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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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戦後教育とは

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明治41年4月東京市小川尋常小学校(男女合併六年制)授業風景


毎日のように新聞、マスコミ等で報道される殺人、詐欺、イジメ、自殺。これらを一括りに「社会の荒廃」といいますが、なぜこうなってしまったのでしょうか。
戦前日本を訪れた諸外国の識者は、一応に治安がよい、礼儀正しい、親切、聡明、勤勉、と評しています。
なぜ、戦後こうなってしまったのか戦後教育に関して考えてみたいと思います。
 
「戦前教育」の優れていた点
本ブログでも幾度か紹介させていただきましたが、戦前は、明治天皇陛下より下賜給わった、「教育勅語」によって国民に分かり易く「教育の目的」が示されていたのです。
 「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々美ヲ済セルハ我カ國体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ茲ニ存ス」の一節にあるように、教育の目的は、「忠孝」など人としての徳目を身につけることなのであり、そもそも、一国の道徳は、永いやまと民族の歴史の営みを通じ醸成されたものであって、これを次代の国民に連綿と継承させるのが教育の最大の務めであります。
教育勅語は、よい日本人として如何に生きるべきか「人の道」を家族から友人、社会、国家という広がりの中で具体的に明治天皇陛下がお示しになられたものです。
教育勅語にお示しになられた原則を補完する為に「修身教育」がおこなわれました。
本ブログでも修身教科書は幾度かご紹介させていただきましたが、日本の偉人のみならず、世界の偉人、の生き方を具体的に教えました。
また、教育が国家政策の中心であったからです。
これは、義務教育の教員を大事にしていたことからも窺えます。義務教育の教員養成は、軍関係の陸士・海兵と同様、授業料免除の上、手当が出され、正教員免許は、師範学校卒業生だけに出されました。大卒であっても義務教育の正教員資格は与えられませんでした。
また、兵役が短縮されるなど優遇されていました。
 
「戦前教育は国語教育重視」
戦前の時間割では、国語が小学校四年生までの総授業時間の約半数を占めており、国際的に見ても傑出していました。
現在見られるような「教科の平等」ではなく、あくまでも国語重視でした。
その理由は、母国語こそが全ての知的活動の基盤であり、表現だけでなく思考そのものが国語を通じて行なわれる。国語力なくして算数も理解できないとの基準でした。
言葉は人間のすべてといっても過言ではありません。
言葉を身につけるのは、小学校間が最も適していたからです。国語による読書を通じ、情緒や道徳を学ぶことができ、古典・詩歌を読むことで、感情、情緒が養われ、家族愛・郷土愛・祖国愛・人類愛が養われていったのです。
過去、現在においても、「言語を一定期間奪われると民族は亡びる」と言われています。なぜなら、民族としての情緒、道徳、文化、伝統の中核に母国語があるからです。
これは、世界の歴史が証明しています。
戦前世代の方々の国語力はここから生まれています。
誇りある文化を失いつつある日本、荒れ果てた民心、青少年の著しい学力低下、といった現状を考える時、小学校国語の質と量にわたる飛躍的充実は、日本再生のための不可欠な第一歩です。
 
「戦前の「複線型」学校制度」
複線型であった戦前の学校制度は、今日の「単線型」の学校制度よりはるかに優れており、人それぞれの志向に合った学校制度でした。
「複線型」の学校のため、子供自身が自己の能力・志向に合った学校を選ぶことができ、「待避線」もあるために余裕を持って進学でき、中学校入試に力不足であった子供でも、高等科で勉強して中学に入り直すことができました。
現在の平等を謳う教育よりも、戦前のほうが落ちこぼれをださず、英才を輩出したシステムがこれだったのです。
現在のように、東大一辺倒ではなく、専門分野毎に頂点の学校が複数存在したからです。
また志望者は、上級校への進学もでき、例えば、師範学校卒業生は、高等師範進学さらに、文理大への進学ができた。仕事で学費をえて進学することもできたわけである。そのようなコースを経た大学教授の方が昭和五十年代まで学部教育に携わっておられた。当時の教育学部には、児童・生徒と学校現場を知り抜いた「師範出身」の教授が、学部学生を指導して、より実際的な教員養成が可能にしていました。
実によく考えられた教育システムです。
英国の学校制度は、戦前の日本と同じく「複線型」です。
英国が、一旦「英国病」にかかり衰退しながらも、近年、見事に復活して活力を取り戻していることからも戦前の日本教育がすばらしかったかが明らかです。
 
「戦後教育の問題点」
 
「教育勅語放棄」
「教育勅語」放棄が、「道徳崩壊」に繋がった。すべての根本はこれにあります。
教育勅語は、国民精神の基盤であったのですから当然の結果ですが。
明治天皇の御代に、日本が僅かな年月の間に西欧列強に伍して近代法治国家たりえたのは、「帝国憲法」と「教育勅語」の両輪があってこそです。
戦後の日本は、敗戦ショックとGHQの指令により、「帝国憲法」「教育勅語」をあっさり放棄してしまいました。
戦後四十年にわたる日本の繁栄は、教育勅語の精神を持つ世代が生み出したもので、教育勅語の精神を持つ世代が引退した頃(昭和五十年代後半)から、あらゆる分野においておかしくなり、日本は経済、文化、精神とも衰退への道辿っているようにおもえる。従って、戦後の「教育勅語」排除こそ、今日の国家衰退の一大誘因であり、惜しみても惜しみきれません。
 「教育勅語」には、世界に通用する徳目が述べられている。これを放棄したことによって、戦後日本においては、徳目を教えることさえ困難な現状です。教育勅語排除によって、日本の教育現場から「道徳」が抹殺されたといっても過言ではありません。
 

教育勅語




修身教科書


昨今の教職の場にある者の権利・主張を振り翳す訴訟が後を絶ちません。
情けない限りです。国旗・国歌を巡る論争、訴訟、これでは教職にある立場の人としての資質を疑うよりほかなりません。
かつて日本人は時代を超えて、助け合いの精神、誠実、我慢強さなどの、美徳とされるすぐれた国民性・わきまえを身に付けていました。大東亜戦争終戦、占領下にあって歴史の断絶を余儀なくされ、心の座標軸を失った戦後社会は、古くから受け継いできたこれら日本人特有のたたずまいを、時代遅れのものとして切り捨ててしまいました。
戦後教育の中で、教育現場の主流を占め続けた「左派」は、国定教科書4期・5期の軍国主義的傾向をことさらに強調し、修身科を全面否定し、戦前の70年余りを暗黒の時代として描いています。
しかし、教育現場の主流を占め続けた「左派」が作り上げた今日の日本はどうでしょうか?
余りにも無茶苦茶です。教育という体すら成し得ていないのが実情です。


「焼き場に立つ少年」ジョー・オダネル

昭和20年8月9日午前11時02分、長崎に原爆が投下されました。原爆は浦上地区の中央で爆発し、この地区を壊滅させました。被災して亡くなった方々の遺体を焼いているところに、幼い兄弟を背負い、はだしで、歩いてきた少年。

男の子は泣いちゃいけない、精いっぱい、涙をこらえて、直立不動の姿勢をとり、唇に血がにじむほど、歯を食いしばっていた少年。、凛とした面構え、こんなちいさな少年でも、その頃の日本人は立派な、サムライでした。

この写真を撮影した、従軍カメラマン「ジョー・オダネル」は当時を次のように述べています。

「佐世保から長崎に入った私は、小高い丘の上から下を眺めていました。

10歳くらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中にしょっています。

しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意志が感じられました。

しかも足は裸足です。少年は焼き場のふちまでくると硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。

少年は焼き場のふちに、5分か10分も立っていたでしょうか。

白いマスクをした男たちがおもむろに近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。

この時私は、背中の幼子がすでに死んでいることに初めて気づいたのです。

男たちは幼子の手と足を持つとゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆいほどの炎がさっと舞い上がりました。

真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。

その時です、炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気がついたのは。

少年があまりにきつく噛みしめているため、唇の血は流れることなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。背筋が凍るような光景でした。


この写真が伝えるのは戦争の悲惨さだけでなく、筆者が強く感じるのは、戦前教育の素晴らしさなのです。
なんと素晴らしい教育をこの子は受けてきたのか、なんと素晴らしい親だったのだろう、なんと素晴らしい社会環境で育ったのだろうと・・・
同時に日本という国は何と素晴らしい国だったのだろうと・・・

近年、学級崩壊、モンスターペアレント、モラルハザードが社会問題となっています.
原因はどこにあるのでしょう?
上記にも述べていますが、教える教師に問題があるのです。

戦前に重視され、戦後軽視され蔑ろにされてきた物、それは道徳教育です。
明治以降教育の根幹を為した「教育勅語」「修身」です。
戦後、日本人を骨なしにする為に、GHQの意向により廃止してしまったのです。

「教育勅語」「修身」世代は80代となり、現在、戦前教育を知らないで育った人ばかりです。戦前教育を知らない世代に教育された子供達が、親となり、孫を持つまでになっています。
その様な両親とその両親のもとに生まれ育った子供達が、教師となり、道徳観念を欠いてしまっているのも至極当然の結果なのです。


「こころのノート」より



筆者は建設業を営んでいますが、概ねの工事には測量が必要です。
座標にて管理していますが、座標測量は自身がいる位置、機械点と基準となる方向点が解らなければ測量は成り立ちません。
道徳教育こそが、座標軸の役割を果たしているのです。座標軸がないと、どこにいるのか分からなくなります。人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳です。筆者は、こうした情緒を含む精神の形として「教育勅語」「修身」を改めて基軸とすべきと考えます。

筆者が尊敬してやまない「さくらの花びら」大兄が毎日、「五箇条の御誓文」「教育勅語」を暗誦されています。暗誦することにより、日本人としての基軸、「誇り」が生まれます。それが、愛国心ある、素晴らしい記事となって生まれると推察します。

戦前の日本人は、「五箇条の御誓文」「教育勅語」の暗誦は必須でありました。
こうした素晴らしい環境から、偉人が生まれたのです。
教員免許更新講習には、道徳教育もされているようですが、悪しき思想に染まったものはなかなか改善されません。
前にも書いていますが、「教育勅語」「修身」世代は80代となり、現在、戦前教育を知らないで育った人ばかりとなり、戦前教育を知らない世代に教育された子供達が、親となり、孫を持つまでになっており、学校教師も勿論含まれます。
「教育勅語」「修身」は戦後を境に断絶しています。

いさをある 人を教の 親にして おほしたてなむ 大和撫子 

立派な人格者を得て、教育の重任に当たらせたいとの明治天皇陛下の叡慮を現した御製です。「やまとなでしこ」は、日本の少年・青年に例えられたもの。
「おほしたつ」は、養い立つ、教育し立つの意。
「いさをある人」は、名誉ある人、立派な人格者、人の儀表たるに足る功勲ある人のこと。
「教の親」は、校長や教師のこと。
明治天皇陛下が教育に御熱心であらせられたことは今更申すまでもありませんが、この御製を拝し、冷や汗 背 ( せな ) に 洽 ( あまね ) く 恐懼 ( きょうく ) にたえぬ思いです。


堕落した教育者こそ、「教育勅語」「修身」が必要なのです。

 

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