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日本よい国、きよい国。 世界に一つの神の国。
降り積もる深雪(みゆき)に耐えて色変えぬ 松ぞ雄々しき人もかくあれ

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今日一月七日は昭和天皇祭です。
先帝陛下が崩御あそばされてから二十五年になります。
先帝陛下の御遺徳を偲び、皇室の彌榮を祈念します。



やすらけき世を祈りしもいまだならず
               くやしくもあるか きざしみゆれど
 
 
昭和六十三年に、「全國戦没者追悼式八月十五日」と題されて詠ませられた畏くも、昭和天皇陛下の御製です。
陛下最晩年の御製であり、公に発表された御製でこの後に詠まれた御歌は二首のみです。
畏くも、昭和天皇陛下のお嘆きの深さを痛感致します。
ご病状も進み、那須の御用邸でご療養中であられたにもかかはらず、八月十五日の『全國戦没者追悼式』にヘリコプターで移動あそばされ、御親覧あそばされたのであります。
畏くも、昭和天皇陛下はそれほどまでに戦没者に対する慰霊と感謝の思いをお持ちになっておられたのであります。有難き限りであります。
畏くも、昭和天皇陛下はこの2年前に、
 
 
この年のこの日にもまた靖國の
               みやしろのことにうれひはふかし
 
 
と詠まれあそばされ、必死の力をふりしぼり全國戦没者追悼式の壇上にのぼられたのであられました。
六十三年間もご在位になり、この全く異例の恐れ多い最後の國事に対しての御製になったことは臣下として全く申しわけなく思います。
出雲井晶さんは、「『やすらけき…』を拝誦しますとき、申しわけなさに身のちぢむ思いがするのは私だけではないでしょう。…國民みなが思し召しを自分の問題としてとらえ、無私の大御心をみならおうと努めるとき、現今の様々な危機的状況は次第に消えましょう。
わが國の本当の姿である『明き清き誠の心』がみなにあらわれ、わが國は新しくよみがえりましょう。天上にいます昭和天皇にご安堵いただける日のくることを祈らずにはおられません。」(『昭和天皇』)と書かれています。
 
大東亜戦争終戦後、先帝陛下はマッカーサーは戦後、11回にわたり会談あそばされた。
しかし、マッカーサーが解任されたとき先帝陛下はアメリカ大使館を訪問あそばされ、別れの挨拶をされました。
しかし、マッカーサー離日の日、GHQからの要請にもかかわらず、先帝陛下は見送りにいかず侍従長遣わされたのみでした。
昭和39年マッカーサーは84歳で死去し、バージニア州のノーフォークにはマッカーサー記念館が建設されました。
昭和50年、先帝陛下は訪米されました。このときマッカーサー記念館から記念館来訪と墓参の要請がきましたが、先帝陛下はこれを断りあそばされた。マッカーサーの未亡人から改めての要請の手紙がきましたが宮内庁はこれを拒みました。
  訪米あそばされた先帝陛下はワシントンの歓迎行事を前にウイリアムバーグで2日間の休養をとられましたが、この町からマッカーサー記念館まで車でわずか40分の距離にありました。それでも先帝陛下は記念館には出御あそばされませんでした。
GHQは民主主義を米国が日本に持ち込んだと盛んに刷込みました。
現在でもマッカーサー信者がわが国にも存在します。
しかし、訪米を前に外国人記者団に昭和天皇陛下は次のように叡慮を述べられています。
 
記者「戦後の日本の民主化、皇室自体の変化、婦人や労働組合の変化など具体的な問題をどう考えられますか」 
陛下「そのような動きを変化と呼べるかもしれません。しかし、日本の民主主義の基盤は、明治時代の初期にさかのぼるものです。わが国の旧憲法は明治天皇の『五箇条の御誓文』に基づいていました。私はこの五箇条が日本の民主主義の基盤であったと信じています」
 
明らかにマッカーサー及び、米国の悪意ある占領政策を否定された先帝陛下。
國父の大御心、臣民知らず、最も恥ずべきことであります。
國家のことに一身に背負われるのは、行政の長、内閣総理大臣でも、政治家でもありません。肇國以来、天皇陛下ただお一人なのです。
 
先帝陛下の御製、
やすらけき世を祈りしもいまだならず
               くやしくもあるか きざしみゆれど


心ある臣民の皆様には、今一度熟考いただきたい。


 
 
 
 

 
 
 


『 降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ 』

終戦の翌年詠まれた先帝陛下の御製です。
深い雪に覆われても時が来れば青々と茂る松の木を 雄々しき日本人に例え、今の苦しみを耐えて再び隆盛とならんと鼓舞されたもので、同時に日本人が日本人らしさを失わぬようにと願われたのです。

畏くも今上陛下におかれましても、先帝陛下と大御心は同じであられます。

国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された靖国神社。「靖国」という社号も明治天皇の命名によるもので、「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められています。
靖国神社には現在、幕末の嘉永6年以降、明治維新、戊辰の役(戦争)、西南の役(戦争)、日清戦争、日露戦争、満洲事変、支那事変、大東亜戦争などの国難に際して、ひたすら「国安かれ」の一念のもと、国を守るために尊い生命を捧げられた246万6千余柱の方々の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、すべて祖国に殉じられた尊い神霊(靖国の大神)として斉しくお祀りされています。
消防殉職者五千六百五十四柱、自衛隊殉職者千七百七十七柱(平成18年現在)殉職警官、千六百八十五柱(平成18年現在)彼らは皆、祖国、国民を信じ、悔いなく亡くなられた。
自己の命を捧げて悔いなきものをもつことこそ、悲しいことですが、生の最高の充実です。
多くの方々は「後は頼む」と残され亡くなられた。
はたして、残った我々は、「後は頼む」との約束を守っているでしょうか?
先帝陛下は決死の覚悟で国民を救われた。

『 降り積もる 深雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ 』

祖霊(それい)御霊となられた、多くの先人・先達は望まれているのではないでしょうか・・・




 

 
 
皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
 
 
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
 
 
 
 
天皇陛下、皇后陛下 万歳! 万歳! 万歳!



 

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靖国参拝「評価しない」が過半数
FNNがこの週末に行った世論調査で、安倍内閣の支持率は、50%台を回復した。一方で、201312月の安倍首相の靖国神社参拝を「評価しない」人が半数を超え、「評価する」を上回った。安倍内閣の支持率は、201312月より4.7ポイント上がり、52.1%と、2カ月ぶりに過半数を回復した。「支持しない」は、6.2ポイント減り、32.5%だった。

安倍首相が12月、靖国神社を参拝したことについて、「評価する」は3割台後半にとどまり、「評価しない」が半数を超えた。「評価する」理由としては、「戦争犠牲者に哀悼の意を示した」が最も多く、「外国に毅然とした態度を示した」が続いた。参拝を「評価しない」理由は、「外交的配慮に欠ける」が最も多く、「A級戦犯も祭られている」、「現職首相は参拝すべきでない」が続いた。

首相の参拝を非難する中国と韓国の姿勢については、7割近い人が、「納得できない」と答えた。また、「失望した」との表現を使ったアメリカ政府の声明についても、「納得できない」が6割近くにのぼっている。(2014.1.6 フジテレビ)
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安倍総理の靖国参拝については、TBSの「情報7daysニュースキャスター」では68%が支持、テレ朝の「朝まで生テレビ」は71%が支持でありました。そして、安倍総理の靖国参拝で安倍内閣の支持率もネットでは82%までになりました。
 
しかし、上にあるフジテレビと産経新聞の調査(1000人に聞く)では安倍総理の靖国参拝を半数以上が「評価しない」という結果が出たそうです。しかもその理由は「外交的配慮に欠ける」、「A級戦犯も祭られている」というマスコミ報道の主張をそのまま受け売りした理由です。
 
しかも上の記事は読むほどにおかしなことに気づきます。調査ではシナ・韓国の靖国参拝非難やアメリカの「失望」声明に67割の方が納得できないのに、靖国参拝も支持しないということです。つまり安倍総理は靖国に行くべきではないがシナ・韓国は総理の靖国参拝を非難してはいけないということです。この世論調査は辻褄が合わないのです。
 
思うに、マスコミは靖国参拝を安易に評価するとかしないとか簡単に調査していますが、そんな安易なものなのでしょうか。つまり調査するマスコミ、調査される国民の側にどれほど靖国に対して歴史的思いがあって「評価しない」とか「評価する」と答えているのかであります。
 
靖国神社に祀られている英霊の多くは大東亜戦争によって命を捧げた方たちです。そして、靖国神社のことを誰よりも深く思われていたのは昭和天皇ではなかったのではないでしょうか。
昭和天皇が靖国神社へ最後の御親拝となったのは昭和50年です。政治問題となったことが大きな要因でありましょう。そして、昭和天皇最後の行幸となったのは昭和63815日の武道館での全国戦没者追悼式でした。この年の6月から陛下は御食事も進まれず、那須御用邸でご静養の中にもかかわらず、どうしても追悼式には臨みたいとの強い思召しで、宮内庁も特別にヘリコプターをご用意されました。テレビに映った追悼式での無理を押しお通しなされた陛下の一歩一歩と歩む痛々しいお姿は今も忘れられない光景であります。そして、それから1カ月後の9月に不起の御病床につかれたのです。
 
終戦直後、昭和天皇の御製にこのような御歌があります。
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて
昭和天皇は御病床につかれた時、「歌の表現だけはきちっとさせておきたい」とおっしゃって、陛下の御歌の相談役であった歌人・岡野弘彦に推敲(すいこう:直すこと)するように持ちかけたのが、終戦直後のこの御歌でした。
岡野はこの時「陛下が最後まで気にされていたのはこの御歌であったのか」と驚き、「すでに発表されたあの形が一番結構だと思います」と陛下に申し上げたそうです。岡野は後に「陛下が最後まで沢山の者を死なせたことを悔しいこととして深く心にかけておられたのです」と書かれています。(平成4年「正論」12月号)
 
今から26年前の昭和6417日、昭和天皇が崩御された日であります。
下の動画をご覧になれば、先帝陛下が最もお嘆きあそばされたのは靖国のことであることがわかります。たとえ靖国へ御親拝できずとも先帝陛下のお気持ちは心ある国民が理解されていることでしょう。
 
 
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

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