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天上の神々と地上の人間を結ぶ梯子だったといわれる「天の橋立」
神々のふるさとは、天へ通じる道を信じ、祈りを捧げてきたのです。
宮津湾と阿蘇海を二分する砂州「天の橋立」は、「日本三景」の一つに数えられ、古くから文人や画家、為政者などが訪れる名所として知られ、平安時代の百人一首の小式部内侍の歌「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天橋立」がみられます。
この砂州は、約4000年前、海流により流されてきた砂礫(されき)が海中に堆積してできたものとされていますが、いにしえの人々は海にのびる一本の道を、神が架けた橋だと考えたのです。伝説では、天上の男神(イザナギノミコト)が地上の真名井原にいる女神(イザナミノミコト)のもとに通うために架けた天上と地上を結ぶ橋が大神が寝ている間に倒れて現在の姿になったとされています。もともとは、元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)の境内であり参道でした。この地は神々とゆかりが深く、神代の昔、豊受大御神(現在の伊勢神宮外宮祭神)も奥宮真名井神社に鎮座しました。 例祭「葵祭」では、今でも冠に豊受大御神ゆかりの藤の花を挿します。神々のふるさとは、神々が遷った後も変わらず、祈りを捧げてきたのです。
籠神社は、お伊勢さんのふるさと、伊勢神宮の元宮とされ「元伊勢 籠神社」と呼ばれています。 彦火明命を主神とし、相殿に豊受大神・天照大神・海神・天水分神をお祭りしています。
奈良時代に丹後国の一宮となり、平安時代の「延喜式」には名神大社となりました。籠神社は、山陰道唯一の大社であり、最高の社格と由緒を誇っています。 社殿は、伊勢神宮と同じ唯一神明造りです。文化財も多く、本殿は弘化2年(1845年)の造替で京都府指定文化財建造物、宮司家である海部氏の系図は彦火明命を始祖(初代)として82代の現宮司までの名が伝えられています。また海部氏一族が丹波国造を担ったとも伝えており、系図はわが国最古の系図として国宝に指定されています。重要文化財・石造狛犬(鎌倉時代)には、剣豪岩見重太郎に前足を切られたという伝承が残っています。 籠神社の奥宮で、主祭神は伊勢外宮と同体の豊受大神。こちらから伊勢に遷されたと伝えられています。
豊受大神は、古代、丹波地方で稲作農耕の祖神ともいわれ、奥宮の眞名井神社(吉佐宮)に祭られておりました。 眞名井神社は静寂としており、いかにも古社らしく、境内には天橋立をお造りになったと言われるイザナギ・イザナミ両大神を祭る磐座や、御神水「天の眞名井の水」があります。 筆者も幾度となく訪れましたが、素晴らしいところです。
わが国の美しい国土、神社仏閣、風土を知らずして海外へと旅する日本人。
残念でなりません。
美し国、日本がそこにあるのに・・・ 天皇(すめらぎ)彌榮(いやさか) |
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2014年01月26日
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韓国・外交部(外務省に相当)、日本語の独島HP・動画を公開 >我が方の政府が、日本語の独島(トクド)ホームページと動画を作って公開しました。独島は大韓民国の領土である事実をまだ知らずにいる、一部の日本人の理解を助けるためです。
バカ^^
この動画は「竹島」について、これまで韓国政府が主張していることを約4分間にまとめたものですが、竹島の歴史を知っていれば中学生でも論破できる内容です。
【動画】
大韓民国の美しい領土、独島
韓国政府は、動画の冒頭に日露戦争のシーンを入れていますが、これは日韓併合前に竹島を侵略されたと主張しているからです。
日本が竹島を島根県に編入したのは、日露戦争の最中の1905年です。
日本が日露戦争の勝利のために戦略的価値がある竹島を侵略したなどと主張する学者がいますが、事実ではありません。
【竹島に関する日韓・日露史】
1904年2月 日露戦争
1904年2月 日韓議定書
1904年8月 第一次日韓協約
1904年10月 バルチック艦隊、リバウ軍港を出航
1905年1月 旅順陥落
1905年2月 竹島を島根県に編入
1905年5月 日本海海戦
1905年9月 ポーツマス条約調印
1905年11月 第二次日韓協約
1905年12月 韓国総監府設置(初代統監伊藤博文)
1910年08月 韓国併合
韓国の竹島広報冊子「韓国の美しい島、独島」は、「日本政府が1904年の第一次韓日協約締結などを通じ段階的に侵略を行い、独島が初めの犠牲になった」と主張しています。
1904年8月23日、日本と韓国は「第一次日韓協約」を締結しました。
韓国は貧しさを極め、国防などでも国家が危機的状況だったので、日本政府の推薦者が財政と外交の顧問に就きました。
反日勢力や歴史を知らない日本人は、「韓国の外交権は制約を受けて、抗議できなかった」と主張していますが、事実ではありません。
1902年1月30日に調印・発効した、「日英同盟(日本と英国との軍事同盟)」の、1905年8月12日の「第二次日英同盟第三条」の条文について、10月に大韓帝国の朴斉純外相がこれを非難しています。
そして、駐韓イギリス公使と日本公使に抗議をしています。
大韓帝国は外交権をもって、日英に対して抗議が可能だったのですから、韓国政府の主張は成り立ちません。
・明治37(1904)年9月29日中井養三郎は「リヤンコ島領土編入並びに貸下願」を内務、外務、農商務の3大臣に提出したが、5月27、28日には竹島で中渡瀬仁助等隠岐の漁師がアシカ猟をしておりバルチック艦隊の数隻を目撃している
・軍事施設の可能性を指摘されていた仮望楼(見張所)は日本海々戦より後の8月に建設されたことが、海軍資料から確認された
・竹島近くで4隻のロシア艦隊が追撃した日本艦隊に包囲され投降したのは偶然の出来事だった
※結論 日露戦争と竹島の意図的関係は存在しない。
韓国政府は、1905年2月22日の日本政府の竹島編入について、「第二次日韓協約で外交権が剥奪された状況で無効だ」とも主張しています。
1905年(明治38年)11月17日、日本と韓国は、「第二次日韓協約」を締結しました。
第二次日韓協約により、日本は、韓国の外交を監理指揮するとされ、大韓帝国は日本の保護国になりました。
1906年2月〜4月に韓国は、蔚珍郡竹邊浦に日本海軍が建設した元燈台用地売買に関して、正式に日本の統監府に抗議をして承認させています。
韓国が竹島を自国領と認識していたなら、日本政府の竹島編入について、日本政府に対して抗議は可能でした。
しかも、日本の竹島編入は第二次日韓協約締結よりも前のことですから、韓国政府の主張は成り立ちません。
日韓併合前の1899年「大韓地誌」(大韓帝国の最初の地理の教科書)には、「大韓帝国の領域は、北緯33度15分〜42度25分。東経124度30分〜130度35分」と書いてあります。
竹島は、「東経131度52分」です。
1899年は下関条約の4年後で、第一次日韓協約の5年前、第二次日韓協約の6年前です。
韓国が他国の影響下にない、完全に独立をしていた時期の教科書です。
当時の韓国では、鬱陵島までを韓国の領土として、竹島は韓国の領土としていなかったのです。
韓国にある于山島が描かれている最も古い地図
1481
年に編纂された『東国輿地勝覧』付属の『八道総図』では、鬱陵島の西に于山島が記載されているが、実際には鬱陵島の西にこの様な大きな島は存在しない。彷徨い続ける韓国にある于山島が描かれる地図の一部。
于山国は鬱陵島だけのことで、韓国が竹島と主張する「于山島」は、鬱陵島の約2キロの海上にある「竹嶼(ちくしょ)」、韓国名の「竹島(チュクト)」のことです。
韓国の「于山島こそ現在の独島(竹島)」とは、「日本海」のことを「東海」と主張しているのと同じです。
つまり、朝鮮に「独島」や「東海」が存在したのであれば、朝鮮の古文献、古地図に「于山島」や「朝鮮海」ではなく、「独島」「東海」と記されたのです。
そもそも、「独島」という名称が初めて文献上に記されたのは、1904年の日本の文献です。
松島ニ於テ『リアンコルド』岩 實見者ヨリ聽取シタル情報 『リヤンコルド』岩 韓人之ヲ獨島ト書シ 本邦漁夫等 略シテ『リヤンコ』島ト呼称セリ (『軍艦新高行動日誌』1904年9月25日)
それまで、「独島」という名称は韓国の古文献、古地図になく、韓国の文献に初めて記されたのは1906年のことです。 韓国政府の動画には「竹島一件」も取り上げられています。
1693年に安竜福(アン・ヨンボク)が日本に密入国をしたことにより、「竹島一件」と呼ばれる鬱陵島をめぐる日本と朝鮮の領有権争いが起きました。
韓国は安竜福のことを、江戸時代に日本の松島(現在の竹島)を「于山島」だと主張し、日本に認めさせた最初の人物にしています。
韓国は、竹島領有権を日本に認めさせた英雄(将軍)として、鬱陵島には安竜福将軍忠魂碑、居住していた釜山には安龍福将軍像があり、安竜福財団を設立しています。
韓国が主張し続けている、安竜福(アン・ヨンボク)の数々の証言に信憑性はありません。
江戸時代には鬱陵島を「竹島」と呼び、現在の竹島は「松島」と呼ばれていました。
李氏朝鮮は1403年から鬱陵島の空島政策を実施して、朝鮮では同国民の鬱陵島への渡航を禁じていました。
日本に密入国した安龍福は、「鬱陵島と朝鮮本土の距離が30里(約12km)、鬱陵島と于山島の距離が50里(約20km)で、鬱陵島から于山島まで船でその日の内に着く」と証言しました。
しかし、実際の鬱陵島と朝鮮本土との距離は約140km、鬱陵島と現在の竹島(松島)の距離は約92kmと大きく食い違っている事から、安龍福の証言は嘘です。
また、安龍福は鳥取藩主と対座して直訴したと証言しましたが、当時の鳥取藩主は参勤交代で江戸滞在中でした。
当時、朝鮮側は「安龍福は漂風の愚民であって政府の関知するところではない」としていました。
後の対馬藩の「朝鮮通交大紀」には、安龍福が勝手に日本に提出した文書について、朝鮮側は「妄作の罪あり」としています。
対馬藩が朝鮮に宛てた文書には、「本国竹島」と記してあり、日本の領土の島であるという認識を示しています。
また、対馬藩の「朝鮮通交大紀」にも、1693年に朝鮮人が「我隠州竹島に来り」と、竹島が幕府直轄領の隠岐に所属することを表明しています。
1696年1月に幕府は、「無用の小島をめぐって隣国との好を失うのは得策ではない。ただ渡海を禁じればよい」と、日本人の鬱陵島への渡海禁止を決定しました。
その一方で、竹島への渡航は禁止される事はなく、当時から日本も朝鮮も、竹島を日本の領土だと考えていた事は明白なる事実です。
韓国政府は、竹島領有権について安竜福の証言を根拠にする「竹島一件」が、国際法的にも認められないことだと理解していません。
安龍福の虚言(備辺司での証言で不自然な点や明かな作り話)
•幕府が竹島(現在の鬱陵島)への渡航を禁じる旨を朝鮮の使者に伝えたのは1697年(元禄10年・粛宗23年)の正月だが、幕府が鳥取藩へ渡航禁止を伝えたのは1696年1月。安龍福が隠岐へ漂着したのは1696年5月。安龍福は日本人を追いかけて隠岐に漂着したと言っているが、日本人はこの時竹島には渡れない。もし幕府の命令を破り密かに渡っていたとするなら安龍福の言うように処罰されているはずであり、首謀者は当然死罪になっているはずである。しかし、村上家の文書には安龍福が隠岐に漂着して来た時の日本の役人の取調べの様子は細かく記録されているが、村上家や大谷家が処罰された記録は全く記載されておらず、鳥取藩や他の記録にも処罰された記録は全くない。
•日本人が松島に住んでいると言ったとある。彼は日本人を追いかけて島に上陸したとしているが、松島は明かに人が住める環境ではない。安龍福は日本人の言う松島のことを全く知らないまま松島を于山島だと思い込んでいる。
•松島は于山島で朝鮮領だとあるが、安龍福が日本に来たとき于山島を鬱陵島から北東に50里(約20km)離れた大きな島だと言っている。しかし実際の松島は鬱陵島から東南東に約92kmの地点にある断崖絶壁の小島であり、安龍福は松島の位置や大きさを全く把握していない。また当時の朝鮮の地図にある于山島も鬱陵島の北に描かれており、安龍福の証言以外松島に朝鮮人が来たという記録は全くない。
•安龍福は、日本の将軍から鬱陵島と于山島の朝鮮領有の書契をもらっているのに、対馬藩が勝手に朝鮮政府に対し何度も領有権を主張する使者を送って来ているように言っているが、そうではない。対馬藩は幕府の指示に従い鬱陵島の領有交渉を行っていた。(竹島一件)1693年に安龍福が連行されたのをきっかけに鬱陵島の領有権争いが幕府と朝鮮の間で発生したのであり、対馬藩と朝鮮の間で発生したのではない。つまり、そのきっかけとなった漁夫(安龍福)に将軍が鬱陵島や于山島の朝鮮領有を認める書契を出したはずがない。また、連行された異国の一漁夫に一国の将軍が島を手放す書契を渡すはずもない。
•安龍福は鳥取藩主と対座して直訴したと言っているが、当時鳥取藩主は参勤交代で江戸滞在中である。対馬藩主の父親がやってきて息子の死罪が免れないと言ったと言っているが、安龍福が連行された時の対馬藩主はその時既に若くして他界しており、その父親も参勤交代で江戸に滞在しており、江戸から出ることはできない。
韓国政府が日本語の竹島のホームページと動画を作って公開しましたが、捏造した歴史だらけの内容であり、日本政府は抗議するべきです。
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NHK籾井新会長「従軍慰安婦、どこの国にもあった」
NHK新会長の籾井勝人氏は25日の就任会見で、従軍慰安婦について「戦争をしているどこの国にもあった」と述べた上で、日本に補償を求めている韓国を批判した。従軍慰安婦問題を取り上げた過去のNHK番組に関連し、この問題に関する見解を問われ答えた。籾井氏は会見で放送法の遵守を語ったが、その放送法がNHKの番組に義務づけている「政治的公平性」を疑われかねない発言だ。
籾井氏は従軍慰安婦問題について「今のモラルでは悪いんですよ」としつつ、「戦争をしているどこの国にもあった」としてフランス、ドイツの名を挙げた。「なぜオランダに今ごろまだ飾り窓があるんですか」とも述べた。飾り窓はオランダにある売春街を指す。 さらに、個人的発言と断った上で、韓国についても「日本だけが強制連行したみたいなことを言っているから話がややこしい。お金をよこせ、補償しろと言っている。しかし、すべて日韓条約で解決している。なぜ蒸し返されるんですか。おかしいでしょう」と批判した。その後、会長会見の場であることを指摘されると、発言を取り消した。
NHKの海外向け国際放送については、尖閣諸島、竹島という領土問題について「明確に日本の立場を主張するのは当然。政府が右ということを左というわけにはいかない」と述べ、政府見解を積極的に伝える考えを強調した。 また、籾井氏は特定秘密保護法について「世間が心配していることが政府の目的であれば、大変なことですけど、そういういうこともない」「あまりかっかすることはない」と述べた。(2014.1.25 朝日新聞デジタル) ---------------
上の記事はNHKの新たな籾井勝人会長の就任会見です。
まず上の記事はYahooの「朝日新聞デジタル」ですが、オリジナルの「朝日新聞デジタル」とは同じ記事であるのに一部書き方が違う箇所があります。
「籾井氏は会見で放送法の遵守を語ったが、その放送法がNHKの番組に義務づけている「政治的公平性」を疑われかねない発言だ」
明らかにYahooの「朝日新聞デジタル」は脅しのような形で書かれています。同じ記事でなぜこの部分だけ違うのでしょうか。
朝日はこの記事には「従軍慰安婦」と書いていますが、同じ記事で産経新聞では「従軍」を付けずに「慰安婦」と書いています。
「慰安婦問題への個人的見解として、『今のモラルでは悪いことだが、当時の戦争地域には大体つきものだったと思う。(問題は)日韓基本条約で国際的に解決している。それをなぜ蒸し返されるのか』と述べ、韓国の対応を疑問視した。NHK会長が慰安婦問題に言及するのは異例」(2014.1.25 産経新聞より)
記事で朝日は軍属でもない慰安婦に「従軍」をつけています。今やちょっと勉強した日本人なら常識的に知っているこういうことを今も書き続けるとは恥知らずな朝日です。
朝日は「日本に補償を求めている韓国を批判した」と言って「政治的公平性を疑われかねない発言だ」と政治的公平でない朝日が書いています。
今まで散々偏向の反日放送で偏っていたNHKには「政治的公平性」とは言わずに、NHK会長として日本の立場として当たり前のことを発言した途端、「韓国を批判した」と言って「政治的公平性を疑われかねない発言だ」と問い詰めるのは甚だおかしいのです。今までのNHKのように日本をいくら悪く批判しても問題ないが、韓国を批判してはいけない、というのでは戦後GHQの言論弾圧と一緒です。朝日は今も実質戦後占領下と同じ状態だと勘違いしていないか。日本は今や占領下ではないことを朝日は理解すべきです。
籾井新会長は「日本だけが強制連行したみたいなことを言っているから話がややこしい」と言っていますが、強制連行は明確に否定すべきです。
昭和14年8月31日の東亜日報には「朝鮮人悪徳業者が朝鮮の農村で生活に困っている婦女子を満州の景気がよくなっていると宣伝して満州方面に100名以上売り飛ばした」とあります。慰安婦の強制連行と言うならばやっていたのは朝鮮人業者なのです。この女性たちを日本人刑事が探し出して救っていたのが実態なのです。
しかも日本軍は「慰安婦の募集に対し悪質業者の存在に充分注意し、婦女子の採用には問題がないように配慮を怠るな」と厳命していました。
この日本軍の注意喚起を朝日新聞は「慰安所軍関与を示す資料」と嘘を書いたのです。
するとこれを知った韓国が憤激し、当時の宮沢喜一首相は狼狽して韓国にまで行って8回も謝罪と反省を繰り返し、河野洋平官房長官が売国談話(河野談話)を出したのです。
昭和14年、国家総動員法により「国民徴用令」が制定されましたが、これには朝鮮人を除外していました。朝鮮人は「募集」で集めたのです。自ら働きたいと言って日本にやってきたのです。しかも朝鮮人は普通の軍需工場よりも給料のよい炭鉱や樺太(外地手当があった)に自分の意思で働きに行ったのです。
ちなみに朝鮮人に「国民徴用令」が適用されたのは昭和19年9月からです。これは同じ日本国民であった朝鮮人も日本人と同じ義務を負うこととしたのです。にもかかわらず朝鮮人の中には日本国民としての権利だけは主張して、こういう義務からは逃げた朝鮮人がいたので、捕まえられて日本に連れてきた朝鮮人もいました。これは国民の義務から逃げる朝鮮人が悪いのです。
慰安婦問題は朝日が焚き付けて、韓国は「これは金になる」と思って騒ぎだしたもので、韓国では「日本政府から賠償を貰って分け前を与える」と言って自称元慰安婦から年会費を募っています。つまりこれは韓国が政府を挙げたビジネスになっているのです。韓国人というのは大統領も議員も皆、国のお金を使って自分の懐にお金が入るようにします。国の負担が多くなろうが自分の懐の方が大切なのです。だから韓国はいつも財政難なのです。李氏朝鮮から何も変わっていないのです。
李明博大統領が技術がなにもないのにアラブに原発を激安で売り込んだ時、裏で韓国政府がアラブへ100億ドルも低利融資をしていました。その後、李明博大統領はなぜかアラブから表彰されて、副賞として50万ドルを貰いました。これがいわゆるバックマージンで、その後、大統領退任直前に歴代大統領と同じく任期終わりに豪邸を建てようとしました。これは李明博大統領が特別なのではなく韓国では皆同じようなことをやっている、韓国の国柄なのです。
朝日は他人事のように政治的公平を言うならば日本ばかり悪く書かないでこういうこともきちんと書くべきです。
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