ここから本文です
日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]

人気ブログランキングに参加しています。
 読み逃げされませんように、まずはここをポチッとお願い申し上げます。
イメージ 2
 
 
イメージ 3 
 
イメージ 1
 
 
111日(土)、TBSで「2013ミス・インターナショナル世界大会 世界の頂点に立つ美の親善大使が決定!」を放送しました。
これは吉松育美さんを完全排除するための「ミスインターナショナル特集」です。出演はバーニングの藤原紀香と土屋巴瑞季、TBSの井上貴博で、吉松育美さんを意図的に外したという。谷口元一の執拗な嫌がらせはまるで朝鮮人のようです。都合が悪くなると隠れて、そしてまた女を食い物にする。それは創価学会、在日、ヤクザをバックに芸能界を食い物にしている事実がまたひとつ明らかになったのです。
 
ミス・インターナショナル2012グランプリの吉松育美さんは大会に優勝して1年、大手芸能事務所「ケイダッシュ」の谷口元一から執拗な脅迫やストーカーを受けています。これはご自身のブログで発信されて知られるようになりました。
 
日本テレビの「バンキシャ!」の撮影終了後、吉松さんは谷口が別の番組のパスを使って侵入し、彼女の腕を掴み強制的にスタジオの外に引きずり出そうとしました。
また吉松さんの仕事場に現れて契約を破談にしたり、探偵に吉松さんの自宅を調査させて、ある日にはスーツ姿の男性に部屋の窓から覗き見写真を撮られたという。さらにはミスインターナショナル日本人初の世界一としての最後の役目をも奪われてしまいました。
 
また谷口元一(下画像)は吉松さんの両親に脅し電話・郵便物を何度か送りつけて家族を恐怖に陥れました。その手口はこうです。
「私は心配しています。娘さんが彼女のようになることを心配しています」と話したといいます。この電話については吉松さんは、「あたかも心配しているような口調で言っているが、それは私や家族にとっては、『自殺することになる』『川田亜子さんのようになるぞ』という脅迫のメッセージにしか聞こえなかった」と憤った。この会話は録音されているという。(2012.12.16 J-CASTニュース)
 
イメージ 2
 
吉松さんは「このようなことが一年間自分自身の身に起こり、今も、何が起きるか分からない恐怖から逃れられず、自宅ですら一人安心してはいられません」と言っています。
かつては元TBSのフリーアナウンサー川田亜子さんが「ストーカーに怯えていた」と言われて亡くなっています。手口も似ているので吉松さんも身の危険を感じるのは当然です。
 
今年18日の吉松さんのブログにはこう書かれています。
「私個人の状況としましては、警察には30個以上の証拠を提出しているにもかかわらず、警察からの受理の報告を未だに待っている状態です。また、裁判所に対しては12月頭に身の安全を確保するために仮処分申請を行いましたが、一ヶ月経っても未だに仮処分がおりることを待っている段階です。
裁判所では思わず感情的になり『この期間の間に、身に何かあったらどうするのですか?!』と言うと、裁判官に眉間にシワを寄せられ『それは弁護士の先生方に相談してください。』と言われる次第で、頼れるのは自分しかいない。と肩を下ろして裁判所を後にしたこともありました」
「私の自宅に侵入した執行官の件の調査も進んでいます。裁判所からは『お願いだから、この件は無かった事にしてくれないか』と連絡が入ったりと…、
言葉にも出ないこの現状。被害者からしてみれば、『なかったことに』なんてできるはずがないのに。きちんと調査をしていきたいと思います」
 
昨年1216日、日本外国特派員協会で吉松さんはこれらのことについて涙の会見をし、海外の記者たちは自国のニュースに取り上げましたが、日本のマスコミはまったく取り上げませんでした
 
被害者になってから気がつく、恐怖、不安、切望。すがる思いで警察へ行き、最後の手段と思って裁判所へ行き、今に至ります
この問題は、ストーカー問題に始まり国際文化協会が下した判断は女性の人権問題として注目され、日本のマスコミの情報操作に世界から疑問をもたれ、芸能界と反社会組織の繋がりを問題視され色んなものがかかわり合い、 日本社会の問題が露骨に現れた一件です。」
 
創価学会員・谷口元一は芸能界のドンといわれ、周防郁雄と川村龍夫の後ろ盾で、芸能人を食い物にしているといわれています。言うことを聞かない人間には脅迫、嫌がらせ、しまいには自殺に追い込むまでやるのです。
芸能界と創価学会、在日、ヤクザのつながりまで問題になるこの事件を、マスコミは一切報じません。報じることが出来ないのです。
日本の警察も司法もマスコミも、すべてあてにならないことが明らかになりました。
ならばネットで拡散して参りましょう。吉松さんを自殺に追いやらないためにも、こういう時にこそネットが力を発揮していくべきです。
 
 
 
---------------------
吉松育美ブログ(平成2618日)
ここに私が署名をつのるリンクを貼るので、クリックしたらサイトへいきます。
みなさんの気持ちをこの署名に託し、社会に広めてほしいです。
やるからには今までに無いスケールで、全国の皆さんが参加できるキャンペーンにしたいと思います。
https://www.change.org/ja/キャンペーン/stalker-zero-被害者が守られる社会へ
----------------------
 
・・・・・ 
人気ブログランキングに参加しています。
吉松育美さんを守ろう、と思った方はここをポチッとお願いします。
イメージ 2

転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

「絆」はお国柄




長野県小谷村にある人口の7割が65才以上の限界集落大網地区。先祖伝来の地、大網に生きて行こうと­決心した二人の門出です。
都会、都会へと流されて行く昨今、微笑ましい光景です。
装飾は仲間たちが、料理は地元のおばちゃん達が作り、姫川太鼓が鳴り響き、村を行列す­る様は、日本の古き良き「絆」です。








冒頭の映像の夫婦が住む大綱の火まつりです。
厳しい冬が終わり、春が来る節目の頃に、1年がよりよい年であるよう、雨飾山の神様にお願いするためのお祭りです。
「大網火祭り」は霊山「雨飾山」に­鎮まる神・仏・先祖の御霊を祈り招く。神々の使いの鬼と、神を迎える巫女が家内安全・­五穀豊穣を願い舞い踊り、銀の雪景色に、かがり火の灯りの幻想的な景色の中、神様を迎えます。

 毎年2月第2土曜日に開催され、今年は2月8日に行われます。


右より伊弉諾神(いざなぎのかみ)伊邪那美神(いざなみのかみ)
 
 
 神前結婚式の始まりと由来ですが、神代(かみよ)の時代にまで遡ります。
日本の神話の中で、天地開闢において神世七代の最後に性別を持って生まれた男神を、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)女神を伊邪那美命(いざなみのみこと)といいます。二柱の神は、別天津神(ことあまつがみ)たちに漂っていた大地を完成させることを命じられました。
別天津神たちは天沼矛(あめのぬぼこ)を二神に与えられ、伊邪那岐・伊邪那美は天浮橋(あめのうきはし)に立って、天沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜられ、このとき、矛から滴り落ちたものが積もって島となった。この島を淤能碁呂島(おのごろじま)といい、兵庫県の淡路島であると言われています。
二神は淤能碁呂島に降立たたれ、天之御柱を建てられ、伊邪那岐命が「私と貴方と、この天之御柱を廻って結婚しましょう。貴方は右から廻り、私は左から廻り逢いましょう」という約束をし、出会ったところで「なんとまあ、かわいい娘だろう。」「ほんとにまあ、いとしい方ですこと」と呼び合って結ばれたという記述が『古事記』、『日本書紀』一書第一などにみられます。これが結婚式の起源ともいわれています。
 
平安時代には、源氏物語にも見られるように、男性が女性の元に、あるいは女性が男性の元に通う通い婚の時代でした。夫が妻の元に通う場合は妻問婚(つまどいこん)ともいいます。
通い婚の時代での天皇陛下においては、女御(にょうご)と家族が入った宮中の殿舎に、天皇陛下が三夜しのんだ後発見されたという「露顕(露見)」(ところあらわし)という宴を行いました。これが現在の披露宴に該当します。
現在、露見とは、秘密や悪事など隠していたことが表に現れること。ばれることなどを意味しますが、当時の日本女性は結婚する相手以外の男性には顔を見せないという習慣があったことから、「露顕(露見)」(ところあらわし)に至ったのです。
女御とは、天皇陛下の後宮の身位の一つで、天皇陛下の寝所に侍し、位は、皇后・中宮に次ます。桓武天皇陛下のとき紀乙魚(き の おとな)・百済王教法などを女御としたのに始まり、はじめこそ位は低かったが、その位は次第に高まり、平安時代中期以降、皇后陛下は女御から昇進する慣例となりました。最後の女御は孝明天皇陛下の女御である九条夙子(英照皇太后陛下)。
民間においても、平安期の結婚は男性が女性の下に三夜続けて通う形式であるが、女性の家ではその間訪れる男性と従者を接待し、3日目には露顕(ところあらわし)という披露宴が行われ、新郎新婦が披露される。列席者は妻側の関係者のみに限られていました。
 
平安時代の半ば以来、武士の間で女性が男性の家に入る嫁迎え婚が行なわれるようになりました。
元来武士の生活は素朴・質素を信条として武士は同格の相手を求めるのですが、結婚したからといって自分の土地を離れる訳にはいかないので、自然と女性が男の家に入るようになりました。
しかし公家では伝統的に婿取り婚であるので、公家と武士の間での結婚では問題が生じたが、武家が台等し、力を占めるようになると、公武からなる嫁入りが行われるようになっったのです。
 
(永禄6年)に来日し、安土桃山時代の日本の記録を残したルイス・フロイスの書簡によれば、「日本では結婚式をおこなわない」と記述されていましたが、しかし、 この時代も有力な武家の婚礼は盛大に行われた。また、高台寺では当時、下級武士だった木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)とねねの結婚について、「土間に藁を引き、その上に薄い敷物を敷いただけのささやかな祝言」を挙げたという記録が残るなど、当然この時代においても身分によらず婚姻に際しての儀式、すなわち結婚式は行われていました。
 
婚席に神々が臨在するという考えは中世の床飾りから見られ、江戸中期の貞丈雑記に明文化された。新郎の自宅に身内の者が集まり、高砂の尉と姥の掛け軸を床の間に掛け、鶴亀の置物を飾った島台を置き、その前で盃事をして結婚式をする、いわゆる祝言が行われていました。
家の床の間は神様が居るとされる神聖な場所で、掛け軸や島台も神さまの拠り所でもあるとされ、当時から結婚式は神道と密接な関係がありました。
民俗学者の柳田國男著の『明治大正史』及び『婚姻の話・定本柳田國男集15』によると、少なくとも幕末から明治初期までの庶民による結婚式は、明治以降に確定した神前式の形式とは同じではなく、自宅を中心とし、婿が嫁方の実家でしばらくの間生活するという「婿入り婚」と呼ばれる形式であった。
この際、新婚生活の初日に嫁方の家で祝いの席がもうけられることがあったが、夜の五つ(午後9時頃)から行われることが多く、同じく柳田氏によると、江戸時代であっても、同じ村内の者同士が結婚する場合には祝言が行われないか、あるいは簡素なものであったが、村外の者と結婚する例が増えてくるに従って形式が複雑化し、神前式に近いかたちになっていた、と述べる。また、庶民の結婚式の場合は、神職が吟ずる祝詞より、郷土歌や民謡、俗謡を歌うことが多かったとされる。祝詞であっても、現代の神前式のように「天津祝詞」が吟ずられるようになったのは明治以降のことです。
 
現在のような神社における結婚式の形は明治三十三年五月十日、皇室婚嫁令により皇太子であった大正天皇陛下と九条節子姫(貞明皇后陛下)が宮中賢所大前において執り行われたご婚儀が、大きな影響を与えました。
これを大々的にマスコミが報じたのを受けて、日比谷大神宮(東京大神宮)が神前結婚式を挙げ、話題になった。しかし神前結婚式が民間に普及したのは、大東亜戦争後でした。
神社での結婚式だと、披露宴の場は他に設けなくてはならない。いち早く帝国ホテルは、大正12年関東大震災で焼失した日比谷大神宮を分祀し、ホテル内に祀り、美容室と写真館も取り入れて、挙式と披露宴を一体化させました。ホテル・ウエディングのはしりです。
現在広く行われている神前結婚式は、日比谷大神宮の創始によるものであり、それらを踏襲しています。
 
納采の儀 (のうさいのぎ)とは皇室の儀式のひとつですが、その淵源は、古く仁徳天皇の時代に遡ります。皇族が結婚するにあたって行われるもので、結納の起源となりました。
神前結婚式に見られる固めの儀式のひとつ、三三九度(さんさんくど)は、三献の儀ともいい、男女が同じ酒を飲み交わすというもので、初めに女性が三度、次に男性が三度、最後に女性が三度の合計九度飲む儀式で、陽の数である三や九が用いられた。
お神酒を一つの器で共飲することにより一生苦労を共にするという誓いを意味しています。古代の婚礼には、嫁になる人が婿になる人に対して、盃を捧げるということが重要な儀式の中心になっていたようです。三々九度の起源とも言われている応神天皇の物語があります。応神天皇が山城の国であった美女に、その名を尋ね彼女は矢河枝比売と答えたため、(名前を答えるというのは求婚に応じる意)天皇が翌日その家へ行ってみると、彼女の父は娘に天皇に仕えるように諭し、彼女はご馳走を用意し応神天皇に御盃を捧げ、天皇は歌を歌われたと言われています。つまり、これが後の三々九度の杯のはじまりと言われています。
三三九度は、我国固有の共食信仰で、同じように飲み同じように楽しみ、同じものを食べ合ったということが神を媒体にして魂を共通に持ち合ったという同族意識の確認行為であります。
現在でも、「同じ釜の飯を食う」というのは、共食信仰の由縁です。

冒頭の伊邪那岐命(いざなぎのみこと)伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神様のように、深く結ばれ、また新たな命を生み、育み、次世代へ受け継がれていく、結婚式にはそんな願いが込められています。

最近では、結婚式さえも簡素化し、結婚式さえも挙げないという若者が増えています。神前結婚とは、神々に祈り、誓い、神代の時代から連綿と続いてきた、営み、文化を継承し、お国柄を受継いでいくことです。
習わし、仕来りは、面倒くさい古臭いと思いがちですが、受 ­継がれているからこそ、日本人なのです。
畏くも天皇陛下、皇室は日本の灯が消えないように代々日本の魂 ­を受け継いでおられるのです。日本人は努々(ゆめゆめ)それを忘れてはなりません 。
 
 

全1ページ

[1]

アメブロにタイトル同じで移行。
アメブロにタイトル同じで移行。
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31

Yahoo!からのお知らせ

友だち(51)
  • MYU
  • naomi_shararan
  • 無法松
  • Mr.Spock
  • 違法めいわくをなくそう
  • 高く支持します板野友美、島崎遥香
友だち一覧

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事