岡山で20年前にフィギュアスケートに出会い、出発点でもあった故郷、岡山の地で高橋大輔選手は14日、現役引退を表明しました。高橋選手の決意に、地元関係者やファンらは「お疲れさま」と温かいエールを送りました。
また高橋選手のソチ五輪の6位入賞を祝う会が14日夜、スケートリンクのあるヘルスピア倉敷(同市連島町西之浦)で開催され、県内外から約500人のファンがつめかけた。この日昼に岡山市内で引退を表明した高橋選手に、ファンから「お疲れさま」「お帰りなさい」労いの声援を贈りました。高橋選手は「ただいま」と笑顔で応え、「(今後の進路が)どういう形になっても、応援してくれるとうれしいです」と答え、岡山でアイスショーをしてほしい」とのファンの要望にも「タイミングがあればできたらいいな」と応えました。
動画でインタビューに答えられているスケター高橋選手の「育ての親」の一人でもある、長光歌子コーチは中学卒業後、寝食を共にし、指導にあたられました。高橋選手が初めて長光コーチの家に泊まりに来た時の高橋選手のことを次のように回想されています。「先生、僕はここにくるまでにたくさんの人に支えられてきた。これからどんなふうに恩返ししたらいいでしょうか?」と聞かれたことを明かされました。
長光コーチはその高橋選手の感性に驚かされるとともに、高橋選手に次のように諭されました。
「あなたが頑張ることが恩返しだと」
支えてくれた皆さんの期待に応えるように高橋選手は世界王者まで駆け上がった。長光コーチは引退する高橋選手に「十分恩返しできたと思う。本当にお疲れさま」と労った。高橋選手を8歳でスケートの指導を受けたもう一人の「育ての親」佐々木美行さん、「生みの母」である高橋清登さんも高橋選手の新たな門出にエールを贈りました。
2008年3月31日、奇跡を起こした伝説のエキシビションの動画です。倉敷のスケートリンクが廃止決定になり存続を願う倉敷FSC他が存続を願う会を結成、全国からたくさんの応援をいただきスケート選手及びファンの熱い想いを込めたイベントを決行しました。高橋選手も支援に駆け付け、スケートリンクの存続を訴えた。
資金難で存続が危ぶまれていたアイススケートリンクなどの複合施設「大阪府立臨海スポーツセンター」(同府高石市)への支援を求め、募金活動をしていたフィギュアスケートの高橋大輔選手らが14日、府庁を訪問し、耐震工事費1億5千万円の寄付目録を松井一郎知事に手渡し存続に導いた。
アイススケートリンクが廃止されることは高橋選手らが練習拠点をを失うだけでなく、世界を目指す後進の夢を摘んでしまうだけでなく人材を失うことも意味します。
アイススケートリンク存続を働きかけ、後進に道を開いたのは高橋選手だけではありません。トリノ五輪メダリストの荒川静香さんもかって練習拠点としたアイスリンク仙台の窮状を救いました。
トリノオリンピックイナバウアーで世界を魅了した荒川静香選手がオリンピックのフィギュアスケートで日本人初の金メダルに輝いた直後の会見、荒川選手は世界のメディアを前にし、
「私が基礎を作り上げてきたリンクは閉鎖されてしまいまして、小さい子たちが練習場所を探すのに非常に困っている状況です…」
「リンクの状況が今後良くなっていくことをいつも願っています」と惨状を訴金メダリストの訴えは、一気に事態を動かしました。
宮城県と仙台市が合わせて1億円を支援し、金メダリストを育てたリンクは2007年に再開されたのです。
その1ヶ月後、再開されたリンクで金メダリスト:荒川選手がスケート教室を開きました。
そこには当時12歳の羽生選手の姿がありました。羽生選手は荒川選手の前で得意のイナバウアーを披露してみせました。そして荒川が得意としたイナバウアーを自身の演技に取り込んで今日に至っています。そしてソチ五輪で金メダリストに輝きました。
男子のトップ選手でイナバウアーをやるのは羽生選手以外にはいません。
金メダリスト、「羽生結弦選手」を救ったのは金メダリスト荒川選手の「後に続く後進のため」への思いでした。
今回リンクを去って行く高橋選手や多くの選手が、先輩、先人への感謝の意を述べています。
わが国のフィギュアスケートは世界に比肩なき層の厚さを誇っています。
日の丸を背負った日本人は強く、逞しく、美しい。
何よりも故郷への思い、恩人への感謝、何よりも「後に続く後進のため」への思い、そして、日本人としての矜持を持ち続けているのです。
天皇彌榮(すめらぎいやさか)