天皇を戴いている。そして、古代から「天皇に 私(わたくし)なし」といわれてきたが、125代のなかで贅ぜいに耽ふけられた天皇陛下は、一人としておいでになりません。
日本のご歴代の天皇陛下は大規模な天災に見舞われた後に、第45代の聖武天皇が「朕(ちん)の教化に足らざるところがあった」、第51代の平城天皇が「朕の真心が天に通じず天災を招いたが、この災いについて考えると、責任は朕一人にある」、第56代の清和天皇が「朕の不明を恥じ、恐れるばかり」といって、 詔(みことのり)のなかで自分の不徳を責めている。多くの天皇が災いを自分に帰している詔を発せられた。
畏くも今上陛下におかれましても、常に被災地、被災された方々に思いをよせられておられることは多くの国民が知るところです。
陛下が君臨あそばされる日本は過去、現代においても世界でも希にみる美し国であります。
日本人は何事においても、人が見ていなくても手抜きせず、正直であり、国民の末端まで物事を正確にこなす国民性があります。
日本のどこを訪ねてもインフラの整備はもとより、人々の規律さえも整っているのです。
道路や繁華街にはゴミ一つ落ちていず、他国にある貧民街もなく、他国で見られる自動車のクラクションの騒々しさもなく、路線バスやその他の交通機関もほぼ時間の狂いもなく運行しています。
世界各国が注目する新幹線も開業以来死亡事故がありません。また数人の僻地の児童、生徒の為に分校などを置き続け、何人であっても身体に異常を認めれば救急車は病人を病院に届ける、読み書きソロバンは多くの国民に浸透し、何より素晴らしいのは社会の為に働けることを見いだしていることです。
日本人という国民性は世界に比肩なきものであると筆者は常に思うのです。
これらの素晴らしい民族性は、往古の昔より日本人は「清き明き心」を大切にしてきました。
これの伝統を歴代の皇室とその伝統を紡いできたのが我々の先人、先祖であります。
畏くも天皇陛下はにあらせられましては、「祈る王」「祭祀王」といわれます。「地上の支配者」であるヨーロッパの国王とは異なります。 天皇陛下はひたすら「国平らかに、民安かれ」と祈られるのです。
民とともにある天皇陛下はいつの時代も、國家の栄光ばかりではなく、苦悩のただ中におられます。
戦後最大の國難ともいわれる東日本大震災。
今上陛下の御心を深く痛めておられます。
「天皇陛下に私なし」といわれますが、天皇陛下はひたすらすべての民のために祈られます。 「公正無私」を第一義とされるのが天皇陛下です。天皇陛下にとっては右翼も左翼もありません。多様な考えを持ち、多様な暮らしをする國民すべての天皇陛下なのです。「まつろわぬ民」のためにさえ、代々、祈りを継承してこられたのが天皇陛下なのです。
今日なお多様で多面的な國家、民族、社会の中心に位置し、「国平らかに、民安かれ」と日々、祈り続けておられる天皇陛下の価値というものを私たちが失わないかぎり、日本人が民族の英知を失わないかぎり、天皇陛下と國家は、國民とともに、未来永劫に発展していくことでしょう。
そして、臣民として唱えられずにいられません。 天皇彌榮(すめらぎいやさか)
天皇陛下、皇后陛下 万歳! 万歳! 万歳! |
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2014年04月10日
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公開された教育勅語原本(右)と謄本
戦前、小学校で奉読していたのが「教育勅語」です。戦前教育を受けた方は今でもこれをしっかり奉読出来る方が多いです。そういう意味でも教育というのはすごいものだと思います。
しかし、戦後の占領政策で日本を壊すために日教組がつくられると「戦前は教育勅語をはじめとした軍国主義が教育現場に介入し、子供たちを洗脳し、教師が弾圧し、暗黒の全体主義教育が行われた」と言って教育勅語を封じ込めてきました。しかし、日教組の教師は教育勅語を読んだことがある人はほとんどいません。読みもしないで表面だけ見て「軍国主義の洗脳教育の象徴」と言い切っているのです。どちらが“洗脳”されているのか、ということです。
日露戦争で乃木大将が旅順を落とした時、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領は日本からロシアとの調停のためにアメリカに派遣されていた金子堅太郎子爵に「あの強固な要塞を落とせるのは世界でも日本くらいであろう。我々はもとよりヨーロッパでもあの要塞を落とせる国はないであろう。乃木将軍は実に見事である」と絶賛しました。
そして、1905年4月2日、いよいよロシアのバルチック艦隊が日本に近づいている時、アメリカではなぜ日本軍が強いのかという疑問が出てきて金子堅太郎がニューヨーク・カーネギーホールで講演をしました。この講演で金子子爵は「日本には明治天皇から賜った教育勅語と軍人勅諭があります。これが日本の強さであります」と言い、「それはどういうものか?」と聞かれると、英訳して紹介しました。その評判は非常によく、各国の教育者がこの英訳文を金子子爵の元に貰いに来たくらいです。
そして、大東亜戦争後、日本の敗戦とともにアメリカ占領下で真っ先に教育勅語は廃止されました。アメリカは日本弱体化には何をすればよいのかを日露戦争の時から知っていたのでした。
今回、その教育勅語の原本が52年ぶりに確認されたという。平成24年、東京・上野の東京国立博物館の書庫にあるのを職員が確認、当時のメモなどと照合し、原本と判断したという。
これは大正12年の関東大震災で文部省の庁舎が焼けた際、強い熱を受けて変色するなど損傷が激しく、明治天皇の御名御璽(ぎょめいぎょじ)のある後半部分が開けない状態のままです。歴史的な資料として国立公文書館に移管し、修復のうえ公開されるという。
下村博文文科相は8日、教育勅語の原本が確認されると、「教育勅語には至極まっとうなことが書かれており、当時、英語などに翻訳されて他国が参考にした事例もある。ただしその後、軍国主義教育の推進の象徴のように使われたことが問題だ」と述べました。
また、戦後教育史が専門の貝塚茂樹・武蔵野大教授は「教育勅語には万国共通の普遍的な価値が示されている。結局、天皇に否定的なGHQ民政局の圧力で排除され、“軍国主義教育の象徴”とみられるようになったが、戦後はその内容についてほとんど検証されることはなかった。いわば問答無用で教育勅語が否定されるとともに、道徳教育そのものも敬遠され、それが学校教育の荒廃につながっているとみる意見もある」と述べています。
昭和21年、教育勅語はGHQの意向で奉読停止となり、昭和23年に衆議院と参議院で排除・失効され、全国の小学校の奉安殿から教育勅語の謄本を回収し、多摩川の河原に集めてすべて焼却処分されました。
しかしよく考えてみて下さい。教育勅語というのは明治天皇のご詔勅です。ご詔勅は天皇陛下のご詔勅によってしか消すことはできません。陛下のご詔勅を国会で消すことはできないのです。そういう意味でも正式に言えば教育勅語を廃しているのは無効であるといえるでしょう。
国民が教育勅語を奉読して、この意味することを理解し、実践していけば、日本は本当に正しく変わっていくこと間違いないでしょう。
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